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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第五章 認めたくない現実
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見てはいけないその姿 4 

 マンションの廊下から駐車場を見下ろす。

 視線の先にはワゴン車。ついさっきまで俺が乗っていた店長の愛車だ。

 そのウィンカーの点滅する後姿を見ながら会釈をする。自転車を使うよりもかなり早く帰宅することができた。それはもちろん車だからということもあったけれど、もう一つ理由がある。

 運転中店長は何の迷いもなく車を走らせた。俺が道案内をしようとしても大丈夫だと言って。

『面接のときの履歴書に住所が書いてあったから案内されなくても平気よ』

 そうウィンクをかましながら言った店長は、本当に俺のナビを必要としないまま俺を送り届けて見せた。

 だてにこの町で長く暮らしていないといったところだろうか。頼りがいのある年長者に俺は何度も心の中で感謝を述べていた。

 そしてようやく、帰宅完了というタイミングでまたしても足止めを食らう羽目になった。

 まさに通り過ぎようとしたドアがその口を開けたのだ。

 俺はぶつかるわけにはいかずにその場でしばし足を止める。あと一つドアを過ぎるだけで帰宅できるというのにままならない。

 そう考えていると、小さく開いたドアがすぐにその口を閉じ始める。誰かが出てきたわけではないのかと半ば覗き込むような形で小さくなったドアの口を見た。

「あ、ここんばんは」

 そう焦ったように挨拶してきたのは赤髪の女の子だった。俺はもはや見慣れた黒いポンチョに身を包んだ彼女にワンテンポ遅れて挨拶を返す。

「こんにちは」

「あ、こんにちは。すみません、道塞いじゃったみたいで」

 髪よりもさらに赤い瞳をせわしなく動かしながら閉じかけだったドアを締め切る女の子。ウミと同い年だという彼女は、こうしてみるとウミよりもいくらか大人びて見える。

 目上の人、年上の相手には敬語で接する。そんな当たり前を彼女はこなしているからだろうか。そう思うと我が家の居候は二人してマナーがなっていないとつくづく思い知らされる。

「…………」

「…………」

 そう感心しては見たが、その実赤髪の女の子ミサキは大人びているというわけでもないらしい。挨拶を終えるなり、あたりは静寂に包まれてしまった。

 そうだ、彼女は確かにウミに比べればしっかりしているのかもしれないけれど、それはそれ、これはこれだ。

 ミサキは人見知りだという。ウミからそう聞かされただけではあったが、俺自身彼女と対面しているときはそう感じる瞬間が少なくない。理由がなければ会話を続けることもままならない彼女にとって敬語とは目上の相手に向けるものという以前に壁のある相手に対する言葉という意味合いが強いのかもしれない。

 それは俺も同じで、挨拶を終えて話すことも無くなったのならさっさとこの場を去ればいいのに、それじゃあまたの一言がすぐに出てこないせいで気まずさを感じる羽目になっている。

 二人して言葉を失い、かといってそのまま去るわけでもなくただ突っ立っている。

 彼女ともっと接していれば意味のない雑談の一つも出てくるものなのに、いかんせんウミやイズミと違い出会ってからほとんど会話をしていない彼女とは共通の話題も見つけられない。

「あの……」

 そう思っていると、ふいにミサキが声を上げた。

 俺はやや予想外のことに反応が遅れて、生返事を返すこともできずただ彼女に視線を向ける。

「ウミ、大丈夫ですか?」

「え、ああ」

 その言葉でミサキが今のウミの状況を知っていることに気付いた。

 それから俺は彼女が一人で部屋から出てきたことに今更ながらに気付きはたとする。

「もしかして、お見舞いに来るつもりだった?」

「……」

 こくりと控えめな頷きを返すミサキ。俺はそれからようやく根を生やしていた足を動かした。

「じゃあ上がって行って。風邪って程でもないし、そんな深刻なものでもないけど」

 言いながら、ならば数刻前の俺は何だったのかと心の中で茶々を入れた。

 我ながら間が抜けているというか、大げさというか。

 嘆息交じりの苦笑いを浮かべつつミサキの傍らを通り自分の部屋のカギを開けようとした。

「深刻なものじゃない?」

 ミサキのつぶやきが聞こえたのはその時だった。

 消え入りそうなほどの、囁くような声だった。けれど二人しかいない廊下で相手の声を聞き逃すはずもなく、俺は鍵をドアノブに差し込みながら頷く。

「うん。熱もなさそうだしたいしたことないと思う」

 言うたびに先ほどまでの自分の愚かしさが浮き彫りになる。あそこまで行くとパニック状態ということすらできる。

 いよいよ俺は恥ずかしくなってしまってドアノブをひねると早口に言った。

「でもお見舞い自体は多分喜ぶだろうから上がって行って」

「……はい」

 ミサキは眉根を寄せ、首をかしげながら促されるまま玄関で靴を脱ぐ。間取りは茜さんの部屋と同じなので寝室の場所まで案内する必要もない。

 けれどミサキは気を使っているのか俺が促すまでは部屋の奥へ行こうとはしなかった。

 俺もすぐに靴を脱ぎ、彼女を追い越し寝室へ向かう。そうするとようやく「お邪魔します」と小さく呟いた彼女は足を動かしだした。

「ウミ、ミサキがお見舞いに来てくれた」

 言いながら寝室を開ける。年頃の女の子のいる寝室なのだからノックの一つでもしろと、マナー違反だと怒られそうなものだがベッドの上にイズミと並んで腰かけていた短髪の彼女は顔をほころばせた。

