拵えた理由 5
「ウミ、どうやったら帰れると思う」
ミサキがそんなことを言い出すのは、決まってアカネが留守にしているときだった。
不安げな友達は助けを乞うみたいに身を乗り出して私に尋ねてくる。
すがるような瞳、けれど私はそれに答えることはできない。ちょっと困ったな、なんて思いながら笑みを浮かべるのが精いっぱいだった。
「どうすればいいんだろうね」
「どうすればって……もとはと言えばウミが……」
ぼそぼそと恨み言を口にするミサキに申し訳ない気持ちにさせられてしまう。
ミサキの言う通りもとはと言えば私が悪い。師匠の家から本を持ち出したのも、みんなに隠れて勝手によく知らない魔法を試してみようとしたことも。それに感づいたイズミとミサキが私のところまでやってきてしまったことも。そして起こしたことに巻き込んでしまったことも。
全部私がいけないんだと頭でも心でも理解しているし納得している。
だからそんな風に恨み言を言われてしまえば私は笑うしかない。
「……ごめん」
そしてそんな私のことを多分唯一理解しているミサキはつい漏れた恨み言を自覚するなり失言だったと目を伏せる。
ここに来る前までも似たようなやり取りはよくあった。それもこれも私の身勝手にミサキを付き合わせていたせいだし、ミサキが何か悪いことをしたかと言われればそんなことはない。もしもミサキが悪事を働いたというのなら。それはきっと私の勝手を引き留められなかったことくらいだろう。
止められるけど止めないというスタンスのミサキは、それを罪として認識しているのかもしれない。それは私とミサキの友情に起因するものだから私はそこの事に関しては感謝している。
私はミサキに頭が上がらない。いつだってわがままに付き合ってもらっていたから。
私のしたいことを咎めずにいてくれたから。
今もまだ、申し訳なさを払しょくできない。今回の事件に関しては謝ってすむようなことではなくなっている。
帰れなくなった。その事実が私を責め立てる。
巻き込んでしまった友人と妹のためにも早く帰る手段を見つけなければと。
私自身は帰りたいとは思っていないけれど、二人のためにもどうにかしなければという責任感だけはしっかりと持っていた。
だというのに、今の私にできることは多分何もない。
「いろいろ試したいんだけど、私今魔法がうまく使えないんだよね」
「うん、知ってる」
アカネがいない間、何度か帰る方法を模索して移動に関する魔法を試してみた。もともと生き物に作用するものでも送り飛ばすものでもないけれど、何もしないわけにもいかずにいろいろと試した。
その結果、というのもおかしな話だけれど、私は今魔法がまともに使える状態ではないことが分かった。
前兆はあった。
初めてアオイに魔法を見せた時も思い描いた通りの形には結実しなかった。そのあと転移の魔法を試した時も――あの時はそもそも魔方陣を書き間違えていたのだけれど――転移させたアオイの本はずたずたにちぎれてしまった。
生活に必要だった小さな魔法も今は使うのが難しい。使えないとまでは言わないけれどかなりの体力を消耗する上に望んだ形からは程遠いものになってしまう。おかしな話だった。私たちにとって魔法を行使することは呼吸をすることと何ら変わらないことのはずなのに、疲労を感じてしまう。
よほど力まなければ爪先ほどの火を起こすこともできない。この世界では必要のないことだけれど、井戸から水を汲むのだってコップ一杯が関の山だろう。
この世界に来てから、魔法が使えなくなっている。
それはミサキたちも同じらしく、今月に入ってから魔法を使うのが難しくなったという。
そんな状態の私たちに、世界を移動するような大魔法が使えるはずもない。そもそもその魔方陣の書き方すら分からない現状だ。
だから、今の私たちにできることはと言えば。
「師匠が迎えに来てくれるのを待つしかないよ。サキ」
なだめるために笑みを浮かべる。けれどミサキは相も変わらず焦ったまま、あるいは不安に駆られたように私に詰め寄る。
「わかってるけど、師匠だって迎えに来れるかどうかもわからないし」
「師匠の部屋にあった本に書いてあったんだから。きっと大丈夫だよ」
「でもその本はどこに行ったのかもわからないし」
「きっとあの森の中に落ちてるよ。じゃなかったら私たちと一緒にこの世界に来てるはずでしょ?」
「でも、どっちにしたって師匠がその本を見つけなかったら――」
ミサキは想定外のことが起きるとすぐにパニックになる。受け入れられる容量が少ない。
それだけ様々なことを正面から受け止めてしまうから、他人のことを思いやることができるのだけれど、ちょっとだけミサキのそういうところには困ってしまう。
「ねえに当たらないで」
そいうとき、いつもミサキをなだめてくれるのは私の妹だった。
起伏のない声音で淡々と言葉を紡ぐからそれにつられてミサキも冷静さを取り戻してくれる。
「ごめん。こんな文句言ってもしょうがないってわかってるけどさ……」
うつむき、ばつが悪そうにぼそぼそと言うミサキ。彼女の気持ち自体は最もなので私から言えることはあまりない。言えるとするなら謝罪の言葉くらい。
かといっていつまでも謝っていてもそれこそ事態は好転しない。それで無意味な言い合いに発展するのも望んでいない。
なら私にできるのは、ミサキの不安定な心に付き合ってあげることくらいしかない。
師匠がいつか助けに来てくれることを信じて待ってもらう以外に方法はない。
「サキ。ねえの言う通り待つしかない。待って、師匠が迎えに来たら帰ればいい」
「うん、ごめん。いつもあたしこんなで」
「いい。焦るのは当然」
「うん」
二人のそのやり取りを見ていると。同い年のミサキがとても幼く見えてくる。
