不意に入った亀裂 4
リビングに布団を敷き、その上にあおむけで寝転がる。眠くもないのに瞼を閉じればつい先ほどの鋭い目つきとあの言葉が思い起こされる。
大人たちと一緒にならないで。
その言葉の意味が理解できなかった。イズミが大人嫌いという話は小耳にはさんだことがあったが、その理由まではわからないと言われて知ることができていない。
いや、そもそもイズミのことなど俺は何も知らないに等しい。一緒に生活して数か月が経ち表情の乏しさや姉への執着に近い懐き具合など、見て取れる今のことはわかる。けれどイズミのその内面に関して、それを作り上げた過去のことに関しては無知だった。
「ウミ、イズミは大人と何かあったのか?」
夜、リビングで何をするでもなく呆けていた俺は寝室から顔を覗かせたウミを呼び止め問いかけた。
「何かって?」
突然の問いに首をひねる異世界人。もはや寝間着と化した黒いぼろ布は彼女たち異世界人のトレードマークだ。
彼女はまだ若干濡れた髪をいじりながら俺の正面に座る。ローテーブルをはさんで夕食時と同じ距離感。
「何かは何かだよ。なんかあったんじゃないか?」
見当がつかない俺はあいまいな言葉で問いかけるほかない。
ウミはウミで俺の問いに頭を悩ませていた。
「なにもなかったと思うよ。多分最初から仲悪かった」
「仲悪いって程なのか」
「うーん、あからさまに無視したりとか、そういうのはあったかも」
言われて夕食時のことを思い出す。俺に向けられたあの態度は、そういうことだろう。面と向かって嫌いだと言われた手前疑うこともできない。
ただそれは明確な理由が感じられた。そう。我慢をさせるなだ。イズミは我慢を強いられていると感じたんだ。自分ではなく姉が。
「向こうにいたころ、ウミはどんな扱いを受けてきた?」
「んぅ?」
ウミは珍しく眉をひそめた。それから少し怒ったように口元を引き結ぶ。
「私ひどいことされたことなんてないよ。アオイに初めて会ったときに話したよね?」
そういえばそうだ。自分の危機を悟ってもなお遠慮を捨てないウミを見て、俺は彼女が忌み子のような扱いを受けていたのではないかと妄想を膨らませたことがあった。
その時ウミは何食わぬ顔で両親健在そのうえ妹もいて幸せな生活を送っていると語っていたじゃないか。
「そうだったな。悪い」
珍しく腹を立てたらしいウミに気圧されてしまい謝罪を口にする。変に踏み込みすぎた。むしろらしくなかったのは俺のほうだった。
それを見たウミは自分の頬を指先でもみほぐし、深く息を吐く。
「イズミが何か言ってた?」
当然と言えば当然だがウミは事の発端を察していた。いや、察するというほどのことでもないだろう。何せウミの目の届くところで俺とイズミの会話は繰り広げられたのだから。
「晩御飯の時喧嘩してたよね?」
「喧嘩ではないと思うけど」
「イズミは怒ってたよ」
「まあ、見るからにそうだよな」
表情の乏しい彼女があんなにも感情をあらわにすることは今までなかった。あれほどの感情を読み違えるほうが難しいくらいだ。
俺はため息を吐き頬杖をつく。良好な関係を築けているつもりだったから少しショックだ。
「私のことで喧嘩したんでしょ」
ウミはわかりきったことだと言いたげに嘆息気味に言った。
俺はすぐに頷くことができずに目を逸らしてしまう。
「向こうでもそうだったんだ。私が関わると頭に血が上っちゃうから」
「…………例えばどんなことがあったんだ?」
興味本位ではなかった。その話の中にイズミが怒りをあらわにした理由がある気がした。
「私が師匠の手伝いをしたりするといつも師匠に文句言ってたよ。ねえを連れてくなって」
「それは…………やきもちか?」
言うとウミは苦笑気味にうなずく。
「多分そう。イズミはまだ子供だから、上手な伝え方とか、気持ちの整理の仕方とかがよく分かってないんだろうね」
ウミだってまだ子供だろうと思わなくもなかったが、いらぬ茶々を入れて話を中断させるのもはばかられて俺は黙ってウミの言葉に耳を傾ける。
「たまに私にも八つ当たりするよ。どうして断らないんだって。頼まれたから仕方ないでしょって言っても全然納得してくれなくて。それだけ懐いてくれてるのは嬉しいけど、ちょっとたまに大変」
聞きながら、その話を今回のことに当てはめてみる。
がしかし、あてはまるはずもない。何せ今回の話は俺がウミを独占するなどと言うことから最もかけ離れているのだ。
