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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第五章 認めたくない現実
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見てはいけないその姿 5

 十月もまだ始まったばかりではあるが、浴槽にゆっくりつかりたいと思う頻度が徐々に増え始めていた。

 浴槽に湯をためるなどよほどのことがあってもほぼすることがないのだが、それでも湯船につかりたいという気持ちだけは捨てることができない。

 そうは思っても浴槽は今日も空のまま、シャワーのみで湯あみを済ませリビングへ戻る。

 ドライヤーなどと言うものも持ち合わせていないので頭はタオルでガシガシ拭いて自然乾燥に任せるしかない。そう思うと、確かに俺だけでなく彼女たちもいつ体調を崩してもおかしくなかったのかもしれない。

 ゆっくりゆっくりと気温が落ち始め、夜になればフローリングを敬遠したくなる程度には季節の移り変わりを感じていた。

 新たな出費も考えなければいけない。そう決意しながらちらりと寝室に目を向ける。

 いつもなら、ウミがひょっこりと顔を出して就寝前の挨拶をしてくれる。長話をするでもなくそっけないと思うほどに短くおやすみとだけ言葉を交わして今日を終える。それが毎日のこと、日常というやつだった。

 しかし昨日はウミに休んでいろと言ったこともあってわざわざおやすみを言いに出てくることはなかった。俺も俺でわざわざそんなことを言うために寝室のドアをたたいて、もしかするともうすでに眠っているかもしれない女の子を起こすのは忍びなくて何もしないまま今日を迎えた。

 だから今日もそうなるのだろうと思っていたのだが、昼間彼女の体調を案じていたからだろうか。最後に顔を見ておきたいと思った。

 俺は珍しく夕食の後の時間になってから、寝室のドアに手をかけようと思った。

 しかしその時、二人の声が聞こえてきた。

「ねえ、本当に大丈夫?」

「うん大丈夫。熱もないし、風邪って程でもないんだと思う」

 不安げなイズミの声と、諭すような優しいウミの声。

 その二つがしっかりと耳に届いたせいで、俺はドアノブに伸ばした手を宙に置いたまま硬直させた。

 見れば、ドアが少し空いていた。中を覗くこともできない程度の小さな隙間。けれど二人の声を届かせるには十分な隙間だった。

「そう。ねえが大丈夫って言うなら、いいけど」

 イズミはどれだけ諭されようとも不安が消えないのだろう。ごにょごにょと言葉尻をすぼませながら何か言いたげだった。

「にいのこと、どうするの」

 ふいに出てきた自身の名に驚き俺は顔を上げた。そんなことをしたところで目に映るものがドアノブからドアに変わるだけなのに。

「どうするって?」

「言うの?」

「…………」

 沈黙が聞こえた。抽象的な問答で内容を理解することもできない俺は彼女らの表情を空想することもままならない。

 ウミの伺うような声が聞こえてくる。

「言うって?」

「ねえ、イズミわかってる。ねえはにいに言う気ない」

「…………」

 また沈黙が聞こえた。けれど今回はすぐに小さな吐息が聞こえてきた。

「イズミ、わかってたんだ」

「ねえのことならわかる」

 にへへと、自虐的な笑い声が聞こえた。その会話の意味するところは、やっぱりよくわからない。

「アオイに言っても仕方のないことだから、言わないよ」

「……そう、だけど」

 イズミは終始何か言いたげだった。何を言いたいのかはさっぱりわからないけれど。

「それにもし言わなきゃいけない時が来たら、その時は仕方ないから。だからその時までは言いたくないんだ。ミサキにもさっきお願いした」

「イズミもいたから知ってる。でもいいの? ねえはそれで」

「うん、いい」

 抽象的過ぎて、何を話しているのかわからない。ウミの体調不良の話だろうことだけは分かるけれど、なんだか読み取れない。

 俺は好奇心に駆られ、寝室のドアを小さく開ける。音が立たないよう慎重に。

「わかった。ねえがいいならイズミもいい」

 しかしどうやら話は終わりらしい。イズミがそう宣言するとウミは「ありがとう」とつぶやくように返した。それから、音が消える。

 眠ってしまうのかもしれない。

 そう理解した俺は今ならまだ間に合うだろうとドアを開け、寝室の二人におずおずと声をかける。ノックもせずに不躾に。それが失敗だった。

「体調、どうだ? なにかあったら――」

 そう投げかけた声は最後まで続くことはなかった。

 目にしたものがあまりに衝撃的で言葉を失ってしまった。

 ベッドの上。仰向けになったウミと、その上で馬乗りになっているイズミ。それだけならばここまでの驚愕は襲ってこなかっただろう。けれど今俺の目にしたものはそれだけのものではなかった。

