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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第六章 終わりを迎える非日常
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無意味で手放し難い思い出作り 2

 値段は気にしない。そう口に出したわけではなかったが豪語した気になっていた。

 悔いを残さないように、些細なことを気にしてなどいられない。そんなものよりもよほど大切なものがあるのだと。

 しかしそれは宿を眼前にした瞬間に綺麗に霧散してしまった。

 出来立てのタワーマンションのような潔癖なんて言葉が脳裏にちらつくほどの美しさの外観。同じく落ち葉の一つも見当たらないほど掃除の行き届いた玄関口。そして自動ドアの向こうに広がるロビーも土足で歩くのが申し訳なくなるほどの高そうな絨毯張り。待合用なのかロビーの端に備え付けられたソファも革張りで近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 一瞬、入る宿を間違えたのかと思った。店長のつてで予約を取ったので、悪くいってしまえば前時代的な、よく言えば風情のある和風旅館をイメージしていたのだ。健の両親を引き合わせるときに使った旅館にでも予約を取ってくれたのだと思っていたから。

 だというのに目の前に広がるのはセレブ御用達なんて言葉が似合いそうな高級ホテルの形相。

 あまりにもイメージしていたものとかけ離れていて、俺はいろいろ怖くなってしまった。

 けれど受付で名前を伝えるとしっかりと予約はとられていて、店長が場所を間違えて伝えたとか、俺が地図を正しく読めていなかったとかそんなことはなかった。

 けれどあまりに豪華なホテルに気後れした俺は、受付の最中に対応してくれたお姉さんにスマホを見せながら聞いてみた。

『あの、このプランなんですけど、あってますか?』

 表示されていたそれを見た彼女は一分たりとも崩れない営業スマイルをそのままに、柔和な声音でもって是と答えた。

 そのまま部屋まで案内され、そこでもまた俺はあっけにとられた。

 ホテルの外観を見て、俺はてっきり部屋は洋室だとばかり思っていたのだ。しかし案内されてみればそこには畳張りの部屋が広がっていた。

 俺の住むマンションはそれなりにいい場所ということもあって、案内された部屋を特別広いとは感じなかった。けれど部屋の奥、ベランダ部分にあるものを目にして俺はまた案内をしてくれた男性にスマホを差し向けた。

『このプランで予約したはずなんですけど』

 背筋を伸ばした理知的な男性は、柔らかく笑みを浮かべると受付の女性同様大きく頷いて見せた。

 そんないろんな予想外が重なってしまったせいで、この十数分の間にいろいろなものを消耗してしまった。体力やら気力やら、そういったものを。

 荷物を下ろし、今一度畳張りの部屋をぐるりと見回す。

 ここだけ見れば老舗旅館なんて言う言葉も頷けるが、外観とのちぐはぐさがどうにも気にかかる。そもそも老舗だなんだと伝えられていたわけではないが、どうにもイメージばかりが先行しがちだ。

 俺は改めて宿の紹介ページをスマホで検索し、その中でブランを確認していた。

「アオイ、どうする?」

「ん、ああ、そうだな」

 そんな折、ウミが手持ち無沙汰だったのか俺に肩を寄せながらそう問いかけてきた。

 俺はスマホの画面上部に視線を移し時間を確認する。十六時が半分も終わっていた。

 俺はベランダの向こうに見える空に目を向けながら、しばし思案する。今から出歩くというのはあまり得策ではない。十八時にはホテルの夕食が控えている。今から出かけて急いで戻ってくるというのも慌ただしいだけで見たいものも満足に見れない。そもそも観光などと言うものを享受した経験がないので、何をすればいいのかなんて考えているうちに帰らなくてはいけなくなりそうだった。

 ならば、と俺は押し入れに目を向ける。そこには案内の時に手渡された浴衣が入っている。

「先に温泉にでも入るか」

 言いながら、これまた部屋に案内されているときの説明を思い出す。

 このホテルの渡り廊下の先にある離れには共用の温泉があるという。それもかなりの広さらしく。檜風呂に岩風呂、露天にサウナなんていうものまで備え付けられているらしい。予約すればマッサージなんかもしてくれるとかなんとか。

