空き巣の少女 4
「今度はもっとわかりやすいのやるから水のいっぱいあるところに行こう!」
なんてウミに言われ、とりあえず俺は風呂へと案内した。あらかじめ断っておくが俺たちは衣服を正しく着用している。素肌を晒している部分はと言えば両手両足くらいのものだ。まあ女の子のおみ足はすべすべで綺麗とか思わなくもなかったが、案外ウミの素足はしっかりしていた。
こう言っては何だが、野生児のような足とでもいうのだろうか。裸足での山を駆けまわっていそうな、そんな少し隆起した足だった。
「えっと、とりあえず水溜めれば大丈夫か?」
「うん。お願い」
「どれくらい必要だ?」
「えっとこれくらいあれば平気」
浴室特有のエコーのかかった声で短くやり取りし、ウミが指さした浴槽の二分目を凝視しながらダイヤルを回す。正直家計のことを考えるとお湯を無駄遣いしたくはないのだが、事が運んでしまっている手前渋ることもできない。
蛇口から水が流れ出し、すぐにお湯に変わる。別にお湯である必要はないのかもしれないがこの際だ、ことが終わってから足湯でもして休んでやろうと思った。
「おー」
ウミはそれを見て感嘆の声を上げていた。何か面白い事でもあったのかとちらりと見るが、彼女の視線は浴槽へと注がれている。
俺は首を傾げるほかなく、ほどなくしてダイヤルに手をかけた。
足首のラインまで浴槽に湯を張り、お湯を止める。
「で、今度は何を見せてくれるんだ?」
だいぶ睡魔に侵食されてしまっているせいか、関心のなさそうな声が出てしまう。いや、事実関心はあまりなかった。
ウミは何やら魔法をしっかり使えるところを見せつけたいらしいのだが、もうその必要はないのだ。俺はすっかり魔法を信じてしまっているので今ウミがやろうとしていることなんて蛇足でしかない。
それでもそれに付き合おうとしているのは、心のどこかでこの状況を楽しんでしまっているからだろう。魔法を目撃することはもちろん。いつもは自分の生活音しか聞こえない部屋で誰かの声を聞いていることに喜びを感じていた。
「これで準備はいいか?」
「あ、えっと、なんか書くものある?」
「書くもの? え? 風呂場に何か書く気?」
「あ、そうじゃなくて、書くもの一式欲しい」
「紙とペン?」
「そうそう」
「あー、ちょっと待ってろ?」
俺は風呂場を出てリビングに向かう。その際ウミが俺の後をついてきた。浴室で待っていてもらって構わなかったのだが、なんだか雛みたいでかわいかったので何も言わないでおいた。
リビングの一角に転がっている学生かばんを漁る。中学のころから愛用している筆箱から油性マジックを取り出し、ノートも出そうとして手を止める。風呂場にノートを持っていくのはあまりよろしくない。湿気でぐにゃぐにゃになるし、もしもそれを浴槽の中に放り込まれたらと思うとそんなことはできない。
俺はならばと思い捨てずにとっておいた段ボールをキッチン横から引っ張り出す。
「こんなもんでいいか?」
「うん、大丈夫」
常に俺の二歩後ろをついて回っていたウミに確認を取りそれを小脇に抱える。
風呂場に戻ってそれをウミに渡せばウミは何やらお絵かきを始めた。
いや、お絵かきなんておふざけ半分なものではない。描くものが欲しいと言われた時からすでに予想はしていた。彼女は何一つ迷うことなく、複雑に重なり合った幾何学模様を段ボールに記していた。
「魔法陣って奴か?」
「うん」
すらすらと線を引くそのまなざしは真剣そのものだ。まるで顕微鏡のピントを合わせるときみたいに、自分が書き記した幾何学模様を凝視している。
あまりに真剣な顔をしているから、俺はそれ以上無駄な言葉をかける気になれずにじっと出来上がるのを待った。ずっと突っ立っているのもあれなので俺は浴槽の縁に腰かけ、張ったお湯の中に足を突っ込んで待った。
