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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第二章 二人の異世界人
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二人目の同居人 3

 帰り掛け、俺はネットで求人情報を見ていた。

 居酒屋、ファミレス、コンビニ。ゲームセンターやカラオケなど。周辺地域で検索したそれらを片っ端から閲覧していく。どれもこれも駅周辺の求人で、近場の求人など一つも見当たらないが文句は言っていられない。

 目に留まったうちのいずれかから求人情報を確認し、雇ってもらえそうなところを探し続ける。

「…………」

 しかし、そう簡単には見つからない。

 休日のどちらか必須とか、人手不足に喘いでいるのか週三日からとかそんな求人ばかりが目に留まる。それもそうだろう。わざわざネットに求人情報を出しているくらいだ。よほど人手が足りていないのだ。もしそうならば嘘でも週一日からとでも記載すればいいのだが、そんな書き方で中途半端な気持ちで応募される方が反って迷惑だと思うのかもしれない。

 俺はチェーンをカチャカチャ言わせる自転車を片手で押し、若干の千鳥足で肩を落とす。

 思うようにはいかない。そもそも今からバイトを増やしたとしてもその給料が入るのは来月になる。そのころにはきっと火の車だとか言っていられる状況ではない。

 そもそもからして、バイトを増やしただけでどうにかなる問題ではない。

 生活を切り詰めるのはもはや必至だ。

 そうしてどうにかこうにか食いつなぎ、バイトを増やした俺の稼ぎが増えることを待つ。その二つが成立しなければきっと崩壊は免れない。

 俺の願望や理想はどうやっても崩れ去る。

 来月さえ乗り切ればあるいは、だなんて希望もあるが鼬ごっこだろう。ぎりぎりの生活を強いられ続ける。

 ならば、俺はどうすればいいのか。

 そう思いながら駐輪場に自転車を止めスタンドを立てる。

 街灯の周りをうろつく蛾がその影を俺の眼前でちらつかせる。そんなことで神経を逆なでされている俺は心の余裕もない。そのうちウミやイズミに当たってしまうんじゃないかと恐ろしくなる。

 俺は深くため息を吐きながら階段を上りポケットからカギを出す。

 それを自室のカギ穴に差し込みガチャンと音を立てるとその残響を耳にドアを開けた。

「ただいま」

 覇気のない声で同居人たちに帰宅を知らせる。何も心配して欲しいわけではないけれど、その声に反応してひょっこりと顔を出してくれるのを渇望した。

「…………?」

 しかし、いつもならすぐに返ってくるはずのおかえりの声が聞こえず俺は眉を顰めた。

 まさか寝てしまったのだろうかと落ち着かない心を宥めつつ靴を脱ぐ。それをそろえることもなくリビングスペースに顔を出すが電気の消されたそこに彼女らの姿はない。

 俺は落胆しながらも、せめて寝顔くらいは覗き見てやろうと寝室のドアに手をかけおもむろにその扉を開けた。

「うーん、どこを書き換えればいいのかな……。こことここを変えて、後は……うーん? どうやってもうまくいく気がしないなぁ。イズミはわかる?」

「ねえにわからないことイズミがわかるわけない」

「…………」

 そこには、何やら四つん這いになって思案顔を浮かべる二人の姿があった。

 俺は安堵し、胸の内で息を吐く。起きていてくれたのかと暖かな心持ちになる。

 けれどそれも一瞬のことだった。

「……は?」

 ウミたちを見下ろした俺は気付いた。彼女たちの手の先。寝室の床の不可思議なものに。

「え、ちょっとおい」

 俺はうわ言のようにこぼしながらドアノブから手を離し、おぼつかない足取りでそこへと向かう。

「あ、アオイおかえり」

「にいおかえり」

 そこでようやく二人が俺の帰宅に気付き迎え入れてくれるが、そこに割く意識など残っていなかった。

 ざわつく胸は、冷や汗を誘発していた。

 彼女らの手の先にはカーペットもないむき出しのフローリング。この部屋本来の、人間で言えば素肌のようなその場所。本来木目だけが描かれているはずのそこには、覚えのある文様がでかでかと描かれていた。

