愛のために愚かになった王子の婚約破棄を受け入れました
ごきげんよう。私はモニカ。この国の公爵家の、一人娘でございます。
いわゆる公爵令嬢という立場ですから、当たり前のように第一王子との婚約が決まりました。えぇ、子どもの頃にですけれど。
王子――ヨシュア様は、優しい方でした。特に女性に対しては丁寧で穏やかな態度を崩さず、密かに慕っている方もいらっしゃるのでしょう。
私はと言えば、はっきり申しまして「恋」はしておりません。
ヨシュア様は切れ長の目で少しウェーブかかった髪を首の後ろで一纏めにしており、男らしいよりは綺麗、という雰囲気の男性です。純粋にタイプではないというのが本音ですが、ときめきとか胸の高鳴りのようなものを感じたことはなく、あくまでビジネスパートナーのような感覚です。立場上お茶会などはありましたが、それ以外のデートだとか、お付き合いをしている男女がするようなことは一つもしていないように思います。
誕生日やお祝い事のプレゼントも、無難なもの。もちろん、互いにです。
政略上の結婚なのですから、不満はありません。そういうものだと思っておりました。
だけれどある日から、あからさまに接触がなくなりました。お茶会も何かと理由をつけて中止になったり、ヨシュア様の代わりに第二王子でヨシュア様の弟であるミッシェル様がいらしたり。
それは二年ほど、続いていました。
この国では決まった年齢になると、学園に通うことが一般的です。貴族も平民も関係なく、同じ場所へ通うのです。学園に関わる全ての費用は、国が保証しています。ですので、平民であっても不自由なく過ごせる環境となっています。
そこに通い始めて、最初のうちは何事もなかったのですが。一年経ってから、ヨシュア様に変化がございました。
見れば、ヨシュア様の横にはいつも決まった女生徒がおりました。
デシレー様という、男爵家の方です。珍しい桃色の髪に、猫のような目元をしています。
ヨシュア様も一人の人間ですから、どの方とお付き合いをしようが私が口を出すことではありません。ですが一応、デシレー様にはヨシュア様には婚約者がいることなど至極当然のことをお伝えしたのですが。
もしかしたらそのときから、ヨシュア様の態度が変わったのでしょうか。
意識していなかったので、今になって「そういえば」と思い至っているのですけれど。
卒業パーティの間際になって、あちらこちらから噂が聞こえてきました。
どうやらヨシュア様は、卒業パーティで婚約破棄をするつもりらしい、と。
何の冗談かと思いました。私の知るヨシュア様は、そこまで愚かなひとではないと思っていましたから。
だけれど最近の接触のなさや、デシレー様の存在。もしかしたら私の知らない間に、ヨシュア様が変わってしまったのかもしれません。
ですので、卒業パーティの前日にヨシュア様から従者づてに「その日はエスコート出来ない」と聞かされたときは、まさか、という想いが強くなりました。
わざわざこんな場所で婚約破棄などしなくても、お話してくださればお聞きしますのに。
ひょっとして、何か理由があって……?
「モニカ嬢。きみとの婚約を破棄させてもらう」
その理由もわからないまま、私は卒業パーティのさなか、他の生徒や教師たちもたくさんいる中でヨシュア様にそう告げられました。
やはり隣にはデシレー様。にやにやと勝ち誇った顔をしています。いいのでしょうか、そんな顔を晒してしまって……。
「ヨシュア様。理由をお聞かせ願えますでしょうか。婚約破棄という考えに至った過程と、なぜこの場でしなければならなかったのかということを」
「……やはりきみは、とても聡明だ。この国の国母に相応しい」
――?
