急患運び込む 3
「ウミ! この子に見覚えはあるか!!」
「あっ、アオイおかえり。どうしたのなんか慌ててる――えっ!? イズミ! 何でアオイイズミ担いでるの!?」
「やっぱあれか! お前の妹か!」
「うんそう。って言うかイズミ大丈夫!? 気絶してるの!?」
「わからん! とりあえずベッドまで連れて行く!」
玄関を蹴飛ばして開け、リビングスペースにいるウミを呼びつけ事実確認が済むと、俺は靴をその場に脱ぎ捨てウミとそろって寝室へ憔悴しきった女の子を運び込んだ。
彼女の体は異常なまでに軽い。人一人の重さとはこんなものなのかと思うほど。
子供とは言え、女の子とは言え、いくら何でもおかしいだろうと焦燥に駆られるほど。
大病を患っているみたいに骨ばったその体は割れ物みたいで、俺は細心の注意を払いながらゆっくりとベッドに下ろしていく。
ここ数日ウミの寝床となっていたそこに嫌に軽い体の女の子を寝かせ、それから首を持ち上げてかぶりっぱなしになっていたフードを脱がす。
「ぇ…………」
刹那、ウミの顔が蒼白に変わった。
瞳に衰弱したその顔を移した途端のことだ。
ウミは何かを言いたげに口を開くがそこから音は生まれない。掠れた吐息はただ動揺を露わにするだけ。妹の名を呼ぶことすらできず、状況確認のための問いも響かず、彼女はただそこで重心を失ったように振り子のように小さく揺れている。
暫ししてようやく動き出した彼女の体は、けれど錆び付いたロボットの様だった。
不安げに少女に延ばされる指先は震え、関節がその役割を忘れてしまったかのように硬直している。遅れて踏み出した足も床を掴み損ない、足の裏を付けると同時に崩れ落ち膝立ちになってしまった。
見ているこっちが痛かった。
衰弱した女の子もそうだが笑顔も何も無くなってしまったウミがとても痛々しい。
出会ってたかだか十日の俺が知ったかぶることではないが、ウミにそんな顔ができるとは思っていなかった。
そんな顔をするとは思いもよらなかった。
俺は目を逸らしかけ、けれど自分を強く保ちウミに並んで膝立ちになった。
「アオイ」
震える声でウミが呼ぶ。
ゆっくりと振り向けば、群青色の瞳をした姉は綺麗なそれを揺らしながら俺を見ていた。
「イズミ、大丈夫……? 起きる?」
「…………」
今にも泣きそうな声で言うから不用意な嘘を付けなくて答えに窮した。
確かな事は何も言えなかった。俺は医者でもなければ、医学に深い見識があるわけでもない。どこにでもいるただの高校生。人生経験も浅く、非常時にどうすればいいのかもわからない子供だった。
「アオイ……?」
そんな情けない男だから、ウミの顔をさらに歪めてしまった。
俺の沈黙から不穏な空気を感じ取った彼女は縋るように俺を呼んだ。
「……状況がよくわかんないから、何とも言えない」
せめて沈黙以外で返そうとした結果。俺はそんなことを口走った。
言ってから、ウミの不安を膨らませてしまったことを悟る。
俺は居心地が悪くなり、ウミの妹――イズミと呼ばれた少女に手を伸ばす。
「…………」
外傷は無い。怪我をしているとかどこかが化膿しているとかそういうことはなさそうだ。
それから呼吸の音を聞く。胸に耳を当てたり耳を口元に近づけたりするのがいいのだろうが、俺はその上下する胸を見て問題は無いと判断した。
それから、ローブの袖をまくりその腕を見る。
細すぎる腕だ。ウミも細身ではあるけれどそれと比べることが出来ないほど。
触れただけで折れてしまうのでは、と危惧してしまうほどの明らかな虚弱さ。力ない手はそれでも重さを感じない。
「ウミ。妹はもともと体が弱かったとか、そういうわけじゃないよな?」
「うん。言葉数は少なかったけどそんなことは無いよ」
「そうか」
ウミの反応を見てなんとなくわかってはいた。
妹の顔を見るなり蒼白に変わったその表情は、妹の姿が変わり果てていたことに対する驚愕から来ていたのだろう。
