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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第五章 認めたくない現実
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見てはいけないその姿 3

 明らかに一人が持っていく量としては過剰だったと思う。しかしあるに越したことはないと裏方班はみな目をキラキラさせながら迎えてくれた。

 これから実際に道具作りが始まる。そんな場面において俺は時間ばかりを気にかけていた。

 そんな俺にいち早く気付いたのは、やはりまとめ役の彼だった。

「島崎どうかしたのか?」

「ああ、いや」

 何でもない、と言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。何でもないと言ってしまえばもう望むことはできないだろう。だから俺は二度三度とため息にも似た深呼吸を繰り返しながら言った。

「悪い、今日帰ってもいいか?」

「え、いいけど、どうかしたのか?」

 反射的な言葉を鵜呑みにしてはいけないとわかってはいるけれど、反対されなかったことが俺の心をいくらか軽くした。

 俺はもはや染みついた嘘をすらすらと口にする。

「妹が風邪みたいで、今家で寝てるんだ」

 言うと周囲の視線が一斉に俺へと向いた。

 俺は驚き警戒する。やましいことなど何もないがいったい何を言われるのかと怯えてしまう。

 果たして飛んできた言葉は、問いだった。

「島崎妹居るんだな」

「ああ」

「実家に帰って看病するってことか」

「……まぁ」

 そういえば一人暮らししていることは話してしまっていたんだと今更気づきどきりとする。

 思ってもいなかったところで俺の嘘が露見してしまいそうになって内心穏やかではなかったが、俺は待つことしかできない。下手な弁解や言い訳は嘘が浮き上がってしまう。

 けれど、そんなものは杞憂だった。彼らは俺の真実を暴こうとなんてしていないのだから。

 まとめ役の彼は代表してみんなの意見を口にする。

「なら急いで帰ったほうがいい。親は仕事でいないんだろ?」

「まあ……。いない」

 説明するのはためらわれてあいまいな返事をするしかないが、彼は詮索するでもなく頷くと言った。

「なら帰ったほうがいい。まだ文化祭の準備も本腰入れるような時期じゃないし。まだ自由参加くらいのレベルだから」

 そうは言うが、ここにいるのは裏方班ほぼ全員。演技の練習をしているほかの班も含めれば部活やバイトで抜けている人員を除けば全員が集っている。

 そんな中、俺一人だけが早々に帰宅するというのは気が引ける話ではあったが、俺の気持ちとしては最初からそちら側に傾いていた。

 俺は手を止め立ち上がると裏方班のみんなを見回して言う。

「悪い、先に帰る」

「また明日」

 誰も文句など言わずに別れの挨拶を口にする。中にはさっさと帰れとばかりに手の甲で追い払うようなしぐさをしている生徒もいる。一番初めに俺の話に興味を示していたおとなしい男の子だ。

 俺はそんな彼らに心の中で頭を下げて早足に昇降口へ向かう。

 下駄箱で外履きを爪先に引っ掛けながら外へ出る。駐輪場につくまでの間、足の裏から離れていこうとする運動靴をじれったく思いながらもしゃがみこんで履きなおすことはしなかった。

 駐輪場の一角で頭を持たれるようにしていたぼろぼろの自転車のハンドルを握る。体重をかけるような形でサドルの下についているチェーンの番号を片手で合わせる。防犯意識などあったものではない俺は普段からチェーンのダイヤルを一つしか動かさない。

 だから俺は日頃染みついた癖の通りに人差し指でダイヤルを一つだけ回した。

 半ば力づくでチェーンを引き抜く。素直に解錠されていたそれを前のカゴに放り込んで、その上から学生カバンを突っ込んだ。

 それから良しとばかりに息を吐き、スタンドを蹴りいざ帰路につくという時だった。

「……え?」

 ガチャンという音が人のいない駐輪場でけたたましく鳴った。スタンドを蹴り上げた時の音ではない。今まさにタイヤを動かそうとしたその時に響いたものだった。

 それと同時にハンドルに伝わった振動。鈍いそれはほんの一瞬、けれどどうしようもない違和感として俺の体を硬直させた。

「…………」

 俺は自転車のハンドルを握ったまま数歩後ずさる。前向きに停車していたので結局はその動きをすることにはなったのだが、先ほどまでの勢いはかけらもなく恐る恐るだった。

 ガコ、ガチャ、と音がする。無論俺の引いている自転車からだ。

 俺はその音の発生源に目を向け、普段は押し返してくる圧力を伴っていたそれを指でつまんでみた。

「パンクしてる」

 出鼻をくじかれた俺は、雨除けのトタン屋根を見上げるしかなかった。

 歩いて帰るしかない。答えは考えるまでもなくすぐに出る。

 けれど、距離とかかる時間を考えてため息が漏れた。自転車で片道十五分。歩いて帰るとなればその倍は下らない。バイトの時に比べればはるかに早く帰ることができたが、それでもまだ時間が惜しいと感じた。

 そんな自身の胸中を改めて自覚して、俺はため息とともに脱力した。

「……なんで必死になってんだ?」

 時間がかかろうと帰ればいいだけの話だ。俺が早く帰宅したからと言ってウミの体調がよくなるわけじゃない。薬も店長からもらった分がまだ残っている。わざわざ買って帰らなければならないものだってない。俺が早々に帰宅する理由は、意味はないはずだ。

