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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第三章 変化した日常
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変わった意味 2

「掃除手伝うよ」

 我慢の限界が来た私はアカネにそう提案した。

 失礼かなとも思ったけど、連日この部屋で過ごした私は掃除をしたくて仕方なかった。

 掃除、というよりかは片づけをしたい。部屋のいたるところに乱雑に置かれた本をまとめてもう少し生活スペースを増やしたい。

 人の生活にとやかく言うつもりはなかったけれど、一緒に暮らしているため気になってしかたなかった。

 だからお礼という形になるように提案した。

「えマジ? 助かる」

「うん、泊めてもらったから何か返したい」

 一言目には断り文句が返ってくると思っていた私は予想外の反応に戸惑いつつも平静を装う。

 アオイが相手の場合、何かするといっても最初に必ず断られる。遠慮しているという言い方が正しいのかもしれないけど、この世界の人はそうするのが当然なんだと思っていたから少し意外だった。もしかするとアオイが特殊なのかもしれないけれど、この世界で付き合いのある人は二人を除くとほぼ皆無だ。挨拶くらいであればテンチョとパン屋のお兄さんと交わすこともあったけれど逆に言えばそれくらいしか言葉を交わしたことがない。

 私は思いのほかすんなりと事が進みそうで胸をなでおろす。

「どうやって整理すればいいか言ってくれれば私とイズミでやるよ?」

「んー、じゃあ頼んじゃおかな。うち片づけは苦手でさ」

 片づけが苦手という話なのか、散らばった書物を横目に首を傾げそうになってしまう自分を必死に押しとどめた。

「じゃあ、一回全部出しているものといらないもの分ける?」

「そうだね、せっかくだしきっちりやろう」

 やる気になったアカネの隣で安堵の息を吐いているミサキ。

 釣り目がちな彼女もこの部屋の惨状には思うところがあったのかもしれない。それもそうだ。ミサキはこの部屋で数か月暮らしているんだ。数日暮らした私たちとでは感じるものも違うだろう。

 一周回って気にならなくなっていたということもあるかと思っていたけれど、ミサキもこの部屋をどうにかしたいとは思っていたらしい。

 イズミとミサキを率いて三人がかりで片づけを始める。まずは部屋の一角に本を集めだす。種類はわからないけれど薄いものも分厚いものも関係なく三人で引っ張り出してアカネの前に集めていく。

 アカネはそれの選別を行うが、一つ一つ手にするたびに「これいらないじゃん」とつぶやいているのを耳にするに掃除というより断捨離になりそうな気配がする。

 部屋のいたるところにある本をかき集め、アカネの前へ。そうしていくとだんだんと足の踏み場も増え、踏み入ることすらかなわなかった本棚にまでたどり着けるようになった。

「あー、本棚の上にあるのはうちが取るよ」

 身長差を考慮したのだろう。私がつま先立ちになるよりも早くアカネは名乗りを上げる。

 特段断る理由もない私はアカネの申し出を素直に受け入れ、他二人とともにアカネが本を手渡してくれるのをじっと待った。

「あ、これヤバイ」

 しかし棚の上の本に手を伸ばしたアカネは早々に諦めを口にした。

 引き抜こうとした本が隣の本を引き連れてくる。それに気付いたアカネがすぐに押し戻すことができたのならば、あるいはもう少し焦った声を上げていたかもしれない。

 しかしアカネが手を伸ばしていたのは自身の頭よりも高い位置。つま先立ちにこそなっていないが、重心はぶれていて咄嗟にそんなことができる状況でもなかった。

「ちょっと危ないよー」

 やけに軽い調子の声音のアカネはもはや諦めたのか逃げ出そうともしない。

 雪崩が起きる。そう理解したのはアカネの注意喚起よりもかなり早い段階で、その声が届くころには私たち三人はその場から離れていた。

「気を付けてね」

 危機感のない声で再度注意喚起。私の視線の先では雪崩はもう始まっていた。

 バサバサッ。という音と同時に埃が舞う。

「う、えっほ」

 反射的に顔をそむけるが無駄な抵抗。私が咳き込んだのを皮切りに他二人も咳き込み始める。

「うぇ、茜さん。だいじょうけほっ」

「けほっ、こほ」

 咳き込みながらも雪崩の中心にいた彼女の心配をするミサキ。対してイズミは私のことを盾にしながら数歩後ずさっていた。咳き込みはしているがそれもかわいい程度のもの。わが妹ながら危機管理が上手いものだ。

