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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第二章 二人の異世界人
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決意

「まさか隣に住んでるなんてね。挨拶とかそういう習慣なかったから知らなかったよ。これから困ったことがあったらよろしくね」

 そんなやり取りを最後に別れた茜さんは、今隣の部屋で何を思っているのだろう。まさかストーカーの疑惑を掛けたりはしていないだろうか。俺が茜さんに取り入るために嘘を吐き、自宅を突き止めるために話を合わせていたと。

 そんなこと考えている俺は、現実逃避の真っ最中。

 週末の夜。あれから日をまたぎバイトに励んでから帰宅した俺は、ローテーブルの前で胡坐をかき頬杖を着いた重々しいため息を吐いていた。

「……どうにもならないよな」

 とうに出ていた結論を今更ながらに口にして、傍らのやせ続ける財布を一瞥する。

 貯蓄の減りは思ったよりも深刻だ。来月中のどこかで限界は来るだろうと予測していたが、現状を見るに八月の中旬には首が回らなくなりそうだ。

 学校行事のために蓄えていた貯蓄も順調に減り続け、数日後の給料日になればその日のうちに下ろさなくては生活が破綻してしまうほど。

 いよいよ打つ手がなくなり、何も失いたくないと我が儘を言っていられる状況ではなくなった。

 俺はスマホを操作して求人情報の中から比較的時給のいいものをチェックしていく。

 どれもこれも駅前だが、贅沢は言えない。俺はその中で最も条件の良さそうな居酒屋バイトのページを開き募集要項を確認する。

 どうやら居酒屋でも未成年を雇ってくれるらしい。賄いも出て給料もいい。シフトは要相談とあるがそこはコンビニの方に融通を効かせてもらうとしよう。店長には昨日のうちに了解を得ている。

