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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第二章 二人の異世界人
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モザイクの向こう側 3

 駅から歩いて住宅街へ抜ける。マンションの最寄り駅とは違い駅周辺に大きな建物があるわけでもないのでそもそも駅を出ればすぐに住宅が見えてくるのだけれど、見知ったその道を歩くまでは住宅街に入ったという実感はわかなかった。

 見知った、といってもこの道を歩いたのは数えるほどしか無い。

 中学三年の数ヵ月。肌寒い季節しか知らないこの町の姿。

 あれから自らの意思で赴こうとは一度も考えなかったこの場所。

 年末も年始も、お盆にも。どうにか帰らなくていい理由をでっちあげていたその場所。

 先月末にも訪れたはずなのに、無性に懐かしいと感じるのは俺が今一人でこの道を歩いているからだろう。

 異世界の同居人がそばにいないから。今更昔を回想しているのだ。

 既視感というものを感じたから。

 一人でこの道を歩いていたあの数か月を思い出してしまった。

 けれどやはり心持ちは軽い。

 気が楽だとまでは思わないが今すぐ消えてしまいたいと思うことはなく、それこそ帰路を歩むような足取りでアスファルトを踏みしめていく。

 傘を打つ雨はその重みを腕にまで伝えてくる。ズボンの裾も本来よりも色を濃くして、風が吹かずとも腕に水滴が叩きつけられてしまう。

 雨の音は強くなり続ける。真夏の夕立のような激しさを持った梅雨特有の長雨。

 いつかは雨脚も弱まると分かってはいるけれど、それはまだ先のことらしい。

 靴の中に染み込み始めた冷たい感触のせいで俺は速足になった。

「…………」

 そして、その家の前につくと同時に足を止める。

 こぎれいな一軒屋。短い階段の先にあるそれを見据えながらインターホンに手を伸ばす。

 流れるような動きだった。

 ためらいは無かった。

 覚悟はとうに決まっていたから。

 呼吸を整える間もいらない。

 俺は傘の下ろくろを肩に当てそのボタンを押し込む。

 その刹那、目の前の家から大げさな開錠音が聞こえてきた。

 当然俺の意識はそちらに向けられ、押し込まれる寸前だったボタンは指を押し返した。

 まさか俺の姿を見て文句でも言いに来たのだろうか。そう思った。

 今回は前もって訪ねる旨も伝えていない。

 あの女が俺の姿を見て激昂するのは簡単に予測できた。

 しかし、直後投げかけられた声には驚きと共に喜びの感情が込められていた。

「葵君!」

 声の主はドアが閉まるよりも早く駆け出し俺のもとまでやってくる。

 土砂降りの中傘も差さずに。

「島崎さん」

 その姿を認めるなり俺は目を見開いてしまった。

 てっきり、彼はいないと思っていたから。

「今日は、お仕事お休みなんですか?」

「そうなんだ。抱えてた案件がひと段落してね」

 目の前までやってきた島崎さんに傘を傾けると彼はニコニコしながら頭を入れた。

「葵君は、どうして? あいや、そんな聞き方はおかしいね。来るなら連絡を入れてくれれば迎えに行ったのに」

 島崎さんは上機嫌で興奮気味だった。

 それはもしかせずとも俺の訪れが関係しているのだろう。

 ずっとまともに向き合うことすらしてくれなかった血の繋がらない息子が自ら訪ねてきてくれたのだ。正月にも帰省しないような子供が。

 一緒に食事がしたいと、そう言っていた彼が俺の訪問に喜んでくれることは当然のことと言えば当然のことだった。

 しかし俺は突然の再開に戸惑いながら苦笑いしか浮かべられない。

「とにかく上がって。この雨の中歩いてきたのは大変だっただろう」

 さあさあと俺を手招き彼は階段を昇っていく。

 傘を持たない島崎さんを気遣い傘を傾けると、自然と俺も彼の後をついていく形となった。

「葵君お昼はまだだよね?」

「あ、はい」

「じゃあ食べて行ってよ。今から作るところなんだ」

「島崎さんが作るんですか?」

「二人で作ってるんだよ」

 終始楽し気な彼の言うもう一人に心当たりはないが、きっとそれは外面のあの女なのだと思った。外面というよりかは、俺以外の人間に向ける柔らかい感情を持ったあの女。

 あいつが今台所に立っているのかと思ったらなんだかやるせなくて、俺は玄関前でもたもたと傘を畳んだ。

「濡れてないかい? シャワー浴びるかい?」

「…………それじゃあタオルだけお願いします」

 大丈夫だと言おうとして、しかし裾を濡らしたズボンで上がり込む方が不躾だと思いそう口にした。

 島崎さんはすぐに「わかった」と言うと浴室のほうへ向かう。

 一人残された俺は玄関をくぐり、靴から踵を抜いて彼を待った。

「…………」

「…………」

 当然、様子を見に来たあの女は俺の顔を見るなり目つきを悪くした。

 島崎さんがいないからだろう。俺と一対一の時にはそんな目をする彼女のことを少しだけ恐ろしく感じ、俺は頭を下げた。

「…………お邪魔します」

 島崎さんもいる前でそう言うべきだったと思いながらも口にする。挨拶が遅れたのは紛れもない事実だ。久しぶりも口にしていない。

 当然返事は返ってこなかった。

 嘆息とも舌打ちとも取れる苛立ちのこもった吐息を聞きながらゆっくりと顔を上げると、映った景色の中にもうあの女はいなかった。


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