何か、話が噛み合っていないような気がします。デシレー様も、驚いた顔をしていました。
「よ、ヨシュア様、違うでしょう!? 今日はあの女を断罪するって……」
「あぁ、そうだな」
こともなげに答えるヨシュア様。どうやらこれから断罪に入るみたいですが……当然ながら私に身に覚えはありません。
「モニカ嬢。きみはここにいるデシレー嬢に様々な嫌がらせをした。例えば教科書を破いたり、制服を汚したり」
国から支給された制服や教科書をそのように扱うことなんて出来ません。
「学園の庭にある噴水に落としたり、あるいは階段から突き落としたりと……」
まぁ、なんてこと。……でもそのわりにはデシレー様、随分ぴんぴんしておられるようですけど。包帯や絆創膏をしているようでもないですし、ただニヤニヤ笑いながらヨシュア様にしなだれかかっているだけですわ。
「――と、まぁ、今述べたことは全てデシレー嬢の自作自演であることはもうとっくにわかっているが、あえてそれを理由にきみに婚約破棄を告げる」
「え?」
「え?」
私とデシレー様の声が被りました。デシレー様は自作自演と言われたことに、私はあえてそれを理由に、と付け足されたことに。
ヨシュア様の言わんとしていることが、私には理解できません。
「よ、ヨシュア様、自作自演なんてそんな……! 私、他にもモニカ様に酷いことをされて!」
瞳を潤ませてヨシュア様に訴えていますが、ヨシュア様はふぅん、と言った態度でまともに取り合っているようには見えません。それからまた私に向き直り、よく通る声で仰いました。
「俺は今この場で! 大勢の目撃者がいるこの場で、一人の女生徒に誑かされなんの罪もない婚約者を断罪した! こんな俺が、国王としてやっていけるわけがない!」
「ヨシュア様……?」
何か少し、様子がおかしいようです。これは私への断罪ではなく……。
「よって俺は王位継承権を我が弟ミッシェルに譲り、王子としての身分を返上する。――そして!」
だんっ、と、ヨシュア様が強く床を踏みしめました。その眼差しは私でもデシレー様でもない、別の場所を見ていました。
「商家の息子マルシオと、生涯ともに生きていくことを誓う!」
「――え、」
「は?」
「……えぇえぇえええ!!」
大きな声を上げたのは、当のマルシオ様。街一番の商家の息子で、体格が良くふくよかで健康的、垂れた目はその体格のわりにとても子どもっぽい印象のある方です。
ヨシュア様はデシレー様を幾分か乱暴に振り払い、大股でマルシオ様の元に向かいました。マルシオ様は青くなったり赤くなったりして、めいっぱいに汗をかいて慌てふためいています。
「よ、ヨシュア様、なんで!」
「なんでじゃない、こうでもしないとお前は俺の元から離れて行こうとするだろう! そんなこと誰が許すか!」
「だってヨシュア様はこの国の王子なんですよ!? モニカ様っていう綺麗で聡明な婚約者もいるし、」
「その婚約は今破棄された! 見てただろ、お前も!」
「み、見てましたけど! ダメですよこんなの! 誰も認めません! 誰も幸せになりません!」
「俺はなる! お前と一緒にいられるならそれで充分幸せなんだ! 何度も何度もそう言っているのに、やれ釣り合わないだとか、男同士だとか、それでも俺はお前が良いんだ!」
かつて、あんな必死なヨシュア様を見たことがあったでしょうか?
あの方はいつでも冷静で穏やかで、あんなふうに言葉を崩して怒鳴っている様は見たことがありません。
つまりヨシュア様は、自ら有責の婚約破棄を行うことにより廃太子されることを望んでいた。公爵家との婚姻はちょっとやそっとのことでは破棄出来ません。恐らく国王であるお父上に自らの想いを告げれば、マルシオ様との未来はなくなる。そう考えたのでしょう。
「愛してるんだ、マルシオ。お前もそうだろ? 俺のことが好きだろう?」
「そっ……! そうだけど、だけど、ヨシュア様を平民になんてっ! おれのためにそんなことしないでください!」
「お前のためだからするんだろうが! もういい加減諦めろ!」
まぁまぁ、あんなにも言葉を乱して。普段のヨシュア様からは想像出来ないお姿ですわ。
きっと、それほどまでに……。
「ちょっと待ちなさいよ!!」
二人の世界を作り上げていたヨシュア様とマルシオ様に声をかけたのは、デシレー様でした。
無理もありません。しっかりばっちり、利用されただけですもの。
「モニカならともかく、なんでそんな! そんなデブ男が相手なのよ! そんなやつのために教科書を破ったり制服を汚したりしたんじゃないわ!」
デシレー様、はっきりと自作自演であったと言ってしまいましたね。
それより、ヨシュア様の表情が変わりました。マルシオ様を侮辱されたことが許せないのでしょう。
「今、何と言った」
「……え、」
「マルシオをデブと、そう言ったか? ――お前はマルシオの抱き心地の良さを知らんのだ! まぁ教えてやる気もないが! それに笑顔がめちゃくちゃ可愛いんだ! ヨシュア様ヨシュア様と懐いてくる姿も、撫でるとふにゃふにゃの顔になるところもっ! 俺にはこいつの全てが可愛くて愛しくて仕方ないんだっ!」
突然の惚気に、マルシオ様は両手で顔を覆ってしまいました。ひぃ、と小さく声を上げていますが、耳まで真っ赤です。
あぁ、ヨシュア様。私、あなたの気持ちが少しだけ理解できました。
「お前がモニカ嬢を陥れようと色々やらかした事実はしっかり報告させてもらうから、相応の罰を受けると良い。はっきり言おう、お前のことは利用していただけだと。お前のつけているその香水の匂いは強すぎるが、マルシオが嫉妬してくれるから」
