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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第三章 変化した日常
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拵えた理由 4

 それから俺は誇張ではなく毎日茜さんの部屋におすそ分けを持っていた。カレーを二日続けて持って行ったことを除けばメニューは日替わり。我ながらいい主婦しているななどと自分をほめるふりをしたりもした。

 しかし、時にはメニューが被ることもあって何とも言えない空気になったこともあった。

 もともとウミのレパートリーは俺が教えた料理がほとんどだ。いってしまえば俺が作れるものはウミが作れるものでもあって、それが一週間も続くとなればそういうことも起きて当然のことだった。

 だから五日がたったころには意味のないことをしているのではないかという疑念も抱くようになった。

 かといってウミたちの様子を見に行く理由も失いたくない俺はテスト前日を迎えた今日も夕食の準備をしていた。

「なあ、今日もおすそ分け持っていくのか?」

 見下ろす先には二人分としては多い夕飯の材料。連日おすそ分けに行くと出ていく俺を見ていた健は言わずともわかっているらしい。

「世話になってるからな」

「お隣さんへのおすそ分けとかドラマの中の話だと思ってたけど、案外普通にあるのな」

「最近になってからだけどな」

「ちなみに女の人?」

「女子大生」

「爛れた関係だな」

「頭悪いのにそういう言葉は出てくるのな」

 ここ数日間の勉強の成果を爪の先ほども実感できていない俺の小言も健には効果なし。カラカラと笑うだけで全く響かない。

 これは今回も赤点回避がギリギリといったところかと早くも諦観あらわに嘆息する。

 と、ふいに部屋に電子音が鳴り響く。

 機械的なその音はスマホから流れるそれらではなく、一瞬何の音だろうと呆けてしまう。

「来客か?」

 その音の正体に気づいたのは健のそんなつぶやきを耳にしてからだった。

「みたいだな」

 寝起きみたいな声で返しながらキッチンを後にする。

 いったい誰かだろう。そう思いながらおおよその見当はついていた。部屋に健がいる以上今ここを訪ねてくる人物となれば難しい問いではない。

 大方、気を使って連日のおすそ分けのお礼でも持ってきてくれたのだろう。

 俺はドアに手をかけつつその人の顔がある高さに目線を固定した。

「あ、アオイ」

「は?」

 しかし、ドアを開けて聞こえてきた声は俺の想定していた位置よりも低い場所から響いてきた。

 自身の胸の高さほどに目線を下げればそこには黒いテルテル坊主――ではなく白いワンピースを着た異世界人の姿があった。

「……どうかしたのか?」

 ウミが訪ねてくる理由に心当たりがない俺は怪訝な目を向ける。

 何か困ったことがあったのか、そんな考えがよぎり一瞬ひやっとするがウミはにへへと笑っていた。

「これ、食べてもらおうと思って」

 言いながら差し出してきたのは昨日俺がおすそ分けに使ったタッパーだった。

 わざわざ返しに来てくれたのかと反射的に受け取ると、思いのほか重量と熱量のあるそれに気付く。

 半透明なタッパーを透かし見れば、そこには見慣れた中華料理。

 ウミが俺の部屋に来てもっともよく作っている回鍋肉が詰められていた。

「あぁ、わざわざ持ってきてくれたのか。……茜さんにでも言われたのか?」

「へ? ううん。私が持っていきたいから持ってきた」

「ああ、そう」

 なぜ、という気持ちは一切払しょくされないが長話をするつもりもない。あまり健のことを放っておくのも申し訳ないし、まだこちらは調理の途中だ。

 数日前は顔を見たくてわざわざ理由をつけてまで茜さんの部屋を訪ねていたが、もう二日もすればまたウミたちと一緒に暮らす日々が戻ってくるので女々しい気持ちはなくなっていた。

