表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第二章 二人の異世界人
33/104

二人目の同居人 5

「久しぶりだね。まさかこんなとこで会うとは思わなかったよ」

「俺もです」

 コンビニを出ると俺は彼女と肩を並べて歩いた。

 俺よりも少しだけ背の低い彼女。ドラッグストアで慌てふためいた俺に親切な対応をしてくれた女子大生。あの時から一度も顔を合わせることの無かったその人。

 二週間も前に一度顔を合わせただけだからその顔を記憶できているかは定かではなかったのだが、案外俺の記憶力も馬鹿にしたものではない。

 隣を歩く陽光を照り返す茶髪も、どこかけだるげな色っぽくも感じられる目元も俺の記憶の中と完全に一致していた。

「あの時はありがとうございました」

 歩き出してすぐ、俺はそう口にしていた。

 会話が滞ったわけでも、潤滑油としてそう口にしたわけでもない。

 特別会いたいとも、お礼を改めて言いたいとも思っていなかったがいざ前にしてしまえばその言葉は簡単に口から出てきた。

「ああ、気にしないで仕事だし。それで、元気になった? えっと、妹さん?」

「そうですね。今はもう落ち着いて、元気です」

 言われて、彼女に誰のための薬が必要なのかを説明していなかったことを思い出す。例によって異世界人の居候のためと説明することはできないので話を合わせてぼかす。

「そっか、よかった。君慌ててたから結構心配だったよ。重症でもなかった?」

「曖昧なところですね。今は平気ですけどあの時は結構危なかったかもしれないです」

「じゃあ間に合ってよかったよ」

 二週間前のことを思い出しながら口にすれば、彼女は安堵の息を吐いた。

 本当によかった。あの時だからよかったのだと思う。

 もしもあの日俺がイズミとすれ違わなければ、もしかするとイズミとウミが再会することは無かったかもしれない。もっと未来になって。それこそ二週間たった今頃になって取り返しのつかなくなったことを知らされることだってあったかもしれない。

 あの時イズミは死の狭間にいたと言ってもいい。

 おぼろげな瞳も、細すぎる腕も、力ない声も。何もかもが悪い意味で頭にこびりついている。危機と言う言葉をあれほど間近で実感したのは初めてのことだった。

 あの時についたハンドルの傷のように、決してなくならない記憶になっている。

「やっぱり栄養失調だったの?」

「そうですね。それと過労とかですかね」

 病院になど連れていけていないが話を合わせる。

「そっか。なんかよっぽどのことがあったんだね」

「そうですね」

 彼女はどうしてそんなことになったのか、とは聞かなかった。

 きっとこちらのことを気遣ってくれたのだろう。俺はそのことに感謝しつつ手元のささくれを手のひらで覆う。

 チェーンの音が一瞬テンポを外れ、それからまた一定のリズムを刻み始める。

「でも君さ…………」

「どうしました?」

 何かを言いかけ、しかし難しい顔をした彼女を不審に思い首を傾げると、彼女はその眠たげな眼をこちらに向けた。

「よかったら名前教えてくれない? なんかいちいち君って呼ぶのも違和感すごくて」

「あ、島崎って言います」

「下の名前は?」

「葵です」

「島崎葵ね。どう呼んで欲しいとかある?」

「好きなように呼んでもらって」

「んー、じゃあ葵君でいい?」

 結局敬称をつけ距離を保とうとはするんだなと思いながらも俺は「はい」と頷く。

「うん。葵君さ、あのコンビニでバイトしてたんだね。うちあんまりコンビに寄らないから知らなかったよ」

「そうなんですか。でも店長とは親し気でしたよね」

「あの人は誰とでも親しいよ。そういう人でしょ」

「そうですね」

 確かに、店長はびっくりするくらいパーソナルスペースの狭い人だ。だから初対面だろうとプライベートな話題をずかずか切り込んでくるし、その事に対して悪びれる様子を見せることは皆無だ。

