特別な二人
二人を見送った四人は、ドアの開閉音を聞くなり誰からともなく息を吐いた。
それは安堵でもあり、呆れも混ざり、誰も彼もがやれやれと口にしだしてしまうような面持ちだった。
イズミも、ミサキも、山吹も。ミナモですら出ていった二人を思いため息を吐く。
各々が同じ思いを共有していることを自覚したからだろう。主のいなくなった部屋は静寂に包まれることはなく、すぐに人の声が満ちた。
「あの二人は、特別な関係なのだな」
最初の声はミナモのものだった。ここで暮らす二人を知らない彼が真っ先に口を開いた。
それを受け山吹が腕を組み首肯する。
「特別は特別でしょうね。曲がりなりにも数か月共に暮らして、その暮らしを維持するために必死になっていたんだから」
二人の姿を外から見守っていた山吹は、アオイの頑張りをよく知っている。不器用に、意地を張って、まともに助けすら求めずに。そんな非効率極まりないやり方で、それでも今日この日までこの生活を続けていた彼の姿を山吹はずっと見ていた。
そしてそんな彼を、彼らをずっとそばで見てきた者がこの場にはもう一人いた。
「サキ。これでねえは幸せかな?」
イズミは自身の行いをミサキに問う。彼女は不安に思っている様子ではなかったけれど、深く息を吐いていた。それから何度も大きく息を吸う。
「わかんないけど、したいことはできるはずだよ」
ミサキは小さな体で精いっぱい叫んだ女の子を抱きしめている。
まるで姉妹のよう。実際に二人の間に血の繋がりはないけれど、顔立ちも、髪や目の色も違う二人だけど、共に過ごした時間は家族と呼んでも差支えがないほどだ。ウミと仲のいいミサキ、ウミについて歩くイズミ。その二人が共に過ごした時間はウミと共にいた時間と等しい。
抱きしめた少女の頭に手を伸ばし、ミサキははっとする。イズミに握られたローブの裾。わずかにできていたその皺を見て、腕の中で疲労を露わにする彼女を見てイズミは気付いた。
「……イズミ大丈夫?」
「うん、ねえのためだから」
イズミの負担は計り知れない。そのことを理解したミサキは今一度その小さな体を抱きしめる。離さないように、寄りかかるものを彼女が見失わないように。
「サキ、師匠には言わないでね」
「うん、わかってるよ」
言いながら、ミサキは横目でミナモを確認した。彼は山吹と話していてこちらに目を向けることはないが、衣擦れの音だって聞こえるような距離だ。声を潜めてもたかが知れている。
それでもミサキは安心しろと頷いて見せる。それは聞こえていないという確信ではなく、イズミの考える最悪は起こらないという確信からくるものだった。
その確信、あるいは願望に気付いているミナモは、振り向くこともなく小さな溜息を吐く。それはミサキに向けたものでも、イズミに向けたものでもない。他の誰でもない自分に向けたものだった。
「あら、随分な溜息じゃない。……不安?」
「当たり前だ」
食い気味に言ったミナモは何度もため息を吐く。吐いても吐いても足りないと言いたげな彼に、山吹は笑みを浮かべた。
「帰ってくるわよ」
「そんなことは心配していない」
「一日なら持つわよ」
「何を根拠に」
「女の感よ」
「ふざけるような気分じゃないんだ。あとにしてくれ」
「心配するならあなたの体にある魔力? っていうのを分けてあげればいいじゃない」
「それでまともに転移が使えなくなったら本末転倒だろう。四人も転移させるのだから余計な力を使いたくはない。そもそも魔力の譲渡は効率が悪すぎる」
そう言うとまた、ミナモは深い溜息を吐く。
山吹は「いやねぇため息ばっかり」なんて文句を言いつつ半歩彼との距離を詰めた。隣り合っていた二人は肩が触れ合うほど身を寄せる。
「楽しいおふざけが嫌なら真面目な話でもしましょうか? あたしもいろいろ腑に落ちないところがあるのよ。あなたの言い分、というか行動に」
「いきなりいなくなったのは事故のようなものだと言っただろう」
「そうじゃないわよ。私たちの昔話じゃなくて、今の事。今回の事でよ。答えてくれるかしら?」
ウィンクをかまし、ミナモの首肯を待つ山吹。その顔には親愛と同時に脅しにも似た何かが見て取れて、ミナモは否応なしに頷いた。
