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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第六章 終わりを迎える非日常
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見えない気持ちと残った願い 5

 葵のいなくなったマンションの一室には昨日の面々がそろっていた。

 ウミ、イズミ、ミナモ。そして山吹。そこにミサキも加え、本来の借主のいない中、その部屋では着々と準備が進められていた。

 今しがた玄関を通ってきた山吹の手には畳ほどの大きさのベニヤ。それはコンビニのロッカールームで埃をかぶっていた必要のないけれど捨てられないものと語られたものだった。

「まさか残してあるとは思わなかった」

 ぼそりと愚痴をこぼすようにしてつぶやいたのは、彼の後ろで同じものを抱えているミナモ。

 抱えたそれは山吹だけではなく、ミナモの記憶にも残っているものだった。

「なかなか捨てられなかったのよ。タイミングも自分で何度も遠ざけちゃってね」

 言いながら、二人はリビングの一角にそれを立てかける。それから山吹はあたりを見回すと唯一の家具であったローテーブルを壁際にどかした。

「ここでいいでしょ」

「そうだな。何も今広げずともいいだろうが」

「いいわよ。今日連れて帰るっていうのは揺るがないんでしょ?」

「もちろんだ」

 意思の宿った瞳を向けるミナモに山吹はやや嘆息気味にほほ笑む。文句の一つでも口にするのかとミナモは構えていたけれど、山吹は何も言わずに床にベニヤを広げた。

 幾何学模様が描かれたベニヤ。

 それを見下ろす二人の大人と三人の少女は各々困惑やら驚愕あるいは懐古の表情を浮かべた。

「こうすると昔のままに見えるわ。あなたがいなくなったあの日のままに」

「思い出話に意味などないだろう」

 ばつが悪そうにミナモは目をそらす。悪事を責め立てられる子供のように声をしぼませる。

 二人の間に何があるのか、何があったのかを知らない三人の少女は昨日の葵のように二人の顔を見比べることしかできずにいた。大人二人の会話に混ざることも、自分たちで会話をすることもできずに、ただじっと二人を見ている。

