少女の視線に頭を抱える 1
どうやら俺はイズミに敵対されてしまったらしい。
あの夜からイズミはあからさまに俺のことを敵視していた。無視をする睨むなどは当たり前、それに加えてまるで誇示するかのようにウミにべったりになってしまった。
もともと一緒に寝たり食事の時は隣を陣取ったりとべたべたしていたが、ここ一週間はそんな程度ではなかった。
ウミが手すきの時は必ず手を繋ぎ、入浴を共にすると言い出し、「ねえが好き」と毎日口に出して言うようになった。もちろんそれは姉をまっすぐに見つめての言葉だったが、それを言った後、彼女は決まって俺のことを睨んだ。
あの夜から一向に軟化する気配がない。むしろその鋭さを増している。
毎日俺を貫くために研ぎすましているのではないかと思うほどの眼差しを向けられ、俺は一週間が過ぎたころにはうんざりしてきてしまった。
だから、あれだけ心のよりどころだった自室に帰りたくないと思うようにもなってしまい、必然労働に勤しんでいる時間が俺にとっての休養となり始めていた。
「はぁ……」
「どうしたのよため息なんかついて」
「今日も店長と二人か、と思いまして」
「なら喜びなさいよぉ」
軽口を言うが心は晴れない。それもそうだ、バイト中が心の休養というのはあくまで業務に集中してほかのことを考えなくてもいい時、という意味だ。間違ってもおかまの相手をしている時ではない。
そうは思っても例のごとく店には俺と店長のみ。暇を持て余した店長はバックヤードでパズルに興じるわけでもなく俺との会話を求めていた。
「最近疲れてるんじゃない?」
「そうですかね」
「そうよ。シフト多めに入れてるでしょ」
「それは来週のためですよ」
たった三日とはいえ修学旅行の間はアルバイトを休むことになってしまう。それはつまり今月分の稼ぎが少なくなってしまうということだ。
夏休みに多少蓄えはしたが、それはあくまで修学旅行費用に充てるものだ。生活費の足しや貯蓄に回したわけではない。
となれば当然今月の給料だって減らすわけにもいかず、わずかにシフトを増やすことにはなったが。
「それにたった一日二日増えたくらいでそんなに変わらないですよ」
休みなく毎日働き、ようやくとれるはずの休日まで返上という話でもない。学生の身であるため平日は夕方からしか働けないし、休日が全くないというほどせわしなく暮らしているわけでもない。
疲労度合いで言えば本当に誤差のレベルだった。
しかしそう感じているのは俺だけで、周りから見るとそうではなかったらしい。
店長は嘆息気味に言う。
「あなた、最近ため息多いわよ」
「それは」
肉体的疲労とは関係ない。と正直に言おうとしたがそう口にしてしまうとその先まで踏み込まれて面倒なことになりそうだった。
店長はイズミのことを知らない。
だというのに彼女のことを話題に出してしまえば説明を余儀なくされる。誤魔化すにしたって妹だと語るのは限界がある。
何度も後出しで妹がいるなどと言いだせば懐疑的な目で見られてしまいかねない。そもそも一人暮らしをしているはずの俺のもとへ頻繁に妹がやってくるというのも変に勘繰られてしまいそうな話だ。
下手なことは言えない。そう思ったから俺はいつも通りの適当なからかい文句も出てこず黙りこくってしまった。
「見るからに疲れてるじゃない」
それを見た店長は隠す必要ないわ、なんて言いながら両手を上げてオーバーリアクションを取る。
「頑張る理由も理解できるけど、自分のことを大切になさい。せっかくの修学旅行なのに疲れがたまって十分に楽しめなかった、なんてことになるのはあなたも本意じゃないでしょう?」
「そうですね」
修学旅行を楽しみたいから今頑張っているのだ。その目的を達成できないのならば今までの努力は水の泡。残るのは後悔だけだ。
早く現状を打破するためにイズミと話をするか、と覚悟を決め小さく息を吐く。
そもそも取り合ってもくれない気がするが、何もしなければ俺の心労が増えるだけだ。話したところで結果は変わらないかもしれないが、何かをしたという免罪符があれば諦めもつく。
よし、と今後の身の振り方を決めたところで随分と久しぶりに感じる入店音を耳にする。
「いらっしゃいませー」
条件反射で口にして、固まる。
自動ドアの前、ねずみ色の玄関マットの上。その場で突っ立ってまっすぐこちらを見つめている少女には見覚えがある。
テルテル坊主のようなシルエットの自称ローブを身にまとい、そのフードを目深にかぶっている。不安に思い足元に目を向ければ安物の靴が履かされていて一安心。
いったいどうしたのか、また寂しいとでも伝えに来たのかと思い深くため息を吐こうとしてから、もう一度彼女の足元に目をやった。
安物の靴だった。確かにそれは俺が以前同居人の異世界人のために購入したもので、それ自体は何も驚くことなどない。買った記憶もちゃんとある。その存在を認識している。
けれどそれは、にへへと笑う少女に買い与えたものではなかった。
俺は呆然としてしまった。そんなバカな、なんて口が言いたそうにするが声は出なかった。
目深にかぶったフードを脱ぎ去れば、少女の幼い顔立ちがあらわになる。群青色の瞳、細く白い首、そしてフードの色と同化しているせいもあってその内側どこまで伸びているのかもわからないほどの長い髪。
彼女の顔を見て、俺はあっけにとられ間抜けにも口をかっぴらいていた。
「イズミ……?」
どうにかこうにか絞り出した声で呼びかけると彼女はすたすたと俺の前までやってくる。
カウンターを挟んで向かい合う。背の低い彼女の肩から下はカウンターの天板で隠れてしまうがその顔を窺い見るのには支障がない。
表情の乏しいイズミはどこか不機嫌そうにぽつりと言う。
「にい、今日は仕事だったの」
「あ、ああ、そうだけど」
「じゃあねえにちゃんと伝えて。困ってた」
「あ、ああ。え、ってか何でここが」
「ねえに聞いた」
それでわざわざ文句を言いに来たとでもいうのだろうか。商品も持たずにレジの前を陣取ったイズミを注意すべきなのにあまりの事態に俺は思考停止してしまっていた。
「にい、ねえを大切にして」
「え、あ、ああ……」
何を言われているのか一切わからない。わからないし理解するための余力も俺には残っていなかった。
俺にできたことと言えば、さび付いた機械みたいな動きですぐ隣にいる店長の様子をうかがうことだけだった。
「アオちゃん、この子は?」
目が合った店長は、至極まっとうな疑問を口にした。




