帰れない異世界人 2
「状況を整理すると。ウミはそもそも転移なんかするつもりなくてその師匠の本に書いてあった魔法をただ試しただけと。それでその魔法がなぜか異世界に転移する魔法で、そんな魔法を使ったのは初めてだから帰ることが出来ない」
「うん、そういうこと」
どうしよう、なんて言いたげな笑顔を浮かべ続けるウミは、彼女なりに事の重大さを理解しているらしい。
知らない土地、知らない世界。そんな場所に一人放り出されて楽観的でいる方がそれは異常だ。気分で言えば難破船にでも乗っているようなものだろう。帰れるかわからない、それどころかまともに生活していくだけのものが自身には備わっていない。身一つで知らない世界に放り出されてしまった彼女は、それは不安だろう。
「帰るための手立てとか、ないのか?」
腕組みしながら問う。一応こちらも真剣に考えるべきだろうと思った。
「うーんと。一応あるにはあるんだけど。ないかな」
「ん? どっちなの?」
俺がひょっとこみたいな顔で言えば、ウミは言いにくそうに笑った。
「あのね。師匠の本を読んで魔法を使ったって言ったでしょ? その本にはほかにも魔法陣が書いてあって、もしかしたらそれが帰るための魔法なのかもしれないの」
「おー、じゃあ別に問題は――」
「でもその本が、見当たらないんだ」
彼女はあくまで笑顔で、けれど万策尽きたみたいな顔をした。
「……探したのか?」
「うん。アオイが帰ってくるまでずっと探してた」
「それで、見つからなかったと」
「うん」
にへへ、なんて笑いながら言うが、笑い事ではないのだろう。ウミは強張った笑みを隠すみたいにパンをかじった。
「ちなみに、それが見つからないとどうなる?」
「どうもならないよ。今と同じ」
それはつまり、永遠に帰れないということだろう。あくまでウミは軽いトーンで口にするが、本当はそんな余裕などないのだろう。
ことは、思いのほか深刻だった。
「探したのは、寝室だけか?」
「え、うん。あとタンスとかそういうのは見てない」
「よし、なら今から大掃除だ」
宣言するとウミはきょとんと首を傾げた。
「掃除するの?」
「言い直す。大捜索だ」
そう言われてようやく意味が伝わったのか、ウミは目を見開いて不安げに言った。
「手伝ってくれるの?」
「当たり前だ。というかここ俺の部屋だから手伝わないって選択肢ないからな」
タンスには手を着けていないとウミは言った。きっと収納の類は勝手に開けてはいけないと思ったのだろう。この緊急時にそんな気遣いなど無用なのだが、それは彼女が常識のある女の子だということだろう。そもそも常識のある人は不法侵入などしないだろうが、それは事故のようなものだ。掘り返すことでもない。何より俺に実害は今のところない。
ならば、手伝わない理由は無かった。いつまでも入り浸られるのはそれはそれで困る。貧乏学生は自分のことで手いっぱいで、女の子一人養うなんてとてもじゃないが無理だ。正直今日のパン屋での出費だってそれなりに堪えている。
いつまでも帰れないからと入り浸られるくらいならば、手伝って早々に帰還してもらう方がこちらとしても都合がいい。
感情的な面で言えばウミを介することに不満はないが、現実問題そうもいかないのだ。
「クローゼットとか全部開けていいし、キッチンでもどこでも探していい。多分ウミは悪いことはしないだろうしな」
昨日今日とウミを見て思った。彼女は悪いことはしない。
純真なその瞳は、悪意を内包するには透き通り過ぎているし、あどけない表情も何かを隠すには不足だ。何より彼女は俺に世話になっている。迷惑をかけているという自覚がある。
買ってきたパンを手に取るときにわざわざいいのかと確認し直すのだって、自身が危機的状況にあるのに捜索の手を緩めるのだって、昨夜服を脱げと宣った俺に恥じらいながらも応じたのだって、彼女が純真である裏付けだった。
ウミは悪いことはしない。少なくとも意識的に悪事を働くことは絶対にしないだろう。
だから俺はウミにそう告げ、膝に手を着いて立ち上がる。
「じゃあとりあえず、探してみるか」
「……うん」
遅れてウミも立ち上がり、頷く。その真っ白な笑顔がまぶしくて、俺は自分の汚れ具合いをひしひしと感じて目を逸らす。
「とりあえずは寝室からか? ウミが出てきたのってそうだったよな?」
「うん」
二人して寝室のドアを開き中に入る。そこは見慣れたベッドだけがぽつんとある部屋。フローリングもむき出しで、引っ越しの準備でもしているみたいなそんな部屋。
「ちなみにどの辺に出てきたとか覚えてる?」
「ここ」
尋ねればウミはベッドの横のフローリングに立つ。それから四つん這いになって俺を見上げる。
「こうやって出てきた」
それは、そうやって魔法を使ったということだろうか。昨日も魔法を使うときは魔法陣に手を着いていたし、そういうことなのかもしれない。
俺はウミに近づき彼女の周辺をぐるりと回り、ベッドの下をのぞき込む。
「そこは無かったよ」
「まあ、そう簡単には見つからないよな」