 二人の顔はぶつかるほどに近づけられていた。いや、それどころかある場所は深くつながりあっていた。

 くっ付けられた唇。しかし互いのそれは閉じることはなく。まるでむさぼるように口を開け相手の唇に嚙みついていた。

 その当事者である二人はというと、見開いた眼を俺に向けている。

 ウミのほうは焦ったように、イズミのほうは何でもないことのように。

 俺はというと、同じく目を見開いてぽかんとしていた。

 見てはいけないものを見てしまった。すぐさまそう理解した。

 けれど踵を返すこともできずに固まってしまった俺は、今なお触れ合っている二人の唇をじっと見つめることしかできないでいた。

「あ、アオイ、こりぇわ――ん!」

 ウミが弁解しようと声を上げる。けれどイズミはそんなのお構いなしで姉の唇をむさぼった。

「ま、い、ズミ。待って!」

 必死に妹を押しのけようとするウミ。しかし馬乗りになったイズミはそれを許さずどんどん息を荒くする姉を蹂躙し続ける。

「っもう、待ってって言って――」

 必死に訴えるウミ。けれどイズミ止まる気配などない。それどころかもはやキスとすらいえないほどに唇をむさぼる始末。

 しかしその衝撃的な絵面のおかげで俺のほうは体が動くようになった。

 俺はあー、とうめくような声を上げてから踵を返す。

「悪い、邪魔した」

「待ってアオイ。違うの、待ってよぉ!」

 よほど余裕がないのか、振り向きざまに見たウミは俺に助けを求めるみたいに手を伸ばしていたが、あまりに衝撃的な映像を見せられた俺はその場にとどまることはできなかった。

 リビングに戻り、旅館の女将よろしく丁寧にドアを閉める。ごゆっくりなんて言えばよかっただろうか。なんて益体のないことを考えた。

 当然、すぐにドアの向こうからどたどたと足音が聞こえてきた。

「アオイ待って違うの!!」

 乱暴に開け放たれたドアの音に振り向けば、息を切らしながら俺に詰め寄ってくるウミの姿。慌てふためくという言葉がよく似合う揺れた瞳はすがるように俺を見上げている。

「いや、お前らが何してても俺が何か言うことでもないから弁解とかいいって」

 驚きはした。それこそ脳を鈍器で殴りつけられたかのような前例のないほどの衝撃を受けた。けれどだからと言ってそれに関して俺が口を挟む理由もないのだ。彼女たちは姉妹で、恋人ではないけれど代えがたいほどに思い合えることもわかっているから。