びりびりとした感覚は足の血行がよくなっている証。足の裏の圧迫されていた血管が広がり、体に血が循環する。それが睡魔を強く呼び起こし、ウミの指先を横目に見ながら欠伸を一つ吐いた。
「よいしょ。大丈夫かな」
そんな声が聞こえ寝ぼけ眼を擦るとウミは段ボールを湯舟の上に浮かべた。
足湯をしている俺が何だか邪魔をしているような気がして端による。それでも足をお湯につけたまま俺は彼女のすることをぼんやりと見ていた。
「じゃあやるね。……眠いの?」
「ああ、時間も時間だしな。でも続けてくれ」
現時刻がいつ高はわからないが、俺が帰宅した時間は十時を優に超えていたに違いない。そうなるともう日をまたいでいるころだろうか。もしくはもっと遅い時間かもしれない。
「お前は眠くないのか?」
「ううん。眠い。けど見せなきゃだから」
そう言われて何をと返しそうな鳴るほどには脳が休眠を求めていた。なので俺は腰を上げ、頭を振った。
睡魔をふるい落とし、水面に浮かぶ段ボールを見る。ウミがそれを確認したのか、それと同じタイミングで魔法陣にウミの掌が乗せられた。
「いい?」
ウミもかなり限界なのだろう。声がふわふわし始めている。
段ボールが水を吸って変色し始めていたのも目に入り俺はすぐに頷き返し先を促す。
それからは、眠気が冷めるかと思うほどの出来事が頻発した。
まずは、油性マジックであがかれた幾何学模様が光りだしたこと。それはきっと奇跡の前触れで、俺は頬を緩ませた。
それから浴槽の水面が波打ちだす。すぐにそれは浴槽全体へと広がり、瞬きの後には水面から水が細く飛びだした。それはまるで蛇使いが増えの音で蛇を操っているみたいな光景。
何本もの水の線はウミの書いた魔法陣の上に集まり、そこで大きな玉となる。
「うぐ、ぎぎぎ」
ウミが歯を食いしばり呻いた。苦痛に喘いでいるという風ではなく、踏ん張っているかのよう。もしかすると体力的な限界を迎えようとしているのかもしれない。眠いと言っていたし、そもそも魔法を使うのにだって魔力やらそういう不思議な力を消耗するのだろう。
無理をさせてはいけない。そうは思ったが、俺は口を出さなかった。
なぜなら目の前の光景に釘付けだったから。
水がうごめき、集い、散った水滴すら浮かび上がったまま。シャボン玉に囲まれているような、そんなメルヘンな空間だった。背景は情緒もない浴室だけれど、もしこれが夜空の下だったならばそれは幻想的な光景だったのではないだろうか思う。
月明かりに照らされた雫は、きっとキラキラと輝くはずだ。それを俺は、幼子のような瞳で見ることだろう。そんな想像をしただけで俺は笑みを浮かべた。
未知が目の前にある。神秘を体に感じている。
何も今までの人生楽しいことが何もなかったわけではないが、初めての気分だった。
心躍るとはこのことだろうと、俺は十七にして悟った。
「ふんぬっ!」
その未知を内包した少女が間抜けな声を上げたときだった。魔法陣の上に集ったそれが目にもとまらぬ速さで動いた。
バランスボールほどの水の玉が飛び上がる。そしてそのまま。
バコンッ、という音と共に天井に衝突した。
「ひぇー……」
俺はその衝撃に肩を跳ねさせながら情けない声を上げた。そんな俺に対しウミは「どう?」なんて目で俺のほうを見てくる。
なので俺は天井と少女を交互に見て、それから拳を小さく上げた。
「いえーい」
「いえーい」
疲弊したウミは寝起きみたいな声でこぶしを突き上げる。
そんな俺たちに釣られたのか、天井からはドンドンという賑やかしの音が聞こえてきた。
その後俺たちは眠気に誘われるまま床に就いた。
就寝間近にどっちがベッドを使うか、なんて言い合いをした記憶がぼんやりとあるがこまごまとしたことは覚えていなかった。唯一覚えていたことと言えば、ぼけたような声音でしっかりと自己紹介をした事だけだった。
「俺葵。よろしく」
「うん、よろしくぅ」
それが昨日の出来事だった。