ならば、病に侵されているわけでも、怪我を負ったわけでもない少女のこの弱りようは何なのかと考えれば、おのずと答えは出た。
「ウミ。もしかして妹も一緒だったのか。転移の魔法使ったとき」
「うん。傍にいた」
ウミはばつが悪そうに顔を逸らす。
「そうか。じゃあ一緒にこの世界に来たって可能性も」
「多分、そうだと思う」
ウミの声はどんどん小さくなっていく。
「アオイの部屋に来た時一人だったから、私だけだと思ってた」
懺悔のように口にする期間限定の家族は唇を噛む。
悔しさと申し訳なさを噛み潰すみたいに。
「アオイ。イズミ大丈夫かな」
「多分大丈夫だ。病気じゃないだろうし、怪我もない。……多分栄養失調とかなんだと思う」
言うと、ウミは今一度唇を噛んだ。
妹がそうなった原因と理由を理解したのだろう。
ウミが俺と共に十日間過ごす間、妹がどんな風に過ごしていたのか。
「ウミ大丈夫だ。きっとそのうち目を覚ます。目を覚ましたら、ちゃんとご飯を食べさせて、休ませて。それできっと元気になるよ」
「……うん」
ウミは頷いたけれど、不安と後悔は拭えない。
俺は力不足を痛感しながら、ただイズミが目覚めるのを待っていることが出来ずに立ち上がった。
「アオイ?」
ウミが不安げに俺を見上げる。
どうかしたのかと問うような瞳を見て、俺は真っすぐに答える。
「ちょっと待ってろ。栄養剤とか買ってくる」
「え、でもそれってお金――」
「そんなこと気にしてる場合じゃないだろ」
俺はウミの言葉を遮った。
金銭的な問題など些末な事だった。
保険証も持たない戸籍も持たない異世界人を病院に連れて行くことは叶わないであろうことはすぐに思い至った。ならば俺にできることは何かと考えれば、それしか、それくらいしか思い浮かばなかったのだ。
栄養剤だけではなく、市販薬で何かいいものがあるならばそれでもいい。衰弱した女の子にできることがあるのならばするべきだ。たとえそれで俺自身の生活にガタが来ようとも。
何より、期間限定の家族の妹だ。
ならば迷うことは無かった。俺は着替える手間も惜しみ学生服のまま踵を返す。
「俺が出てる間妹が目を覚ましたら買い置きのパンとか食べさせてやってくれ」
「うん」
俺が告げると、ウミは真っすぐな瞳で頷いた。
いつまでも狼狽えてはいられないと自身を律したのだ。そんな彼女の姉らしい、新しい一面を見て俺もまた小さく頷き速足で玄関へ向かう。
玄関に置きっぱなしなっていた学生かばんの中から財布を取り出しもう片方の手で玄関のドアを捻る。
それから俺は乗り捨てた自転車の場所を思い出しながら外に出て、息を吸うよりも早く駆けだした。
「やばいやばいやばい」
落ち着いていられるはずなど無かった。
俺がどれだけ落ち着いていなかったかと言うと、それは栄養剤を買いに飛び込んだドラッグストアでの店員との会話が如実に物語っていた。
自転車を全力でこぎバイト先のコンビニにほど近いドラッグストアに駆け込んだ俺は、眼前をちょうど通り過ぎようとしていた店員を呼び止めるなり尋ねた。
「あの!! 聞きたいことがあるんですけどいいですか!?」
「え、ああはい、なんですか?」
ウェーブのかかった茶髪の、大学生くらいの女性だった。
遊んでいそうな頭髪で普段の俺ならばやや敬遠しがちなタイプの人だが、この時はそんなことを考える余裕もなかった。
俺は自分よりもやや背の低い、けだるげな眼をした店員に詰め寄り尋ねる。
「十歳の女の子が元気になれる薬ってありますか!!!」
「…………はぁ?」
俺の声を聞くなり眉をひそめた店員は直立不動。
俺はじれったくなってさらに彼女に詰め寄った。
「小学生の女の子が元気になれる薬ですよ!!」
大声でそんなことを尋ねる俺を店員は訝しむのみ。それらしいものを持ってきてくれる気配も案内をしてくれる気配もない。
俺は重ねて言う。
「ベッドの上で待ってる女の子がいるんです!! 早くしないと手遅れになるかもしれないんです!!」