俺が確認する前にウミが言ったが、一応自分の目でも確認する。ウミの言う通り、ベッドの下には埃が溜まっているだけで何もなさそうだった。スマホのライトで照らしてみるが、やはり何も見当たらない。
「じゃあクローゼットとか全部ひっくり返してみるか」
幸い俺は私物が少ない。というか生活必需品を最低限しかもっていない。
ミニマリスト、とか呼ばれる類のものではなく単に金銭的な余裕がなくて物が少ないだけなのだが、もし仮に余裕があったとしても物が散らかるような部屋にはなっていないだろう。
元々物欲があまりないので、どうしたってこざっぱりとしてしまう。
やや虚しい部屋であることに変わりはないが、そのおかげでこういった探し物は楽なので言うことは無い。どこに何を置いたのか、なんてわざわざ思い出さずとも大抵はローテーブルの上にぽつんと置いてあるのだから。
そんなことを思っていると天啓が降ってきた。
「あ、そうだウミ。物探しの魔法とかないのか?」
ウミは魔法がつかえる。ならばそんな便利な魔法もつかえるのではないかと。
ウミはフローリングの上に鳶座りをして俺を見上げる。
「そんな便利な魔法ないよ。アオイがつかえるなら使ってほしい」
「俺は魔法使いではないんだが。案外魔法って便利じゃないのか?」
「便利……。うーん、普通?」
「普通の基準は人それぞれなんだよなぁ」
誰かにとってのあたりまえが、みんなにとってのあたりまえとは限らない。
例えば俺が今十七で高校に通うことが当たり前だとしても、同じ十七歳でも学校に通わない人もいる。そういう違い。
「でもまあ、ないのか。じゃあ手作業しかないよな」
俺が落胆気味に言えば、ウミはコクリと頷く。
ウミはやる気なようで、俺も覚悟を決めて再び宣言する。
「じゃあ、ひっくり返すか」
ウミはまた頷いて、それを合図に二人で寝室の中をごちゃごちゃにした。
クローゼットの中を引っ張り出して、ベッドは一応動かして。それでも見つからないからリビングに出てクッションを捲ったり、キッチンの棚をのぞき込んだり、はたまた浴室の湯舟を睨んだりした。
けれど目当てのものは見つからず、いよいよお手上げかと思ったころにウミがぼそりと言った。
「もしかしたら、人しか転移しないのかも」
「…………そういうもんなのか?」
「わかんない。普通転移って言ったら物を運ぶものだから、そもそも人につかえるっていう方がおかしいんだけど」
「なんか制限がいろいろあんのか」
魔法のことなどさっぱりわからないが、適当に相槌を打つ。
「もしかしたらそうかもってこと。でも、そうなったら師匠の本は一緒に来てないってことになるんだよね」
「となると、自力で帰るのは不可能ってことか」
「んー、迎えに来てもらえるのを待たなきゃかな」
「……それって可能性としてはどれくらい?」
まったく期待のこもっていない声で言うから、俺は嫌な予感がして問う。
「わかんない。異世界に転移する魔法なんて聞いたことないし。って言うか多分だけど、師匠しか知らない魔法なんだと思う。その魔法が書いてあった本師匠が書いたみたいだし、蔵に大切にしまわれてたから」
「お師匠様が助けに来てくれることを願うしかないってことか。……って言うか今なんて言った? 大切にしまわれてた本? それ禁術的なやつなのでは?」
「え、そんなことないと思うよ。わかんないけど」
「いや、それ絶対使っちゃいけない魔法が記されてる系の奴だろ。え、なんでそんな本持ってたの?」
「師匠の蔵から持ってきた」
「許可が出るもんなのか」
「………………にへへ」
「おいお前まさか向こうの世界ではかなりの問題児か? 忍び込んで盗んできたのか?」
青い顔をしながら言うが、ウミはもう何も答えない。ただにへへなんて笑ってはぐらかすだけだ。
どうやらウミはかなりの問題児らしい。
人の大切な本を盗み出すなんてことを平然とやってのけるだなんて、彼女へ向けていた信頼がひと息に瓦解してしまう。いや、信頼というよりは一方的に抱いていた期待という方が正しいか。
しかし何にせよ、自力で帰るのは不可能、ということらしい。
助けが来るのを待つほかなく、それまではこちらの世界でどうにか生き延びなくてはならない。となると、今後の俺の身の振り方だが、さてどうしたものか。
なんて理性と感情の喧嘩を鎮静化させようとしていると、ウミがどこまでも他人事のようにこぼした。
「あー、でも自分で帰るための魔法作ればいいのかも」
「そんなことできるの?」
「うーん、師匠と同じくらい天才なら」
「おぬし問題児では?」
理解していないの? だから問題児なの? なんて思いながら目を丸くすれば、ウミは勝気な笑みを浮かべた。
「私、優秀って言われてるんだよ。よく褒められるし」
「問題行動は起こすけど魔法の才能はあるみたいなやつ? 一番たち悪いな」
ぼそぼそと小声で言う俺をウミは気にしたそぶりもなくにこりと笑う。
「うん。よく師匠に首輪掛けてないといけないって言われるから」
「それ褒められてないよね?」
どうやら、大人しく助けが来るのを待つほかないらしい。
俺は笑顔を絶やさない少女に嘆息しながらも、微笑むような心持ちでいた。