 丸、四角、三角。それらを何十にも重ね合わせた奇怪な図形。ウミがやってきたあの日に一度見せてもらった幾何学模様。魔法陣。

 それがウミとイズミ二人を囲うようにでかでかと描かれていた。

 マットもカーペットもない、むき出しのフローリングの上に。

「お、お、おお……」

 不可思議な声が漏れ出る。当然それは感嘆の声でも称賛の吐息でもない。

 俺は知らず知らずのうちに握っていた拳をわななかせ、きょとんとした二人をきつく睨みつけた。

「お前らなんてことしてくれたんだよぉ……!」

 しかし口から出た声には鋭さはなく、悲嘆だけが込められていた。

 二人は顔を見合わせ、俺を案じるように顔をのぞき込む。

「アオイ? どうしたの」

「にい?」

「いや、どうしたのじゃなくて、お前らだよ原因は」

 頭を抱えながらさめざめと泣く様に溢せば二人は首を傾げる。

 俺は深くため息を吐きながら、彼女らの横に転がっていた油性のマジックを睨んだ。

「床にッ、油性マジックでッ、魔法陣を書くなッ!」

 言葉を区切り強調しながら言えば、ウミははっとした。

「……ダメなの?」

「ダメに決まってるだろ。ここ賃貸なんだから」

「あ、ご、ゴメン」

 知らなかった、と言いたげのウミは慌てて床に書いた魔法陣をローブの袖で擦る。

 けれどそんなのことで油性マジックをどうこうできるはずもなく、ただローブの袖が汚れるだけだ。

 俺は深くため息を吐き無表情に俺を見上げていたイズミに目を向ける。

「これは、いったいどういうことなんだ?」

「元の世界に帰るための魔法をねえが作ってる」

 悪びれる様子もなく淡々と答えるイズミに俺は顔を顰めた。

「何で行きなり。ってか今更」

 今までウミは一度もそんなことをしていなかった。

 初めのころに彼女は、よほどの奇跡が起きない限りはそんな魔法を偶然作り出すことはできないと言っていた。よほどの才能が有って、自分たちの魔法の師である人と同じくらいの技量を持っていなくては無理だと。

 彼女は自分にそこまでのものが備わっているとは思っていないのだろう。教え子の中では優秀と言われようとも、規格外の天才ではないという自覚があるらしい。

 だから今まで助けが来るのをじっと待っているだけだった。事実そうする以外にすべきことなどなかったのだ。無事でさえいれば師匠とやらが助けに来てくれるかもしれない。だからそれまで俺と共に暮らしていく。そう過ごしていた。

 なのに今になって自分の力で元の世界に帰ろうとするだなんて突然すぎる。

 いったいどういった風の吹き回しかと思い魔法陣を袖で擦るウミを見るが、彼女はこちらに目もくれず幾何学模様を摩擦熱で抹消しようと必死になっている。

 心当たりはあるかと隣のイズミに目で問いかけても彼女は表情も変えない。

 俺はため息を吐きながらしゃがみ、ウミの顔を正面からのぞき込んだ。

「ウミ、いきなり何でそんなに焦ってるんだ」

「書いちゃいけないって知らなくて。それにすぐ消えるって思ってたから」

「いや、今のことを聞いてるんじゃなくて」

 ひらがなを読むことはできるようになったウミだけど、まだ漢字を読むことはできない。油性マジックの説明書きを読むことはできなかったのだろう。彼女は青い目を揺らしながらごしごしとフローリングを擦っている。

