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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第五章 認めたくない現実
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聞こえた足音は 2

 十月の終わりが見えていた。すっかり日も短くなり六時を迎えるころには夜が顔を出している。ついこの間までは夕焼け、ともすればまだ昼間にすら感じられるほどだったというのに季節というのは足音を聞いたころにはすぐそこにいるものらしい。

 人の波は普段と変わらないはずなのに心なしか寂しく感じる。落ち続ける気温のせいだろうか、街を見れば早い人はもうコートを着込んでいた。

 日によっては十二月と変わらない気温を記録することもあって俺もいよいよ重い腰を上げた。

 隣には異世界人の女の子。短い黒髪に群青色の瞳の大海原を思わせる名を宿す彼女は珍しく真っ白な衣服に持を包んでいた。

「あったかい」

「そうか」

 ぼそりとつぶやく声を聴いて反射的に相槌を打つ。ウミはもしかすると独り言のつもりだったのかもしれないけれど、隣に立っている以上聞こえてしまうのは仕方のないことだった。

「アオイ、あったかいよ」

「そりゃよかった」

 今度のは間違いなく俺に向けられた言葉だったので、今度はしっかりと相槌を打った。そしてついでと言っては何だが、ウミのその姿を視界に収める。

 彼女は真っ白なコートに身を包んでいる。スタイリッシュなものではなく、どちらかと言えばガーリーなダッフルコート。膝丈まである裾は見ようによってはスカートのよう。生足を晒しているわけではないが、肌に張り付いたタイツは彼女の細い足をくっきりと縁取っている。

 よく見る量販店で買ったものとはいえそれなりの値はするもので、触らずとも暖かく身を包んでくれるものだということが見て取れる。

 もちろんそれだけというわけではない。その指元から除く薄茶色のニットもその暖かさの一役を買っている。今まで来ていた白いワンピースと薄手のカーディガンであったのならば、いかにコートを着ているとしても寒さを遮断することはとてもかなわないだろう。言わずもがな靴だってサンダルでは意味がない。

 冬用の余所行きに一からすべて揃えてみれば、ようやくというか冬の訪れを意識し始めることができた。

「アオイ、お金大丈夫だった?」

「心配するな」

 そうは言ってみるが、かなり手痛い出費ではある。

 コートだけではなくほかのものも一式そろえたのだ、軽い買い物とは言い難い。そんなのは些細な事、と口にすることはできなかった。

「イズミの分も買ってもらって」

 付け足すように言いながら彼女は俺の右手から下がっている紙袋に目を向ける。俺もそれに倣ってちらりと紙袋の隙間を覗き見れば、ウミが今着ているものと殆ど同じコートが顔を覗かせていた。

 ウミにだけ買ってイズミには買わない。なんて意地悪なことはするはずもない。

 今この場にイズミはいないが、そんな差別ができるほど俺は無感動にはいられない。

「気にするな。っていうかそれ気にするならイズミを留守番させてることを気にしてやれ」

「うん、そう?」

「そうだ」

 言いながらアスファルトを踏みしめる。靴の裏を通して感じる冷たさはだんだんと足首からふくらはぎへと昇ってくるようで、まだ十一月にもなっていないというのにしもやけでもできるのではないかと思うほど。

 そんな日に一人で暖房も備わっていない部屋に残された女の子のことを思うと、自然と足取りも早くなる。

「イズミも一緒に来ればよかったのにな」

 今朝、というよりかは二時間弱前。ウミとイズミに冬服を買いに行こうと提案したときの事だ。例によってウミはいいよと遠慮したのだが、冬場に薄手のワンピースという格好でいさせるわけにもいかないし、彼女たちがいつも着ている黒いローブだって外出するときは控えてもらいたかった。

 なのでごり押しにごり押して買い物に行くことは承諾してもらえたのだが、そんな時に限ってすべてを姉に委ねてきたイズミがこう宣った。

『イズミ留守番してるからねえと二人で行ってきて』

 相も変わらず感情の乏しい瞳で、別の世界の出来事だとでも言いたげに淡々と言ったイズミ。当然俺は食い下がった。試着しながら買うんだからとか、サイズがわからないとか、しまいにはウミと出かけたくないのかなんて言い方もして。

 けれどイズミは頑として首を縦には降らなかった。最終的に彼女は、

『ねえならイズミの服選べる。イズミは夜になればねえとずっとくっ付いてられるけど、にいはそうじゃない。イズミはここで待ってる。二人で出かけたほうがいい』

 なんてわけのわからない主張を押し通した。

 らちが明かないと諦めてしまった俺はウミに助け舟を求めたのだが、妹をうまく説得してくれるだけのものを持っているはずのウミはと言えば気恥ずかしそうに、にへへなんて笑っただけだった。

 そんなことがあって、今俺はウミと二人並んで買い物から帰る途中という状況だった。

「イズミにも考えがあったんだよ、にへへ」

 ウミはここ最近ずっとにへへとだらしのない笑みを浮かべている。体調を崩した数週間前から始まってずっとだ。苦笑いや気遣いで笑みを浮かべられるよりかはよほどいいのだが、こうも気の抜ける顔ばかり晒されてしまうとこちらとしても少々やりにくい。

