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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第六章 終わりを迎える非日常
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たった一人の特別な人 2

「もう一日だけ時間をやる。それがこちらの妥協できる限界だ」

 心底嫌々、渋々も渋々と言った様子でミナモは折れた。本心では認めたくはなかったのだろう。しかしミナモ以外の全員が俺の味方をしてくれた。

 姉の幸せを願うイズミ、おろおろしつつもミナモに従わなかったミサキ、苛立ちを露わにするミナモを宥めた店長。そして我が儘を口にした俺とウミ。

 完全なアウェーに陥りミナモは歯噛みをしている。今もなおだ。

 そんな彼をしり目に、俺は今スマホで旅行サイトを開いていた。

 ウミと旅行に行きたいと言ったには言ったのだが、いかんせん何の準備もしていない。宿の予約もそうだし新幹線なんかの交通に関しても、身支度だって手つかずだ。

 今から準備しても旅行を決行できるのかは不安なところだった。現在時刻も気付けば正午が迫っている。そんな時間から今日泊まる宿の予約などできるのだろうか、とにかく現地に行き足を使って宿を探すという手もなくはないのだろうが、行先すら決まっていない俺はとにかく今から一泊でいい思い出を作ることができそうな観光地を探していた。

 近場とまではいわないが、電車を使って行ける温泉街もある。第一候補はそこだろう。

 俺は液晶を指でなぞりつつ目を凝らす。

 別れの時間は刻一刻と迫っている。もう一秒も無駄にできない。したくない。

 そんな思いが焦りを掻き立てる。だからか並んだ旅館の数々と宿泊プランを見ても何がどう違うのかが上手く認識できない。眼が滑っている感覚で余計に焦らされてしまう。

 このまま時間を無駄にするわけにはいかない。かといってすぐに行動を起こすこともままならない。

 焦りは募り一人スマホとにらめっこをしている俺に、すぐに救いの手は差し伸べられた。

 肩に乗せられた温かい感触。それに驚き顔を上げれば笑みを浮かべた店長の姿があった。

「旅館、心当たりがあるわ。任せなさい」

 言うが早いか彼はポケットからスマホを取り出し耳に当てる。コール音が微かに聞こえた。

 一度二度。祈るような心持で彼の表情を伺う。電話口から男性の声が聞こえてきたのを耳にしてからしばらく、俺はじっと彼の様子を注視した。

「アオちゃん。何人で行くの?」

「え、あぁ」

 問われて俺はイズミのことを見た。

 彼女もまた俺の仮初の家族であることに変わりはない。それに姉と一緒にいたいと願うイズミのことだ、連れて行けと言い出すだろうと思った。

 けれど、目が合うよりも早くイズミは淡々と言った。

「ねえと二人で行って。イズミはいい」

「…………」

 そう言われて、俺はでもと抵抗することができなかった。

 その事実に満足がいったのかイズミは一つ息を吐くと店長に向き直った。

「ブキ。ねえとにいの二人」

「わかったわ」

 そして数分とかからず彼は電話を終え、振り返る。そして一仕事終えたとばかりに息を吐くとこう言った。

「予約はとったわ。場所はここから電車一本で行ける温泉街よ」

 詳しい場所を聞くと、それは俺が先ほどまで調べていた温泉街のことだった。

 俺は旅館の場所を教えてもらいながら、頭を下げる。

「すみません。ありがとうございます」

「気にすることじゃないわ。値段もそれほど高くないところだけど、大丈夫かしら?」

「はい、これくらいなら何とか」

「何ならあたしが払うわよ?」

「いや、そういうわけにもいかないです。修学旅行の積立金が返ってくるので大丈夫です」

「そう言うと思ったわ」

 満足そうに笑うと店長は腰に手を当てすっかり蚊帳の外となってしまったミナモを見つめた。

「じゃあ、さっさと準備なさい」

「はい。ありがとうございました」

 言いながらミナモの下へと向かう店長に頭を下げ、俺はウミの姿を探す。

「……ウミは?」

 しかし目当ての少女は見当たらず、すぐそばにいたイズミにそう問いかけた。

 イズミは周囲を見回し、それから俺を見上げる。

「やることがあるって」

「どこ行ったんだ?」

「ん」

 イズミは寝室を指さした。旅行の準備をしているということか。俺は言われるまでもなく身支度に取り掛かっていたウミに感心していると寝室のドアが控えめに開かれた。

「イズミ、ちょっと手伝って」

「わかった」

 言うが早いか、イズミは踵を返し姉の下へと向かう。

「…………」

 その後姿を一瞬呼び止めようかとも思った。胸の奥に苦いものが残っていたから。

 けれど次いで響いたウミの声にそれは遮られてしまった。

「アオイ、ごめんねちょっと待って」

「あ、ああ。わかった」

「あとサキも、お願いしたいことがある」

「え、わかった」

 きょとんとしつつウミのところへ向かうミサキ。その三人がドアの向こうに消えるまで俺はじっとその姿を見つめていた。

 やることがなくなってしまった。いや、やること自体はある。俺だって身支度を整えなくてはいけない。旅行に行くのに学生服のままというのも気になるし、持ち物をカバンに詰める必要もある。

 けれど寝室に籠られてしまった以上今の俺のできることはなかった。

 寝室に向かうのは躊躇われた。当然だ。今まさにウミが着替えでもしていたらいたたまれない。そうでなくとも替えの下着でも用意している最中ならばこれから二人で旅行に向かうというのに気まずくなってしまう。