「じゃあ聞くわね。どうしてすぐに迎えに来なかったのかしら? ウミちゃんたちがこの世界に来てから半年近く経っているわ。あなたの年の取り方を見ても時間の流れが違うっていうわけじゃないと思うし、何か事情があったのかしら? あ、もしかして魔法で姿を変えてるだけだったりする?」
「それを聞いてどうする。さっさと迎えに来なかった僕を責めたいのか?」
「あなたのそういう卑屈なとこ変わって無くて安心したわ。本当によく似てるわ。愛おしい」
「ふざけるような気分じゃないと言っただろう」
誰に似ているのかは明言されなかったが、その生暖かい微笑みから逃げるようにミナモは呟いた。
それからまたしても溜息を吐いて、ミナモは懺悔するような面持ちで語った。
「魔方陣を記した本が持ち去られていたんだ。だから僕はすぐに転移の魔法を使うことができなかった。その時僕はそれを忘れていたから」
「本が見つかったからこの世界に来れたってことね?」
「違う」
納得しかけた山吹を押しとどめ、ミナモは頭を押さえながら続ける。
「本は結局見つからなかった。お前とこの世界で暮らしたことを記録した僕の日記だ。その最後のページに転移に関する魔法を三つほど書き記していたんだが、それはウミに持ち去られ今も行方不明なままだ。……僕はただ思い出しただけだ」
「転移の魔方陣の書き方を?」
「すべてだ。この世界に関するすべてを僕は忘れていた。いや思い出せないようにしていた」
「……どういうこと?」
「自分にそういう魔法をかけていた」
ミナモが淡々と言うと、山吹は顔を顰める。わけがわからないと言いたげなかつての恩人をちらりと見たミナモは早口に語る。
「僕はずっとお前に会いたいと思っていた。だから転移の魔法を完成させ、何度もこの世界に足を運んだ。その最中にこの世界の性質と転移の危険性を理解し、僕はそれを最後に転移の魔法を闇に葬る、つもりだった」
言葉を重ねるたびに山吹の表情は難しいものに変わっていく。けれど内容を理解できていないということはない。たった二か月でも共に暮らしたミナモだからこそ、彼の鋭さはよく理解していた。
山吹は、そうするに至った理由に考え及ばないから難しい顔をしている。
それを理解していた、あるいは予期していたミナモはぼそぼそと続ける。
「僕はお前に会いたかった。お前に感謝を伝えたかった。その気持ちが、思い出が僕に諦めるという選択を取らせなかった。お前のことが頭に浮かぶたびに何度でも転移を行った。危険性を理解しながら、何度も何度も。それを止めるにはお前のことを忘れるしかなかったんだ」
「……つまりこういうことかしら?」
山吹は眉根を寄せながら理解した事柄をまとめる。
「諦めきれない自分を騙すために記憶を消していて、その魔法の効果が切れたタイミングが今だった」
「そういうことだ」
頷いたミナモだったが、溜息と共に続けた。
「だが正確じゃない。記憶を消してはいない。いやそもそも記憶を消す魔法など存在しない。僕がしていたのは、思い出せなくなる魔法だ」
「なんか難しい話ね」
「簡単だ、箪笥の中身を捨てるのではなく箪笥に鍵をかける。そういう魔法だ」
「そこまでしなきゃ諦められなかったわけね。あたしとの再会を」
山吹が得意げに言うとミナモは目をそらした。
「おかしな話だ。お前に執着する自分が異常だとわかっていた。なのに危険など考慮せずに何度もお前に会いに行った。何度も、空っぽのこの部屋に来た」
「嬉しいわ。すれ違っちゃったのは残念だけど、ミナモもあたしに会いたいと思ってくれていたのを知れて」
言いながら山吹はミナモの頭に手を伸ばす。当然ミナモはそれを払いのけ非難の目を向けた。
「魔法は永遠じゃない。かけた鍵は劣化する。半年から一年ほどの持続しかできない。そもそもこの魔法は、痛みを受け入れることができるようになるまでの暫定的な措置だ。いつかの未来で起きたことを受け入れることができるようになるまでの」
「ウミちゃんたちの記憶を消すっていうのも、その魔法で?」
「そうだ」
言ったミナモは、先ほどまでのぼそぼそとした喋り方を止め、顔を上げた。