 俺はウミたちとの時間を犠牲にすることを選んだ。最初からそのことで迷うことの方がおかしなことではあったけれど、その決意までに相応の時間を要した。

 ウミたちとの時間を削るのはそれこそ身を削るような思いだった。

 苦渋の決断。そう言ってしまうのが適当かもしれない。

 それでも俺は選んだ。もしもウミたちと顔を合わせる時間を失おうとも、共に暮らす時間のほうを取った。

 電話番号を表示させ、それから時間を確認する。

 時刻は十一時過ぎ。今日が終る直前。さすがに今いきなり電話をすることはできない。俺は表示された画面をスクリーンショットで撮るだけに留める。

 電話を掛けるのは明日だ。幸い明日はバイトが無く土曜日で学校も休みときている。

 明日の内に電話をかけ、面接の約束を取り付けよう。

 頭の中で予定を組み立てスマホをテーブルに置く。それから俺はようやく自分の寝床を用意し始めた。

 本来健のものであるはずの布団。それをリビングスペースに敷き枕を放る。掛布団はもう必要ないどころか余分だと感じるほどなので部屋の隅へと追いやった。

「よしっ」

 勢いづけて体を起こすと一瞬の立ち眩みが眠気を混ぜ返した。

 それでも今後の方針が決まったからだろうか、俺は清々しい気持ちで息を吐くと電気を消すために玄関の方へと向かった。

 今夜はいつにもましてよく眠れそうだと満たされた心地でスイッチに手を伸ばし、まさにそれを指先で押し込もうとした、そんなときだった。

「アオイ、起きてる?」

 それを遮るみたいにウミが寝室から顔を出した。

「悪い、起こしたか?」

「ううん」

 先ほどのふいに出た声で起こしてしまったのかと不安に思いながら言えば、ウミは首を振る。目を合わせてみればその瞳はしっかりと開いていた。

「……喉でも乾いたのか?」

 不思議に思ってそう切り返すが、ウミは首を振る。

 いったいどうしたのかと思いつつ彼女の顔をのぞき込み、そしてようやくその顔が不安に染まっていることに気付いた。

「怖い夢でも見たのか?」

 ウミはまた首を振った。俺と同じシャンプーの香りに交じってウミ自身の匂いが漂う。

 俺ではない誰かがそこに実在していることの証明。夢ではないことの証明。

「何でもないなら、俺寝るけど」

 そう言って電気のスイッチに手を伸ばした俺を、ウミが強く呼び止めた。

「寝ないでアオイ」

「…………怖い夢を見た、ってわけじゃないのか?」

「うん、話がある」

 はっきりと頷いた彼女を見て、俺は頭を掻いた。

 今まさに眠りにつこうとしていたことを妨害されたからというものあった。けれどそれ以上にそのただならぬ空気に後ずさりしそうになって、ごまかしでそうした。

 それからため息を吐いてローテーブルの前に胡坐をかく。ウミに正面に座れと視線で訴えれば彼女は素直に応じた。

「で、話ってんだよ」

 ウミがちょこんと座ったのを見た俺はやや鬱陶しく思いながら応対し始めた。

 何せもう夜中だ。明日は休日とはいえそれなりに決意を固めて決めたことがあったのだ。ここ最近頭を悩ませていたこともあって早く睡眠をとりたかった。

 胡坐の上に頬杖をつくみたいに体を丸め、いったい何の話かと微睡みながら待つ。

 その間が長ければ、あるいはこんな衝撃は受けなかったかもしれない。睡魔に侵食され始めた俺はそれに身を任せたいと切に望んでいたから。

 けれど俺の問いかけから一切の間を開けずに言われたから、目を見開いてしまった。

「イズミを匿って」

 その言葉が耳に届いた瞬間、ウミの思惑がわからず固まった。睡魔にむしばまれていたからではなく、その言葉の意味を測りかねた。

「……どういう意味だ」

 けれど結局答えは出ずに、いくら考えても答えなどでないからそう問い返した。

 決して威圧的な声を出したわけではない。けれどなぜだろう。思いのほか俺の声は刺々しく、憤っているようにも聞こえてしまう。俺の耳にそう届くくらいだ、ウミにはきっともっと高圧的に届いただろう。

 けれどウミは一切ひるむことなく言い放った。

「一人なら、大丈夫だよね」

 俺は歯噛みした。憤りからではなく、悔しさからでもなく、虚しさのあまり。

「どういう意味だよ」

 俺はとぼけたふりをしながら呟くように言う。ローテーブルに肘を乗せ、さっぱりわからないなんて顔をしながら身を乗り出す。

 けれどウミは、毅然とした態度を変えることは無かった。

「限界、なんだよねアオイ」

 確認するように、けれど確信したように言うウミ。

 おためごかしは通用しないと理解した俺は一つ息を吐いた。

「なんでそう思う」

「アオイ最近ずっと悩んでるみたいだし、ウミを匿ってもらうお願いをした時に少しだけ困った顔したから。それと、葵の負担が増えるのは最初からわかってたから」

 あらかじめ用意していたのか、ウミはつかえることなく言い終えると苦笑いを浮かべる。

 えへへ、なんて作った笑みを。

「でも、一人だけならもう少し大丈夫だよね? イズミだけならもう少し匿ってもらえるよね? だからアオイ」

「お前が出て行くって、そう言うことか?」

 言葉を遮り結論を口にすれば、ウミは一瞬口ごもった。

 俺の感情を覗き見てしまったのか困ったようなその間は、しかしすぐに埋められた。

「お願いできる?」

「…………」

 拒絶の言葉はあらかじめ用意していた。けれどウミのその切実な眼差しを見て、俺は言葉を飲み込んでしまった。

 この我慢の上手な異世界人が二人とも匿うと大きなことを言う俺になんと返すか、予想できてしまったせいだ。ウミが現状を悟ってしまったせいだ。

 俺はどう彼女を引き留めるか考え、目を逸らして言う。

「そうしたらウミはどうするんだよ。前に言ってただろ出会えたのが俺でよかったって。ほかの人なら頼れなかったかもって」

 俺は苦虫を噛み潰す思いでウミを引き留めにかかる。引き留めるというよりは、ここに残る以外の選択を取ることはできないだろうと突きつける、卑怯なやり方。

 そんな方法を使ってでも、俺はウミを手放したくなかった。

 けれど、ウミもウミでそんなことは承知の上だった。その決意の表れが、イズミがいないこのタイミングでの相談なのだ。

「それは考えてないけど、でもどうにかする」

「どうにもできないだろ。お前自身がそう言ってた」

 間髪入れずに否定する。

「そうだね。でも今のままだと、アオイが苦しいでしょ?」

「そういう気遣いはいい。俺は前に言っておいただろ。限界が来たら言うって。出て行けって言うって。そう言ってないならまだ限界じゃない」

 必死になって引き留める。

「でもアオイ大変だよね。私たちのために仕事増やすんでしょ?」

「それは俺が自分で決めたことだ。それにそうすれば余裕ができる」

 余裕の無い声で、言い聞かせるみたいな声音で言うからだろう。

「でも、今は限界なんだよね」

 何を言ってもウミは俺を気遣うような言葉ばかりを口にしてとりあおうとしない。

 それは自身の決断を押し通すという意思の表れのようにも思えて、俺はついつい語気が荒くなり始めていた。

 そんな俺を諭すみたいに、ウミは静かに俺の名を呼んだ。

「アオイ。私たちのために無理しなくていいよ」

 居候の異世界人は息が詰まったような顔をしながら、けれど俺のことをまっすぐに見ている。ウミの中でわだかまる矛盾が、その態度に顕著に表れていた。

 本音と建前。気遣いとわがまま。

 二人とも匿ってほしいという思いと、これ以上の迷惑を掛けたくはないという思い。

 その二つの感情に折り合いをつけ、消去法的な結論で彼女は俺に妹を託したいと頼み込んでいる。

 その気持ちは、決して無下にできるものではない。まっとうな心の揺れで、当然の決断と言えるだろう。自身よりも妹を守りたいという、ウミの姉としての責務、義務感にも似た何か。そんなものによって導き出された答えでも紛れもなくウミ自身の気持ちだ。