もともとイズミは落ち着いていて大人びて見えるとよく言われていたから、余計にその差を認めてしまう。
こういう時は、なんだか三姉妹になったような気がして面白い。
「私、夕ご飯作るね」
その二人を邪魔したくなくて、私は立ち上がりキッチンへ向かう。気付けばもう十六時をとうに回っている。日はまだ高いところにあるけれど夕食の準備を始めるにはころあいだった。
キッチンスペースから二人を見やるとまだ少し難しい顔をしたミサキをイズミがなだめている。姉妹の距離感は多分あの二人のほうが適当に測れているのだろう。そう思いながら私はおこがましくも二人の保護者面で料理の準備を始める。
今日は何を作ろうか。私の知っている料理はもう一通り作り終えてしまった。五日もすればアオイに教えてもらった料理のレパートリーも尽きてしまう。
こんなことならアオイにもっと教えてもらえばよかった。そんなことを思いながらも私は自然とその食材に手を伸ばした。
ホイコウロウ、とアオイは呼んでいた。私がアオイに初めて食べさせてもらった料理。
私はよくこれを作る。あまり難しい手間がかからないから。
居候の身で手間を考えるのも不義理かとも思うけれど、そこは仕方ない。今までの癖みたいなもので簡単に身から流れ落ちてくれない。
それともう一つ理由を挙げるなら、アオイが最初に教えてくれた料理というのもある。
それだけ作り慣れたからと言えば、それまでではあるけれど。
天板に並べた豚肉やキャベツを見つつ、包丁に手を伸ばす。
アオイの部屋とそう変わらない間取り。けれど確かに違い、その場所はまだ慣れないこともある。用意されている調理器具、その配置、あとは整頓の具合。
アオイの部屋に比べて大分――少し粗雑なこの部屋はものの置き場があまりない。
だから料理をするときに少しだけ困ってしまう。勝手に整頓してしまいたい気持ちもあるけれどあと数日で私とイズミはアオイの部屋に戻ることになる。そんな相手に自分の居場所を荒らされたくないだろう。
私は少し勝手の悪いその場所で調理を進めていく。
キッチンから覗くリビングスペースには二人の女の子。当然そこに彼の姿はない。
最近、寂しいと感じる。
アオイの顔を見たのは五日ほど前だった。それだってまともに会話したわけではない。私とイズミの様子を確認しに顔を出したアオイと一言二言挨拶もなく声を交わしただけ。
今まで四六時中一緒にいた、と言ってしまうのは大げさすぎるけれど、毎日一緒にご飯を食べていて朝目が覚めればおはようを言い合っていた。
それがなくなってしまったのがとても寂しくて、壁一枚隔てたあの部屋に顔を出しに行こうかと何度も考えていた。
いや、今日に限って言えば、もう会いに行こうと決めていた。
アオイのおすそ分けは毎日もらっていたけれど、それもアカネが玄関で受け取ってしまうので顔は見れていない。でも逆に私がおすそ分けを持っていくのならばどうしたってアオイに会うことになる。
アオイに会うために、私はおすそ分けを言い訳に使おうと決めた。
自分のことながらおかしいと思う。
アオイのことをどれだけよりどころにしているのかと呆れてしまう。
けれど仕方ないのだ。今だって不安は潰えない。アオイに見捨てられてしまったらと思うと不安で不安で仕方なくなる。
もしも今回の一件でアオイが私たちといることに対する負担を理解してしまったら捨てられてしまうのではないかと怖くなってしまった。私たちのために何かをいろいろやってくれていたのは知っているし、アオイの家族という言葉を信じていないわけではないけれど、そんなもしもが脳裏によぎってしまった時から不安で仕方なかった。
不安から寂しさがこぼれて仕方なかった。
少し多めの材料はもうすでにフライパンの中。あとはある程度火が通るのを待って調味料を入れるだけだ。
いろいろ混ぜ合わせることもなくそれ一つで完結しているという便利なソース。銀色の袋に入ったそれを手に取り切れ込みにしたがって裂く。
ジュウジュウ言うフライパンにそれを流し込み豚肉たちと絡めていく。
私は一度フライパンから手を放し、アカネがアオイから受け取ったらしいタッパーに手を伸ばす。
手間のかからない料理ということもあって想定よりもかなり早く出来上がってしまう。時間はまだ十七時を回ったばかり。気持ちが急いていたこともあるだろう。
私は料理の失敗はしたくなくて少し余分に火を通した。そんなことをしてもお肉に火が入りすぎて硬くなるだけだろうに、私は少しだけ時間の帳尻を合わせようとした。
それから出来上がったそれをおすそ分けの分をタッパーに詰め、蓋をする。素手で持つとまだ熱くて私はフライパンに蓋をしたり炊飯器を確かめたりする。
「あっ」
そこで気づいた。お米を炊いていなかった。
昨日の残りが冷蔵庫にあるかと覗き込むが目当てのものはない。私は慌てて炊飯器に研いだお米を入れボタンを押す。
本当に気持ちが急いていたらしい。アオイに会いたいあまり取り掛かる順番を考慮していなかった。それどころか段取りを考えるということすら放棄していた。
夕食時には余裕をもって間に合わせられるとはいえ、少し焦った。
アオイに会いたいとそればかり考えていたんだ。
そんな自分の心に今更嘘をつく気にもなれず、タッパーを手に二人に呼びかける。
「サキ、イズミ。私ちょっとアオイのところ行ってくる」
「え? うんわかった」
何をしに、と言いたげなサキだったが私はそれを無視して玄関へ向かう。
手の中にある拵えたそれはまだ熱を持っていて両手で交互に持ち替える。
直線距離なら数歩でたどり着く距離をわざわざ迂回することにじれったさを感じつつ、私は早足になる自分を自覚して困ったように笑っていた。