 けれど、そんな遠慮のないあり方を不快に感じさせない何かが店長にはあった。

 もしかすると一種のカリスマなのかもしれない。そんな人が住宅街で小さなコンビニを構えているというのもおかしな話にも思えるが、あの人は確かに誰とでもとっつきやすく接することのできる類まれなる才を持った人だと思っていた。

「まあそれだけじゃなくて、大学が関係してるんだよ。うち今近くの大学に通ってるんだけど、あの人はそこの卒業生みたいでね。行くとよくその話をするってわけ」

「近くの大学、ですか」

 言われて、この辺にそんなものがあっただろうかと脳内で地図を広げる。しかしあいにくと俺の行動範囲は常に一定で開拓されていないため、周りと言ってもバイト先や駅へ向かう道筋くらいしかインプットされていない。

「そう。駅とは逆方向にちょっと行ったところにあるんだよ。葵君ってこの辺に住んでるわけじゃないんだ」

「いえ、今一人暮らしをしてて」

「……葵君もしかして大学生?」

「いえ、高校生ですけど」

「そうだよね。大学生だったら近くに大学あったっけみたいな顔しないよね」

 決してテンションが高いわけではないが、聞き取りやすい声でゆっくりと話してくれる彼女のしゃべり方は心地よかった。

 母性とはまた違う柔らかなオーラのせいだろう。気付けば俺は彼女の歩幅を気にかけ、この時間の継続を望んでいた。

「……あー、そっか。大変だね」

 だから彼女が気まずそうな声を上げた瞬間俺はとっさに話題を転換した。

「あの、俺も名前聞いてもいいですか?」

「うちの?」

「ほかに居ませんよ」

「だよね。そう言えば名前聞いておいて自分は名乗ってなかったね。名乗るのが遅れてごめん。うちは津島茜。茜って呼んで」

「……茜さん、でいいですか?」

「それでいいよ」

 年上を呼び捨てにするのは憚られ俺はたどたどしくそう呼ぶ。対して茜さんはそんなことは些事だとでも言いたげに変わらぬ様子で快諾してくれた。

 その事に感謝を、と言うわけではないが、また茜さんの顔が曇らないようにと話題を探す。そしてはたと思い出した。

「茜さんドラッグストアでバイトしてますよね」

「うん、葵君も知ってのとおりね」

 切れ味の悪い問いかけにも相槌を打ってくれる彼女は店長に近い空気を持っているように思う。人を安心させると言うか、和ませると言うか、そんな空気を。

「バイトって今募集してます?」

 甘すぎる考えだとは思った。けれどせっかくのチャンスだ。飛びつかないわけにはいかなかった。

「ドラックストアで?」

「そうです」

 言い切ると茜さんは悩むようなそぶりを見せる。しかしそれはほんの一瞬のことですぐにこちらに向き直った。

「今は募集してなかったと思うよ」

「……そうですか」

 落胆が声に出ないよう心掛ける。しかし茜さんは平静を装ったはずの俺の顔を覗き見るとこう切り出した。

「バイト。増やそうと思ってるんだって?」

 その言い方はまるで、誰かから聞いた言葉を繰り返しているみたいだった。

 もしやと思いつつ、俺は尋ねる。

「店長から聞きました?」

「やっぱり葵君のことだったんだ。そうだよ。なんか頑張り過ぎようとしてる子がいるんだって言ってた」

 当たり前だが、茜さんは他人事のように言った。言葉の最後に興味はないけどね、なんて続けそうなそんな声音。

 けれどそれは冷たい音ではなくて、茜さんなりの気遣いなのかもしれなかった。

「頑張り過ぎ、ですか……」

「そう。心当たりはある?」

「過ぎってことは無いと思いますけど」

「頑張ってる自覚はあると」

 俺の心を読んだみたいに先回りして結論を語る彼女のお陰か、会話のテンポはスキップでもするみたいに軽やかだった。

「頑張ってるって程でもないとは思いますけど。頑張らなきゃとは思います」

「ブキさんの言った通りだね。頑張り過ぎ屋だ」

「ブキさん?」

「山吹だからブキさん」

「……店長のことですか?」

「そうに決まってるでしょ」

 眉根を寄せながらおずおずと尋ねれば、茜さんは笑いながら答えた。

 店長の名前を知らなかったわけではないが、あの人のことを名前で呼ぶことは一度たりとも無かったので山吹と言う名前を聞いてもなお店長と結びつけるのに時間がかかってしまった。

