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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第四章 あれもこれもと手を伸ばす
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花も折らず実も取らず 4

 イズミと話すことができたことで緊張の糸が完全に切れたらしい。

 ウミが帰ってきてからというもの、俺はベッドの上で荒い息を繰り返していた。

「アオイ、どう?」

 ベッドのすぐ横で膝立ちになったウミが不安げに俺の顔を覗き込む。

「思ったより辛い。ただの風邪ならいいんだけど」

 ベッドに座った俺は自身の脇に差し込まれた体温計に目を落としながらそう答えた。

 コンビニから帰ってきたウミはその手に大量の荷物を持っていた。

 どうやらそれらは事情を知った店長が持たせてくれたものらしく、コンビニではそろわないようなものまで詰め込まれていて、今俺が使っている体温計もその一つだ。

 財布に入っていた金額を覚えてはいなかったが、話を聞くにどうやら一銭も払ってはいないらしい。ドラッグストアで売られているような冷却シートや開封済みの風邪薬など、店長の私物、あるいは店の救急箱の中身を持たせてくれたようで、ウミは店長からの言付けとともにそれを俺に突き出してきた。

『体温計だってまともに持ってないでしょ。必要そうな物一式上げるからしっかり治しなさい』

 ウミがそんな口調でしゃべったのには吹き出しかけたが、その店長の気遣いはありがたいうえに的を射ていた。

 風邪をひくことなんて想定していなかった俺はこの部屋に越してからというもの医療用品を何一つそろえずに暮らしてきた。朝一で体温を測らなかったのは意地でも修学旅行に行こうとしていたというのも理由の一つだが、もう一つの理由として体温計を持っていなかったというのも挙げられた。

 当然市販薬の買い置きなど存在するはずもない。そんなものを買うくらいなら食費に回す。朝の七時からやっている病院の心当たりもなければそもそも病院に行くつもりなどさらさらなかった俺は、顔も見えない彼に深々と頭を下げる他なかった。

 これはただの風邪なのだろうかと疑問を抱きつつベッドの上で胡坐をかいて体温計の呼びかけを待つ。覗き込みたい衝動に駆られるが、不用意に動かすと正確な数値を測ることができない可能性を考えジッと待ち続ける。

「ウミ、うつすといけないからリビングにいろ」

「でもアオイ辛そうだし」

「だからうつしたら大変だろ。あんま近寄るな」

 イズミと違いウミは鼻が触れ合うほどの距離まで顔を近づけてくることはないが、指先を少し揺らすだけで触れるくらいの距離にはいるのだ。うつしてもおかしくない。

 熱にうなされているせいもあってやや強めに言っては見たものの、ウミは不安そうに俺の顔を覗き込むばかり。寝室を出ようという意思は感じられなかった。

「ウミ、病人が増えると金が余計にかかる。リビングにいてくれ」

「……わかった」

 卑怯な言い回しだと自覚しながらも苦虫を嚙み潰す思いで口にする。

 当然というべきか、思惑通りというべきか。ウミはしぶしぶといった様子で頷き立ち上がる。

「悪いな。すぐ治すから」

 そう言いつつも、自身の体の状況を鑑みて難しいと感じてしまった。

 どうにか会話することはできる。けれど俺の体は呼吸の仕方も忘れてしまったのか時たま猛烈に息苦しくなる。そしてそのたび脳みそが活動を停止しかけ目の前が真っ白になってしまう。