 ホテルの外に出ると考えると時間が足りないが、ホテル内の温泉に向かうのならばそう切迫した時間でもない。むしろかなり余裕をもって疲れを癒すこともできるだろう。

 そう思いながら襖を開け、その奥でキレイに畳まれていた二組の浴衣に手を伸ばす。

「…………ウミ、お前これ着方わかるか?」

 ふと思い至って訊ねてみれば、ウミは小首をかしげて見せた。

 俺から浴衣を受け取ったウミは眼前にそれを広げ、上から下までを眺める。その興味深そうな瞳を見て、俺はまあそうだろうと思いつつウミの答えを待った。

「わかんない、にへ」

 予想通り、彼女は苦笑交じりに答えて見せた。

 予期していただけあって、ため息を吐くことも頭を抱えることもなく済んだが、内心どうしたものかと考えてしまった。

 流石に共用の温泉で俺が面倒を見るわけにはいかない。俺が女湯のほうに顔を出すなんて言語道断だし、ウミが男湯に顔を出すのだって断固拒否する。かといってだらしのない姿のままウミを公衆の面前にさらすわけにはいかない。もしそんなことになってしまえば俺が道行く男の目をつぶして回らなければいけなくなる。

 見ず知らずの誰かに助けを求めるというわけにもいかないので、俺はこの場で着方を教えるべきだと判断した。

 自分の浴衣をばさりと広げ、ウミに見せて聞かせようとしたところ彼女がきょとんとした顔でこう尋ねた。

「アオイ、あれは?」

「ん?」

 促されるままウミの指の先を見据えれば、そこにはよくわからないスペースの奥にベランダらしきものがある。

「露天風呂、だな」

 目に映ったものをそのまま口に出せば、ウミはこくりと頷いて見せた。

 このホテルは一部屋ごとに露天風呂が備え付けられているらしい。実際に各部屋を回って確かめたわけではないが、スマホに表示されたホテルの紹介ページにそう記載されていた。

 このホテルが特別優れているのか、あるいは昨今のホテルやら旅館はそういうのが普通なのか。どちらかわからない俺はつらつらと語ることもままならない。

「入りたければそっちでもいいけど、温泉じゃないらしいぞ?」

 とはいえすべての部屋に温泉を巡らせるのは難しいらしい。外見こそ立派な檜風呂で、湯気を前にすれば硫黄の匂いが漂ってきそうなものだがその正体はただのお湯とのこと。それでも外を眺めながらつかる湯舟というのは格別とのことだったが、せっかくの温泉旅館なのだからそれで満足してしまうのももったいないと感じる。