 けれど、胸の中にある焦りに似た何かはその熱を鎮めることはない。

 俺は自分に問いかける。

 俺が風邪をひいたときに看病してもらったからその恩返しがしたいのかと。

 いやそうじゃない。恩返しをしたいわけじゃない、そんな奉仕の心は持ち合わせてない。

 俺の風邪がうつってしまったのかもしれないという罪悪感が理由だろうか。それも違う。もし風邪をうつしてしまっていたのならとは思うけれど、それは今の俺の行動を説明する理由にはならなかった。

 俺はなんで早く帰りたいと思っているのか。

 それは何かむつかしい言葉を使わなければいけないものでもなくて、理由をわざわざ語らなければいけないようなことでもない。

 ああ、俺はただ――。

 彼女がつらい思いをしているのなら、そばにいてやりたい。そばにいたい。

 俺がたったそれだけのことで癒してもらえたから、恩返しなどと言うつもりはないけれど今度は俺のほうがそうありたいと思った。

 奉仕の精神ではない。どこまでいっても俺は自分勝手だ。相手がどうかなんて語ることはあっても、それはあくまで二の次。俺はただ俺のしたい事求めることに全力なだけ。

 俺はただそうしたいから、そのために全力なんだ。

 自身のことをいまさらながらにそう理解し嘆息する。随分と変わったものだなと。

 いや本質的には変わっていないのだろうけれど、それでも変わったと思う。

 どこがと言われても明確にここだとは言えないけれど、確かに俺の中の何かが変わった。変わっていた。そのことに今気づいた。

 俺は自転車のスタンドを立て、ハンドルから手を離す。

 自分を知ったことへの満足感に浸るつもりはない。今の俺のしたいことは早々に帰宅してウミのそばにいることだ。だから俺はカバンを掴んで踵を返す。

 死に物狂いで足を動かしたところで道半ばで体力が尽きるのは目に見えている。だから走ろうとは思わなかった。けれどのろのろ歩くつもりもない。俺は胸を打つ鼓動に合わせて歩を進める。少し踏み込めば走り出しそうな速度だ。

 これでも三十分はかかるだろうが、構わない。それ以上はどうやっても不可能なのだからこれでいい。

 俺は少しでも早くと思いながら駐輪場を後にして家路につこうとした、その時。

「アオちゃん?」

 耳なじみのある声にそう呼ばれ、俺は振り返る。俺の向かおうとしたのと真逆、職員室や事務室へと向かう際に使う道の先に彼はいた。

「店長? まだ帰ってなかったんですか?」

 そう問いかけると、彼は腰に手を当て歩み寄ってきた。

「今から戻るところだったのよ。そしたらアオちゃんが見えたから気になってね。これから買い出しかしら?」

「いや、今から帰るつもりで……」

 言って、俺はしまったと思った。

 しかし時すでに遅し、店長は首をかしげて問いを投げていた。

「どうかしたの? 急いでるみたいだけど」

 その問いに対して、俺は適当な回答を用意できなかった。

 ウミが風邪を引いた。そう答えることはできない。店長は俺が一人暮らしをしていることを知っている。実家と物理的にも精神的にも距離があることも。もしもウミの看病のためと口にしてしまうと矛盾が生まれてしまう。

 俺とウミが一緒に暮らしているという事実を隠し通せなくなってしまう。

 そう考えた俺は黙ることしかできない。

「アオちゃん?」

 様子のおかしい俺に店長は不安げに呼びかける。

 俺はしばらく視線をさまよわせてから、どうにか言葉を絞り出した。

「少し用事があって、今から帰るんです」

「…………」

 品定めするような視線だった。言葉を濁したのだ、そんな目つきにもなる。

 俺はそれから逃れようと半歩後ずさる。

「あの、少し急ぐのでいいですか?」

「自転車どうしたの?」

「パンクしたみたいで、歩いて帰ります」

「……そう。わかったわ」

 納得したという顔ではなかったが、ピリオドは打たれた。俺はほっと胸をなでおろし店長に背を向けようとした。

「送ってあげるわ」

 そんなときにそう言われたものだから、俺は素っ頓狂な声を上げそうになった。

 さび付いたゼンマイ人形のような動きで再び店長に向き直る。彼は得意げに笑っていた。

「急いでるんでしょ? なら送ってあげるわよ」

「……いいんですか?」

 尋ねると店長は歯をのぞかせた。

「いいわよ。それから、言いたくないことを無理に聞こうとしてごめんなさい。……無理に説明しなくていいわ、だからそんなに警戒しないで頂戴。悲しいわ」

 それほどまでに態度に出ていたということか。いやそうでないはずがない。

 俺は自らの胸中を隠そうとはしていなかった。事実を悟られること、矛盾を指摘されることを恐れていた。その恐れが態度に表れていたのだ。

「すみません」

 俺は頭を下げ、それから顔を上げ彼を見た。

 警戒心はもうにじみ出ることはない。今俺は彼に胸中のまま、赤裸々に接すると決めたから。

「お願いします。少し急いでるんです」

 思えば、この人にはずっと甘え続けていた。バイトが始まってからずっと今日まで。人当たりの悪い俺に、不器用なコミュニケーションしか取れない俺に。彼は店主としての義務感ではなく、一人の人間の意思で俺と向き合ってくれていた。

「ええ、じゃあ少し急いで帰りましょうか」

 そう微笑みを浮かべた店長は、やはり男女の中間という容姿ではあったが、確かに頼れる大人として俺の目にはとても大きく映った。


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