三日間の間二人で過ごしてはくれないかと頼んだのだから今のヤキモチの話になるのならば願ったり叶ったりだろう。普段俺がいるせいで姉との会話の時間を奪われているのだから、喜ぶことはあっても不満に思うことはないはずだ。
ならば理由はそうではない。
ほかに理由があるはずだと思い思考する。
「ウミが受けてきた扱いって、何か特殊だったのか?」
いいように使う、同じ目に合わせる。そんなイズミの言葉を思い出してしまえばやはりそう問うしかなくなってしまう。
当然、自分の説明を聞いていなかったと判断したウミはまた口元を引き結んだ。
「そうじゃないって言った。アオイちょっと良くない」
「悪い、わかってはいるんだけど」
イズミの大人嫌いはウミが受けてきた扱いに起因しているとしか思えない。それもあんなにも激怒するほどなのだから、妙な勘繰りもしてしまう。
忌み子ではなくとも、それこそ人柱のように扱われていたとか、あるいは……。
「優秀、なんだよな」
「ん? 何が」
「魔法に関して優秀だっていつか言ってたろ」
もしかするとそういうことだろうか。優秀すぎるがゆえに求められすぎてしまった。あるいは、優秀になるまで無理を強いた。
期待が負担になり、それを見ていたイズミが大人を嫌うようになった。
姉を苦しめた環境、それを作った大人を嫌悪した。
そんな想像をしていたが、当の本人はというと。
「師匠に言われるよ。師匠のほうがすごいけどね」
「特別に何か教えてもらったりとかしたのか?」
「ううん。むしろ変なことするなって言われた、にへへ」
いつもの通りだらしない笑顔を浮かべてあっけらかんとしている。
俺が想像したような過去があるとは到底思えない。というかそもそもウミが今まで苦しんでいたという想像のほうが難しいのだ。よく笑う彼女がその裏では涙が枯れるような思いをしてきたなど。
曇りのない笑顔ばかり見せられてきたせいで、どうにも考えられない。
気遣いは確かにできるが、寂しいから我慢できずに会いに来たなどと子供らしいところもある。抑圧されたという気配もない。
ならば一体イズミは何をそんなにも気にかけているというのか。
いくら考えても答えは一向に出てこない。
「イズミが大人嫌いになった理由はウミもわからないんだよな?」
「それは多分私があんまり相手してあげられなくなったから。ヤキモチだよ」
さっきも話しただろうと首を傾げ反応をうかがう異世界人。その瞳に濁ったものは見て取れず、イズミの大人嫌いの理由は本当にそれなんじゃないかと思い始めてしまう。しかしそう考えると今回イズミが怒ったことの説明には一切ならないが。
「まあ、そっちはもういいか」
これ以上考えても時間の無駄だと思った俺は一つ息を吐き頭をかく。
きょとんとしていたウミは手持ち無沙汰なのか自身の頬をくすぐる髪をはらった。
「ウミ、悪いな」
「なにが?」
「家空けることになって」
言うとウミは合点がいったとばかりに声を上げ、それから笑みを浮かべた。
「気にしなくていいよ。三日くらいならアオイがいなくても大丈夫」
「その準備はするつもりだけどな。そうじゃなくて」
「ん? なに?」
一瞬言いよどんだ俺を見てウミは首を傾げた。そんな風にまっすぐ見詰められてしまうと余計に言いよどんでしまう。何せ恥ずかしいことを言おうとしているのだから。
そんなことも露知らず。ウミはその群青色の瞳で俺を覗き込むように見つめている。
心を落ち着けるために深呼吸を一つ。ウミに悟られぬよう小さく行う。
至近距離に顔の迫った相手に往生際の悪いことこの上ない。けれどそうしなければ俺はその先の言葉を口にすることができなかった。
気を落ち着け覚悟を決める。
「寂しい思いをさせるから、……悪い」
言ったそばから顔が熱くなった。言葉そのものも恥ずかしいことこの上ないが、それよりもそんなことを当たり前のように考えている自分が気色悪かった。
俺がいないことでウミが寂しい思いをする。そう認識している自分がたまらなく恥ずかしい。
「あっ……、に、にへ、にへへ」
そんなことを考えながら口にしたから羞恥が伝播してしまったのだろうか。ウミは若干頬を染めながら目をそらしてしまう。
「いや、なんでお前が照れるんだよ」
「照れてないよ。恥ずかしいんだよ」
「同じようなもんじゃねえか」
冷静さを取り戻し始めた俺と違いウミはまだ目をそらしたまま。いつもまっすぐ目を見つめてくるウミらしからぬ挙動になんだか些細なことで緊張していたことがばからしく思えてきてしまう。