「大丈夫。ごめん埃立てた」

 アカネは咳き込むこともなく顔の前を手の平で扇いでいた。

 私は今更ながらベランダのドアを開けに走る。

「ウミちゃんありがとね」

 言いながらアカネは足元のそれらを踏まないように抜け出ると浴室のほうへ向かう。

 そしてすぐに戻ってくると私たちに長方形の布を渡してきた。

「さすがにマスク必要だね。はい」

 差し出されたそれを受け取り硬直。アカネがそれの紐を耳にかけ口元を覆ったのを見て見よう見まねで身に着けた。

 おそらく埃を吸い込まないためのものなのだろう。それ専用のものがあるのは知らなかった。

 私は少し息苦しいと思いながらも、まだ埃の舞う本棚の前へ向かう。

 落ちてきたほとんどは薄い本。アカネの部屋に大量に放置されていたものとよく似通っている。何の本かはわからないけれどアカネはよほどこの本を気に入っているらしい。

 アオイに教えてもらった文字だけではその内容を理解することはできないけれど、女性の関心を引くような内容であることだけは一目見て理解できた。

「茜さんは選別してください。それをまとめるのは私たちがやりますから」

「よろしくー」

 ミサキの指揮のもとアカネは本が集められた一角に戻っていく。それを見届けるとミサキは嘆息しながら私の隣で呟いた。

「茜さん、いろいろ雑っていうか横着しすぎだよね」

「にへへ」

 同意してしまうのもはばかられて曖昧に笑顔を浮かべる。

 部屋のあちらこちらに積まれていた本はアカネの目の前に移動済み。残るはこの本棚の周りのみとなっている。今まで壁に近づくことができなかったが、思えばこの場所はアオイの部屋に一番近いところなのかもしれないと益体のないことを考える。

 本棚の裏側をまっすぐ行けば、アオイの寝室だろうか。

 近頃はアオイのベッドを私とイズミで使ってしまっているのでアオイの寝室というのもおかしな話だけれど。

 自分の思考をごまかすために私はまだ本棚に詰め込まれていた本を見つめる。

「これも全部アカネに確認してもらうほうがいいかな」

「あたしたちじゃ選別できないしそうするしかないでしょ」

 ミサキも私たちと同じでこの世界の言語にまだ疎い。三人の中で一番文字を理解しているのはおそらく私だろう。それだってアオイがわかるように書き残してくれたメモ書きを読み取ることくらいしかできない。

 そんな私たちに取捨選択ができるはずもなく、そもそも他人の持ち物を勝手に選別するわけにもいかず私たちは本を持てるだけ重ねてはアカネのところへ運んでいく。

「ウミ。帰れると思う?」

 運ぶ間余計なことを考える余裕ができてしまったのだろう。やや落としたトーンでミサキが訊いてくる。私は即答した。

「師匠なら助けに来てくれるよ」

 その返しももう慣れてしまった。ミサキは毎日のようにそう問いかけてきたから。

「でも、二か月経ったよ」

「でも信じて待つしかないし」

「そうかもだけど……。ずっとこのままだったら、ウミはどうするの」

「アオイに出て行けって言われるまで一緒にいさせてもらう」

 多分アオイはそんなこと口にしない。そんなことはわかっていたけれど自分で口に出してしまったそれのせいで可能性を考えて一瞬不安になる。

 アオイは私たちがかけている負担を理解していながらも、それでもきっと最後まで私たちを匿ってくれると自信を持って言える。この二か月のアオイの態度で痛いほどに伝わってきた。