「サキ、ありがとう」

「うん、何かできるわけでもないけど」

 言いながら、ミサキはどこか腑に落ちないと言いたげな表情をしていた。

 そんな顔をちらりと俺に向け、それからミサキは真剣な目をして問い掛けた。

「ウミ、あんた体調どうなの?」

「平気だよ」

 あっけらかんと言うウミは、確かにどこからどう見ても健康体にしか見えない。病に侵されているとも、あるいは心労を抱えているとも取れない無邪気な笑み。やはりにへへと言う声が似あう笑顔ではあるがそれは決して苦笑いのそれではなかった。

「…………」

 しかしミサキはよほど心配だったのか、じっとウミを見つめる。ウミの嘘を見逃すまいとするその鋭い視線にウミはにへへと笑みを返すばかりだ。

「本当に大丈夫。多分アオイの風邪少しもらっただけ」

「アオイさんの風邪?」

 そう言われた俺は居心地が悪くなった。

 確かにその通りで、おそらくどころかほぼ確定でウミが風邪をひいたのは俺に付き添ってくれたからだ。

 ウミが進んで看病してくれるというその範囲を超えて、俺がそばにいてほしいと我が儘を言ったからこうなってしまったのだ。

 だから俺は言い訳どころか言葉一つ発することができない。悪かったの一言さえも。

「そう、アオイ風邪ひいてて、それでうつるようなことしたから」

「うつるようなこと?」

 はてと首をかしげるミサキ。彼女に倣って俺も首をかしげていた。

 うつるようなことを何かしただろうか。確かに看病こそしてもらって、一緒にいてもらって、手も繋いだ記憶があるがそのことを言っているのだろうか。

 そう思いつつ天井を見上げていると、思いもよらぬ方向から声が上がった。

 ウミの傍ら、他二人と同じく黒いポンチョに身を包んだ長髪の少女がこんなことを言った。

「ねえ、にいとチューしたの?」

「ちゅ!?」

 声を上げたのはミサキだった。俺も驚愕に声を上げたいところだったがミサキのそれがあまりに大きな声で呆気に取られてしまった。

「うううううウミ!? あんたアオイさんとととそういう関係なの!?」

 顔どころか耳まで真っ赤にしたミサキに詰め寄られるウミは、否定もせずににへへと笑っていた。

 なので代わりに俺が説明役を買って出る。

「いや、そうじゃない。看病してもらって、ずっと一緒にいたからって意味だと思う」

「うん、そう」

 にへへを引っ込めることもせずに同調するウミに俺は溜息を吐く。

 何がそんなに面白いというのか。上機嫌に見えるウミはやはり体調不良だとは思えない。

「にい、ホント?」

 やけに大きく聞こえたイズミの声に驚いて彼女のいるはずのウミの傍らに目を向けるが、なぜかそこに最年少の彼女の姿はなかった。

 この一瞬で一体どこに消えたのか、そもそも今の声はどこから聞こえたのかと背中に寒いものを感じつつ恐る恐る自身の肩口を横目で確認する。

「……本当に」

 完全に俺の背後を取っていたイズミに恐ろしいものを感じて俺はすくみながら答えた。

 お姉ちゃん大好きなイズミは姉を奪いかねない相手には容赦しないのだろう。姉は自分の姉のままでいてほしい、ずっと一緒にいてほしい。そんな思いが常日頃から態度に表れているのだから今更疑う余地もない。

 俺は両手を上げ、降伏を宣言していた。

「そう、わかった」

 耳元に感じていた冷たい吐息が離れていくのを感じつつ、俺は胸をなでおろす。

 一瞬で背後を取るとはなんと迷いのない。どころかしゃがんでいるわけでもない俺の耳元にどうやって口を近づけていたのだろうか。俺の背にしがみついていたわけでもない彼女は背後で着地の音を響かせることもなくすたすたと自身の定位置である姉の側へ戻っていった。

 まだ若干顔の赤いミサキとにへへ顔のウミ。無表情だが何か恐ろしいものを感じさせるイズミがベッドの一角に集まる。

 そうしてしまうと俺はなんだか部外者みたいで一抹の寂しさを感じてしまうが、女の花園にずかずか踏み込んでいく気もない。俺はまだ早いが夕食の準備でも始めるかと踵を返そうとする。

「ウミ、熱はないよな?」

 最後にそれだけ確認しておこうと振り返ると、ウミは笑顔のまま頷いた。

「うん、大丈夫だと思う」

「思うじゃなくて。一応体温計使って測っとけ」

 俺が風邪をひいたときに店長から借りたもろもろのものはまだ部屋に残っている。なので俺の時のようにすぐに熱を測ることができないなどということもないのだ。

 しかしウミは何が不服なのか素直に頷かずに悩むようなそぶりを見せる。

 それから俺をちらりと見て、豆電球が脳天に浮かぶような顔をした。

 いったいなんだと思って眉をひそめていると、ベッドに腰かけていた彼女はやや早足に俺の前までやってくる。それから俺の手を取って、そのまま自分の額に当ててみせた。

「熱ないでしょ?」

「いや、わからないだろ」

 あからさまな高熱ならばいざ知らず、微熱程度ならば人間の感覚では正確に測ることなどできない。だから俺はちゃんと体温計を使えと伝えたつもりだったのだが、ウミはだらしない笑みを浮かべて俺の手の平を額にこすりつけた。

「熱ないから大丈夫。にへへ」

「……はぁ、わかった。俺晩飯作るから三人で仲良くな?」

「わかった、にへへ」

「にへへじゃないんだよ」

 こらえきれなかった文句が口をつくが、それでもウミはにへへと笑っていた。

 やっぱり熱があるのではないだろうか。こんなわけのわからない行動もそうだが、背後で目を見開いている二人を気にも留めないことといい周りが見えていない。

 よく見ればウミの顔もいつもに比べ紅い気もするし、これはいよいよ本気で看病するべきか。

 そんなことを思いながら、俺は溜息を吐いて寝室をあとにした。


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