 そう言えばその名前は自己紹介の時に一度聞かされていたな、とおぼろげな記憶を引っ張っていると、茜さんはくすりと笑った。

「名前覚えてないんだね」

「いつも店長って呼んでるので」

 慌てふためいて弁解するのもおかしくて、俺は小さな言い訳を口にするだけとなる。

 茜さんはそんな俺を見て微笑みを湛えたまま続ける。

「ブキさんの言う通り、頑張り過ぎ屋だね葵君は」

「そう見えますかね」

 身近な大人にはよくそう言われるが、いったいどこがそう見えているのかはわからない。茜さんに関して言えば、俺が仕送りもなしにバイトの稼ぎだけで生活していることも知らないというのに。

 腑に落ちないと思いながらも相槌を打った俺に、茜さんは「見える」と断言する。

「頑張ると言うか、頑張らないことを知らなそう」

「そんなことないですよ。楽しようとはしてます」

 生活費をどうにか捻出しなければならない危機的状況においても、異世界からやってきた女の子との時間を優先しようとしていることがいい例だ。

 しかし茜さんは意味深に微笑むと俺の手を見た。ハンドルのささくれを隠したその手を。

「真面目な人には結構言えることだけど。甘え下手っていうのかな。葵君にはそういう空気があるからそう感じるのかも。悪い意味での真面目」

 冗談めかして笑い交じりに言う茜さん。しかし俺はそんな彼女の声を聞いて胸の奥の方をつつかれた気分になった。

 甘え下手。そう言われてしまうと俺は何も言えない。

 確かに俺は甘え下手なのだと思う。それは甘えられないとかそういうことではなく。

 一人でできないことは助けを乞うし、人の好意を無下にするほどの拒絶はしない。笹木パンでのサービスを遠慮しつつ最後にはそれを受け取ってしまうくらいなのだから。

 しかし、俺は甘え下手である自覚はあった。事実として甘え方が下手なのかどうかは別として。

 俺には甘え方というものがよくわからない。

 誰かを頼ることが甘えの範疇に入るのか、受動的な在り方そのものが甘えているとみられるのか、人の好意を受け入れることが甘えとなるのか。そういうことがわからなくて。

 言ってしまえばどこまで頼っていいのかがわかっていない。

 自分から誰かに頭を下げてお願いすることが今までなかったというのもあるし、それを聞き入れてもらえる環境になかったというのも原因の一つではあるのだろう。最後には結局一人でどうにかしなくてはならなくなると分かっているからというのも。

 度合いがわからないから、多分そういうどこか一歩引いたところが甘え下手に映ってしまうのだ。

 そして今まで甘えてこなかったから、甘えるのがきっと下手なのだろうと俺自身自覚している。

 だから何だという話ではあるけれど。

「過大評価ですよ」

 俺はもはや決まり文句となっている返しを彼女にもした。俺のことを真面目だと、いい子だと言う大人に対して散々そうやって釘を刺してきた。一種の予防線。幻滅されないための予防線だ。

 茜さんは横目で俺を見る。

「そう?」

「そうですよ。周りの人がそう言うだけです」

「いろんな人に言われるなら、きっと葵君は真面目だよ」

「そう言われて悪い気はしないですけど」

 俺の在り方をまわりに評価してもらえるのは素直に嬉しい。バイトを頑張っている姿を褒められればうれしいし、テストでいい点を取ってすごいて言ってもらえれば口元も緩む。それがたとえお世辞であっても嬉しいものは嬉しいものだ。