 迷惑をかけるのではないかという不安も今はもうない。年の割にはしっかりしているウミのことを俺はそれなりに信頼していた。

「まあありがとな」

 だから俺は短くそれだけ伝えるとウミが踵を返すのを待った。

「うん」

「…………」

「………………」

「…………………………」

 だというのにウミはその場から動こうとはしない。何か言うわけでもなくただその場に突っ立ったまま、じっと俺の目を見つめている。

「なんだよ」

 先に折れたのは俺のほうだった。

 当たり前だ。そんなにもまっすぐに見つめられてしまえばそっけなく接してしまったことが申し訳なくて、ばつが悪くて目をそらしながら先を促すしかなくなってしまう。

「久しぶりにアオイの顔見たなって、にへ」

 だから何だというのか。ウミは嬉しそうに笑うだけでそれ以上の言葉を紡がない。

「久しぶりって程じゃないだろ。数日会ってないだけで」

 初日を除いて、俺は茜さんの部屋にあがることはしていなかった。毎度のようにあがっていきかと尋ねられはするのだが、不安らしい不安も無くなった俺はそれに頷き返すことはしなかった。

 しかし、そうは言っても存在は近くに感じていたはずだ。漏れ聞こえる声は認識できなくとも毎日お裾分けしていることをウミも知っていたのだから、インターホンが鳴るたびに俺の存在を感じていただろう。

 だというのに、何をそんなに嬉しそうにしているのか。

 数日前の自分を棚に上げそんなことを思っていると、ウミは笑顔のまま吐露した。

「でも、アオイの顔見てないのなんか寂しかった」

「…………は?」

 完全に虚を突かれた俺は子供みたいな顔をしたことだろう。

 眉を顰めるでもなく、ただ眼を見開き呆けた顔をさらしたことだろう。

 ウミはそんな俺を見て照れくさそうに笑い、こう続ける。

「だから、アオイに会いたかった」

「そう、か」

 うわ言のように返し、ようやく我に返った俺は自らの口元を手で覆い、顔をそらした。

 口元を見られるわけにはいかなかった。見られてしまったら、俺が今心の底から喜んでいることがばれてしまうから。

 気持ち悪く引きあがった口角を見られるわけにはいかない。

 ウミが俺のことをよりどころとして扱ってくれていることに満たされた自分が露見しないように。いつもの調子で会話を心掛ける。

「茜さんに迷惑かけてないか?」

 話をそらそうとしたわけではない。ウミの寂しかったという思いに答えたくて話題を探した結果、真っ先に出てきたのがそれだっただけだ。

「うん。アカネもアオイと一緒で忙しいみたいだけど」

「今部屋にいないのか?」

「あるばいとだって」

「そうか」

 茜さんは今あのドラックストアにいるということだろう。それを知ったからと言って何か変わるわけでもない。主がいないのをいいことに彼女の部屋に上がり込もうとするわけもない。

 そこで俺はふと気になったことを訊いてみることにする。

「イズミはちゃんとしてるか?」

「ちゃんとって?」

「茜さんと会話しないとか、そういうことはないかってこと」

「んー、それはいつも通りかな」

「いつも通り、ね」

 俺に対する態度と同じくそっけないというか、露骨に距離を置こうとしているといった感じということだろうか。

 先日訪ねたときはミサキとも仲良くしているようで安心したが、それを聞いて悩みの種が増える。

「アオイ、イズミのことはちょっとだけ許してほしい」

「別に怒ったりはしてない。ただ茜さんに申し訳ないだけだ」

「うん、でも許してほしい」

 イズミの性格について文句を言うつもりは毛頭ない。人当たりの良くない性格なのはわかっているし、それを差し引いたってイズミはまだ小学生の年齢だ。ウミができすぎているせいで忘れがちだが子供に何もかも求めるのが傲慢というものだ。