 俺がウミを呼びつけるたびに決まってにへへと笑うから、たまに気味悪く感じるくらいだ。もしかするとまだ体調が万全じゃないのではないかと疑いたくなるくらいには。

「アオイ、それ持つよ?」

 ウミがそう申し出るのももう何度目のことか。店を出てから幾度となく繰り返しているのだが、ウミは少しするとまたそう言い出す。

 俺は紙袋を左手から右手に持ち替えウミが手を伸ばしても届かないようにと配慮する。

「いやいい」

「もう体調大丈夫だよ?」

 そんなことに気遣っているわけではなかったがウミに荷物を持たせる気はさらさらなかった。

「…………じゃあ」

 そんな俺の胸中を察したのか、ウミはしばし悩むようなそぶりを見せると、ふいに俺の手の甲を指先でなぞった。

 あまりに突然のことに俺はほとんど飛びのくようにして手を引っ込めた。

「いきなりなんだよ」

 ぶっきらぼうでそっけない声、刺々しさすら感じる言葉に俺自身が少し驚いた。咄嗟のこととはいえそんなにも鋭い態度にもなってしまったことを後悔しつつウミの様子を窺う。

「手が空いてたから。にへぇ」

 しかしウミは緩んだ笑顔で俺を見上げるのみ。そしてもう一度その手を伸ばしてきた。

 ウミの細く弱弱しい指先が俺の手の甲をなぞる。くすぐられるような感覚に背筋に冷たいものが走るが、今回は予期していたこともあって飛びのくこともなければ、その手を払いのけることもなかった。

「くすぐったい」

 便宜上言外にやめろと伝えてみるが、ウミはじゃあと身を乗り出すようにして俺の手の平に触れた。指先が滑り、瞬く間にウミの手の平と俺の手の平はぴたりとくっついた。

「いや、そうじゃないだろ」

 言いながら、くすぐったいよりかは幾分かましかと思った。

 ウミは異を唱える俺を見てにへへと笑うだけで手を離そうとはしない。それどころかまるで頬ずりでもするみたいに手の平をこすり付けてくる始末。

 俺はもはやこれ以上の文句を口にする気力も無くなってしまいため息を深く深く吐き出した。

 本当に最近のウミはおかしい。

 必要もないのに額に触れて熱を測れと言うし、隙を見てはこうして手に触れてくる。それだけでも異常だというのにその彼女の表情はと言えば緩みに緩み一言で言うのならば、まるで幸せを顔に貼り付けたようなものだった。

 イズミがウミに対してするように、べたべたとくっつきたがる彼女に俺は近頃困惑してばかりだ。

 それこそ彼女がいまだ体調を崩していて、心細さを感じているのであればわからなくなかったのだが。どこからどう見ても健康体な彼女の態度をどう解釈していいのかわからない。

「アオイの手冷たい」

「嫌なら離せ」

「うんわかった」

 言いながらもウミは手を離すことはしない。会話が意味をなしていないとも感じてしまうが、ウミはどこか満足そうだ。

「気が済んだら離せよ」

「うん」

 ほとほとあきれ返ってしまった俺は最後にそれだけ伝え、彼女の手の平の感触に甘んじることを決意した。

 手の甲をなぞられるのとは違うくすぐったさに身をよじりたくもなるが、しばしの辛抱だ。

 つないだ手とは反対側に持った紙袋を指先で引き寄せ、持ち直しながら彼女の歩幅を見つつ家路を行く。急ぐとはいえない、ゆったりとした歩調にじれったさを感じながらも。

「あら、随分と仲がいいじゃない」

 しかしそんな時間は思いのほか早く終わってしまった。

 直後背後からかけられた声。それが俺たちの向けられたものだと一瞬で理解できたのはその声がとてもよく聞きなじんだものだったから。

 俺はまたしても飛びのくような思いをした。事実飛び上がっていたかもしれない。

 俺は背後というよりはほぼ真横。車道しかないはずのその場所に目を向けた。

 そこには白いワゴン車。

「店長。脅かさないでくださいよ」

 努めて冷静に、内心は不整脈でも疑いたくなるほど慌てふためきながらため息交じりに口にする。

 するりと繋いでいた手を離す。

「ぁ……」

 その瞬間ウミは少しばかり声を漏らした。その声はどこか残念がっているようにも聞こえたが、知り合いが目の前にいる以上べたべたと触れ続けるのはこっぱずかしかった。

「あら、お邪魔しちゃったかしらぁ?」

「そう思うならわざわざ声かけないでくださいよ」

 言いながら店長の乗っているワゴン車に近づいていく。助手席を跨いだ先にいる店長は身を乗り出してくれてはいるものの少しばかり声が届きにくかった。

 かがむようにして彼と目を合わせつつ俺は首をかしげる。

「で、何の用事ですか?」

「今から帰り? 乗ってきなさいよ。あ、そこの先のコンビニにいるわね」

 話している途中に信号が変わってしまったらしい。前方に目を向けた店長は早口に言うと車を走らせて行った。

 ちらりと隣にいる少女の様子を窺う。

 別に彼を無視して帰ってもいいのだが、そうする理由も持ち合わせてはいない。それどころか送ってもらえるというのならばそれはありがたい申し出だった。

「ウミ、どうする?」

 けれど一応は連れにも聞いておくべきかと思った。

 ゆっくりと歩いて帰りたいとウミが言う可能性もなきにしもあらず。手を繋ぎたがる彼女ならばあるいはと思い問いかけてはみたのだが。

「ん、いいよ」

 彼女は俺の気遣いなど求めていなかったらしくあっけらかんと答えて見せた。


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