 それは俺の本心だったけれど、茜さんは腑に落ちなかったのか無感情に俺を一瞥すると会話を打ち切った。

「まあ、うちは葵君のことよくわかってないからはっきりしたこと言えないけどね」

 茜さんがそうやって他人事のように、我関せずだと言いたげにいう時は会話があらぬ方向へと進み始めた時なのかもしれない。例えば今の流れが継続されれば、俺は卑屈な言葉を口にしてしまう、とかそういう流れの時。

 その挟まれた言葉で空気が入れ替わるから彼女のその言い方からは気遣いを感じるのかもしれない。

「名乗りあってすぐですからね」

 茜さんが変えてくれた流れに乗って俺は苦笑を浮かべる。茜さんもそれに「それもそうだ」なんて無感動ながらも茶化したように相槌を打ってくれた。

 茜さんの歩幅と俺の歩幅は、噛み合った歯車みたいに同じ速度を保っている。

 会話を滞らせないためにお互いがお互いに合わせていたのだろう。俺の引く自転車はその二人に合図を送る様にチェーンを鳴らしていた。

 同じ速さで、同じ方角を向いて歩く。

 その事を今更ながらに実感した俺は、はたと思い出した。

「あっ、すみません。話に付き合ってもらって。あの家の方向ってこっちで合ってます?」

 俺は足を止め、確認する。

 何の気なしに歩いていたが、今の今まで俺は自分に馴染んだ道を選んでいた。

 つまるところ俺は自宅に向かって歩いていたのだ。

 そんな俺に茜さんは合わせてくれていた。

 その事にようやく気付いた俺は慌てて問いかけた。

 すると茜さんは一瞬何のことかと不思議そうな顔を見せ、

「あっ、ああ大丈夫。うち自分の家に帰ろうとしてただけだから」

「あ、そうですか」

 あっけらかんと言われて、俺は拍子抜けしてしまった。それから二人してまた同じ速度で歩き始める。

 いつもは自転車で瞬く間に駆け抜けていく住宅街を、ゆっくりと歩く。

 代わり映えしない灰色の日常の象徴ともいえる景色の中に年上の女性がいることを不思議に思いながらしばらく無言で歩く。自転車のチェーンだけが静寂を埋め、その音を聞くたびに話題を探した。

 何を話そう。どんなことを切り出そう。そんな風に思いながら並んで歩いているがいい言葉が浮かず無言を貫いていた俺は、ある時気付いた。

「茜さん。もしかしてですけど、同じマンションに住んでます?」

 目の前に四階建てのマンションが見えたときだった。茜さんがあまりにも迷いなくそこへ向かって行くから俺はそう切り出していた。

「え? いやそれは無いよ。だってうちの住んでるところ家賃結構高いよ。うちも大学提携で学割がきかなきゃ住めてないし」

「…………」

 その言葉を聞いて、俺は半ば確信していた。

 そのまま歩いてみれば、茜さんは案の定同じ四階建てのマンションの前で立ち止まった。

「ここだけど」

「俺もここです」

「……葵君の家ってお金持ち?」

「バイトをそれなりにしてます」

 答えになってないがそんなことを言ってその話題を終わらせる。

 俺は駐輪場に自転車を置き、そのまま二人で屋外廊下の方へ。

「…………」

「…………」

 二人とも当たり前のように階段へ向かい、互いを確認しつつ上る。

「…………」

 茜さんが後ろの俺を確認しながら二階の廊下を歩き始めたので俺もそれに続く。

「…………」

 二人して吹き曝しの廊下を歩き、いつお互いの足が止まるのかと待ちわびている。

 けれどそれはついぞ訪れず、茜さんが足を止め、それをほんの少し追い越したところで俺の足も止まった。

 眼前には島崎の表札。すぐ右隣のドアの前には茜さんの姿。

「………………」

 それから俺たちはお互いに顔を見合わせて、

「嘘でしょ」

「……本当みたいです」

 そんな間抜けなやり取りを終えた。

 思えば、隣人と顔を合わせるのは初めてのことだったかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