エックスちゃんの非日常的な日常②
この広い広い宇宙には、我々地球人を遥かに超える優れた知性を持つ生命体がいるものだ。そのうちの一つ。レレン星のレレン星人が宇宙船に乗って地球にやってきていた。レレン星は宇宙全体の平和を目指して活動している。レレン星人は地球人と同じような姿をした所謂ヒューマノイドタイプの異星人だ。今回の目的は調査だった。
かつてあの超巨大かつ凶悪なビルー星人を追い払った星、地球。その戦力は如何ほどか。まだ異星間での交流も始まっていないこの星がどうやってビルー星人を撃退したのか。
光学迷彩を用いて姿を消し、原住民に気付かれないように空を進む。地上の風景は長閑であった。行きかう人々に好戦的な様子はない。レレン星人と体長も見た目も殆ど相違はない。違いがあるとすれば地球人には尻尾が生えていないことくらいだ。計測された脅威レベルは1。ビルー星人を撃退できるほどの武器の存在も確認できない。
「おかしい」
レレン星人の女性隊員、ワワはそこに違和感を覚えていた。ビルー星人がやられたという噂は恐らく事実である。レレットなるビルー星人がこの地球に侵入したのは確認が取れていた。しかし見ての通り、この星は平和だ。ビルー星人が暴れたのであればこんなことにはなっていない。そしてその日以降ビルー星人全体が大人しくなった。状況証拠から推理するに、件の噂にはそれなりの信憑性がある。
ではこの穏やかな風景はどうか。ビルー星人を撃退できるほどの戦力があるとは到底思えない。脅威レベル1の星にそのような力があるはずがない。何か騙されているような気分だ。
「……まさか我々の存在に気付かれた?少なくとも姿は見えていないはずだが……。気付かれたのであれば武器をどこかに隠しているのかも……?念のためもう少し目立たないようにしておくか……」
「ワワ。ここを見て」
「どうしたリリ。むっ。これは」
助手のリリが見せてくれたデバイスの画面。そこにはここから数キロ離れた場所に存在する巨大な空間の歪みだった。凡そ70㎡の面積を持つ空間の内部に、25万㎡を超える空間が折りたたまれている。このようなテクノロジーは最低でも脅威レベル10の星にしか存在しない。
「……ここだ。きっとここに地球の秘密があるのだ」
確信をもってワワは目的とするポイントへと宇宙船を走らせた。向かう先にあったのは、とある一軒家であった。
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豆大福を手に取り、口に運ぶ。
「……あむ」
口の中にあんこの味が広がる。豆の仄かなしょっぱさが、全体の味を調えてくれる。しつこいことはない。一口食べるともう一口つい食べたくなる味だった。
スーパー小枝には小さな和菓子屋さんが入っている。店長の親戚の友達の姉の旦那さんがやっている和菓子屋さんだ。元々は商店街の中で、自分でお店を持って、和菓子を売っていたらしい。それが不況と近くに出来た大型百貨店の襲来のダブルパンチで店を閉めざるを得なくなったのだとか。途方に暮れているところをスーパー小枝の店長が引っ張って来たらしい。曰く、『あの百貨店はアタシらみんなの敵だから』だそうだ。
「そんなもんかなあ。ボクはあのデパート結構好きだけどなあ」
などと呟きながら豆大福をもう一口。こくりと飲み込んでお茶を一口。ベストマッチ。完璧な組み合わせだ。
テレビでは時代劇をやっていた。時代劇なんて面白いのかしらと思いながら眺めていたが、これがどうしてなかなかバカに出来ない。ただ和菓子を食べてお茶を飲んで時代劇を見る昼下がりは、これはもうおじいちゃんおばあちゃんのそれではないかと思ってしまう。
「ま、いいさ。美味しいものは美味しいし。面白いものは面白いし」
この後は水曜日の夜にやっている刑事ドラマの再放送がある。エックスは呑気な昼下がりを満喫していた。