「とりあえずウミ、浴衣の着方教えるからちょっと見てろ」

 言いながら上着を脱ぎ、浴衣に手をかける。俺とて正しい着方なんて知らないが、襟元は右左どっちが上程度であればわからなくはない。

 そう思いながらどっちがどっちだったかと考えつつ着ようとしたとき、ばさりと視界の端に何かが落ちてきた。

 反射的にそちらに目を向ければ、そこにはウミの細い足と、彼女の手元からこぼれた浴衣が丸まっていた。

「落としちゃった」

 苦笑いを浮かべ、彼女は落とした浴衣に手を伸ばす。それを見ながら、俺は半ば反射的に問いかけていた。

「辛いのか?」

「…………」

 浴衣に伸ばされた手が一瞬止まった。意識を向けるべきものがほかにないこの空間において、小さくとも変化は見逃しようがない。

 俺は彼女との距離を詰めた。

「温泉、入れそうか?」

 嫌な想像をした。共用浴場の前で別れた彼女がいつまでたっても出てこない、そんな想像を。

 動けなくなっただけならばまだいい。いやそれでもいいことなんてありはしないけれど、まだましだと言える。

 一番怖いのは、湯船につかっている間に彼女の体に限界がきて動けなくなることだ。

 立ち上がれなくなるだけならばまだいい。けれどもし体を支えることすらできなくなったら、そう考えてしまったら、血の気が引いた

「辛いなら、今からでも帰るか?」

 あまりにも恐ろしくて、俺は自身の我が儘など忘れてそう提案していた。

 ウミと一緒にいたい、思い出作りがしたい。そんな自分勝手な願望は彼女の身を案じたとたんに見えなくなってしまった。

 彼女に何かがあったら、それこそ悔やんでも悔やみきれない、罪悪感は一生無くなったりしない。後悔が俺の人生を真っ黒に塗りつぶすだろう。

 ウミがもしも辛いというのなら、今この場で旅行を切り上げよう。悩むまでもなく俺はそう決断した。けれど、

「ッ……」

 ウミは首を横に振った。うずくまったままの短い髪がふわりと広がり乱れる。引きむずばれた唇と閉ざされた瞼の向こうには、切実な感情が見えた。

 終わりにしたくないと、彼女は訴えていた。

「わかった」

 俺は頷き、彼女の代わりに浴衣を拾う。それから彼女に手を握り立ち上がる手伝いをした。

「ウミ、悪いけど温泉は諦めてくれ。この部屋の露天風呂に入ろう」

 そう提案すれば、ウミは呆気にとられたのかぽかんとしていた。

「帰るって言われるかと思った」

「あほか」

 言いながら俺は頭を掻こうとして、両手が塞がっていることに気付いた。

 だから俺は目をそらし、そのままぼそぼそと口にした。

「旅行に行きたいって言い出したのは俺のほうだろ。ウミが大丈夫だって言うなら帰ったりしない」

「……にへへ」

 ウミは満足そうに笑った。繋いだ手から彼女の弱弱しい力が伝わってくる。

 身を案じるなら無理をさせないのが一番だ。それこそミナモのようにすぐに異世界へ帰るべきだと口にして彼女を引きずって帰ったほうがいい。ウミが嫌がっても、俺に悔いが残っても、するべきことはそういうことだとわかっている。

 でも、そのうえで彼女もまだこの時間を望んでくれるなら、俺はそのチャンスを自ら手放したりはしない。

「それでも、もしも本当に辛くなったら言ってくれ。それだけは約束してくれ」

 別れは決まっていることだ。それを覆すことなんてできない。明日の夜にはウミは俺の前からいなくなる。

 それは受け入れるしかない、受け入れ難くともどうにもならないことだ。

 けれど、もしそうではない別れとなってしまったら。この旅行中にウミに本当の限界が訪れそこが終着となってしまったなら。

 そう考えると恐ろしすぎて、どうしたってそのラインを超えることはできなかった。

「うん、わかったよ」

 頷いたウミはまだ顔に笑みが残っていたけれど、真面目なお願いだとわかっていたのだろう。にへへと笑い声を続けることはなかった。

 俺はそのことに安堵して、下がり気味だった気分を上げるべく大仰によしと呟いた。

「とりあえず露天風呂だな。お湯はわざわざ貯める必要もなさそうだからすぐ入れるし、何かあったらすぐ駆け付けられるしな」

 自分に言い聞かせるようにしてウミをそちらに促す。

 けれどウミはその場でぴたりと足を止めてしまった。体に力が入らないからか、ウミは俺に引っ張られたたらを踏んだが、抵抗の意思を見た俺は振り向いて足を止めた。

「どうした?」

 何か不都合があったのかと思い首を傾げれば、彼女は珍しく言いにくそうに目をそらした。

「アオイ、あの」

「ん、なんだよ」

 煮え切らない態度の彼女にますます疑念は募る。もしや湯船に浸かるのすら不安に思うほど体の自由が利かなくなっているということかと思って背中に冷たいものが走る。

 しかし俺の予感は的をはずしていたらしい。ウミは口ごもりながら上目遣いで俺を伺い見た。

「アオイも一緒に入るの……?」

「…………あほかお前は。そんなわけないだろ」

 今まさに露天風呂の前まで引っ張っていこうとしていたのだからそう誤解されても仕方なかったかもしれない。そう思いながら繋いだ手を離してさっさと行けと促す。

「何かあったらすぐ呼べよ。見たりしないから安心しろ」

「…………」

 ウミが危惧するようなことはしないと誓ったつもりだったのだが、なおもウミはその場から動こうとしない。

 俺は眉間にしわを寄せウミの言葉を待つ。

 やがて彼女は俺の手に指先で触れると、にへへと笑った。

「一緒に入るのはできないけど、そばにはいてほしい」

「部屋には居るから安心しろ」

「もっとそば」

「んな無茶な」

 それこそ一緒に入るということではないか。そう思って嘆息気味に一蹴しようとした俺の手を彼女は弱弱しく引いた。

「そこにいて、それなら安心だから」

 そう言いながらウミは露天風呂のすぐそばに備え付けられていた木製のベンチを指さした。

「いや、お前見えるぞ」

「見られてもいいから、そばにいてほしい」

「ほんとあほだなお前」

 言いながら、繋いだ手を離す気なんてさらさらなかった。


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