それから山吹の目を見つめる。それは決して温かなものではなく、苦々しいものだった。
「私は二人を送り出すことを許容した。そのことに悔いも不安もある。納得なんてできていない。今すぐにでも二人を連れ戻しウミを元の世界へ連れ帰るべきだと思っている。…………私は今も自分の考えが間違っているとは思っていない」
ミナモは自身の考えに同調してほしいわけではなく、胸中を吐き出したいだけだった。たった一人違う考えを持っていた自分の内側を。
「たとえ苦しい別れになろうとも、生きてさえいればその先がある。再会は望めなくともその思い出を糧に生きていくことはできる。生きてさえいればだ。死んでしまえばそれ以上はない。そこまでなんだ。命を、彼女たちの身を優先することに何の間違いがある」
お前も大人ならばわかるだろうとミナモは目で問いかける。
山吹は小さく息を吐き、ちらりと二人の少女に目を向けた。
「そうね。あたしも正直言うとね、あなたと同じ側なのよ。安全第一。我が儘を聞いてあげたい気持ちもあるけれど、それはあくまで二の次。一番は身の安全」
「ならばなぜ私に同意しなかった」
「それはあたしがあなたの危機意識を共有できていないから、切実そうに見えた子供たちの味方をしたってだけよ」
「切実そう、か」
言いながら、ミナモは誰もいなくなった玄関へと目を向ける。
「もしもこの世界にも魔力が存在して、行き来するのに何の危険も付きまとわないというのなら、私は二人を温かい目で見ることもできただろうな。ウミの我が儘なんて、初めて聞いたのだから。自分の気持ちを優先したいと思えるほどのものができた。それを私は、本当なら喜びたい。あの子たちをずっと見てきた大人としてはな」
「喜べないのはあなたが子供だからよ」
「言われずともわかっている。大人のふりをしていただけだ。子供たちがいたから僕はそう振る舞っていただけ。自分の心に折り合いをつけることができずに魔法に頼っているような男が、大人などと言えるはずもないだろう」
自虐的に笑うミナモは確かに大人ではない。そもそもまだ齢二十そこそこなのだ。この世界で言えば大学生の年齢。まだ親元の庇護下にあってもおかしくない年齢なのだから。
大人ぶっていただけの異世界人は深く息を吐き、今なお玄関の向こうを見つめている。
「山吹まだ聞きたいことはあるか?」
「いくらでもあるわ。それこそ二十四時間で足りないくらい」
「そうか。やることも特にない。付き合うよ」
言いながらミナモは遠くを見つめ、願うようにこぼす。
「あの二人が、せめて折り合いをつけられる別れができるといいな」
「あなた自分のことを棚に上げてよく言うわね」
「だからこそそう願わずにはいられないんだ」
自分にはできないからこそ、誰かには求めてしまう。
いろいろなものがちぐはぐなミナモはもはや自身を理解できないと言いたげに笑う。
「この出会いがいいものであったのならば、離れ離れになる結末だとしても大丈夫だろうと。良い方向に変わるだけの何かがあったのならばこれから先も強く生きていけるだろうと。そう思わずにはいられない、願わずにはいられない」
「ほんとあなた生きづらそうな性格してるわね」
今度は山吹が深くため息を吐き、けれど底抜けに愛おしそうにちぐはぐな異世界人を見つめた。
「でもねミナモ、あなたもそうだったようにそう簡単に折り合いなんてつかないものよ。覚悟しても、実際についた傷が想像以上のもので痛みにのたうち回ることだってあるの。そして覚悟していたはずの痛みに耐え兼ねてしまうことだって」
そこで一度言葉を切ると、山吹は自虐的に笑った。
「覚えておきなさいミナモ。たった一つのピースを失くしただけで何もかもひっくり返して投げ出してしてしまう人だっているってことを」
「……それは自己紹介か?」
「そうよ。あたしがこれだけ変わったのはあなたのせいなんだから」
嘲るように笑ったミナモに山吹はウィンクを返す。
傷だらけのまま大人のふりをし続けていた二人は、同じく子供たちの幸せを願う。
かつての自分たちが手にできなかったものを思いながら、今それを取り返せたらと願いながら。
中身のない思い出話をしながら二人の帰りを待った。