──さて、この日はとても天気が良かった。雲一つない晴天。風は静かで心地いい。せっかくなので換気をしよう。そんな想いでエックスは、部屋の窓を開けていた。果たして、彼女の思惑通り、心地のいい外気が入ってきて、部屋の中の空気を爽やかにしてくれる。
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「不用心だな」
目的地となる建物の窓が開いていた。簡単に中に入り込めてしまった。ゆっくりと下降して、床に近付いていく。
見た目を民家に偽装し、空間を歪ませて大きさまで欺いている割に変なところで抜けている。
「あの、ワワ。一つ質問いいですか?」
「?なんだ?」
「どうして縮小を?危険ではないですか?そんなことをしなくても入れたのに……」
レレン星人が今回使用している宇宙船は偵察用のもの。決して大きくはない。問題なく、窓の隙間から侵入できる大きさだった。しかし今回ワワは縮小して潜入することを選んだ。縮小率は十分の一。現在ワワたちは20cm弱の大きさしかない。当然危険な行為である。地球人は自分たちと同じ大きさの生き物だった。万が一見つかってしまったら……リリは不安だった。
「悪いな。出来る限り見つかりたくないんだ。光学迷彩だけでは不安でね。このサイズになれば一層目立たないだろう?」
「でも見つかっちゃたら捕まっちゃいますよ」
「大丈夫。このサイズでも地球人一人くらいなら撃退できる程度の武器は用意があるよ。それに捕まえるには我々はまだ大きいさ」
ワワたちが乗ってきた船は直径5mの球体形だった。現在のサイズは直径50cmの球である。レレン星人の技術によって見た目よりも内部の方が広く大きいために、思っていたよりも何十倍も重い。このサイズでも地球人が持ち運ぶのは一苦労のはずだ。
「だから大丈夫。それにこんなに用心したんだからきっと見つかりはしないさ。ゆっくりとこの建物内の秘密を探して……」
『あー、ウソー!あんなにいい天気だったのに雨!?』
「うん?」
外から声が聞こえる。外部カメラから建物内の様子を窺う。そしてその時には既に一瞬遅かった。
「……うわあっ!?」
突如迫りくる何か──外から見ればそれが足だと分かったかもしれないそれが衝突して、宇宙船は思い切り吹っ飛ばれてしまったのである。
『……ん?ボク今なにか蹴った?』
「まずいまずいまずいまずい」
「ワワさん……?まずいって一体……」
「船が動かない!武器も出せない!縮小機能も壊れた!元に戻れないぞ!そのくせ光学迷彩だけ生きている!」
「えーっ!そ、それなら助けを……」
「……それも壊れてる」
「ウソー!?」
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「ん?ボク今なにか蹴った?」
なんだかサッカーボール的サムシングを蹴ったような感覚がある。床を見てみるけれどもそれらしいものはない。あるわけがない。しかし確かにそういう感覚はあった。
「……んー?」
エックスは首を捻りながら窓を閉める。突然の雨。ついさっきまで雲一つない空だったのに。せっかくののんびりタイムが台無しである。洗濯物を干していなくてよかった。危うく二度手間になるところだった。
「えーっと。あとはあっちの部屋だろー」
まだ窓が開いている部屋がある。独り言で確認をしながら、エックスは部屋を出て行った。
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「……ワワさん。今の」
「……脅威レベル50か。うん。どう考えてもあの巨人がこの星の戦力だ」
見た目は、大きさを無視すれば地球人とほぼ同じ。その体躯は100m。今の十分の一に縮んだ彼らにとっては相対的に1kmの大きさだ。
「ビルー星人ほど大きくないのにこの脅威レベルか。恐ろしい生き物がいたもんだ」
「あの……それはいいんですけど。それよりどうするんです、ワワさん?私たちこのままだと帰れないですよ?」
