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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第五章 認めたくない現実
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聞こえた足音は 3

 ウミとの触れ合いを疎ましいと思ったことは一度もなかった。

 こっぱずかしいとも思うしくすぐったさも感じる。それは確かに心を落ち着かせるよう物ではないし、不意を突かれれば飛びのくことだって当然ある。

 けれどだからと言ってその手を払い除けたいとか、早々に離してしまいたいとかそんなことは思わなかった。

 むしろその逆だ。

 もう少しもう少しと、そう願っている俺がいる。

 ウミが近頃べたべたとしだしたというのは事実だ。けれどそれは俺が拒絶しなかったことも影響していた。

 俺が彼女のスキンシップを受け入れたから俺たちの距離はおかしくなってしまった。

 ウミが何を思ってそうしているのかはわからない。聞こうとも思わないし知りたいとも思わない。一つ明確に言えることがあるとすれば自身の胸中くらいだった。

 俺は今更になって焦っている。

 突然突き付けられた期間に怯え、その期間の間を何かで埋めようと躍起になっている。

 茜さんが言ったように俺が卒業するまでという期間が確定したわけではないし、それこそもしそうなったら俺が就職に成功しさえすれば財源がある程度は確保できる。今と同じく贅沢はできないだろうが、それでも一緒に暮らしていけなくなるわけではない。

 だから焦る必要などないのだと頭ではわかっていた。茜さんはそう考えただけで、俺がどうするかはまた別の問題だ。

 それでも、意識していなかったその期間――タイムリミットがあるという事実を確かに突きつけられてしまった俺はなくなりふり構っていられなくなってしまった。

 少しでも彼女らと過ごす時間を長く続けたい。

 その自分本位な願いが、今まで鳴りを潜めていた願望が俺の背中を痛いほどに叩いていた。

 だから、俺は時折自分からウミに触れることがある。普段はずっとウミのほうからくっ付きたがるためそうすることもほぼないのだが、彼女が気を使って距離を取るときに関してはその限りではない。

 俺は店長の車の後部座席に座ったまま、手持無沙汰の左手を彼女の指先へ這わせた。

「いぇ!?」

 突然のことに驚いたウミは意味をなさない声を上げる。けれど自身の指に触れたものの正体を見るなり頬を緩めた。

 手を繋ぐというにはいささか弱弱しく、指先だけをひっかけるようにして触れた。これが小指であったのならば指切りでもするようにも思える。

 何の約束をするでもなく俺たちは、車に揺られながら指を触れ合わせ続ける。

 十分もない時間。車に揺られた俺は店長の話に適当な相槌を打っていた。

「今日は二人で買い物でもしてたのかしら?」

「そんなとこです。コートとか」

「もう一人の妹ちゃんは?」

「留守番してるって言い張って」

「あら、じゃあ急いで帰りたいとこにあたしが居合わせたって感じかしら?」

「そうですね」

「そういえば文化祭準備はどう? 明後日からだったかしら?」

「可もなく不可もなくって感じです」

「二人を連れて見に行くわね」

「お願いします」

 条件反射で会話をした。意識のほとんどはウミの体温にそそがれていた。

 ウミの指先は車内に入っても冷たいままだった。それはもしかすると俺自身の指先の感覚が麻痺していたからなのかもしれない。ウミの荷物を持つという申し出を断って紙袋を指先に引っ掛けていたからだ。

 痛痒さとともに指先に熱が伝わるようになるまで少しばかりの時間がかかった。そのころには駅前からだいぶ離れ、俺たちの暮らすマンションまでもう三分とかからないところまで来ていた。

 暖かさよりもくすぐったさのほうが記憶に残る。それはきっと、俺が今まで他人との触れ合いを拒んできたからだ。

 手に触れることなんて今まで一度もなかった。触れられることも一度だってない。

 その温かみも知らなければ肌の感触も想像できなかった俺には、まずくすぐったさにも似た指先の感触が刻まれていく。

 肌寒い季節だから余計なのだろう。触れた感触は、少し乾燥したその肌は、けれどいつまでだって触れていたいと思わせてきた。

「もうつくわよ」

 店長とどんな会話をしたのかなんて意識の外だった。

 やがて車が停車すると店長が振り返る。

「さ、手を繋いだまま出ていきなさい」

 そんな風に言われ俺ははっとした。見れば店長はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。

 ずっと上の空でも文句ひとつ言わずにとりとめのない会話をしていたのはもしかすると気を遣ってくれていたのだろうか。そんなことに今更ながらに気付き、俺はドアに手をかけた。

