急患運び込む 4
「ウミ。妹は起きたか?」
尋ねながら寝室に入れば、そこには未だ眠っている十歳の女の子と、そのすぐそばで膝立ちになっている家族がいた。
ウミは振り返りもせずに首を振る。見れば彼女は妹の手を握っていた。
俺は指に引っ掛けたレジ袋をガサガサ言わせながら彼女のもとまで行き、その中身を取り出す。
「とりあえず店の人にいろいろ見繕ってもらった。起きたらとりあえずこの辺飲ませよう」
ウミはやはり頷くだけ。俺のほうを向くこともせず、俺の手に握られたそれらを見ようともせず。
ウミは目を覚まさない妹の顔を、ずっと見ていた。
「ウミ、絶対に目を覚ます。大丈夫だ」
「うん」
ウミは条件反射のようにうなずく。いつもは表情がころころ変わるウミらしくなかった。
無理もない。実の妹が変わり果てた姿で現れれば。
その原因が自分にあると思い込んでしまえば。
いかに普段笑顔を絶やさないウミと言えど、その顔を後悔に歪ませてしまう。
ウミでなくとも、大切な人を傷つけ苦しめた加害者が自分自身なのだと分かってしまえば、笑顔などうかべられるはずもない。
そしてそんな相手に、上辺の慰めなど通用するはずもないのだ。
俺はまた間違えてしまったと悔やみながら、ウミに並んで膝立ちになった。
「アオイ、ごめんね」
何に対して謝っているのか、わからなかった。
心当たりは何もなかった。ウミが謝ることなど何もないのだ。
もしも謝るとするならば、目覚めた妹に対してだ。自分のしたことに巻き込んで悪かったと、今眠っている女の子に謝罪すればいい。
俺は彼女の意図をくみ取ることが出来ず、何も返すことが出来ない。
首を傾げる動作すら起こせなかった。
そんな俺をやはり一瞥すらせず、ウミは続ける。
「お金、使ってもらって」
「…………」
俺は目を見開いた。
そんなことを謝ったのかと思って。
驚くほかない。妹がこんな状況で、俺の金銭問題を憂慮する余裕があるのかと。いや、そんなことを考えてしまうのかと。
憤りにも似た驚愕だった。
それは、俺の不甲斐なさが招いたことだと分かっていたけれど。
俺がもし働き、甲斐性のある大人ならば。ウミはそんな心配をすることは無かったのだ。
いやそもそも、ウミを匿うと決めた瞬間からそんな心配をさせないようふるまえばよかったのだ。そうしなかったから、ウミはこの状況下で俺のことを気遣ってくれている。
我慢の上手な異世界人は、自身の不安を口にするより先に俺のことを気遣った。
「ウミ。金は問題ない本当に大丈夫だ。これくらい誤差だ。問題ない」
どういえば伝わるだろうと思いながら口にする。
人に思いを伝える方法を学んでこなかった俺の言葉はひどく不格好だ。
「ありがとう」
それでもウミは、そう答えてくれる。
にへへとは笑わず、苦笑いを浮かべて。
気持ちは伝わらなかった。ただ俺が妹のためにしてくれたことにお礼をしただけだ。
悔しい。こんな思いは初めてだった。
「…………」
「…………」
「……アオイ。イズミ大丈夫かな」
それからようやく、ウミはそう口にした。
何よりも先に口にしたかったであろう自身の身に介するにはあまりに大きな不安を、俺に気遣いを向け終わってからようやく口にした。
「すぐ目が覚める。多分体力的な限界が来ただけだ。だから、大丈夫。このまま目が覚めないなんてことは無い」
絶対とか、保証するとか。そんなことは言えない。言おうと思えばいくらでも口に出せるけれど、それは口にしてはいけない。
根拠の無い大きな言葉は反って不安を煽ってしまう。甲斐性なしの、度胸の無い俺が口にするならばなおのこと。明らかな気遣いの言葉と取られウミはまたにへへと笑わず困ったような愛想笑いを浮かべるだろう。
だから俺はそう言い切り、口を噤む。
言葉は重ねるだけ重みが薄れる。大丈夫も問題ないも重ねすぎると言い聞かせているだけのように聞こえる。重ねた分だけ、軽くなってしまう。
だから俺は不安がらせないために、顔を上げる。
俯いてばかりいてはいけない。いつも笑っているウミが笑えない分、俺がしっかりしなくては空気は重くなる一方だから。
「起きるまで傍にいてやってくれ」
膝に手を着き立ち上がる。
「アオイは何かするの?」
「夕飯の準備する。まだ少し早いけど」
「あ、じゃあ私も」
「いい、妹についてろ」
「でもそれは私がすることだし」
ここ最近、ウミは夕食の支度を買って出ていた。彼女なりの一宿一飯の恩義、と言ったところなのだろう。ただお世話になるというのも心苦しいらしく、できることは可能な限りしようという心意気らしい。その中でも家事――特に料理はバイトで遅くなりがちな俺を手伝うのにうってつけだった。