「……そーなんだよなー……」
この星のことは今の一瞬である程度分かった。ビルー星人を追い払った秘密も概ね。しかしこのまま帰れなければ意味がない。肝心のところを報告できないことになってしまう。
「……リリ。こうなったら一か八かだ」
「……と、いうと?」
「どうにか今の巨人とコンタクトを取って、助けてもらおう」
「あーん。やっぱりぃ」
「すまない……。もうこの手しか……」
「ううう。危険手当いっぱい請求しますからね!」
「ああ、もういくらでも請求してくれ!防御スーツの用意を頼む!これよりミッションスタートだ!」
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対ビルー星人用防御スーツ。これさえ着ればビルー星人に踏まれても平気という宇宙時代を生きるのには必須のアイテム。
「これであの巨人に踏まれても大丈夫なはずだが……」
「ワワさん!扉開いてます!よく閉まってなかったみたいです!」
「おおっ!でかした!」
宇宙船が壊れている今、トンネル効果で強引に出ることは不可能であった。扉が開いているのは僥倖である。駆け足で走っていく。万が一巨人が、扉が開いていることに気付いたら、閉められてしまうかもしれない。そうなれば完全にここに閉じ込められることになる。彼女がまた何かの理由でこの部屋に来ない限りは永遠に出られないのだ。
閉め忘れによる僅かな隙間。ワワとリリは同時にそこから部屋の外へと飛び出す──と、同時に。ふっと周囲が暗くなった。
「ん?なんだ?」
ワワが顔を上げる。すぐ傍に、肌色の天井が迫ってきていた。それが巨人の足であることに気付いた二人は、悲鳴を上げることしか出来なかった。
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ぺたん。足が地面に着いた。そのまますたすたと歩いていく。窓は全部閉め終えた。推理ドラマの再放送が始まってしまう。エックスは少し駆け足でリビングに戻っていく。
これは仮定の話だが、身長100mの彼女にとって、たった20cmにも満たない大きさの物体はそれこそ眼中にない。ましてそんなものを踏んでしまっても、ゴミを踏んだという自覚さえ起らないであろう。そのうえ今のエックスは少し急いでいた。魔力的な気配のない足元に気を遣うことはない。だから仮にそこに十分の一サイズの大きさになった宇宙人がいたとしても、全く気付かずに踏みつけて、そのまま進んで行くはずである。
あくまでも仮定の話だが。
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「ワワさーん!」
「落ち着けリリ!むぎゅ……。だ、大丈夫!スーツのおかげで潰されてむがー!」
「でもーむぎゅ……。気持ち悪いー!」
巨人の足に踏みつけられて、足の裏に張り付いてしまった二人は、彼女の歩行によって幾度となく踏まれることになった。幸運だったのは念のため防御スーツを着込んでいたことだ。ビルー星人よりも遥かに小さなこの巨人の質量はやはりビルー星人よりも大幅に劣る。このスーツの耐久性の範囲内というわけだ。実際痛くも痒くもない。それはそれとして何度も何度も踏みつけられるのは恐ろしい。万が一スーツの防御機能が壊れたらと思うとぞっとする。
『はー!間に合った!』
巨人の声。それと共に彼女はその場に腰を落とす。おかげで踏まれることも無くなった。ワワは起き上がって、巨人の足から離れる。
「よしリリ。キミも一緒に……」
そう言って振り返るとそこには。
「なっ……!」
リリの姿はなかった。彼女がいた場所には巨人のお尻が乗っている。思わずワワは先ほど脱出した巨人の足に駆け寄る。
「そ、そんな……!リリ!まさか敷き潰されて……」
「……わ……で……!」
「……ん?」
「わた……だい……」
リリの声が聞こえてきた。防御スーツのおかげで巨人のお尻の下敷きになってもなお、彼女は生きているらしい。ワワはほっと胸を撫でおろした。