しかしウミと俺では明確に差があって、そんな状態でもウミは押し黙ったりはしなかった。
「寂しいって、会いたいって我が儘言ったの思い出したら、なんかすごい恥ずかしい」
「いや今更恥ずかしがっても」
それを口にしたときはあっけらかんとしていたのに、今になって恥ずかしくなったというのだろうか。それとも俺が話題に出したから恥ずかしくなってしまったのか。
俺は若干呆れ気味に相槌を打つとウミはやっぱり笑顔を浮かべた。
「あと嬉しい。アオイがそのこと気にしててくれたのが」
「……そうか」
「アオイ、嬉しい」
「わかったよ」
ウミはなんでこんなにもまっすぐなんだろうか。恥ずかしいだなんだと言いながら止まるということを知らなすぎる。
何もかも全部伝えなければ気が済まないのだろうか。
冷静さをなんとか保とうとしても胸に生じる苦しさだけは緩みはしない。
伝えられることが嬉しいとでも言いたげな彼女につられぬように俺は胸の痛みを押し込める。
「とにかくだ。三日間離れ……家を空けることになって悪い。ウミに負担を強いることになったのも悪いと思ってる。悪いとしか言えない」
「大丈夫。アオイのしたいことの邪魔したくないよ、私」
「それでも悪い」
そうやって謝り続けて、ふと思う。謝ってばかりは卑怯かもしれない。
下手に出られてしまえば強く出ることもできないだろう。文句の一つも言えなくなってしまうかもしれない。
だから俺はさらに謝罪を重ねそうになった自分を制止し、言葉を探した。
「……三日で帰ってくる。いなくなったりしないから安心しろ」
そして思い至った。ウミは多分ずっとそれを気にしていたのだ。
寂しいから会いに来たといったあの時俺はその言葉を疑いもしなかったが、考えてみればそうではないことに気付く。
ウミが俺に懐いていない、などと言うことは決してないだろう。ひいき目かもしれないがウミは俺に信頼を寄せてくれていると思う。けれどそれだけではない。
忘れていた、ウミは怖がっていた。
俺が実家に出向いた日。ウミに家庭環境の話をしたあの日。彼女は言ったのだ。俺にいなくなられたらどうしようもなくなってしまうと。だから今のこの関係が、かりそめの家族としての今があるのだ。
ウミは不安だったんだ。ずっと顔を合わせなくなることが。そしてそのまま離れられてしまうのではないかと考えることが。
だからきっとウミは会いに来たのだ。その不安を少しでも解消したくて。
なら、俺が口にすべきは謝罪ではない。約束だ。ここに戻ってくるという約束。俺が自分の家に帰ってくると約束するのはおかしな話だが、きっとそれが最もウミの心を軽くしてくれる。
妄想に等しい予感だが、ウミに倣って口にした。
果たしてウミの反応はと言えば。
「あっ…………」
目を見開いたかと思えば、頬を赤くした。それから慌てたように目をそらし笑った。
「にへへ、アオイそういうのずるいね」
「何がだよ」
「でも嬉しい」
「そうかよ」
まるで乙女みたいに顔を赤くしたウミにつられてこちらまで赤面してしまう。なんだか今日は調子が狂う。そもそも、その恥ずかしい話をし始めたのは俺なのだがどうにも責任転嫁してしまいがちだった。
「そういうことだから、引き留めて悪かったな」
「ううん、アオイと話せてよかった」
「なんだそれ。いいからもう寝ろ」
「うん、イズミ待ってると思うし戻るね」
言いながら二人で寝室のほうへと目を向ける。
「あ、イズミ」
するとそこにはドアの間から顔を出したイズミの姿があった。
彼女はじっとこちらを見つめている。ウミが駆けよっていく間もじっと、ただ一点俺のことを見つめていた。
「ごめん待たせて」
そう駆け寄ったウミにイズミは何も答えない。
じっと俺を見つめ――睨んでいる。
「イズミ?」
そんな妹の様子に戸惑ったのかウミは彼女の顔を覗き込もうとする。
しかしそうするよりも早くイズミは俺のほうへと向かって歩き出す。
何か嫌な気配を感じながら眼前に迫るイズミを待つ。俺よりも頭一つ分以上も背の低い女の子はやはり似つかわしくない威圧感を放っていた。
イズミは額が俺の鳩尾に触れるほどまで近づくと顔を上げた。
そして鋭い瞳をまっすぐ俺へと向け一言。
「卑怯者」
それだけ言うとすぐに踵を返しウミの手を握った。
俺はウミとの会話のすべてを聞かれていたことを理解して頭の後ろを搔くしかなかった。