 そんな思いも事細かに口にして伝えているわけではないからウミは不安なのだろう。困ったようにつぶやく。

「イズミは大人が好きじゃないみたいだから」

「…………そうか」

 理由を尋ねるかどうか迷った。ウミがイズミの大人嫌いという事情を熟知しているかも定かではないが、俺自身大人に対する認識はあまりいいものではなかったからだ。

 だから俺は何か事情があるのかもしれない、と胸中でつぶやくだけにとどめた。

 しかしウミはなおも困り顔のまま唸っていた。

「なんでなのかわかんないんだよ。でもイズミ師匠とかも嫌ってたし」

 時折話に出る師匠という人はどんな人なのか。ウミの話を聞く限り学校の先生に近しいものらしいが実際はよくわかっていない。

 しかし学校の先生と定義すればイズミとの不仲も想像に難くない。

 教育者といえども人間、会わない相手だっているものだ。むしろ教育者だからこそできる子を甘やかし、できない子供にはきつく当たるものだろう。

 イズミの性格を鑑みれば、いやその環境を思えばわかることもある。

 出来のいい姉と比べられる。そんなことだってあったのではないだろうか。

 そうなると常に比較してくる大人は彼女にとって暖かいものではなくなってしまう。兄弟のいない俺には無縁の感情だが、そんな風に空想することはできる。

「まあ、好き嫌いは誰でもあるしな」

 俺はイズミの大人嫌いという事情を勝手に解釈し適当な相槌を打つ。

 ウミはなおも難しい顔をしていたが、考えても意味のないことだと理解したのか一つ息を吐くと申し訳なさそうに笑った。

「アオイにももう少し懐いてくれるといいんだけど」

「いやいいよ。全くコミュニケーション取れないわけではないし」

 話しかければ返してはくれる。イズミ側から話しかけてくれることはそれこそウミに関係していることのみになるだろうが。

 意思疎通に関して障害となるほどではないし、俺自身もあまり会話が得意なほうではないからむしろ今の状態でも気が楽でありがたいくらいだった。

「それに言われて変えられるなら苦労はしないだろ」

 自分がそうだから、とまでは言えずに言葉を濁す。

「ん、でもアオイとは仲良くしてほしい」

「別に仲悪くはな――」

「おい葵? まだ話してんのか? 女子大生にメロメロなのか?」

 いつまでも戻ってこないことにしびれを切らしたのか健がひょっこり顔を出す。慌てて振り返るが時すでに遅し。健の瞳はすでにその黒髪をとらえていた。

「おっ、ウミちゃんじゃんか」

 そう呼びかけられたウミはその巨体に圧倒されたのか肩を跳ねさせた。しかしそれも一瞬ですぐに姿勢を正すと健に向き直り、首を傾げた。

「ぇ、っと?」

 健ではなく俺に視線を向けるウミ。その瞳から救援要請を感じ取った俺はウミに伝わるよう端的に説明する。

「パン屋のお兄さんだ」

「あ、アオイの友達の」

 一度顔を合わせているからすぐに理解したのだろう。ウミは得心がいったとばかりにうなずくと改めて健に向き直った。

「こんばんは」

「おう、こんばんは」

 にへへ、と笑うウミに健も笑みを返す。お互い人当たりのいい性格をしていることもあってひやひやするようなことはない。相も変わらず目上の人に対する態度としては小言を言いたくもなるが、わざわざ横槍を入れるほうが無粋というやつだ。

 そう思いながら少しならば二人に会話をさせても平気かと思い気を緩めた。

 しかし、そんなときに限って俺の友人はいらぬことを気に掛ける。

「ウミちゃんこんな時間に葵のとこ訪ねてきてどうしたんだ?」

 先ほど慌てたのは、そう尋ねられる危険性を理解りていたからだ。

 健は当然俺が一人暮らしをしていることを知っている。家庭環境まで説明したわけではないが、俺が実家からかなり距離を置いていることも知っている。精神的にも物理的にも。

 健はウミが俺の妹だと誤解している。そんな彼女が平日の夕食時に実家から俺の部屋までやってくるということに疑問を抱くのは必然だった。

 頭が悪いだけで道徳はもちろん備えているし気を利かせることだってできる友人を少しだけ疎ましく思いつつどう理由をつけるか思案する。

 家族で近くまで来ていたとでも話しておくのが妥当なところだろうか。健は俺の実家の位置を正確には把握していない。ここからそれなりに距離があることは知っている程度だ。何か突っ込まれても疑念を膨らませるようなことにはなるまい。

