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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第六章 終わりを迎える非日常
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無意味で手放し難い思い出作り 3

 普段は水の音などなんとも思わないのに、女の子が浸かっている水の音だと思うと妙に意識してしまうのは一体どういうことなのか。

 ベンチを檜風呂の端につけているとはいえ、背を向けているのに彼女の仕草が伝わってくるような気がするのはいったいどうしてなのか。

 三つも年下の、中学生の年齢の女の子を意識するとはいったい何ごとなのか。

 そんないろいろな思いが大きな溜息となって出て行った。

「アオイ、見てもいいけど見ないで」

「どっちだよ」

 言われずとも覗き見たりはしない。俺にそんな趣味はないのだ。幼女とまではいわないが、自分よりも明らかに年下の女の子の素肌を覗き見ようなどとは。

 外を眺めつつ、今一度息を漏らす。

 部屋は決して高階層というわけではなかった。ホテルの中で言えば低階層のフロア。だというのにそこから見える景色は圧巻だった。

 温泉街を見下ろす、というほどではないが、それでも観光名所を眺めることはできる。いわゆる中央通りに当たる人の多い場所を眺めながら入る露天風呂はさぞ気持ちのいいものだろう。

 ウミに浴衣の着方を教えるついでに身に着けた浴衣にそんなことを思わされながら、景色を堪能する。

「アオイ」

「なんだ」

「手」

 条件反射で相槌を打てばまたわけのわからないことを言い出すウミ。自分が裸であることを認識できていないのかと頭を抱えたくなりながら俺はベンチの端に自分の手を置いた。

 すぐに暖かい感触が手の平を撫でる。けれどすぐに冷たくなってしまうのは水滴のせいだろう。湯船につかっていない俺は身震いを禁じ得ない。

「アオイ、見られると恥ずかしいからそのまま」

「わかってる、わざわざ言わなくていい」

「……見てもアオイ何も思わなそうだけど」

 ぼそりと呟いたその声に否の声をあげたくなったが、それは墓穴を掘るというやつだと思い踏みとどまった。

 ちゃぷちゃぷという水音がすぐ隣に聞こえた。おそらく檜風呂の縁に肘でもついているのだろう。そうでなければベンチの上においた俺の手の平を彼女が握れるはずがない。

 俺は彼女のほうを向かないようにと努めることにした。

「腕出してると寒くないか?」

 十一月とはいえまだ寒いとは言い難い。けれど濡れた腕を外気にさらしていてはそうも言ってられないだろうと思って問いかけたのだが、ウミはひときわ大きな水音を立てた。

「アオイ、見ないでって言った」

「いや、見なくてもわかる。絶対見ないから安心しろ」

「……それはちょっと癪。にへへ」

 だらしのない笑みもその声音だけで感じ取ることができる。わざわざ見なくとも今までさんざん見てきたのだからわかってしまう。もしかすると羞恥から頬を赤らめていたりするのかもしれないが、実際に彼女の表情を目にしたわけではない俺の脳裏にはだらしのないにへへしか浮かばない。

「頼むから溺れないでくれよ?」

 その気の抜けた笑みにつられて体に力もどんどん抜けて行ってしまうんじゃないかと不安になる。ウミのだらしのない笑顔は今に始まったことではないが、今この瞬間だけは妙に敏感になってしまっているらしかった。

「……なあウミ、聞きたいことがある」

「なぁに?」

 湯船につかってリラックスしているからか、それともいまだあの特徴的な笑みを浮かべているからかふにゃふにゃとした声音で返事をした彼女に一瞬怪訝な目を向けそうになった。

 裸の彼女を見るわけにはいかないのですんでのところで思いとどまるが、それなりに真面目な話がしたい俺との温度差に少々モヤっとした。

 けれど時間のある今を逃せば聞けなくなると思った俺は、彼女の緩んだ空気など無視して端的に問いかけた。

「本当はいつから悪かったんだ?」

「悪かったって?」

「体調」

 きょとんとした様子の彼女にそんなことを訊くべきではないのかもしれない。いやそもそもこの期に及んでそんなことを訊く意味などないのだろう。

 最後の思い出作りなのだから、楽しい思い出にするべきだ。なのに重たい話ばかりしていては本末転倒。必死に訴えかけて手に入れた時間を有効活用できないままだ。

 けれど気になっていた。気になってしまった。

 俺が風邪を引いた時から悪くなったわけではないはずだ。きっともっと前から、ウミの体に不調は始まっていたはずなんだ。ウミがそれを隠したがっていたという事実を知って、俺はそう確信していた。