「なんで帰るための魔法を作ろうとしてるんだよ。今までそんなこと一度もしてなかったし、てっきり助けが来るのを待つつもりなんだと思ってたぞ」

「それは…………」

 ウミは手を止め、ちらりと俺の背後に目をやった。

 振り返らずとも、彼女が何を気にかけたのか理解できた。

 だから俺はそれ以上の詮索を止めた。

「まあいいや。それでこの魔法陣で帰れそうなのか?」

「え、ううん。これは転移の魔法陣だから無理」

「転移の魔法陣なら帰れるんじゃないの?」

 首を傾げながら問えば、ウミはふるふると黒髪を揺らした。

「ううん。もともとある転移の魔法。物を運ぶときに使うやつだから人には使えない」

「あー、いつだかそんなことを言ってたな」

 初めて魔法に関することを問いかけたときのことだ。異世界に転移する魔法もなければ、そもそも人を転移させる魔法自体がない、と説明された。

「じゃあその魔法陣を参考に、どうにか帰るための魔法を作ろうとしてる最中ってわけか」

「うん。でもどうやればいいか全然わかんない」

 お手上げと言わんばかりにウミは苦笑いを浮かべる。

 俺は彼女の手元の幾何学模様をじっと睨み思案顔を浮かべる。

「…………」

 当然俺は魔法も魔法陣の作りもさっぱり分からないが、わからないなりに疑問は浮かんでくるので何の気なしに問いかけた。

「物を運ぶってことは、どこかにものを飛ばすってことか?」

「ううん、そうじゃないよ。引っ張るの」

「引っ張る?」

 俺が問えばウミは「そう」と相槌を打った。

「転移の魔法は、物を飛ばすんじゃなくて引き寄せることしかできないの。だから必ず出口側じゃないと魔法がつかえないようにできてる」

「出口? 入り口もあるってこと?」

「うん。転移の魔法は二つの魔法陣を合わせて使うんだけど……見せたほうが早い?」

「……見せてくれるの?」

「いいよ?」

 ワクワクしながら言えば、ウミはきょとんとしながら快諾した。

 そして転がっていた油性マジックを手にして、固まる。

「えっと、大きい紙とかある?」

「段ボールなら」

 俺はすぐに冷蔵庫の横に置いてあった段ボールを持ってきてウミに渡す。寝室からリビングまでものの二秒。距離があるわけではないが音速の所業だった。

 男の子はいつになっても魔法や超能力の類が好きなものなのだ。

「えっと、じゃあこっちでやるね」

 そう前置きをしたウミはリビングへ向かい、ローテーブルの横に段ボールを敷いた。

 俺もウミと一緒になってリビングへ向かい、段ボールに図形を重ねる彼女を黙って見下ろす。そんな俺を一瞥したウミが手を休めずに言った。

「……アオイ。向こうの魔法陣に何かもの置いてきて」

「もの?」

「転移させるもの。何でもいいよ」

「わかった」

 俺は寝室に戻ると目についた学生かばんからノートを数冊取り出し魔法陣の真ん中に置く。寝室に残っていたイズミはその様をじっと見ていた。

「……どうかしたか?」

「…………」

 声をかけてもイズミはじっと魔法陣を睨んだまま一言も声を発しない。

「俺戻るからな?」

 俺はそんな彼女を訝しむ思いだったが、それよりも魔法を見たい気持ちの方が勝り十歳の女の子に一言断ってからリビングへ戻った。

「アオイ置いてくれた?」

「大丈夫だ」

「じゃあちょっと待ってて」

 ウミはのこのこやってきた俺にそう言って書きかけの魔法陣を手早く描き上げていく。完成がどの形なのかはわからないが、きっと数十秒もせずに書き上げてしまうのだろう。

 そう思っていたら俺の予測よりも早くウミの手が止まった。

 彼女は答え合わせをするみたいにその魔法陣を指さしで確認して小声で「よし」と呟く。

「じゃあやるね。転移の魔法はこうやって出口側から使わないといけないの」

 言いながら、ウミの手元の魔法陣が光を放つ。

 淡い、蛍光灯にも劣る光。決して派手ではない、水面に日光が反射するかのような光。

 けれどそれが魔法によるものなのだと思うと胸が高鳴る。機械仕掛けでも自然現象でもない、奇跡と呼ぶべき代物なのだと理解すれば口角も上がってしまった。

「ねえ、これ」

 その二人で楽しんでいる様が気に食わなかったのか、姉が大好きなイズミが寝室からひょっこりと顔を出す。

 仲間に入れろと言いたいのか、それとも俺にねえから離れてと言にきたのか。彼女の胸中を推し量ることはできても察することはできない俺は光を放つ魔法陣に夢中だった。

「ふっ」

 ウミが力むと一瞬魔法陣が強く輝き、彼女の手元が白く染まった。

 魔法発動の合図だ。そう確信した俺は目を見開き、それから先ほどのように呆然とした。

 光を引っ込めた魔法陣の中央に、紙片の固まりが現れたからだ。

「…………え?」

 俺はそれを呆然と眺め、それが何であるかを遅れて理解する。

 罫線が引かれ、鉛で掻き込まれた文字がひょっこりと紙片の束から顔を出す。その筆跡には見覚えがあって。俺は慌てて寝室をのぞき込む。

 案の定、そこに俺のノート達はいない。

 数刻前に確かに魔法陣の中央に置いたそれらは、いない。

 そしてウミの手元には、紙片。

 ずたずたになった、俺の勉学の証。

 再び俺はこぶしを握り戦慄かせた。

「お、おまえなぁ!」

「あれ!?」

 いったいこれはなんの嫌がらせだと思いながら詰めよれば、ウミは何が起きたのかと言いたげに声を上げた。

「え、なんでこんなことになってるの? あれ、魔法陣描き間違えてないよね?」

 ウミは慌てて紙片を退かし魔法陣を確認するが、何度視線が往復しても引っかかるところは無いらしい。

 ウミは「なんで?」と慌てた様子でいるが、俺はもはや悲しくなった。

 なんて散々な日だろうと。

 寝室には油性マジックで描かれた魔法陣。リビングにはずたずたになったノート。バイトのシフト相談はうまくいかず、お先は真っ暗。

 俺がいったい何をしたんだと嘆きたくなってしまう。

 もはや空腹も感じられず疲労困憊。すぐにでも布団を引っ張り出して突っ伏してしまいたい。

 そう思い天井を見上げた俺の耳に、ずっと静かにしていた女の子の声が届いた。

「ねえ」

「どうしたのイズミ」

 それは俺に向けられた言葉ではなかった意識が引き寄せられる。

 それから無感情な少女の声は、淡々と事実だけを語った。

「あっちの魔法陣、書き間違いがある」

「えっ」

「だから止めに来た」

 わざわざ助言してくれたイズミだが、それは手遅れというやつだった。

 ウミはやってしまったという顔で俺を見ると「アオイごめんね」と不安げな声を上げた。


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