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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第五章 認めたくない現実
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いつからか無くなった飾り 3

「ってことで、文化祭の準備で段ボールとかが欲しいんですけど、もらえたりしませんか?」

 その日の夕方。勤務時間終わりに俺は店長に件の話をしてみた。

 思い立ったが吉日、というわけでもないがひと月後に控えていた文化祭を思えば早いに越したことはない。

 経緯の説明を終えると、バックヤードの椅子に座って思案顔をしていた店長はふっと頬をほころばせた。

「好きなだけ持っていきなさい。って言ってもそんなにないわよ。商品の仕入れは大体コンテナになっちゃったから」

 大柄な男性は、妙にくねついた動作でウィンクをかます。夕食がおいしく頂けなくなる呪いが込められているのでそれを眼前で叩き落とし首肯。

「ありがとうございます」

 言い終わると同時、俺はロッカーに引っ込む。そそくさと着替えようとし、念のため手の平をはたいて悪いものを落としておく。

 着替えを早々と済ませると俺は学生カバンを肩にかけ、いつも段ボールを積んである裏口へと向かうべくロッカーをぱたりと閉めた。

「……そういえば」

 ふと思ってその場から数歩後ずさる。それから一番奥のロッカーをちらりと見やれば、壁とロッカーの隙間から薄い板のようなものが出ているのが見て取れた。

 近寄って行って、指でなぞる。埃をかぶっているそれは取り出すまでもなくベニヤだとわかった。それも一枚ではなく四枚。全容が確認できるわけではないが一枚当たり一メートル四方はありそうで、今の俺からすればそれはお宝のようなものだった。

 随分と前からこれの存在には気付いていた。殺風景なロッカールームの唯一の装飾品とすら呼べる代物だ、気にならないことのほうがおかしい。

 倉庫代わりに使われているというわけでもない殺風景な程に整頓されているロッカールームで、それは確かに存在感を放っていた。

「あの店長。ロッカールームにあるベニヤっていらないんですか?」

 休憩室として使われているバックヤードに戻るなりそう問いかければ、店長はしかし黙りこくったままじっとテーブルの上を見つめていた。

「……店長」

 嘆息交じりに呼びかける。しかし依然彼は顔を上げることもせずに真剣な面持ちでそれを見つめていた。

 俺はこのままではらちが明かないと思い、店長の目の前に手の平を広げ存在を主張した。

「店長、パズルに熱中してないで仕事してくださいよ」

「んー、大丈夫よ。次の子がもう入ってくれてるから」

 言いながら店内のほうを指し示す店長。ちらりと覗き見れば閉められていないドアの向こうでは時たま見かける遅番の女子大生の姿が見て取れた。

「いや、そういう問題じゃなくてですね……。ロミジュリですか」

 つらつらと文句を並べる予定だったのだが、不意に目に入ったできかけのパズルに気を取られてしまった。

 話題が自身の手元に移ったからか、彼はようやく顔を上げる。

「そうよ、こういう誰でも知ってるものはパズルになりやすいのよ」

 人気のアニメとかもそうね、と語るその瞳には幼子の好奇心に似た輝きが見て取れた。

 いったい彼は幾つだと小言を溢しそうにもなるが、俺とてここに長居するのは本意ではない。

 あのマンションの一室で俺の帰りを待つ二人を思って矢継ぎ早に言う。

「それで、ロッカーのところにあるベニヤなんですけど、もらえたりしませんか?」

「ベニヤ?」

 オウム返しをしながら店長は天井に目を配る。それから一つ二つと息を吐く間をおいてからはたと思い出したように彼は呟いた。

「……あぁ、あれのことね」

 その瞳には、なぜだかとても暖かいものを感じた。

 それがいったい何なのかはわからないが、妙な切なさを感じてしまった俺は押し黙ってしまう。代わりに、店長が言葉を続けた。

「どうしてベニヤが必要なのかしら?」

「いや、さっき説明したんですけどね」

 もしやさっき俺が話をしている間もパズルにばかり気を取られていたのだろうか。嘆息気味に漏らしつつ、俺は再び事の経緯を説明する。

「文化祭で劇をやることになって、段ボールとかそういう小道具とかに使えそうな材料をいま集めてるんですよ」

「あら、アオちゃん演劇なんてするの。あたし見に行っちゃおうかしらぁ」

「裏方なので俺は出ません」

 きっぱりと言い切ると店長は「そんなぁ」なんて鳴きまねをした。似合わないうえに気持ち悪いので目も当てられない。

「っていうか部外者が来て楽しいものでもないですよ。受験を控えた中学生とか、あとは在校生の保護者とかそういう人が来るものでしょ」

「あら、じゃああたしもアオちゃんの保護者として行くわぁ」

「いや、まあ来たいなら止めませんけど」

 中にはチケット制で、保護者や関係者各位しか入場できないようにしている文化祭もあると聞くが、俺の通う学校はその辺は開放的で知ってさえいれば来るもの拒まずだ。どれだけ部外者だろうが入場を断られるようなことはない。

 彼が保護者というのは受け入れがたい話だが、観客がいるとなればこちらとしてもやってやろうという気概も沸いてくる。裏方なのでステージに立つことはないがそれはそれとして。