「ありがとうございました」

 言いながらドアを開け放ち、店長に言われたからではないがウミの手を引いて車を降りる。

 ウミも俺に倣って「ありがとう」と言っていたが、そのすぐ後ににへへと笑っていたので意識は繋がれた手に向けられていたのだろう。

 そんな俺たちを見た店長は助手席越しに手を振っている。生暖かい視線をひしひしと感じ、俺は会釈もそこそこに踵を返した。

 階段を上っている間も店長は車を出すことなくフロントガラス越しに俺たちを見上げている。

 俺はさっさと部屋に入ってドアを閉めてしまおうとウミの手を引き続けた。

「アオイ、顔赤い?」

「うるさい」

 恥ずかしくなれば赤面もする。わざわざそんなことを指摘するなと思いながら紙袋を持った手でポケットを探る。紙袋が音を立て意識をさらおうとするが、俺はそんなものには屈さず部屋のカギを取り出した。

「アオイ」

 鍵穴に鍵を差し込む瞬間。ウミが笑い交じりに俺の名を呼んだ。

 その顔に張り付いたにへへが容易に想像できてしまって俺は力任せに鍵をひねった。

「アオイかわいい」

「ンなわけあるか」

 言いながらドアノブを回し家の中に避難しようとする。階下からはいまだ車の音は聞こえてこない。店長はまだそこにいるらしい。

 俺は顔の熱を振り払うために頭を振ってドアノブをひねろうと試みた。

 瞬間。ドアの向こうから大きな音がした。

 それは何かが落ちるようにも、転がるようにも聞こえ、ウミと一緒になって動きを止めてしまう。

 一瞬俺たちの帰宅を察知したイズミが駆けてきたのかと思ったが、それにしては音が遠い。それに足音というにはいささか慌ただしさが異常だった。

「…………」

 考えても仕方がないと思った俺は、ドアノブをひねる手に再度力を籠める。

 目に飛び込んできたのはイズミの必至な形相と、その手を掴む何者かの姿だった。

「ッ、イズミ!」

 俺はウミの手を離し、靴を脱ぎ捨ててイズミのもとへ向かう。

 俺の叫びに気付いたイズミがこちらを見るが、すぐにその視線は自身を拘束する侵入者へと戻された。

 イズミはその手から逃れようと体をそらすがびくともしない。どれだけイズミが暴れようともその侵入者の長い髪を揺らすこともなければ腕を揺することもない。

 俺はイズミに駆け寄りながらその手を払い、イズミを抱きしめるようにしてそいつから距離を取った。

「なんだお前は」

 低い声だった。それはその者本来の声なのか、あるいは怒気を孕んでいるからこそのものだったのか。あからさまに敵意をむき出しするその姿を見上げ、ようやく俺はそいつが男であることに気が付いた。

「お前こそなんだ」

 ようやく見えたその男の顔をじっと見つめる。齢二十代前半というところか。大人と呼ぶには幼く見える男はしかし、俺よりも年上であることは明らかだった。

 黒い髪は肩よりも先まで伸び遠目には女性に見えなくもない。その前髪に隠された翡翠色の瞳が鋭く吊り上げられていること、俺よりも高いであろう身長と華奢とは遠く離れた体格の良さを見なければ今なお女性だと思っていたところだ。

 腕の中のイズミは震えてはいなかった。けれどその視線はしっかりと男のほうへと注がれ今なお警戒心をむき出しにしている。見れば、イズミは男に掴まれていた手首をさすっていた。

 俺はいよいよ頭に血が上った。

 歯を食いしばりこぶしを握る。相手が何者かわからないが不法侵入をした犯罪者であることに変わりはない。多少のことは正当防衛として処理されるはずだ。

 そこまで自分に言い聞かせ、俺は足に力を入れ立ち上がろうとした。そんな時だった。

「私は彼女らを迎えに来ただけだ」

「………は?」

 男のその主張に虚を突かれた俺は腕の中のイズミを見て、それから玄関のほうへ目を向けた。

「師匠?」

 顔を出したウミが声を上げる。その音の響きはいつかも聞いたことがあって、俺は目を見開き続けるしかできなかった。

 今一度、男は宣言する。

「私は彼女たちを迎えに来た、異世界の人間だ」

 そう言われた俺は、反射的に嘘をつくなと返しそうになっていた。

 その言葉が信用に値するか、そもそも真実であるかはどうでもよかった。

 ただ信じられなくて、信じたくなくて。そう叫びそうになっていた。

 目を瞑っていたい。彼の身に纏うその黒いポンチョを、そのぼろ布にしか見えないローブを見なかったことにしてしまいたかった。

「今から三人を連れて帰る。ミサキはどこにいる」

 その問いはウミに向けられていた。ウミは驚愕が覚めないといった様子のままうわ言のように「隣……」と呟いた。

「ミサキを連れてこい、今すぐに元の世界に帰る」

 男の怒気を孕んだ声を聴いて、そしてその必死さを目の当たりにしてようやく悟った。ついに終わりがやってきてしまったのだ。

 そのことを理解した俺は、場違いにも文句を口にしそうになってしまった。

 あと一年は一緒にいられるはずじゃなかったのかと。タイムリミットはもっと先だったはずなのにと。

 何も、こんなに早くなくてもいいじゃないかと。


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