帰れない異世界人 3
助けが来るまで何もできない、ということが判明したところで今度は俺がどうするかという問題となる。
身寄りのない少女を前にして、俺がどう身を振るかという問題。
簡単に言ってしまえばウミを一時的にかくまうか否かということだ。
そもそも昨晩彼女を泊めた手前今更追い出すかどうかという問題でもあるが、そこは慎重にならなくてはならない。
もし仮にほんの数日、一週間やそこらの仮住まいとして部屋を提供するのならば、何の問題もない。食事もその程度ならばやりくりできるし、部屋が狭いということもない。そもそも独り暮らしには大きすぎる部屋なのだ。つながったLDK部分は合計で十二畳程度あるし、それ以外に八畳の寝室もある。浴室とトイレはちゃんと分かれているし、ベランダも西向きで夏場の暑さを考えなければ洗濯物の乾きもいいくらいだ。
生活する分には一人増えたところで何の問題はない。俺の甲斐性の問題で長期は難しいが短期であれば。
しかし、今の状況を見るに安請け合いはできない。
何せいつ帰るかわからないのだ。下手したら一ヵ月。もしかするとそれ以上の期間彼女を匿わなくてはいけなくなるかもしれないのだ。
長期間となれば、かかる金額が変わってくる。食費だってそうだが生活必需品を用意しなくてはならなくなる。そうなると、俺ではとても賄うことが出来ない。
「あー、ウミ。一応聞くんだが、この世界に知り合いって……いないよな」
ローテーブルをはさんで胡坐をかいた俺は希望的観測でも何でもないことを口にしかけける。当然、聞いている途中で答えがわかってしまって独り言ちるしかない。
どうしたものかと考える人みたいに拳を口の前に持っていく。
感情だけで言ってしまうなら、ウミを匿うのはありなのだ。危機的状況化にある女の子に目を瞑ることに抵抗があるというわけではなく、純粋に誰かと暮らすというその点において。
けれどやはり、現実的ではないのだ。
俺は顎の前にこぶしをやり、気の抜けた唸り声をあげる。
「アオイ」
そんな俺を前にして、ウミはきょとんとしながら俺を呼んだ。
なんだと思いながら目を向ければ、ウミは何でもないことのように言う。
「私を匿うかどうか悩んでるなら、大丈夫だよ」
「いや、大丈夫って……」
いったい何が大丈夫なのだろうか。住む場所も生活するすべも持たない女の子が、たった一人知らぬ場所に投げ出され、いったい何をもって大丈夫だと宣うのか。
そう思いながら、それは迷惑をかけないと言いう意思表示かと目で問う。
それが伝わったかは定かではないが、ウミは先ほどと同じトーンで言った。
「昨日泊めてもらっただけでもすごいありがたいし、そもそも右も左も分からない私に優しくしてくれるだけでも本当に嬉しいから。無理にかくまわなくても」
そうなったら、ウミはどうするのだろう。
彼女はそれを語らない。大丈夫、無理をしなくていい。そんな言葉をあっけらかんと口にして、気を遣わなくていいのだと訴えるのみ。
そんなところが変に大人びていた。
いい子だとか、優しい子だとか。そういうのよりもまず我慢の上手な子なのだと感じた。
その平然とした表情が、日常的に我慢をしてきたんだと語っている。
相手の意を汲むことが当然だと教わってきた。もしくは学んだ。そんな女の子。
助けての一言を、彼女は口にしようとしない。
「ウミってもしかして、元の世界では忌子だったりした?」
不意に口をついて出た。もしそうならば、俺は身の振りを変えるのだろうか。きっとそんなことは無いけれど、つい尋ねてしまった。
「ううん。そういうのじゃ無いよ。お父さんとお母さんと妹がいて、幸せに暮らしてる」
ウミは、愛おしそうに笑う。家族の姿を思い浮かべているのだろう。その表情はやっぱり大人びているように見えて、なんだか途端に彼女のことがわからなくなる。
明らかに年下だと思っていたけれど、こうも大人びた顔をされてしまうとそれがそもそも間違いなのではないかと思えてきてしまう。外見は十代前半でも、実際には俺よりも年上、なんてことだってあるのかもしれない。何せ彼女は異世界の住人だ。
「妹がいるのか。妹は今何歳?」
「十歳」
「なるほど、ところでウミは?」
「私? 年? 十四歳だよ」