 アオイも私たちと一緒にいたいと思ってくれている。

 私もアオイに頼り続けたいと思っている。

 お互い相手のためではなく、自分のためにそう思っているからきっとこの関係は崩れない。

 きっと私たちが元の場所に帰るまで。

 当然のように答えた私を見て、ミサキは唇をかみしめる。

「本当にずっとこのままだったらどうするの」

「それは…………どうしよっか? にへへ」

 もしも一生帰ることができなかったら。そうなってもアオイは私たちと一緒にいてくれるだろうか。

 多分、いてくれると思う。きっとアオイは無理をしてでも一緒にいてくれる。

 そう確信できるから、私はミサキほど事態を深刻にとらえていないのだ。

 最悪、元の世界に戻れなくてもアオイが私たちを助けてくれると思えるから。もちろんそれは居場所を提供してくれるという、そういう意味に限った話で。

 少しだけ申し訳ない気もするけれど。

「ねえ、イズミ選別手伝う」

「ん? わかった」

 一緒に本を移動させていたイズミがバランスを見て思うところがあったのか、アカネのほうへ小走りで向かう。

 それを見たミサキが独り言のようにこぼした。

「イズミ、不思議な子よね」

「んー、そうかもね」

「普段あれだけお姉ちゃんのそばにいたがるのに、時たますごいあっさり離れていくじゃない」

 そういう性格だ。とその一言で片づけられてしまうことだから私はあまり気にしたことがなかった。確かにイズミは私によく懐いてくれてはいるけれど、きっと元の性格は一人でいることを好んでいるように思う。誰かとしゃべりたがるそぶりも見せないし、特定の人――大人に対してはかなり敵対心をむき出しにしていたように思う。

 私の考えていたことを読み取ったわけでもないだろうに、ミサキがふいに問いを投げる。

「葵さんとはうまくやっていけてるの?」

「……にへへ」

「その様子じゃあんまりって感じなのね」

「イズミはしゃべるの好きじゃないから」

「大人の男性も嫌いだしね」

 言いながら、アカネのそばで積み上げられた本を紐で縛っている妹を見やる。

 男女関係なく大人が嫌いだと思っていたけれど、男の人が苦手だったのだろうか。だとしたら少し先が思いやられる。

 アオイとは仲良くしてもらえるように何か行動を起こすべきだろうか。

 そんなことを思いつつミサキと一緒に少なくなり始めた本の山に手をかけた。

 その時だった。

「――ぇッ」

 本の山の中にあるものを見つけた。

 一瞬のことで気のせいかとも思ったが手に取ってみればそれは勘違いでもなんでもなかった。

「ミサキー、今のチャイム多分葵君だから出てきて」

「わかりました」

 隣で本をかき集めていたミサキがどこかへ向かう。アオイの名前が出た気もするしそれ以外に何か特徴的な音が聞こえた気がしないでもない。けれど、それはどこか遠いところから聞こえていた。

 ミサキが離れていくのを気配だけで感じ取りながら、私は視線の先のその本を開いた。

 慣れ親しんだ文字だ。文字そのものも、書き方の癖も、私の良く知っているものだった。

 ページをめくる。あの日のように日記部分には興味を示さず、あのページへと向かう。

「…………」

 最後のページ。そこにはずっと探していたあの模様が記されていた。

 探していたはずのもの。私が師匠の蔵から盗み出した半分日記のようなその本。

 私が好奇心で使用した魔法陣。アオイの部屋に来る原因となった紋様。

 転移と記されたそのページを撫でつけながら、私の指先はどうしてだか震えていた。

 それはページをめくろうと紙の端を摘まむときにも収まることはなかった。

 私は知っている。このページの裏側に何が記されているのか。

 裏表紙の向かい。そこに記されている二つの魔方陣の存在を、蔵からこの本を盗み出した張本人である私だけが知っていた。

 ページをめくり、目に飛び込むのは帰還の文字。すぐ下に描かれた魔方陣は私の知る限り最も難解で、一目見ただけで覚えるなんてとてもできない代物だった。

 帰れる。その事実を遅れて理解し。ページの端を摘まんでいた指が滑る。

 緊急用なんて書かれていたもう一つの魔方陣を確認するだけの余裕は、私にはもうなかった。気付けば吐息も震えている。喜ぶべき場面、喜べなければおかしい場面だというのに私は動揺のあまり笑みも作れない。

 頭に浮かんでいた言葉は、どうしようだった。

「何やってんだ?」

「えっ、あ、あアオイ」

 そんなタイミングでふいに聞こえてきた声に慌てて振り返りかける。けれど、はっとして手に持った本を後ろ手に隠してから振り返った。

「なに焦ってんだよ。サボってたのか?」

「え、あうん。ちょっと気になる本があって」

「お前が手伝うって言い始めたって聞いたんだけどな」

「うんごめん。ちゃんとやる」

「……なんで隠すんだよ」

「なんでだろ。にへへ」

 私にもわからなかった。ただ、アオイにそれを見られてはいけないとその気持ちだけが私を動かしていた。

 笑った私に呆れたのか、アオイはしっかりやれと言い残して背を向ける。

 それを見送りながら私は安堵の息を吐いた。

 なんで安心しているんだろう。

 そんな疑問を抱きつつも私は迷いなくその本をローブの内側に隠していた。

 私は何を焦っていたのだろう。


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