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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第一章 インスタントファミリー
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帰れない異世界人 4

 夕食後、やることもなく手持ち無沙汰になった俺はウミに風呂に入って来いと促した。

 思えば昨日はシャワーも浴びずに寝てしまったし、それはきっとウミも一緒で、何よりも先に疲れを洗い流すべきだと判断したのだ。

 ウミは一日この部屋から外には出なかったようだが、かといって手前勝手に風呂を借りたりなどしていないのだろう。彼女は「いいの?」なんてわざわざ確認し直してから俺の指示に従った。

 俺はと言えば、ウミが風呂に入っている間に洗い物を済ませてしまおうと流しの前に立っている。普段の倍近い洗い物を前に一人嘆息し、それから笑みを浮かべてスポンジを手に取る。

 気分は悪くなかった。

 ウミが気遣いのできる女の子だから、というわけではないが、俺は二人分の洗い物を前にしても気分が落ち込むことは無かった。

 もちろん水道代のことを考えれば少しばかり気が滅入る。今手元で流している水も、浴室から聞こえる流水の音も、ため息を一つでも吐けば途端に請求のことを思い出し今すぐにでも浴室へ向かいお湯の制限を言い渡すだろう。

 けれど、それを大目に見ようと思えるくらいには俺は穏やかな気持ちでいた。

 こう言ってしまうのは気恥ずかしくはあるが俺はほのかな幸せの気配を感じていたのだ。

 俺の部屋に、俺以外の誰かがいる。そのことがひどく、俺の心をざわつかせる。その脈動のたびに心臓が摩擦でも起こしているかのように熱が増していく。気付けば唇は引き結ばれ、口角がにわかに上がっている。

 誰かと暮らしている実感が、俺の心を満たしていた。

「……ん?」

 なんて、気持ち悪く笑みを浮かべながら洗い物のすすぎを終える直前だった。

 浴室からバタンという音が聞こえ目を向ける。浴室の扉を開け放つときの特徴的な音、やや耳障りなそれをリビングの向こうに感じ眉をひそめた。

 ウミが浴室に向かってから、十分も経っていない。

 俺は何か問題が起きたのかと思ってすすぎの手を止め、浴室のほうへと向かう。

 扉の前に立ち、ノックをするべく柔く拳を握り甲を向ける。

 しかし、それを振るよりも早く浴室へと続く扉が開いた。ドアの前に立っていた俺に驚いたのか、ウミは肩を跳ねさせ半歩後退る。

「あ、アオイ。どうしたの?」

「いや、どうしたのって……」

 それは本来こちらのセリフだったはずなのに、先に言われてしまったから俺はため息を吐きながら答える。

「なんかあったのかと思ったんだよ。シャワーの使い方わかんなかったとか……」

 言いながらウミの顔を見る。少し火照って赤く染まった頬、その縁をなぞるみたいに伸びたショートボブの髪。そこに雫が浮かび滴り落ちそうになっていた。

「そういうわけじゃ、ないよな」

 シャワーの音も聞こえていた。間違いなく彼女はシャワーを浴びた。それもきっと過不足なく。彼女から漂う不釣り合いな男性用のシャンプーの香りがそれを物語っていた。

「急いで入ってきたのか?」

 また遠慮でもしたのかと思い問えば、ウミは視線を逸らしながら笑った。

「そういうわけじゃないよ」

「そうか」

 遠慮があったのは明らかだったが、俺はそれ以上聞かないことにした。

 遠慮することはない、なんて言っても彼女はきっとどこかで遠慮する。むしろそう訴えたほうが彼女は気後れしてしまうのではないかと思った。

 俺はそのことに関しては口を噤み、しかし言葉を続けた。

 続けるのは、謝罪の言葉だった。

「着替え、用意してなかったよな。悪い」

 彼女の姿を見てしまったと思う。

 せっかく湯を浴び体の汚れを落としたというのに、彼女はついさっきまで着ていた薄汚れた黒のローブを身に着けていた。

「ちょっと待っててくれ、ジャージか何かならあると思う」

 言いながらそそくさと寝室へ向かい。先ほどひっくり返したタンスを引く。タンスの中は半分ほどが空っぽで、残り半分には安物のスエットと学校指定の冬用のジャージが入っていた。

 俺はそのうちスウェットを手に取り、俺の後をついてきていた彼女に手渡す。

「これに着替えに使ってくれ。サイズは合わないかもだけどその時は折ったりして使ってくれ」

「……ありがとう」

 ウミは本当にいいのか、なんて言いたげな顔をしたがすぐに笑みを浮かべた。

 それからウミはいったん浴室に戻り、スウェットに着替えてからリビングに現れる。

「ちょっと大きいかも」

 当然男物のスウェットは彼女の体には合わず、腕の絞りの部分が機能せず指先まですっぽりとスウェットに覆われてしまっている。裾もモップみたいに引きずっていて歩きにくそうだった。