「ヨシュア様! もう勘弁してください!」
泣きそうな顔になっているマルシオ様がヨシュア様の服を引っ張りました。ヨシュア様の顔が途端に緩みます。
デシレー様はもう言葉も出ない様子で、口を何度も開いたり閉じたりしていました。
二人が想い合っているのは、誰が見ても明らかでした。私は思わず、ふふ、と笑っていました。
私は恋や愛というものを初めて目の当たりにしたのです。
「……モニカ嬢」
ヨシュア様は優しい方です。こんな方法を選んだことに、罪悪感を覚えているのでしょう。後ろにいるマルシオ様は、大きな体を縮こまらせて泣きそうに顔を歪めています。
「婚約破棄、了承いたします。ただし、条件がございます」
「なんなりと聞こう。慰謝料が必要と言うのならいくらでも……その、平民となって自らの手で稼いでからになるが」
「私は今まで、王妃となるための教育を受けて参りました。ヨシュア様との婚約がなかったことになると、せっかく覚えたものが台無しになってしまいます」
「……それは、」
「ですので、私をヨシュア様の弟君……ミッシェル様の婚約者にしていただけないでしょうか。何度もヨシュア様の代わりにお茶会に顔をお出しになっていたのですが、その中であの方とはとても話が合うことに気づいたのです」
ミッシェル様にはまだ、婚約者がおられなかったはず。
「ただもし、ミッシェル様にもヨシュア様のように他に想う方がお有りでしたら、断っていただいて構いません。隣国でもどこへでも、私が役に立ちそうな場所へ嫁がせてください」
ヨシュア様は驚いたように瞬きをして、首の後を掻きました。
「本当に、それでいいのか? ミッシェルとの婚約は、願ってもないことだ」
「えぇ。ミッシェル様さえ良ければ。政略結婚は信頼関係の上で成り立つものと思っております。そこに愛がなくても」
ヨシュア様とマルシオ様の関係を、少しだけ羨ましく思いますが。私はまだ、恋というものを体験したことがないのです。
「……ありがとう、モニカ嬢。確かに俺は、きみのことを信頼していた。その信頼を裏切るような真似をして、悪かった」
「いいえ、こうしてしっかりお話してくださいました。マルシオ様と、どうかお幸せに」
私はまだ認めてないわよ! というデシレー様の声が聞こえましたが、周囲の空気はすっかり、円満な婚約解消とヨシュア様とマルシオ様の関係を祝福するものになっておりました。
ヨシュア様は、愛のせいで愚かになったのではなく、愛のために愚かになっていました。
「俺はどうしたって、マルシオを選んでしまう。このまま王になれば国のことを顧みずマルシオを求めていた」
廃太子となり、平民として生きていくことになったヨシュア様は、後日そのように話していました。今はマルシオ様と共にいられて、とても幸せそうです。
マルシオ様にはものすごい勢いで謝られましたが、なんだか大きなワンちゃんを見ているような気分になりました。思わず撫でてしまいたくなりましたが、ヨシュア様の目が怖かったので我慢しました。
デシレー様はあのあと、教科書や制服を破ったことで教師たちから叱られ、しばらく謹慎となったようです。ヨシュア元第一王子への態度や私への冤罪の容疑などは不問になりました。あの方も気の毒と言えばそうですから。
私はと言えば、約束通りミッシェル様と婚約となりました。
ミッシェル様はヨシュア様のマルシオ様への想いを知っていたらしく、いつ私に打ち明けようか迷っていたみたいです。
「兄さんはモニカ嬢には何の責もないのだから、知らせることで却ってあなたを不利にしてしまうと思っていたようです。今回のことはあくまで自分だけが悪いのだと……それほどまで、マルシオを愛してしまったのだと言っていました」
「ヨシュア様らしいですわ。本当に、マルシオ様を愛していらっしゃるのですね」
「えぇ、もうべた惚れです。兄上は女性が好きだとばかり思っていたのですが、意外でした」
「きっとそういうものなのでしょうね、愛と言うものは。私にはまだ、よくわかりませんけど……ミッシェル様」
「はい?」
「ヨシュア様にも申し上げましたが、政略結婚は愛がなくても成り立つものであると思っています。あなたと私の信頼関係の上で結ばれるものだと。なのでもし、他に愛する方が出来たのなら仰ってください。男性でも女性でも。誰であれ、私は受け入れますから」
恋や愛がどういう感情を引き起こすものなのか、実体験がない以上理解できないのは仕方がない。
だから私は公爵令嬢として、王子の婚約者としての責務を全うするだけ。
ミッシェル様はそんな私に、眉を下げて笑いました。
「その意見には賛成です。ですが私はまず、あなたとの間に愛を育めないものか考えています」
「私との間に?」
「はい。あなたとは話も合う。共に居て楽しいと思える。だからもっと、あなたの話をしてくださいませんか。恋愛感情でなくても構いません。それが親愛でもいいのです。出来ないもの、ないものを前提とせずに、私に寄り添ってみませんか」
恋とは、落ちるもの。そう聞いていた私は、それが育めるものであると考えたことがありませんでした。
だけれど、この方となら。
「やってみる価値はありそうです」
「そう思っていただけて何よりです。どうぞこれからも、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ。ミッシェル様」
ヨシュア様に抱かなかった感情を、ミッシェル様に抱くようになるのか。
一つネタばらしをするのなら、この国は随分と長い間栄え続けたということです。
ヨシュア×マルシオです。
でっかい子右が性癖です。