「それで演目は何をやるの?」

「それです」

 ぴっと指をさせば、店長はその先を辿って微笑んだ。

「演劇といえば、ってところかしら」

「そうなんですけど、まあちょっと普通とは違うのでその辺は覚悟してもらえると」

 主にジュリエットがボディビルダーという点において。

 苦笑交じりにごにょごにょと言う俺を見つめる店長は、頬笑みをたたえたまま言う。

「いいじゃない。普通に、なんてつまらないものよ。学生ならなおのことはっちゃけなきゃ」

 きゃぴるん、とまたしてもウィンクを決める成人男性。そろそろ年を考えてほしいところではあるが、俺は彼の人生においてモブキャラみたいなものなので知らぬ存ぜぬでまかり通そう。

 ツッコミも放棄し「まあそうですね」と雑に同調すれば、彼はそれがえらく気に入ったのか体ごとこちらに向き直った。

「それで、日程はいつなの?」

「十一月の第一土日です」

「もう一か月切ってるのね」

「修学旅行とかありましたので」

 言うと店長は、痛々しいものを見るように「そうだったわね」とこぼした。

 俺としては同情や憐れみを向けてほしかったわけではなかったので、しまったと思った。

 店長は俺の事情に最も詳しい人物といって差し支えないだろう。一人暮らしをしていること、実の家族を頼ることに抵抗があるということ。どこまでも子供っぽく学生らしさに憧れを抱いていること、普通の生活に焦がれていたこと。

 その辺の俺の胸中を彼はよく知っているから、今回の修学旅行の一件で俺がそれなりに心に傷を残していると思っているのだ。そんな気遣いなど不要だというのに。

 もちろん修学旅行に行けなかったことはとても悔しいと思ってはいるが、それはもう過ぎたことで仕方のないことだ。今更そのことについてああだこうだと文句を口にするつもりもない。

 それよりも今は先の話のほうが重要だった。

 俺は店長の余計な気遣いを跳ねのけ、苦笑交じりに言う。

「とにかく、ロッカールームにあるベニヤ、もしよければもらえたりしませんか?」

 ようやく本題に戻り、まっすぐに彼の目を見る。座ったままの彼を見下ろすような形だが、不思議と見下ろしているという感じはしない。それどころか今は低い位置にあるはずの彼の体が妙に大きく見えた。

「楽しめそうなのね」

 それは先ほどまでのふざけた調子が鳴りを潜めたからだろうか。暖かな微笑みのせいだろうか。確かに彼は俺の保護者とおふざけ半分に口にできるくらいには俺の面倒をよく見てくれていた。

 どちらともわからないが、俺はむず痒いものを感じながら彼の返答を待った。

 果たして彼は、その暖かな微笑みを崩すことはなく、けれど少しだけ声を落として言った。

「ごめんなさい。あれはあげられないわ。あれは私にとって、確かにもう必要ないものだけど、大切なものなの」

「はぁ……。なるほど」

 彼の言い回しが紛らわしくて、呆けた声を上げてしまった。

 しかし結論だけははっきりしていたので俺は一度頭を下げた。

「いや、もらえなければそれで大丈夫です。段ボールはもらって平気なんですよね?」

「そっちはいくらでも持っていってちょうだい」

「じゃあそれは遠慮なく」

 言って、話も切り上げ時かと思いカバンを背負いなおした。

 二人が待っている早く帰らなければと、半ば義務感のようなものを感じつつ踵を返そうとする。

 しかしそんな俺を店長が呼び止めた。

「今から持って帰るのかしら?」

 一瞬何のことかと思ったがすぐに段ボールのことだと気づいた。

「え、ああ、そうですね。そうしようかと」

「そんなに量持っていけないんじゃないの? それとも少しで足りそうなの?」

「いや、まあ多いに越したことはないですけど」

 実際問題どれくらい必要なのかはわからない。演目に必要な小道具はわかっているが、いかんせん各々がどれだけ資材を集めてこられるかにかかっている。俺のようにバイト先にかけあうことのできる人間ならまだしも、家から持ってこようとする人なんかは思うようにいかないかもしれない。

「そう、じゃあ明日学校が終わったらうちに来なさい」

「明日はバイト休みですけど」

「そんなことわかってるわ。そうじゃなくて、車に積んで持って行ってあげるってことよ」

「え、マジですか」

 目を見開く俺に店長は「マジよマジ」と胸を張る。その主張する大胸筋は健のそれに比べればささやかなものだが、常人と比べればそれはそれはたくましいものだった。

 そんな男らしい体つきの彼は、ちぐはぐな女言葉でもって続ける。

「それくらいはしてあげるわ。それに少し心当たりがあるからそこにも掛け合ってあげるわ」

「え、いやそんなにしてもらう必要は――」

「あたしがしたくてするからいいのよ」

 食い気味にそういわれてしまえば、俺としても二の句が継げなくなってしまう。

 それにありがたい申し出ではあったので、素直に甘えることにした。

「じゃあ、お願いします。十六時過ぎくらいに来ますので」

「わかったわ。パズル完成させて待ってるわ」

「いや、普通に仕事しててくださいよ」

 嘆息気味にそういってはみるが、宣言通り本当にパズルをやっているのだろうことは容易に想像できてしまって俺はそれ以上口うるさくいうのを止めた。

「じゃあ、お先に失礼します。明日お願いします」

「任せなさい」

 頬杖をつきながら立てた人差し指で口元をなぞるその姿はあまり直視したいものでもなかったので、俺は足早にその場を後にした。


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