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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第四章 あれもこれもと手を伸ばす
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少女の視線に頭を抱える 3

「ウミ、お前元いた世界で気持ちを利用されたことあるのか?」

 先日に倣い夕食時ではなくイズミがリビングにいない就寝前。

 寝室から現れたウミを呼び止める形で声をかければ、彼女は首をかしげながら俺の目の前にちょこんと座った。

 敷布団の上。胡坐をかいた俺ととんび座りのウミ。

 見れば彼女の髪はまだ濡れている。雫が滴るというほどではないが、風呂上がりだということを実感させてくるその艶やかさを見て、俺は猛烈に今の状況を改善しなければならないと思い始める。

 しかし十四の女の子にその誤解されかねない状況を察せというのは無理があったのか、彼女は髪の毛の先をいじりながらこてんと首を傾げた。

「いきなりどうしたの?」

「いや、少し気になってな」

 ちらりと寝室のほうへ目を向ける。もしイズミがこの状況を見たらあらぬ誤解をされるのではないか、という恐れがあった。

 それこそ十歳の女の子にそんな誤解をするだけの知識があるとも思えなかったが、姉を取られてしまうのではという危機感から俺をさらに鋭く睨むようなことは容易に想像できた。

 幸い、イズミが顔を覗かせる気配はない。しかしそれも長くは続かないだろう。

 あまり長い間ウミを呼び止めればきっとイズミは様子を伺いに来る。

 ならばと俺は早々に話をしてしまおうと口を開きかけた。

「イズミとまた何か話した?」

 しかしそれより先にウミがそう問いかけてくる。じっと俺の目を見つめた青い瞳は俺の視線をたどって寝室へとむけられる。

「まあ、そうだな」

 頷きながら、やや呆れたように息を吐いたイズミは言う。

「まだ仲直りできてないの?」

「別に喧嘩したわけでもないんだが」

「喧嘩してるようなものだよ」

 ぴしゃりと言われて俺は頬を掻くしかなかった。

「アオイ、イズミに何したの?」

「わからん」

 心当たりがないとまでは言わないが、わからないというほかなかった。

 イズミが何に対して怒っているのかがいまいちわからない。言葉数の少ないあの子から少しずつ情報を得て理解しようとはしているものの、彼女は多くを語らないため進捗は悪い。

 だからこの一週間刃物のような視線を甘んじて受け入れていたのだ。

「イズミがあんなに怒ることって今までなかったよ?」

「やっぱ怒ってるんだよな」

「そうだよ。何したの?」

 優しく諭すように問いかけてくるウミ。その姿は姉という言葉がぴたりとあてはまって、俺のほうが年上のはずなのに甘えてしまいそうになる妙な引力があった。

 頭を掻き、ため息を一つ。

「俺が家を空けるって言ったのが気に入らないらしい」

「…………それで怒ったりしないと思うよ」

「あと、俺がウミにしたことが気に入らないらしい」

「アオイ私に何かしたの?」

「したらしい」

「曖昧で分かんないよアオイ」

 泣き言を言いたいのは俺のほうだった。これでも二人の異世界人を居候させる身としてそれなりの責任感は持って過ごしてきたはずだった。自分の立場を鼻にかけ二人に対して横暴な態度をとった覚えもなければ、逆に無視を決め込んだ覚えもない。

 にぎやかとまではいかなくとも、かりそめの家族としては及第点をあげられる程度には良好な関係を築いていたと思っていたのだ。

 だというのにここ数日のイズミの態度の変化を目の当たりにしてしまえば傷つきもする。

 あからさまに敵対心を向けられてしまえば心がすり減ってしまうのだ。

「私はアオイに嫌なことされたとは思ってないけど、とりあえずイズミに一回謝ってみたら?」

「それを受け入れてくれたら話は早いんだが……」

 どうにもイズミは謝ってほしいわけではないらしい。ここ数日言い続けられたことは姉に対する対応ばかりだ。姉を異世界にいた時と同じ目に合わせないで、気持ちを利用するのをやめてくれ。

