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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第六章 終わりを迎える非日常
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無意味で手放し難い思い出作り 4

 バイキング形式の夕食を済ませた俺たちは夜の街に繰り出した。

 そういうと何かいけないことでもしているような気分になるが、決してそんなことはない。

 ただウミと並んで歩いて、温泉街の中心部にある湯畑なるものを眺めていただけだ。

 夜だからなのか、あるいはまだ今日が平日だからなのか人通りは思ったよりも少なかった。観光地というものは日夜人でごった返しているものだと思っていたから俺にとっては嬉しい誤算だ。

 隣を歩くウミは相も変わらず俺の手を握っていた。もはやそうするのが当たり前だとでもいうようにウミは外に出るなり手を繋いでいいかと尋ねてきた。

 特段断る理由も持ち合わせていない俺はそれを受け入れ、温泉街を歩いた。

 そこまではよかったのだがどうにも観光というものに不慣れな俺はウミを連れだってあれやこれやと楽しみを提供することもできず、したことと言えば二人でゆったりと足湯に浸かったことくらい。夕食を食べた後で食べ歩きをする気にもなれなかった俺たちは、八時を回ったころにはホテルに戻ってきてしまっていた。

 それから意味もなく二人で寄り添いながら黙って過ごし、どちらからともなく外出中にホテルの従業員が用意してくれていた布団にそれぞれもぐりこんだ。

「…………」

 これでいいのだろうか。思い出らしい思い出など作れていない気がする。

 ただウミと手を繋いで歩き、同じ部屋で二人で過ごしただけだ。

 決して無意味だとは思わないが、これでいいのだろうかとは思ってしまう。物足りないと感じてしまう。

 けれど一度布団に入ってしまえばこれからどこかへ行こうと言う気にもなれず、そもそも十時をとうに回った今から行ける場所などたいしてあるわけもなく俺はゆっくりと瞼を下ろしていく。

 囁き声が聞こえたのはまさに目を閉じる寸前だった。

「アオイ? 起きてる?」

 俺は目を開け、背中側から聞こえた声に耳を澄ませる。

「アオイぃ?」

 彼女の囁き声を初めて聞いたのは看病をしてもらったときか。俺を起こさないようにと気遣いながら寝室のドアを開けた彼女がそんな声を出していた。

「アオイー」

 彼女のその声をもう少しだけ聴いていたくて、俺は寝たふりをした。いたずら心が芽生えてしまったのだ。

「アオイ、起きてる?」

「……………」

「寝ちゃった……?」

 けれどそれはすぐにやめなければいけなくなる。ウミが寂し気に言葉尻をしぼませたからだ。

 俺は悪いことをしてしまったと思いつつ、すぐに振り向くことができない。

「アオイ、寝ちゃったの?」

「寝た」

 素直に起きてるよと返してやることのできなかった俺は、かわいげもなく億劫そうに返すので精いっぱいだった。

 背後ではっとした音が聞こえた。それから衣擦れの音も。

「起きてる、にへへぇ」

 満足そうな笑い声が聞こえて俺はバツが悪くなった。意地悪をしてしまった手前振り向いて顔を合わせることもできない。

「アオイ」

「…………」

「寝ちゃった?」

「寝た」

「にっへへぇ」

 そんな中身のない会話しかできない。ウミはそれでも満足そうだがずっとこうしているわけにもいかない。

 俺は次ウミに呼びかけられたら振り返ろうと心に決め寝返りを打つ準備をした。

「アオイ、寝た?」

 そしてその時がやってきた。俺は前もって用意していた命令を脳から体に下す。

 すぐに振り向き目を開ければそこにはおそらくウミのにへへ顔があるのだろう。そう思った。

 けれど俺の寝返りは途中で止まってしまう、ウミの続けた言葉に止められてしまった。

「アオイ、寝ないで」

 仰向けの状態でぴたりと止まった体をそのままに、首だけを動かしてウミの姿をとらえる。

 首元までしっかりと布団をかぶったウミは笑みも携えずにただじっと俺のことを見ていた。

 布団同士の距離はほぼゼロだ。端が触れ合うほど密着した状態で並べられた二つの布団に寝転がる俺たちの距離もそう遠くない。手を繋いでいるときに比べれば少し遠い程度の距離だった。

「まだ、アオイと話してたい」

 ウミも俺と同じで物足りないと感じていたのだろう。このままでいいのかと考えていたのだろう。まっすぐに向けられたその思いに俺は頷きを返した。

「何か話したいことがあるのか?」

「え、っと…………」

 失敗した。わかりきっていたことのはずだったのにそんな無作法な問いを投げつけてしまった。

 ウミは話したいことがあるとは言わなかった。ただ話していたいと、そう願ったのだ。

 中身なんてなくていい、そんなものは必要ない。ただこの時間を終わらせたくないから、俺に瞼を閉じるのをやめてくれと頼んだのだ。

 俺は自身の不甲斐なさに頭を掻き、言の葉を探す。

「じゃあ、たまにはウミの世界の話を聞かせてくれ。異世界の、魔法の話とか」

 言うと、むつかしい顔をしていたウミがきょとんとした。

「アオイ、魔法に興味あったの?」

「男の子は誰だってそういうものが好きなもんだ」

 言いながら、首だけでなく体ごと彼女のほうへと向き直る。お互いの手が布団の端に乗っかっていて、どちらからともなくその熱を求めた。

「どういうことが聞きたいの? その、今私魔法使えないと思うから見せたりはできないけど」

「聞かせてくれるだけでいい。話をしてよう。眠くなるまでは」

「…………うん、話すね?」

 ウミは柔らかく笑った。不思議なもので、彼女のその表情を見ると俺たちが通じ合っているのだと理解できてしまう。人と人なんてどこまでいっても他人で、完璧にわかりあうことなんてできもしないはずなのに、そんな気分にさせられてしまう。