「は、いやあんた待ちなよ。落ち着きなって」
額を指で押さえ眠たげな眼で俺を品定めするみたいに睨む店員。
俺はその眼光に当てられやや減速するに至る。
「いやでも、本当に緊急事態で」
「それは見ればわかる。わかるからゆっくり説明しな」
「ゆっくりって……。ええと」
女性の落ち着いた、けだるげなゆっくりとした声音に釣られ俺の鼓動が緩やかになる。
それからようやく呼吸を整えることに考え至り、俺は汗の玉が浮かんでいた額を拭い、数度の深呼吸をした。
「少しは落ち着いた?」
「あ、はい。すみません」
「謝んなくていいよ」
初めからずっと落ち着いて対応してくれる彼女は淡々と告げると俺に背を向ける。
「で、何が欲しいんだっけ」
「あ、えっと元気のない子に効く薬」
「それじゃわかんないよ。風邪? 怪我?」
「ああ、えっと、そういうのじゃなくて……。栄養が足りてない感じです」
「じゃあ栄養剤ね。ついてきて」
彼女は冷静に俺から情報を聞き出すと、俺を先導し栄養剤が並んだコーナーに向かう。
「固形物食べたりとかできるのその子」
「あ、わかんないです」
「じゃあドリンクとかにしとく?」
「そうですね。そのほうがいいかもしれないです」
ここにきてようやく冷静さを取り戻した俺は商品を物色している彼女に並びその横顔を見つめた。
いやに落ち着いている人だった。その見た目に似合わず、と言ってしまうのはいささか失礼が過ぎる気はするが、正直意外だった。
明るい髪をした女性にいい思い出がないということもあって、いくら仕事とはいえ、むしろ仕事であるからこそ迷惑な人間にまともにとりあってくれたのは驚きだった。
緩くウェーブのかかった茶髪、自然に見せる卓越した化粧技術。眠たげな瞳は色っぽくも見え、フランクな態度は多感な男子ならば勘違いしてしまいそうなほど。
よくできた人だった。
それが外面であればなおのこと。とてもよくできた人だった。
「あの、ありがとうございます」
そう思ったから、俺は彼女との間に若干の距離を作りながらお礼を口にした。
「いや、まだ選び終わってないから。栄養剤以外に欲しいものは?」
「あ、いやちょっとわかんないです」
「肌に出来物とかできてない?」
「それは、多分大丈夫です」
「多分って、病院行ってないの?」
「あ、えっと……」
決して攻撃的ではないおっとりとした言い方。けれどそう真っ直ぐに問われてしまえば口ごもってしまう。
店員はやや嘆息気味に唸る。
「パニックだったのかもしれないけど、まずは病院連れてきなよ。うち医者じゃないから話聞いただけじゃよくわかんないし。と言うか、医者でも口頭説明だけで全部わかるわけじゃないだろうし」
「そう、ですね」
栄養剤を片手に、ドリンクコーナーに向け歩きながら言う彼女に、俺はぼそぼそとした声を返すことしかできない。
至極まっとうな意見だ。当たり前だ、俺の判断の方が間違っている。
慌てていた、パニックだった。そんな言葉では片付けられない。むしろそんな状況だからこそ俺のとった行動は異常に映る。
緊急を要する患者がいるのに、病院ではなくドラッグストアに向かうなど、どう考えてもおかしい。患者が異世界人で戸籍も保険証も持たない存在であることは確かだが、それは俺だけの問題で傍から見ればその事情は作り話のようなものだ。
そもそも、その事実を説明すらされていない彼女がそんな不可思議な事情に思い至れるはずもない。
どう考えたっておかしいのは俺の方だ。
「とりあえずそれらしいもの見繕うけど。病院には連れて行きなよ?」
「……はい」
そんな俺が虚言に間違えられるような事情を話せるわけもなく、女性店員の言葉に頷き続ける。
ゆったりとした口調ながらも今度は俺を窘める音が入っていた。
俺は自信の至らなさを痛感し、それでもどうにもできなかった事情を呑み込み。ただただ悔しい思いを募らせた。