 多分謝ったところでその望みを満たしてやらなければイズミの態度は変わらない。

 彼女は初めから自分に何かをしてほしいとは思っていないのだから。

 確認も何もいらない、姉に付き従うと口にしたあの子がそんなものを求めていないことは一目瞭然だった。

「でも謝るだけ謝ってみたら?」

「何が悪かったのかわからないのにとりあえず謝ってみるって、それ逆に嫌われないか?」

「…………そうかも」

 妹の面倒をずっと見てきたウミも俺と似たような考えらしい。

「イズミに直接何かしちゃったのか聞いてみれば?」

「聞いても答えてくれないからな」

 必要最低限の言葉で会話が終わってしまう。俺にもっと会話能力があればあるいはとも思うが、いかんせんそんなものは一朝一夕で身につくものではない。そもそもにらみを利かされている今、深掘りをすれば待っているのは無視だ。

 彼女は口先だけの謝罪など求めておらず、今までの行い自体を改善してほしいだけ。そのことだけは俺もわかっていたから、脱線していた話を修正する。

「それでどうなんだ。気持ちを利用されたことあるのか?」

「…………」

「あるのか?」

 押し黙ったウミを見て俺は目を見開いた。

 正直期待していなかった。イズミの曖昧な物言いを真に受けても事態は前進しなかったから。

 しかし、どうやら今回は違うらしい。ウミは言いよどむようなそぶりを見せつつ、ぽつりとこぼした。

「気持ちって、どんなこと?」

「どんなってなんだよ」

「どんな気持ちを利用されたのか?」

「それは…………」

 ――好きなら、ねえを大切にしてほしい。それでねえは幸せになれる。

 あの言葉を真に受けるのならば、その気持ちはきっと。

「こ、こ恋とか?」

 ふり絞った声は気持ち悪く震えた。

 仕方ないだろう。恋、なんて言葉を素面のまま大真面目に口にできるはずもない。俺は十八を間近に控えた高校生。恋する乙女のような夢見がちな純真さなど持ち合わせてはいないのだ。

 気恥ずかしさのせいで心臓が早鐘を打つ。

 そんな俺に対してウミは――。

「そういうのはないよ?」

 あっけらかんとそう言い放った。

 いらぬ覚悟を決めて恥ずかしい言葉を口にしたというのに、見事に肩透かしを食らった俺は顔の熱が一気に冷めて冷静になれた。

「ああ、そうか。じゃあほかの気持ちを利用されたとか?」

「気持ちを利用っていうのがわかんない。それどういうこと?」

「それは…………」

 俺にだってわからない。

 イズミが言っていたことをそのままウミに問いかけているだけなのだから。

「魔法を使うときに感情を使うとか?」

「使うのは魔力だよ」

「魔力の源が感情とか?」

「全然別。魔力は魔力だもん」

「感情が何か別の力になったり」

「ならないよ」

 思いついた先から口にしていくが、ことごとくウミに否定されてしまう。

 最初からそんな物理的な――と呼んでいいのかわからないが――使い方をするとは思っていないが、そうなるといよいよわからなくなってしまう。

 胡坐をかいたままうんうん唸り瞑目する。精神統一でどうにかなる問題でもない気がするがしないよりはましだと自分に言い聞かせる。

 深く息を吸い脳に酸素を送る。イズミの怒りを鎮めるにはどうすればいいのか。そもそもイズミはなぜ怒っているのか。

 片目を開け、ウミを覗き見る。

 こう断じてしまうのはいかがなものかと思うが。イズミはウミが何を思っているのかは気にしていないように思う。

 ウミは気を遣って言わないだけかもしれないが、彼女は俺の態度に対して不満はないように思う。生活も豊かではないけれど苦しいというほどでもないし、要望の一つも口にしないところを見るに満足とまではいわずとも不服とまでは思っていないはずだ。