 繋いだ手の平から、指先から、彼女の温かな思いが流れ込んでくる。

「私の世界ではアオイの世界とは違って魔法っていうものがあるの。それは別に特別なものとかじゃなくて、アオイの家にある水道の蛇口とか、コンロの火とか、そういうのと同じで生活の一部で必要なものなんだ」

 それは初めて会った時も聞かされていたことだ。右も左もわからず不安げだった彼女と夜通し情報交換をしたあの日に語られた内容だった。

「誰でも魔法を使えるのか?」

 その問いかけも前にした覚えがある。眠気に負けそうになりながらだったのでもしかすると気のせいかもしれないけれど。

「うん。私の住んでる村の人はみんな使えるよ。でもほかのところではそうじゃない人もいるみたい。私は村を出たことがないらかわからないけど、師匠はそんな風に言ってた」

 魔法を使えることが前提の世界。けれど例外もいる。魔法を使えない人間もいるにはいるらしい、と又聞きした情報を語るウミ。

 もしかするとウミの暮らす村のほうが何か特殊なのかもしれないが、外の世界を知らないという彼女にそんなことを訊いてもわからないと言われるだけだ。

 俺は「そうなんだな」なんて聞いているのかどうかも判別つかない相槌を打つ。

「私の村では水を汲むのも火をつけるのも全部魔法でしてた。だからアオイの家みたいにコンロをひねったりする必要なんてないし、何かを焼いたりするときはフライパンの下に火を起こせばよかった。水を汲むのは井戸まで行かなくていい分アオイの家の水道のほうが便利だけど」

 ウミは俺の目を見ながら、時折明後日のほうへと目を向けた。昔を思い出しているのだろう。俺と出会う前の、慣れ親しんだ景色をその瞳に映し出している。

「もの探しの魔法とか、空を飛んだりとか何でもできるわけじゃないんだろ?」

「うん。アオイが想像してるような便利なものじゃないよ。でも、私にとって魔法は当たり前のものだった。なかったら困っちゃう」

 魔法はこの世界で言うならインフラに近いものらしい。水道ガス、電気と言ったものがウミの世界では魔力から生み出される魔法で賄われている。物を運ぶにも自動車などの必要もなく物を転移させる魔法があるというのは前に語られたことがあった。

「だから、この世界に来たときは何が起きたのかわからなかった。転移の魔法は物を運ぶための魔法で、人を運ぶものでも、違う世界に飛ぶためのものでもなかったから。そもそも違う世界に飛ぶなんて考えたこともなかった」

 まるで魔法のような出来事。なんて言い方があるけれど、ウミの世界の常識で言うなら魔法はそんな大それたものではない。実際に異世界転移ができているのだから使い方を変える、あるいは極めれば絵にかいたような魔法なんて言葉にふさわしいものも実現させることができるのかもしれないけど、ウミの知識の中に、常識の中にそれは存在しない。

「魔法は特別な力でも、奇跡の実現でもなかった。私たちにとって魔法は生活の一部。それ以上でもそれ以下でもない、必要不可欠な、普通の中の一つ。やろうと思えば誰でもできる事。目の前の人とおしゃべりするのと同じ」

 そう改まって言われてしまうと、天邪鬼な俺はこうして誰かと言葉を交わすことが特別のことのように思えてきてしまう。

 言葉を操るのは人間だけだ。人間である俺たちからすれば言葉はあって当然のもので、無くなるなんて想像がつかない。言葉がなくとも通じ合える関係なんて言うものがもしかするとあるのかもしれないが、ただの一言も言葉を交わさずに生きる人などいないだろう。どんな形であれ意思疎通のために言葉を使う。

 犬も猫も。鳥も魚も。人間のように言葉を操ることはない。人の出す声をまねるする動物はいるけれど、それは人間の操る言葉とは本質的に異なるものだ。

 だから、特別と言えば特別なんだろう。見る場所を変えれば見えるものも変わってくる。

 この世界の人間にとって魔法は空想の産物で、異世界の人間からすればあって当然のもの。

 そんな特別で、当たり前なこと。

「ねえ、アオイの話も聞かせて? 私アオイの事よく知らない」

「半年以上一緒にいるんだからそれなりにわかってるだろ」

 気だるげに返してはみるが、俺がそうであるように彼女も俺のことを知りたいと思ったのだろう。

 彼女は俺のことを知らない。俺の見てきた景色を知らない。いかに彼女が俺の家庭環境を理解していても、それなりの時間ともに暮らしていても、仮に四六時中ともにいたのだとしても、俺とウミでは見えているものが違っていた。目線の高さが違っていた。

「そうだな、改まって語るようなことも思い浮かばないが……」

 過去を語るにしても特筆するエピソードの一つも出てこない。そも俺の過去の話など家族への不満で埋め尽くされている。母親との関係を語るのは今更過ぎる。

 友人もいなかった。ウミと出会う前の俺はアルバイトをしながら一人で生きていけることを証明するのに必死だった。他に語ることがあるとすれば、高校に入ってしばらくしてからできた唯一の友人のことくらいだが、それだってテスト勉強を一緒にしているだとかウミの知っていることばかりだ。

 ウミに改めて語ること。ウミの知らない俺の景色。

 そんなものがあるのだろうかと頭を抱えていると、ふと彼女のいつだかの言葉を思い出した。

 だから俺は彼女のその群青色の瞳を見て一つの提案をした。

「ウミ、明日の予定だけど……」

 旅行という目的からはだいぶ外れたその提案。それこそ日常の一幕とも呼べるその催し。

 その場所を口に出すと、ウミはにへへと笑って頷いて見せた。


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