 けれど、二つ返事で請け負うことはできない。

 そんなことできるはずもない。

「期間限定でも家族だろ。そんな簡単に手放したりできない。お前が家族なら、その妹のウミだって同じようなもんだ。追い出したりなんかしない。それに」

 俺はウミと離れたくはないし、ウミだってここを出るのは不安なはずだ。

 そしてそれだけではなく、

「イズミがそれで喜ぶわけないだろ。あんなお姉ちゃん子なんだぞ。お前がいなくなったって知ったら探しに出るに決まってる。それどころか一緒になって出て行くって言いだしかねないだろ」

「でもそうなったら、二人とも大変になっちゃう。イズミが苦しい思いをしちゃう」

 震える声で、ウミは切々と言った。俯けた瞳には、先日の憔悴した妹が映っているらしい。

 偽りの家族はそれを振り払うように頭を振り、それからあからさまな作り笑いを浮かべると俺に向き直った。

「だからアオイお願い。イズミだけならもう少し匿えるよね? 三人になるからダメなんだよね? イズミだけでいいからもう少しだけ――」

「二人とも匿う」

 ウミの言葉を遮って、俺は苛立ったように声を上げた。

 自棄になったような声音、態度。それを見たウミは怯んで言葉を止めた。

 だから俺は繰り返し言う。

「二人そろって家にいていい」

 苛立ったような声音はそのまま、強く繰り返した。

 やけになった、とウミは感じ取ったのかもしれない。彼女は申し訳なさそうに顔を伏せると何か言いたげに口を開く。声にはならない「でも」が聞こえてきた。

 俺は少々言い方がよくなかったと反省し深呼吸を試みる。

 一度二度と、胡坐のまま背筋だけを正して幼い自分の心を落ち着ける。

 自棄になったわけではなかった。意地になっているわけでもない。確かに声音は優しくなく、憤っているように見えただろう。八つ当たりのようにも思えただろう。

 確かに俺は憤っていた。けれどそれは自己犠牲の精神で妹を守ろうとしたウミに対してではない。

 ほかならぬ、俺自身に対してだ。

 我慢が上手な彼女にそう言わせてしまった、自身の不甲斐なさに対してだった。

 けれど、俺が表したかったのはそれではない。だから心落ち着けると俯いた期間限定の家族を見据え、間違えの無いように落ち着いた声音を心掛ける。

「ウミ。二人とも匿う。だから、変なことを考えないでくれ」

 伝わるだろうか。伝わっただろうか。

 そう思って間を空けるが、ウミは俯いたまま顔を上げることはしない。

 申し訳なさが勝ってしまっているのだ。だから俺の言葉を、そこに秘めた決意を彼女は額面通りに受け取れない。

 きっと今どれだけ言葉を尽くしても伝わらない。

 そう思った俺は大仰に息を吐きながら立ち上がり、強張った首の筋肉をほぐした。

「ウミ、明日改めてその話をしよう。今日は、寝れるようなら寝てくれ」

「…………わかった」

 ウミは何か言いたげだったが頷くと素直に立ち上がった。

 悩んでいるような面持ちの彼女を寝室まで連れ添い、執事のようにドアマンを買って出る。大きな音を立ててイズミを起こしてしまわないようゆっくりと、落ち着いた所作でドアノブを捻る。

「ウミ、寝れなかったら悪い。でも明日ちゃんと結論を出すだからそれまで待っててほしい」

「……わかったよ。アオイ」

 ウミはやっぱり何か言いたげだが、それでも笑みを湛えてそう返してくれる。

 俺はそんな彼女に頷きを返し寝室へと手ぶりで導く。ドアを開けたまま二つの部屋の間で視線をかわし、そのまま暫し見つめ合う。

「……おやすみ」

「おやすみ」

 けれどその間に生まれた声はそれだけで、ウミは挨拶を終えるとすぐに背を向け寝室の奥へと向かってしまう。音をたてないようにしているのか彼女が遠ざかっていく間奇妙な静寂が俺の脳を揺らした。

 彼女がベッドにもぐりこんだのを見届けた俺はドアを閉め、それから一人決意を新たにする。

 頼るべき相手。そこに手を伸ばそう。

 そう自分に確認を取ると、なぜだろう不思議と恐怖よりも誇らしさが胸を満たした。


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