「なんであの日、急にいなくなったのかしら?」

「偶然がそういう結果に結びついただけだ。……たまたまうまくいったんだ」

「つまりこれが、あなたが作り出した元の世界に帰るための魔法っていうことで間違いはないのね?」

「そうだ」

 ミナモは顔を上げることはしない。いや、目線を上げることはあってもその瞳が山吹をとらえることはない。彼は意識的に山吹を見ることを拒否していた。

「ミナモ、そんなに目をそらさないでほしいわ。やっと叶った再開なんだから」

「お前は、私を恨んでいるのだろう?」

「そうよ? 当たり前じゃない」

 あっけらかんと言う山吹にミナモは言葉を詰まらせる。その声音の軽さからミナモは一瞬驚きつつ顔を上げるが、その目線はすぐに明後日の方向へと投げられた。

 山吹はなおも軽い調子で続ける。

「どうして待っていてくれなかったの?」

「さっきも言ったが偶然だ。いろいろ試していたらうまくいってしまった。それだけだ」

「どうして待っていてくれなかったの?」

「試していただけなんだ。お前のもとから去るつもりだったわけじゃない」

「どうして会いに来てくれなかったの?」

「それは、こちらにも事情が」

「あたしと過ごした二か月はその程度のものだったかしら?」

「ちがっ、そうじゃない。僕だってあんな終わり方はあんまりだと思って何度もこの世界に」

 そこまで言うとミナモははっとして弟子の三人を伺った。しかし彼女らは二人が会話をしていることに困惑するばかりで、ミナモのらしくない姿など気にも留めていなかった。

「……ヤマブキもういいだろう。今更十年も、二十年近く昔の話なんて無意味だ。どうしようもないだろう」

「そんなことないわ。今からでも遅くないのよ。だから話をしましょう。あの二か月のあと何があったのかと、あの二か月の間あなたの心に起きた変化を聞かせて頂戴」

 首を垂れながら、まるでいいわけでもするみたいに言うミナモに山吹は何度も言葉を投げる。決して逃がしはしないと、切実なまでに実直に。

「ウミちゃんたちも気になるでしょ? あたしとミナモがどういう関係なのか」

「…………」

 急に話しかけられた彼女らはお互いに目を見合わせ戸惑うばかり。返事の一つも相槌すら満足に打てない少女を見てにこりと笑った山吹はミナモに向き直る。

「どうしてあの日去ってから、一度も会いに来てくれなかったのかしら?」

 諭すようにやさしく、けれど糾弾するように鋭く。

 ミナモはなおもおためごかしを吐こうとしたが、唇をかみつつ絞り出すように吐露し始めた。

「会いに来た。何度も会いに来たんだ。けれどもう一度この部屋に訪れた時にはお前はもうここからいなくなっていた。この部屋は何もないただの空っぽな箱になっていたんだ」

 苦々しく語るミナモを山吹はただ見詰める。表情から感情を読み取れない。だというのにミナモは先ほどまでとは打って変わって山吹の顔色を窺いながらぽつりぽつりと続けた。

「あの日だって、お前のもとから去るつもりだったわけじゃない。それこそ僕がこの部屋にやってきたときのように、事故のようなものだったんだ。試行錯誤してくみ上げた魔方陣を起動させ実験を繰り返していただけ。それだけなんだ。お前に礼の一つも言わずに消えるわけがないだろう。僕がどれだけお前に世話になったと思っている」

 だんだんといじけるような声音に変わっていく。そんな様子を見てもまだ山吹は表情を変えなかった。

「僕だってお前に会いたかった。別れの挨拶すらせずに二度と会えなくなるなんてごめんだった。だから僕はこの世界に行き来できる魔法を作るために必死になって。なのにそれが完成したときにはお前はもうどこにもいなくて。……お前が僕を恨んでいるからこの部屋からいなくなったんだと思って」

 あとは何が聞きたいんだとミナモは目で訴える。どれだけ吐露すれば満足なのかと、許してくれるのかと。懇願の眼差しが山吹に向けられる。

 そんな顔をされてしまえば、山吹も黙りこくっているだけではいられない。彼は何も鬱憤を晴らしたくて問い詰めていたわけではないのだから。

「そんなわけないじゃない。普通に就職してこの町を去っただけよ。……それで何年もしてから、結局この街に戻ってきたの。あなたを忘れられなくてね」

 言うと、とうとう二人は表情を崩した。

 二人して苦虫を噛み潰すような、涙をにじませるような表情を浮かべる。

「すれ違っちゃったのね、あたしたち」

 短くまとめた山吹は、紫煙を燻らせる様に深く長く息を吐いた。

「会いたかったわ、ミナモ。あなたがいなくなってから、あたしの人生は酷くつまらなかった。いえ、あなたがいたあの二か月だけがあたしが自分の人生を生きられた時間だった」

「なにを大げさな。いつも人の輪の中心にいただろうに」

「だからこそ、その中の一つでしかなかったのよ」

 自嘲気味に言う山吹は、けれど晴れ晴れとした表情を浮かべる。

「あなたのための過ごした二か月の間だけあたしはあたしの人生の主役だった。あなたのために必死になって動いた日々が、あたしのすべてだった」

「大げさすぎる」

「あなたの存在がそれだけ大きかったのよ」

「戯言ばかり」

 言いながら、けれどミナモは安堵の表情を浮かべていた。

 山吹にとって自身が怨恨を向けるだけの存在でないことに深く安堵していたのだ。

 かつて共に暮らした相手に、自分に救いの手を差し伸べてくれた相手に心の底から恨まれていたわけではないと知って安堵していた。

「にしても、随分変わっちゃったのね。あなた一人称まで変えて、大人っぽくふるまうのに必死な感じじゃない」

「うるさい。僕――私だって大人になったんだ。相応の身の振り方を求められる。好奇心だけが体を満たしていたあの頃とは違うんだ」

「もうそのまどろっこしい一人称止めちゃいなさい。僕のほうがかわいいわよ」

「なにを気色の悪い。子供じゃないんだ」

「でもあなたまだ二十代前半じゃない。この世界で言えばまだ学生の年齢よ?」

「そういうお前はこの二十年弱の間に何をしていたんだ。変わったといえばお前のほうが変わっただろう」

「それはあなたへの恋心に蝕まれ続けた結果だわ。責任取ってちょうだい?」

「笑えない冗談だ」

 そんなやり取りを前に、やはり少女らは動けずにいた。この場に自分たちがいるのが場違いだと感じられるほどの疎外感に三人とも顔を合わせ、いつ出て行こうかとタイミングを計っている始末。