 衝撃はあったけれど、それで俺が妙な誤解やいらぬ気遣いをするつもりはない。異世界の文化はさっぱりだが、いうなれば外国の親愛表現なのだろうと納得できていた。

 だから焦りきったウミとは対照的に冷静なままだった。

「そうじゃなくてッ、普段はそういうことしなくて」

「いやだからいいって」

「するようになったのは一昨日からで」

「いやその説明いらないから」

「する時間もちゃんと決めてるのッ」

「それ言う必要ないよね?」

 誰が好き好んで他人の情事を事細かに知ろうというのか。いや二人は姉妹で、あくまで家族としての親愛であってそういった思いは抱えていないだろうが。

 そうであってくれと思いながら俺に縋りつく少女にため息を返す。

「姉妹でそういうことがあるとかそういうのも知らないし、異世界の常識も知らないから俺がお前たちに言うことは何もない。弁解なんていらないから落ち着け」

「あ、うん……。わかっ――」

 俺に引っ張られたのか、冷静さを取り戻しかけるウミ。けれど彼女は言葉を不自然に途切れさせると顔を青くしながら俺の顔を伺いみた。

「アオイ、聞いてた?」

 青い瞳は、先ほどよりも大きく揺れている。丸く見開かれ、けれど眉尻は不安げに下げられていた。

 何をそんなに怯えているのかと思いつつ俺は嘆息を返した。

「それに関しては悪かった。ウミの体調がどうか確認したかったんだ。それで二人が話してるのが聞こえたから邪魔しちゃ悪いと思って……」

「あ、えっと……」

 言ってるそばからウミの顔が青くなっていった。ただでさえ白い肌なのだ。キャンパスに描くようにはっきりと、その顔色の変化は見て取れた。

「ウミ? どうし――」

「大丈夫ッ」

 訝しんだ俺の声は慌てた彼女の声に遮られた。

「そんな大変なことじゃなくて、今はもう大丈夫なの。だからアオイ、その、私……」

「…………」

 要領を得ない彼女を俺はじっと見つめた。

 声を出すたびにしぼんでいくその態度と声音。泳ぐ目と落ち着きを失った手元。

 先ほどまでも彼女は弁解を試みていたのは確かだ。それは間違いない。けれど今の彼女の様子を見て俺は思った。

 今彼女は必死に弁解しようとしている。

 何を、という部分はさっぱりわからないけれどウミは必死に何かを訴えていた。

「ウミ」

「ッ、アオイ……?」

 名前を呼んだだけで彼女は肩を跳ねさせた。いたずらが見つかった子供というには危機感にあふれたそれはもはや無視できるものではなかった。

「一から全部説明してほしい。ウミが何を言いたいのかわからない」

「…………え?」

 けれど彼女の賢明さは、俺の問いかけのあとには残っていなかった。

 素っ頓狂な声を出したウミは、しばらく通信制限がかかったようにぎこちない動きをしていたが、少しすると小首をかしげてこう問いかけていた。

「聞いてたんじゃないの?」

 まるで一筋の光明を得たとばかりに顔色がよくなっていく居候娘に俺は溜息を返すほかない。

「聞いてはいたけど、何の話をしてるかまではわからなかった」

「そ、そっかぁ……」

 胸をなでおろすウミは笑顔を浮かべる。

 大団円とでも言いたいのだろう彼女に、俺は厳しい目を向けた。

「でも、お前が何かをごまかそうとしてたことはわかった」

 言った瞬間ウミの安堵に亀裂が入ったのが分かった。表情がはがれ、また伺うような瞳が俺に向けられる。

「ウミ正直に言え。何を隠してる?」

「あ、えっと……」

 詰め寄った俺から逃れようとウミは後ずさる。背後には今しがた彼女が開け放ったドアがある。今すぐに踵を返されれば簡単に逃げ切られてしまうだろう。

 俺は手を伸ばしそのドアを閉めた。

 ウミは肩越しに退路が断たれたことを理解し、それでも逃れようと彼女は後ずさり続ける。

「ウミ、今更ごまかしはいらない。お前が何か隠してることはわかってる」

「えっと」

 ドアを背にいよいよ後ずさることもできなくなったウミは俺を見上げ目を泳がせる。よほど焦っているのだろう。額をぶつけるほどに顔を近づけてみれば彼女は頬を上気させていた。

「ウミ、何を隠してる?」

「あ、えっとぉ……」

 どこかに助けを求めようとあたりを見回すが、助けてくれる人などいない。ドアの向こうに助けを求めれば妹が鬼の形相で駆けつけてくれるだろうが、視野の狭まったウミには目に見えるものしか考慮できないようだった。

「…………」

 推し量るように俺を見つめ、すぐに目をそらし、悩んでからまた見上げる。

「……ふぅー」

 そんなことを幾度となく繰り返し、やがてウミは覚悟を決めたとばかりに息を吐いた。

 ようやく話の全容を理解できるのかと思った俺は、頭突きでもするのかというほど近づけた顔を少しばかり離した。

「……体調、結構悪かった」

 ぽつりと、懺悔のように吐き出された言葉に俺は奥歯をかみしめた。そんなことだろうとはわかっていたものの、いざこうしてそう言われてしまうと悔やむことしかできない。

「今はもう平気だけど、一昨日はちょっと、辛かった」

 ぽつりぽつりと紡がれる言葉を聞くたびに罪悪感が重なっていく。

「ごめんアオイ。嘘つくつもりじゃなかった。でも、言えなかった」

 ごめん、とウミは俺の顔を覗き込みながらそう言った。

 俺が怒っていると感じたのか。それは確かに正しい。けれど、俺が怒っているのは彼女の不調に気付いてやれなかった自分に対してだ。

 出会った当初に感じたはずなのに。彼女は我慢が上手いと。自分が辛くとも相手を気遣える、気遣えてしまう。そんな歳不相応な女の子なのだとわかっていたはずなのに。

 ウミの言う平気、大丈夫という言葉を鵜呑みにしていた。

 言葉などいくらでも偽れてしまうのに、言葉こそが彼女の本心だと思い込んでいた。思いあがっていた。

 俺は冷静さを保つためにため息に似せた吐息を一つ吐き出す。

「辛い時くらい正直に言え」

「うん。ごめん」

 にへへはまだ見られない。ウミは今なお俺の顔を覗き込み、じっと何かを見定めているようだった。

 そんな顔を見せられてしまえば、俺のほうも口うるさく言えなくなってしまうではないか。

 反省してほしいわけでも、促そうとも思っていないがそれがこうも見て取れてしまえば文句など出てこなくなってしまう。

 俺は溜息を一つ吐き、けれど腹いせに彼女のフードを無理やりかぶせた。

 びへぅとわけのわからない音を出した彼女の姿を見て少しだけ心が晴れる。

「今はもう平気なんだな?」

「うん、触って?」

 言いながらウミは自身の短い髪をかき上げ額をさらす。前に触った時も発熱の気配は感じなかったが、俺は言われるがままにその額に手の平を当てる。

「にへへ。大丈夫でしょ?」

 緩んだ口元を見て興がそがれた俺は、いよいよ口にすべき言葉を失くしてしまった。

「さっさと寝ろ」

「にへへ。わかった」

 冷たく言い放った俺を見て嬉しそうに踵を返すウミを見送った。

 俺は自身の手の平に残った少女の熱を軽く振り払っておいた。


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