 黙りこくったウミに俺は努めて冷静に付け足す。

「それによってはすぐに帰る、なんていうつもりはない。気が済むまでお前と一緒にいるつもりだ。だから、最後くらい隠し事なしで全部答えてほしい。気を遣わせるかもとか、そういう余計な気遣いもいらない」

 言うと、すぐそばで水音が響いた。それにつられつい目を向けてしまった俺は、檜風呂の縁にうつぶせの体制で寄りかかる彼女の肌を目にしてしまった。

 目を見開いてしまった。けれどそれは彼女の裸体に興奮したわけではなく、彼女の口から出てきた言葉に驚愕したためだった。

「体がおかしいなってちゃんと思うようになったのは、アオイがパン屋のお兄さんとお泊り会しているくらいの時」

「……そうか」

 夏休み前の話だ。一学期の中間テストのときはウミとは出会っていなかったし、二学期の中間テストのときに関しては俺が風邪を引いた直後ということもあって勉強会は無くなる運びとなった。

 夏休み前の一学期期末テストのとき。茜さんの部屋にウミたちを預けているときの話だ。

 もっと最近だと思っていた。それこそ俺が体調を崩す少し前とか、夏休み終わりくらいからとか、それくらいから不調が始まっていたのだと考えていたのだ。

 けれど、それよりも一か月以上早くウミの体に不調は起きていた。その事実を訊かされ、俺は今更ながらに悪いことをしていたと実感した。

 ずっとウミに家事やらイズミの面倒やらを見てもらっていた。辛いはずの彼女にいろいろなものを押し付けてしまっていた。

「悪かったな、気付いてやれなくて」

「ううん、気付かれたくなかったからよかった。アオイ私の体調が悪いってわかったらいろんなことさせてくれなくなると思ったから。そうなったら私、アオイのそばにいるのが後ろめたくなるから」

 居候の身だという自覚はずっとあったのだろう。迷惑をかけているという自覚も。

 だから、一宿一飯の恩義というわけでもないだろうが、彼女は自分にできることをしようとしていた。あるいは、自分にできることがあるからここにいていいのだと思うことができた。

 そんな風に思うことなんてないのに、俺はウミがそばにいてくれるだけで満たされていたのに。この我慢が上手な異世界人はどうにもいろいろなことを不安に思いがちだ。

「今は辛いか?」

「…………」

 隣でちゃぷちゃぷと音がした。その音のテンポからして首を横に振ったのだろう。ちらりと覗き見てみれば彼女の黒髪が揺れていた。

「今日はいつもよりも全然平気。ちょっと力入りにくいけど、それだけ。物落としたりとかもそんなにしないと思う」

「さっき浴衣落としただろ」

「それはアオイが目の前で着替えようとするから驚いただけ」

「…………そういうことだったのか」

 てっきり体が限界に近付いているのだと思っていたが、杞憂だったらしい。ウミの言葉を鵜呑みにしていいのかはわからないが、彼女の落ち着いた声音からは嘘の気配を感じられないのでひとまずは信じてみることにする。

「いやそれ以外にも弁当食べさせてもらおうとしたりしただろ」

「あれはアオイにしてほしいからああ言っただけ」

「いやわかってたけどそんな堂々と言うか?」

「隠し事はなしがいいってアオイが言ったから」

 だからといって何もかも赤裸々に語れというわけでもないんだが、ウミはなんだか満足そうなので余計な茶々を入れずに言葉を交わす。

「いつもより楽っていうのは、ここに来てからか?」

「うん、今日から」

「そうか……」

 どういう理屈なのだろうか。いやそもそも理屈で言うならばウミの体調不良の理屈もよくわかっていない。魔力がないこの世界では暮らしていけないとミナモに言われたが、魔力がないと体にどんな不調が起きるのかは説明されなかった。実際に目にした症状らしいものと言えば体に力が入らなくなっているということくらい。

 けれど、その少ない情報の中から考えられることもあるにはあった。

 環境がウミの不調と関係しているというのは説明された通り。魔力がないからウミの体は弱っている。それは異世界に帰れば治るものなのかそこまでの説明はされなかったが、要は魔力なんていうものさえ補給できればいいという話なのだろう。