 そう思いつつ口を開く準備をするが、しかしそれよりも早く健がニヤニヤしながら言った。

「なんだアオイに会いに来たのかぁ?」

「うん、アオイに会いたかった」

「…………ウミちゃんってブラコンなのか?」

 からかい口調は一瞬のことで、あまりにもまっすぐな物言いに健は若干引いていた。

「まあ、仲はいいほうだよ」

「にへへ」

 助け舟とも呼べない相槌を返せばウミは満足そうに笑う。俺は俺でまたにやけそうになる口元を必死に引き締めた。

「んならよ。晩御飯一緒に食べていけばいいんじゃないか? おすそ分けの分引いてもまだ余裕あるだろ?」

 健が提案した瞬間、ウミが一瞬嬉しそうに目を輝かせたのを俺は見逃さなかった。そしてすぐに思案にふけるさまを見せたことも。

「健はこう言ってるけど、ウミはどうする?」

「んー、みんな待たせるのも悪いからいい」

「そっか」

 ウミの顔を見て何となく答えはわかっていた。感情の面だけで判断するのなら本当はもっと一緒にいたいと思ってくれていたのかもしれないが。

 自意識過剰になり始めている自分を律するためにも一度健に向き直る。

「ってわけだ。このままウミは帰るってことで」

「おお、そうか。まあ誰かと来てるなら、ってかあれかお母さんとかに連れてきてもらってたのか。ならあんま引き止めんのも悪いな」

「そうだな、俺たちも夕飯の準備あるし」

 なんだか勝手に納得してくれた健に合わせてこの場を切り上げてしまおう。

 そう思った俺はウミに別れの挨拶のつもりで手に持ったタッパーを掲げた。

「これありがとな。俺もすぐに持って――」

 言いかけて健に悟られないかを危惧して言いよどんだ。

 おすそ分けする相手は隣に住む女子大生だと話してはいたので、その予定をウミに宣言するのは不自然だ。

「うん、待ってる」

 しかしウミはそんな俺の不安を気取ったのかそうじゃないのか、俺が言い終わるまでもなく言いたいことはわかったとばかりに笑顔で頷いた。

 健はそれを兄妹特有の意思疎通だとでも思っているのはニヤニヤしているので、俺の不安は杞憂に終わりそうだ。

 とはいえ、あまりにもそんなからかいたそうな表情をされてしまえばこちらとしても距離を置きたくなるものだ。俺は一つ溜息を吐いた。

「健。キッチンに戻って米炊いとけ。俺はウミを送ってくる」

「おう、しっかりな」

 最後までにやにやしていたが、俺の態度に満足したのか健は素直に引っ込んでいく。

 俺はそれに嘆息すると靴をひっかけ玄関を出た。

「アオイ、送ってくって隣だよ?」

「わかってるよ。でもほったらかしにするほうが怪しまれるだろ。カモフラージュだよ」

「そっか。いいねかもふらーじゅ。にへ」

 意味を理解しているのか、ウミは満足そうにたどたどしい発音でオウム返しをする。

 そんなに嬉しそうにされると、俺には少し毒だ。

 そんなにも好かれて、信頼されているんだと思えてしまうのは少し痛い。

 まだ俺は慣れていない。充実や幸福というものに。

 ウミから向けられるそれらは確かに嬉しいと感じるけれどそれでも限度がある。あまりに大きな幸せは俺の中では受け止めきれない。

 申し訳ないとか、期待に応えられるか不安だとかそういうことではない。

 ただ容量を超えてしまう。

 だから俺は多幸感を嚙み締めつつ、傲慢にも少しづつ慣らしてくれと思わずにはいられなかった。


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