「しかし……安心はしていられないぞ」
リリの声はか細いものしか聞こえてこない。辛うじて何か言っているのが分かるくらいだ。こんな状態のままにしておくのは可哀そうである。そうなるとやはりこの巨人に足をどけてもらうより他ない。
「けど……どうする?」
ワワは上を見上げた。座っていても遥かに巨大な巨人の身体。
「……登る?」
言ってから嫌だなとワワは思った。
そもそも私は頭脳労働専門だ。肉体労働は専門外である。クライミングなんてもってのほか。
そんなことを思いながら、目の前の足を軽く叩く。何度も叩く。これで気付いてくれればいいのにと思って。
十回ほど叩いたところでワワの手が止まった。疲れた。その上これは徒労だ。どれだけ叩いても反応はない。これなら叩いた分のエネルギーで登った方がマシである。
「……しかたない!」
これもリリのため。顔を上げて、巨人の足の指に手をかける──と、言うところで、突然ワワは巨大で柔らかい二つのなにかに身体を挟みこまれた。
「うわあ!?」
そのまま急激な速度で上昇していき、やがて巨人の瞳のすぐ前にまで連れて来られる。
ワワはごくりと唾を飲み込んだ。600倍の体躯を持つ巨人の瞳がじっと、自分を見つめている。
「……人?」
怪訝な表情を浮かべる巨人の問いかけに、ワワは首を何度も縦に振った。心の中で『巨人友好的であれ。巨人友好的であれ』と何度も祈りのように唱える。ここから先は賭けだ。スーツがあってもこの大きさの差は覆せない。彼女が友好的でないならば、それはもうほぼ死を意味する。
巨人は暫く考えてからにこっと微笑んだ。
「そうなんだ。こんにちは」
「っ!」
挨拶。これはかなりの確率で友好的である可能性が高い。笑顔。これも友好的ポイント高い行動だ。よかった、とワワは心の中で何度も何度も言う……と。突然ワワを摘まむ指先の力が少しだけ強くなる。
「で?ボクの家に何をしにきたわけ?」
巨人は一瞬前とは打って変わって、脅すような口調で言った。友好的ではなかった。ワワは絶望した。
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机の上に乗る二人の宇宙人。エックスはそれをじっと見つめて話を聞いていた。
「はあなるほど。調査」
「は、はい。ビルー星人を撃退した地球人がどれだけのものかと……」
「ふうん……」
エックスは摘まみあげた宇宙人を開放していた。気絶してしまったからだ。ついでに足とお尻の間に挟まれていたもう一人も救助していた。話を聞いたのちに二人を元の大きさに戻してあげている。
「そういうことなら。ボクは別にどこかの星と喧嘩したりしないから大丈夫」
「は、はあ……」
「それで、帰れないんだっけ?ボクが送ってあげようか?」
「ほ、本当ですか!?」
「よかったああ……家に帰れますよワワさん!」
エックスは二人にそっと指を当てた。二人とも一瞬避けようとしたが、構わずに強引に指先を当てる。
「故郷の星を思い浮かべて。位置とか分かればそれも」
「は、はい」
二人が目を閉じる。エックスは二人のイメージを利用して空間の裂け目を開いた。ちょん、と軽く指で弾いて、二人を裂け目の向こう側へと押し込む。
「うわあ!?」
「いたた……あっ!レレン星ですよ、ここ!」
「え……?あ、本当だ!」
「ふふ。無事に帰れたみたいだね」
バイバーイとエックスは手を振って、空間の裂け目を閉じた。それから、あることを考える。
(……宇宙人の気配なんか分からないよ、ボク)
また来たら今度こそ踏みつぶしてしまうかもしれない。そんなことを思いながら、いつの間にか推理ドラマが終わってニュースを流しているテレビを切る。それからすっくと立ちあがった。あの二人の話が本当ならば、この家のどこかに透明な宇宙船があるはずだった。
(探して返してあげないとな)
そんなことを思いながら、リビングを出るのであった。