 その様子に気付いた山吹はしまったとばかりに笑みを向けた。

「ごめんなさいね。あたしたち将来を誓い合った仲なのよ。奇跡の再会で嬉しくてつい興奮しちゃったわ」

「ふざけている場合かお前は」

 淡々と突っ込みを入れるミナモだが、最初から山吹は冗談など口にはしておらず、その瞳を見ればどれほど本気であるかは一目瞭然だった。

 そのちぐはく度合いがひどくシュールで、やっぱり彼女らは声を出せないまま。

 山吹は一つ息を吐き、彼女らに寄り添う。それから彼女らの背後に回り、その肩に手を置いた。

「そんなすれ違いをこの子たちにさせるわけにはいかないわよね、ミナモ? 昨日は随分と焦っていたみたいだけれど、頭は冷えたかしら?」

「……それとこれとは話が別だ。私は今でも自身の判断を間違いだとは思っていない、いや、それどころか――」

 ミナモはそこで一度言葉を切ると、言いにくそうにしながら、けれどはっきりとした声音で言い放った。

「――あの少年の帰りを待たずに連れ帰ってもいいと考えている」

 それから息を吐き、今度はしっかりと顔を上げながら決意の宿る瞳で言う。

「むしろそうするべきだと思っている」

 山吹の目つきが変わった。それはミナモの発言に対してのものでもあったし、肩をこわばらせた少女たちを思ってのことでもあった。

「納得のいかない別れは心を蝕む。そういう話をしたはずだけど?」

「そんなのは私が実感している。お前と再会できなかった二十年弱、お前のことを忘れるために私がどれだけ尽力したか」

「なら、どうしてそんな結論になるのかしら?」

 言いながら山吹はミナモの前に立ちはだかる。背には身を引いて逃げ出したいと言いたげなウミの姿がある。他二人は、いまだ困惑のまま。

「……時間がないんだ」

「昨日も言っていたわね。どういう意味かしら?」

「…………」

 問い掛けに対しミナモは沈黙を返した。当然山吹がそれで満足するわけもなく先を促すようにじっと見つめている。

「…………」

 ミナモは仕方ないと言いたげに息を吐くと、山吹の横を通りすぎようとする。その視線の先にはウミの姿があった。

 山吹は慌ててミナモの手を取る。

「ちょっと待ちなさい。理由を語れって言ったのよ」

「今から語る。お前を無視して連れ帰ろうとしているわけではない」

「…………」

 にわかには信じがたいと目が訴えていたが、山吹はしぶしぶつかんだ手を離した。それを見届けるとミナモはゆっくりとウミに歩み寄っていく。

「ウミ、手を出せ」

「…………」

 決して短くはないためらいがあった。いや、それはもはやためらいではなく拒絶だった。

 それを見てミナモは深い溜息を吐いた。それから強引にウミの手を取る。

「ミナモッ」

「お前が考えているようなことにはならないから安心しろ」

 山吹の糾弾の声を一蹴し、ミナモはウミの顔をじっと見つめる。

 そして彼は半ば確信をもって、けれどあくまで問いかけの体で言い放った。

「握り返してみろ。目いっぱいの力で」

「…………」

 瞬間ウミは首を垂れた。

 それから言われた通り、彼女は今自分にできる精いっぱいでミナモの手を握り返した。

 ミナモはその感触を確かめつつ、ウミに問いかける。

「息苦しくはならないか? 気を失いそうになることは?」

「師匠、やっぱりわかるんだ」

「当たり前だ。お前たちよりも理解している。むしろ今こうしてお前が満足に体を動かしていることが奇跡とすらいえるんだ」

「…………にへへ」

 ウミは苦笑いを浮かべた。もう誤魔化すことはできないと観念した諦念の笑みだった。

 それを見ていた二人の少女は、同じく苦い顔を浮かべていた。彼女たちもまた理解していたから。ウミの事を、その事情を。

 理解できていないのは、この場においてこの世界に元々生きていた山吹だけだった。

「どういうこと?」

 山吹は眉を顰めながら問いかける。返ってくる答えはきっと気持ちのいいものではないだろうことは、山吹でなくとも理解できただろう。それほどまでに、四人の異世界人の表情は切迫していた。

 振り返り、山吹に向き合うミナモ。彼は事情を理解した年長者として端的に、ウミが今まで必死に隠してきた事実を口にした。

「ウミの体は、もう限界に達している」


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