 今回の修学旅行の件に関しても、ウミは俺が留守にするのを受け入れてくれた。確かに負担はあるだろうし不安だってあるだろう。気を遣わずに受け入れてくれたとまでは思っていないけれど、それでもウミは大丈夫だと言ってくれた。

 俺がウミの胸中を熟知しているわけではないから断ずることはできないが、ウミが俺に不満を抱いているとは考えられなかった。

 イズミは、ウミが不満を抱いているから怒っているわけではない。

 イズミは俺の行動そのものが気に入らないのだ。

 そうなってくると、もはやウミを呼び止めて話を聞いてもらう理由もないように思えてきた。あまり長い時間呼び止めてもイズミがリビングに出てくる理由を作るだけだ。

 そう思った俺は息を吐き、顔を上げる。

「呼び止めて悪い。あとは自分で考える」

「そう? わかった」

 言うが早いかウミは立ち上がる。しかし踵を返すことはせず少し上から俺を見下ろしていた。

「なんだよ」

「アオイ好きな人いる? 恋人にしたいって気持ちの」

「……えっ」

 いきなりそう問われ、息が止まった。

 一瞬の思考停止。それから今までにない速度で脳が動き出す。

 なぜそんな質問をするのか。俺が恋なんて口に出したからだろうか。けれどそれならなぜそんな不安そうな顔をしているのか。もしかすると、いやそんな考えをしてはいけない変に意識してしまう思考を止めろ。

 目が回るような理性と感情の渦が思考の邪魔をする。

 俺は呼吸のリズムも崩したままウミを見つめ返す。

「アオイ、もし好きな人がいるなら」

 もし? 好きな人がいるならどうだというのだろうか。らしくもなく目をそらした彼女からは何も読み取れない。いや、読み取ってしまってはいけないものな気がした。

 嫌な予感が膨れ上がる。それは同時に期待でもあって、ごちゃまぜな感情が俺の中で渦巻き声を殺してしまっていた。

 だから必然ウミが言葉を続けるしかない。

「ごめんねアオイ」

 謝罪を口にする。その時点で嫌な考えが俺の頭を満たした。

 俺がウミの気持ちを利用している。それはつまりそういうことだとでもいうのか。

 ウミが俺に好意を抱いているのをいいことに、要求を呑ませようとした。イズミの目にはそんな風に映ったのかもしれない。

 だとすればそれは確かに卑怯だし、怒りたくなる気持ちもわかる。

 大切な人がそんな詐欺まがいの手法で踊らされているのを目の当たりにすれば黙ってなどいられない。

 俺は瞬間天啓を得たような錯覚に陥ってしまう。

 ずっと悩んでいたことの答えが出た。出てしまったのだと。そう思った。

 しかし、ウミの次の言葉で俺は壮大な勘違いに気づく

「アオイに好きな人ができても、私たちを優先してほしい。私たちが帰るまででいいから」

「……当たり前なこと言うな。それに好きな人なんていないし恋人を作る予定もない」

 恋人ができる気もしない。とまではなんだか情けなくて言えなかった。

「うん。でももしそうなったら言って。早く帰れるように頑張るから」

「頑張るってどうにかできる問題じゃないだろ」

「うん、そうだけど」

 言いながら一瞬だけウミの目が逸れた。その先には寝室がある。

 もしやイズミが様子を見に来たのだろうかと後を追うがドアは閉まったまま。隙間が空いていることも、そこからもう一人の同居人が顔を出していることもない。

「どうかしたのか?」

「何でもない」

 その視線の意味が分からず問いかけるが、ウミは笑顔を浮かべて踵を返した。

 俺はその後姿を黙って見送る。おやすみくらい言えばいいのに、ただじっと。

 初めてだと思う。ウミがそんな風に言ったのは。自分たちを優先してほしいと言ったのは。いつも後回しでいいとばかりに俺のしたいようにさせてくれていた。

 そんな彼女の言葉だから深く染みていく。

「おやすみ」

 寝室のドアを閉める直前、ウミが振り返りそう口にした。

 俺はおやすみのたった一言が言えなかった。


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