 俺はその姿を見て笑みを浮かべた。

 余り過ぎた袖と裾が滑稽だったからではない、俺は彼女が俺の服を着ているという事実に興奮していた。

 まるで同棲カップルの様だ、なんて思った。

 実際同棲するカップルがどんな生活をしているかなんて知る由もないけれど、俺はこんなやり取りをするものなのだろうなと思った。

 湯浴みの順番を譲って、服を貸して、その服のサイズが合わないなんて他愛もない会話をする。

 そう思ったら俺はニヤニヤしてしまって、いつの間にかウミのぶらついていた袖に手を伸ばしていた。

「折ったりしてくれって言ったろ」

 スウェットの膨らんだ生地は素直に言うことを訊いてはくれない。そんなことわかっていたけれどわざわざウミの手に触れた。

 その小さな手は湯上りだからかとても温かくて、熱いくらいで。あまり長い間触れているとこちらの手が参ってしまうんじゃないかと思うくらいで。

 俺はそそくさとその袖をまくって手を離す。

 俺が捲った右側の袖を見ながら、ウミはもう片方を同じように捲る。それから片足立ちになって裾も捲る。そうしてようやく動きやすくなるとウミは準備ができたみたいな顔で言った。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 袖をまくったことに対してではないだろう。

 服を貸してくれたことに対して、彼女は再びお礼を口にした。

 それが少し気に入らなくて俺はそれにぶっきらぼうに返すと、途中だった洗い物をすべく流しへと戻る。

 ウミはそんな俺の後をくっ付いてきて、何か言いたげに俺を見上げていた。

「ねえアオイ」

「どうかしたか?」

「今日は私ベッドじゃなくて大丈夫だよ?」

「…………」

 そんな風に言われたから、俺は嘆息しそうになった。

 なんで彼女はそんなにも気を遣ってしまうのだろう。彼女のそういうところが、俺の神経を逆なでした。

 俺は、彼女のその出来過ぎているところが気に入らなかった。

 まるで誰かのために生きることを強要されているみたいな、そんなあり方が気に入らない。

 大人びているから、ではない。

 子供らしくないから、気に入らない。

 わがまま言って、世間知らずで、自己中心的。そんな子供らしい姿のほうが、俺は受け入れやすい。こんなにも心を乱されない。

 だってそうじゃないか。子供が子供らしくいれないなんて。何か理由があるんじゃないかって勘繰ってしまう。そこに何の理由もなくただ彼女がそういう性質なんだとしても、こっちは勝手に想像してしまうのだ。

 大人のために、我慢していたのではないかって。

「別に布団はあるし気を遣わなくていいって」

「私が布団を使うよ?」

「何一緒に寝るってこと?」

「ち、違うよ」

 俺がわざとらしく言えば、彼女は年頃の女の子らしく恥じらった。目を逸らして、ぼそぼそとした声で言う。

 だから俺はからかい半分に、淡々とした声で言った。

「いや一緒に寝たいなら構わないけど、十四にもなって一人で寝るのが怖いとか?」

「え、あ、そういう意味……。あ、違うよ怖くない」

「……うんまあ十四だしな。そういう知識あって当然だよな」

「アオイ私怖くないって言った」

 よほど恥ずかしかったのか、ウミは真っ赤になって訴える。

 その様子がおかしくて俺は意地悪く笑った。

「まあ俺中学生に手を出す気はないし、その辺は安心していいけどさ」

「アオイ話聞いてくれなくなった」

「いや聞いてるよ。ウミが耳年増なのも分かった」

「アオイいじわるになった」

 赤くなった顔を背けながらぼそぼそと呟くウミ。それが何だか面白くて俺は永遠に意地悪をしてしまいそうになる。

 けれど、あまり続けると本当に反感を買ってしまいかねない。そう思って俺は「冗談だよ」と笑って謝る。ウミは拗ねているといった風ではなく単に恥ずかしがっているだけなのか頬を膨らますこともなく火照った顔を逸らしていた。

 そう。俺は子供にはそうしていて欲しいのだ。

 感情のまま表情を変え、楽しくて笑ったり、気に入らなくて怒ったり、恥ずかしくて目を逸らしたり、そういうのを隠さないで表に出してほしい。

 我慢をするのは、隠し通すのはとても苦しいことだから。誰かのためになんて義務感に近いもので生き続けるのはひどく辛いことだから。

 気休めで、おためごかしでしか無かろうとも、そうして欲しかった。

 それがたとえ、自分でなくとも。

「そんなこと言うなら、本当に一緒に寝るよ私」

「……え?」

 そんな願いを胸に一人穏やかな心持ちでいたのに、ウミが発した言葉で俺は固まった。

「一緒に寝るよ、私」

 やっつけというわけではなく本当にそれを望んでいるみたいな顔つきを見て、俺は凍り付いてしまった。

 ウミは、くすりと笑っていた。


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