 だから俺はただ突っ立て待つことにした。

 今更ミナモと語る言葉は持ち合わせていない。猶予をくれたことに感謝を伝えてもそれは嫌味にしかならないだろう。

 何より、店長と二人で話すのを邪魔したくなかった。

 あの二人は何かある。いや何かがあったのだ。

 再会を喜ぶべき二人の間に割って入ることなどできるはずもない。だから俺は寝室のドアを見つめたまま三人が出てくるのを待つ、つもりだったのだが。

「なっ、どういうことなのよぉ!!」

 突如聞こえた大きな声に驚き目を見開いた。声の主はウミでもイズミでもなかった。

 大気を震わせたその声に驚きつつも首をかしげる俺。いったい中で何が行われているのかと興味津々に見えもしない寝室の奥へと視線を送る。

 そんな俺とは裏腹に、しびれを切らしたとばかりに歩み寄っていく人影があった。

「遊んでいるのか。さっさと準備をしろ」

 言いながら寝室のドアに手をかけるミナモ。待ったの声が喉まで出かかるが、時すでに遅し。ミナモは無遠慮にドアノブをひねり開け放つ。

 そうするつもりだったのだろう。俺の目からはそう見えたし、実際にドアも開け放たれた。

 しかし、見ればミナモの手は中空を掴んでいる。それを見てドアを開けたのが彼でないことを悟り、では誰がそうしたのかとミナモの向こう側を覗き込む。

「…………」

 そこにいたのはイズミだった。彼女は小さな体躯からは想像もつかないほどの威圧感を放ちミナモに相対している。先ほどの殴られたショックからか、ミナモはたじろぎながらもどうにかこうにか毅然とした態度でもって応対した。

「イズミか。中で何をやっている。油を売っているなら――」

 刹那、鈍い音が響いた。それから数瞬遅れてミナモの体が折り曲がりうめき声が聞こえた。

 瞬く間に膝をついたミナモの陰から姿を現したイズミは綺麗な正拳突きのフォームのまま崩れていく成人男性を見下ろしていた。

「うるさい。邪魔しないで」

 言うが早いかばたんとドアが閉められる。それを見て俺は顔を青くし、視界の端で店長は頭を抱えていた。

「あの、大丈夫ですか?」

 ピクリともしなくなった男を見て、さすがに声をかけずにはいられなかった。

 彼はまだ床に伏せたまま、念仏を唱えるような声で言う

「大丈夫なわけがないだろう。イズミのやつ鳩尾を的確に……」

 どうにかこうにか立ち上がる成人男性。けれど腹部の痛みは一向に薄れないのか生まれたての小鹿のような足取りだった。

「本当に連れて行く気か?」

 彼はそんな状態でも睨むような目つきでそう問いかけてきた。

 俺は喉の奥に不自然に溜まった空気を飲み下し、目を逸らす。

「すみません」

 それはどうあっても変わることのない自身の決断に対する謝罪だった。

 どれだけ言葉を尽くされても、どれほどウミの身が危険に晒されると語られても変えることができない。それはウミもそう思ってくれるからではなく、俺がそう願っているから。自分勝手な願望だからこそ諦められない。

「……いや、もうとやかく言うのもやめにしよう。決まったことで、おそらく間違っているとされるのは私のほうなのだろうから」

 ミナモは自嘲気味に呟くと先ほどまでの俺と同じように寝室へ目を向けた。

「明日の夜までに帰ってきてくれればいい。その代わり、それ以上の要望はもう聞くことができない。それは私の事情だけではないことを理解しておいてくれ」

「はい」

 条件反射のような返事だったと思う。彼がそう小言を口にするのがわかっていたから前もって用意していただけで気持ちを込めなかったわけではないけれど、やや食い気味な返事はいささか軽薄に受け取られかねないものだった。

 ミナモは溜息を一つ吐く。そんな彼にこれ以上向かい合う気にはなれずに俺は同じく寝室のドアを見据えた。

 相も変わらず中で何が行われているのかはわからない。いや、おおよその見当はつく。

 着替えをするか、荷物をまとめるかのどちらかだ。けれど実際に見えもしないものを理解した気になるのは滑稽に思えて、そのパンドラの箱の蓋を見つめるしかすることがない。

 そんな折、俺とミナモの念が作用したわけでもあるまいに閉ざされたドアが口を開く。

 恐る恐ると言った調子で顔を出したのはミサキだった。

 彼女は俺たちの視線に気付くなりぎょっとしてあたふたとあたりを見回した。

 わけもわからず首をひねる俺と眉根を寄せるミナモ。そんな二人に見詰められたミサキは一瞬だけぴたりと硬直すると、両手を背中に隠したままカニ歩きで玄関のほうへと向かい始めた。

「終わったのか?」

 問い掛けたのはミナモだった。覇気のない、けれどまだ威圧感の残る声にミサキはびくりとし、自分が今しがた出てきたドアをちらりと見て怯えたような調子で言った。

「まだ、だと思います」

「そうか」

 素っ気ない相槌を打つとミナモは口を閉ざした。ミサキはと言えば続きを待っているのかその場で気をつけをして待っている。

 けれどしばらくして話が終わっていることに気付くと、彼女はやはり恐る恐ると言った様子で、カニ歩きのまま玄関から出て行った。

 重々しいドアの音を遠くに聞きながら、俺は首をひねるしかできない。

 今更ながらに中では何が行われているのかと気になりだすが、そう思ったころにはウミが顔を出していた。

 黒いポンチョ姿の女の子が。

「……お前着替えは?」

「あっ」

 反射的に問えば、彼女はしまったとばかりに声を上げる。

 それから急ぎ足で寝室に戻る彼女と入れ替わりで出てきたイズミは唇をさすっていた。

「お前たちなにやってたんだよ」

 イズミに問えば、彼女は一切変わらない表情のまま起伏のない声で言った。

「イチャイチャしてた」

 それを聞いて俺は頭を抱えたくなった。


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