それが定着し始めていたのか、ウミは俺に続き立ち上がろうとする。
俺は当然、それを制止した。
「今日はバイトもないから気にしなくていい。それよりも何かあった時ウミまで妹の傍にいないのは都合が悪いだろ」
「…………わかった」
ウミはしばし考えるようなそぶりを見せたが、すぐに頷くと再び床に腰を下ろした。
らしくないその様子にこちらが戸惑ってしまうが、いつまでも情けない姿をさらすわけにもいかず、俺は彼女らに背を向け台所に向かおうとする。
「アオイ」
そんな俺を、彼女は呼び止めた。
「どうした?」
「ありがとう」
不思議に思って振り向けば、ウミは神妙な面持ちでそう呟いた。
どこまでもらしくない家族の姿に、俺はいよいよ嘆息した。
台所へ向けたつま先を翻し、ウミのほうへ向かう。
「……アオイ?」
膝立ちの彼女を見下ろせば、ウミは不安げに俺を見上げた。
そんな彼女を俺は半ば睨むようにして見降ろしたまま手を伸ばす。
「え?」
ウミは驚きに目を丸くしていたが、俺は止めるつもりはない。
彼女の頭の向こうに手を伸ばし顔を近づける。至近距離の彼女の顔は、やはりいつもに比べ青い。表情筋もうまく動いていないのか、表情の移り変わりもどこかぎこちなかった。
だから、俺はその顔が気に食わなくて。
彼女のローブにも備わっていたフードを思い切り頭にかぶせてやった。
「うべっ」
ウミは女の子らしくないうめき声をあげ、状況が飲めないとばかりに丸い目で俺を見上げる。
普段の俺からは想像できなかったのかもしれない。必要以上に近づくことも、触れることも俺は望まなかったからこんな風に互いの熱が伝わる距離まで体を寄せることは今までなかった。
相手の何かに触れることだって、一度もなかった。
だからウミは不思議なものを見る目で俺を見上げているのだろう。
俺はやっぱりそれが気に食わなくて、やや語気荒く言った。
「ウミ、俺たちは何だ?」
「え? 何って……」
いったい何を言っているのかと言いたげなその顔がますます気に入らなくて、俺は彼女の言葉を待たずに告げる。
「家族、だろ」
「…………」
黙りこくったウミは、俺が無理やりかぶせたフードの先を摘まんで固まる。
「期間限定でも、家族だ。だから変な気遣いとか、そういうのいらない。俺はお前の保護者になってるつもりはないし、ウミも俺のことを恩人とか、親切な人とかそんな風に思わなくていい。俺たちはお互いの利害が一致してるからこうしてるだけだけど、それでも今は、家族だと思ってる」
そこまで言うと、ウミはフードを摘まむ指に力を込めた。それが何から来るのもかはわからないが、俺の言葉が何らかの形で彼女に届いたことは確かだった。
「だから、ウミの問題は俺の問題だ。そういうのが家族って言うものだと俺は思う。本当の家族がどうとかはわかんないけど、俺はお前とそういう対等な、いろんなものを共有できる相手でありたいと思ってる。協力し合える相手だと思ってる。だから」
憤りをその瞳に込め、鋭く睨む。
「一人で全部やろうとするな。不安なら妹についてていいんだ」
最後まで言い切った俺はウミと目を合わせる。
わかったかと、伝わったかと確かめるみたいに。
「…………」
「…………」
それから暫し、沈黙があった。
ウミは言葉を探しているのか口を開きかけ、けれど声にはならないと言った様子だった。
その沈黙を破ったのは、俺でも、ウミでもなかった。
「んぅ……? ねえ?」
「ッ!」
衣擦れの音とともに聞こえた声に真っ先に反応したのはウミだった。
俺は合わせていた彼女の視線に釣られベッドへと目を向ける。
そこには、横たわりながらもしっかりと目を開いている女の子の姿があった。
ウミによく似た群青色の、純真な光を宿した瞳の女の子の姿が。
「ウミッ、とりあえず買ってきた栄養剤を――」
俺は慌てて床に放られたままのビニールに手を伸ばす。中身を取り出す余裕もなくビニールごとウミに突き出そうとする。
「イズミ大丈夫!? 怪我はない!? 痛い所とかない!?」
「頭痛い」
「大丈夫!?」
「ねえの声、大きい」
しかし俺はそれを突き出すに至れなかった。
慌てふためくウミと、ぼそぼそと喋るイズミ。
姉は涙こそ流さないが動転して妹の声も聞こえていない様子。対して妹は、思いのほか落ち着いた声音で姉をなだめている。
割って入っていくことなどできなかった。
二人は俺のことなど見えていないみたいで。
今二人の間に俺が割って入っていくのは憚られてしまって。
二人が再会を噛み締めるその間は、俺は黙っていようと思った。
ふと窓の外に目をやれば、曇天の空はとうとう雨音を響かせ始めた。