 この世界には魔力がない。そうミナモは言っていたがそれは真実なのか。

 ミナモとてこの世界をくまなく歩いたわけでもないだろう。魔法なんて言うものが発展していないので大まかにはその通りなのだろうが、そういうわけのわからない記録なんかは世界中のいたるところに記されている。

 現代科学では解明できないものがあるのだと語られることもしばしば。

 魔法だの超能力だの、宇宙人だの未来人だのと言ったオカルトをはやし立てるようなものが確かに存在している。

 だから、どこかには魔力なんていうものが存在しているのかもしれない。そう考えれば、馬鹿なことを思うことはいくらでもできた。

 この温泉街ならば、ウミは生きていくことができるかもしれない。

 あるいは山奥ならばもっといいのかもしれない。自然に近づけば近づくほど魔力というものの濃度が上がっていくのかもしれない。

 コンクリートジャングルのあの町ではなく、もっと田舎ならばあるいは。

 そんな可能性を夢想し、町明かりで見えない星に向かって願う真似をする。

 そうして大切なはずの時間を無為に潰していると隣からふうと息を吐く音が聞こえた。

「アオイ、そろそろ出る。見ないでね」

「……先に部屋に戻る」

 ウミの宣言を受け、俺はそそくさと部屋に戻る。彼女の裸体に欲情するかと言われればそんなことは決してないのだけれど、そんな風に言われてしまえば足早にもなる。

 部屋に続くドアに手をかけたところで背後からひときわ大きな水音が聞こえ、ウミが立ち上がったのであろうことが理解できた。

 俺は何があっても振り向かないぞと誓いながら後ろ手にドアを閉める。

 それから数分ベランダのドアの前で背を向けながら彼女を待つ。なんだかんだ言いつつも彼女の身を案じている俺は、気恥ずかしさに負けて距離を取るつもりもなかった。

「アオイ、通れない」

「あがったか」

 控えめに開かれたドアの向こうからウミの声が聞こえたのを確認してから振り向き、俺は頭を抱えた。

 死に装束となっていた。それだけならばまあよかったのだが、着方が甘すぎて胸元も裾もだらしがないを通り越していっそのこと艶かしいほどだった。

 足はミニスカートでも履いているのかと言いたくなるほど露出していて、逆に合わせられた襟元は鎖骨が丸見え、若干のふくらみを感じる胸元も動けば肌色が見えてしまいそうで危なっかしいことこの上ない。

 俺はすぐに修正が必要だと思い、彼女の襟元に手を伸ばす。和服の着方を心得ているわけではないが、露天風呂に向かう前、ウミにレクチャーするときにそれなりに調べて自分でも羽織ってみたので今の状態よりかはいくらかましになるだろうと思った。

「襟逆な」

 言いながら、襟元に触れ彼女の素肌を目にする。

 細い体だった。女の子らしい華奢な体。力仕事などとても任せられない、痩せこけているとまでは言わないが頼りのない体。

 そういえば、俺はウミの裸体を見たことがあった。

 出会ってすぐのことだ。ウミの事を空き巣だと勘違いした俺は彼女に盗った物がないことを証明するために身に着けたローブの内側をさらせと詰め寄った。最初は抵抗したウミだが最後には諦め、ローブをたくし上げかわいらしい下着を披露して見せた。

 あの時のことを鮮明に記憶しているわけではないが、ウミの体にそのころとの大きな違いは感じられない。

 多少細くなりはしたのかもしれない。けれど、体の不調を気にかけるほどのあからさまな変化は見て取れない。

 それこそ出会った頃のイズミのように衰弱しているというわけでもない。

 見ただけでは体に不調が起きているなどとは露とも思わない。

 だから余計に考えてしまう。環境を少し整えてやれば、ウミともっと一緒にいれるのではないかと。

「アオイ、お風呂あがったから見ていいってわけじゃないよ……」

 ぼそぼそと言うウミに相槌の一つも打てない。

 もしも、もっと一緒にいられる可能性があるならば、あるいはイズミが言っていたように約束を無視してこのままウミと共に姿を消すのもありなのではないか。

 そんなことを考えた自分の頭を揺すって正常に戻すまでに少しばかり時間を要した。


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