 真夏の太陽を見上げた時のような明滅が平衡感覚を狂わせ。次の瞬間にはあお向けに倒れこんでしまいそうになる。

 とてもただの風邪だとは思えなかった。もっと重大な何かのような気がする。それは例えばインフルエンザといったもののような。

「……ん」

 しかし、体温計の呼びかけに気づき表示されたそれを確認してみれば思い過ごしだと気づかされる。

「三十七度四分?」

 うまく測れなかったのかと思い今一度体温計を脇に差し治す。しかし再び電子音の呼びかけに応じ確認してみれば同じような数字が表示されていた。

 高熱ではないから重篤ではないというわけではないだろうが、それにしたって微熱というものはこんなにも辛いものだっただろうか。

 古い記憶を呼び起こそうとして、はたと気づく。

 体調不良は俺の短い人生で初めてのことだった。

 物心つく前のことまではわからないが、覚えている限り俺は体調を崩したことはなかった。

 そのためいくら過去を回想しても療養時の苦痛など出てくるはずもない。

 比較対象のない俺は、これが果たして通常の風邪の症状と言ってしまっていいのか判断がつかなかった。

「アオイ」

 腕を組む俺の耳に心配そうな声が届く。見ればドアの前にウミが立っている。

「まだいたのか。なんだ?」

「病院行かないの?」

「……行くつもりはない」

「どうして?」

「金がかかるから」

 さすがに保険証を持っていないなどと言うことはなかったが、それでも病院に行くことははばかられた。たった一度の診察でどれだけ金がとられるか分からなかったからだ。

 ウミは不安げに続ける。

「行ったほうがいいよ」

「そんな大げさな話じゃない」

「でもアオイ辛そうだよ」

「風邪をひくのが初めてで混乱してるだけだ」

「なら行こう?」

「だから平気だって」

「行ってよ」

 ふいに声音が変わってはっとした。慌ててウミの顔を伺えば、その瞳には薄く鋭い何かが携えられていた。

 驚いた俺は間抜けなことに、姉妹らしいところもあるものだなと思っていた。

 髪と瞳の色こそそっくりな二人だが、性格面や表情の作り方なんかはまるで似ていなかったから、そんな一面を見て妙に感心してしまう。

 この場合、姉が妹に似ていると感じているのでちぐはぐにも思うが。

「わかったよ。あんまり辛かったらな」

 そんな目で見つめられてしまえば、俺は折れる他なかった。イズミと近頃ぎくしゃくしていたせいでそういった目にめっぽう弱かった。

「そうして」

 ウミは不貞腐れながらも頷きドアノブに手をかける。

 俺の言った通り寝室から出ていこうとしているらしい。

「……ウミ、ちょっと待ってくれ」

 そんな従順で都合のいい彼女を俺は呼び止めた。

「なに?」

 唇を尖らせたまま振り返った彼女を見て、俺は一瞬呆けてしまった。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに用件をひねり出して伝える。

「あー店長にもらった風邪薬持ってきてくれ、あと水を一杯持ってきてほしい」

 真面目なお願いだと悟ってくれたウミは怒りを引っ込め小首をかしげる。

「薬って、どれ持ってくればいい?」

「何種類かあったっけか。とりあえず全部持ってきてくれ」

「わかった」

 言いながらドアノブをひねったウミはその向こう側へ向かう。後ろ手に閉められたそれを見ながら帰りを待つ。

 急に静かになった、と感じた。静寂が耳障りだった。

 七時を回って近所の生活音くらい聞こえてきそうなものなのに、何も聞こえてこない。試しに俺の体温を抱えていた布団をバサッとめくってみるが、耳がおかしくなったわけではないらしい。衣擦れの音も耳に届く。

 それが少し癪に触って俺は大げさに息を吐いてみた。

 それと同時にドアノブをひねる音が聞こえる。

 俺はその音に過剰に反応した自分が恥ずかしくて小さく息を吐いた。

「アオイ、辛いなら寝転がったほうがいい」

「薬飲んだらな」

 言いながらウミからレジ袋を受け取り中身を物色する。市販薬の知識なんてまるでないが、貧乏性な俺は風邪薬と記されたものの中から開封済みかつ最も量の少ないものに手を付けた。

 記載された用法に従って瓶の中から二粒取り出し口へ放り込む。

 カプセル式でない為何とも言えない味が下の上に広がる。それを早くどうにかしたかった俺は顔を顰めながらウミに手を伸ばす。意図を汲んでくれた少女はプラスチックのコップを手渡してくれたので、その中身を一気に喉へと流し込んだ。

 錠剤が喉の奥を通る何とも言えない異物感に悶えつつ飲み干すと、よくわからない達成感からふうと息を吐き出してしまった。

「おいしくなさそう」

「良薬口に苦しって言うからな」

 適当に返しながら空になったコップをウミに突き出す。

 彼女はそれを受け取ってから今一度問いかけた。

「病院行く?」

「まだ時間的にやってないから、一回寝る」

「わかった」

 もしかしたら寝て起きればケロッとしているかもしれない。そんな期待から俺は布団をかぶった。秋口になったとはいえ首元まですっぽりと入ってしまうと少し寝苦しい。

「ごはんとかは私が作るからアオイはちゃんと治して」

「ああ。悪い、頼む」

「ううん。もともとアオイ、シュウガクリョコウでいないって話だったから平気」

 言われてみればそうだ。数日間家とイズミのことは任せきりになる予定だったのだ。心構えくらいはとうにできていたのだろう。

 俺の膝上に転がったビニール袋を指に引っ掛け、ウミが背を向ける。

「何かしてほしいことあったら言って」

「うつらないようにあんまり近づくな、くらいだな」

「そう言われる気がした」

 にへへと苦笑気味に言ったウミはそのままリビングへ向かおうとする。俺はその背中を、じっと見ている。

「じゃあおやすみ、アオイ。ちゃんと寝てね」

 彼女がそう言いながらドアノブをひねってからも。

「ああ、おやすみ」

 俺の返事に微笑んでドアをくぐってからも。

 俺はじっと見えなくなった彼女の背中を場所を見つめていた。


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