しかしウミの年齢は見た目通り。ならばそのいやに大人びたところはいったい何がそうさせているのだろう。なんて、あら探しをするみたいな考えにいきついてしまって俺は頭を振る。それから、きっと妹がいるというのはそういうことなのだろうなんて納得させる。姉だから、姉たらんとしていたんだと言い聞かせる。
そんな風にした俺を見て、ウミは会話を繋ごうとでもしたのか「そう言えば」と口にした。
「アオイは何歳なの? 私よりも年上、だよね? 二十歳くらい?」
「それは暗に俺が老けていると言いたいの? 十七だよ」
「じゃあお兄ちゃんだ」
「その呼び方はこそばゆいからせんでくれ」
「しないよ」
別にどう呼んでもらっても構わなかったのだが、ウミは常識を語るみたいな相槌を打つと「アオイ」と俺を呼ぶ。
はっきりとした音に顔を上げれば、ウミはやっぱり笑顔を浮かべていた。
けれど、そんな顔に似合わず彼女は気遣うような声音で言う。
「迷惑ならすぐ出て行くから、言って?」
「…………」
別に迷惑というほどのものではない。もしも、もしも俺が学生でなく、自立した大人で、自分でしっかり稼いで余裕のある男であったなら。
俺は間違いなく二つ返事でウミを受け入れた。
帰れるまでここで暮らしていいぞって。金の心配はいらないし、迷惑でもないからなって。懐が深いみたいなふりして、彼女を介そうとしただろう。
けれどそれはもしもの話だ。現実の話ではない。
だから俺に言えることなんて、せいぜいこの程度だった。
「迷惑になったら、その時は言うよ」
嘆息交じりに、諦めたように言った。
言われたら出て行く、なんて言われてじゃあ出て行け、なんて言えるはずがない。けれどいつまでもいていいなんて言えない。帰るまではかくまってやるなんて約束もできない。
だから、限界が来るまではここにいて構わないと、そんな風に言うしかなかった。
それが、俺にできる最大限のことだった。
そんな情けない言い方しか俺にはできなかった。
「そっか」
なのにウミは、心底嬉しそうに笑みを浮かべた。ありがとうなんて続けそうな、そんな柔らかな声音で、たったそれだけの相槌を打った。
俺は彼女を直視できなかった。
自分の行いがひどく浅ましいことだと自覚していたから。
俺にばかり有利な取り決め。迷惑になれば、限界が来れば一方的に追い出すことが出来る。きっと彼女はその時になれば文句も言わないで、笑顔すら浮かべてありがとうとでも言う。それで一人途方に暮れていよいよどうにもならなくなるだろう。
ひどい人間だった。
ぬか喜びさせて、一時の自己満足によって、都合が悪くなれば知らんぷり。
それはきっとどこかの誰かによく似ていて。自己中心的な行いがひどく似通っていて、今すぐにでも皮膚をはがして中身を入れ替えたいとすら思う。
嫌な記憶が掘り起こされる。例えばそれは、俺が家族を失った時のこと。
誰かの身勝手で、何もかも失ってしまった被害者たちのこと。
そんな被害者が、自分のためだけに新たな被害者を作り出したこと。
そう考えたら、俺は何故こんなことをしているんだと思えてきてしまって、絞り出すような声で、呼吸を思い出したみたいに付け足した。
「そのうち助けも来るだろ。この部屋にいる間にはきっと」
「うん」
ウミはふわりと笑った。春の陽光を浴びているみたいな、そんな暖かで柔らかな、十四の少女が浮かべるにはやや大人びた、そんな笑顔を浮かべる。
俺はやっぱりその顔を直視できなくて、すぐに目を逸らす。
手持ち無沙汰にスマホを取り出せば、それでようやく時間を認識してベランダの向こうを見つめた。
ほの暗い夕焼けが見える。太陽そのものは見えないけれど、薄紫をした空が建物の上をゆったりと歩いている。一呼吸ごとに闇色を濃くするそれに反比例して、生活の明かりがともり始めていた。
「夕飯の準備するか」
「そうだね」
独り言のつもりだったのにウミが相槌を打つ。だから俺は「よし」なんて合図するみたいに言って立ち上がった。
「手伝ってくれるか?」
「うん」
頼られたのが嬉しかったのか、ウミはさっきまでとは打って変わって幼い笑顔を浮かべ勢い良く立ち上がる。その姿を認めた俺は背を向け壁に手を着いた。
それから――。
「じゃあ、分担な」
黒いローブを纏った少女を見失わないよう部屋の明かりを点けた。