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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第二章 二人の異世界人
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急患運び込む 1

 湿気の多い日が続いていた。

 白みがかった灰色の雲はその向こうの日の暖かさまでは遮ることが出来ず、薄暗い町はへばりつくような生暖かさに包まれている。

 雨音は響かず、今だ梅雨入りは宣言されず。けれど着々と近づいてくるその足音に人々が耳を澄ませる、そんな煩わしさを感じるような日々。

 そんな気が滅入る、ガヤガヤとした昼の教室でのことだった。

「葵、最近ちょっと変わったよな」

 購買から戻りパンの袋を破くと同時、健は独り言みたいにそうこぼした。

「なんか変か?」

 健おすすめのビーフシチューパンにかじりつきながら首を傾げれば、健も健で例のスタミナサンドを噛みちぎりつつ笑みを浮かべる。

「いや、変っつーか。変わったなって」

「どの辺が?」

 もぐもぐとやりながら問えば、健は唸りつつ言う。

「笑うようになった」

「……俺って今まで笑ってなかったっけ?」

 そんなことは無かったはずだ、と思いながら眉根を寄せれば、健は暫し待てと手のひらを向けた。

「いや、笑ってたけど、なんつーかな。目が笑ってなかったと言うかな」

「キレてたの?」

「いやそうじゃなくてな」

 適当な茶々を入れつつパンをむさぼる。健の言わんとすることがかけらも理解できずに言葉を待つが、がっしりとした体つきの友人は悩みふけってしまっている。

「なんだ、あれなんだよな。そうあんなかんじ」

「語彙なさすぎない?」

 来月の頭には期末テストが控えているというのに、筋骨隆々の男の体には知識ではなくベーキングパウダーばかりが詰まっているらしい。

 右へ左へと体を傾けるたびに僧帽筋に押し上げられるワイシャツはそのうちはじけ飛んでしまいそうだ。

「健は何がいいたいんだよ。あれか、心の底から笑ってなかったとか、そういうことか?」

「いや、そんなことは全く思ってない」

「なら何だよ」

 定期テストのたびに同じ部屋で勉学に励んでいる者同士ではあるが、今日はどうにも健の言いたいことが見えてこない。普段ならば理解し合える、などと豪語するつもりは毛頭ないが、それでも今日の健はあまりにも要領を得ない。

 俺は嘆息しつつ食事の手を止め、健の訴えたいことを理解すべくその思案顔を見つめる。

「いや、なんつーのかな。笑ってるとか、そういうんじゃないんだよな。そう、明るくなったっていうのが一番近いんだけど。……なんて言えば伝わる?」

「俺に訊くなよ」

「だよなぁ……」

 そんなやり取りをかわしつつ、唸る健を見つめること数分。体感ではカップ麺が固めで召し上がれる程度の時間。

 それだけの間をおいてから、健はパンを持った手を机の上に置き、ぼそりとこぼした。

「葵、たまに何も期待してねえみたいな顔することがあったんだけど、最近はそれがなくなったっつーかさ」

「……どういうことだよ」

 呆れ笑いを浮かべつつ、俺の内心は穏やかではなかった。

 そんな風に言われると思っていなかった。そんな風に見えているとは思っていなかった。

 健と騒がしく過ごしていたこの一年。俺は決してつまらない日々を送っていたとは思っていなかった。もちろん、代り映えのしない学校生活を退屈に思うこともあって、毎日が刺激的で楽しいとまでは思っていなかったけれど。

 それでも、心の底から笑っていたし。その時間を俺は手放しがたいものだと思っていた。

 けれど、見えてしまうものなのだと思った。

 胸のつかえとなっていたものは、知らないうちに漏れ出てしまっていたのだと。

「いや、俺もよくわかんねえんだけどさ。なんかそういうフィーチャリング的な」

「何のコラボだよ」

 感覚的と言いたかったのだろうが、落第点間近を低空飛行する健の脳みそではあらゆる英単語が混同されているらしい。最近音楽番組でも見てその単語を耳にしたのだろうと一人納得しつつ切り返す。

「それで、その諦めたみたいな顔をしなくなったって言いたいわけだよな」

「ああ、そんな感じだ。ビギニングで感じた」

「何が始まるの?」

 いよいよ次のテストでとうとう墜落してしまうのかと早すぎる心配をし始めてしまう。

 これはテスの期間中によほど頑張って勉強してもらわないといよいよだな。と思いつつ、そもそも俺の家にあの異世界人がいるうちは健を招き入れることが出来るのかと眉を顰める思いだ。

 何にせよ今月末は大変な思いをすることになることはたやすく想像できた。

 そんな先のことを考えている俺を前に、健は過去を振り返るように言う。

「とにかくさ、なんかちょっと前までとは雰囲気みたいなのが変わったからさ。なんかあったのかなって思ったんだよ」

「なんか、ねぇ……」

「彼女出来たとか。恋人出来たとか、ガールフレンド出来たとか」

「それ同じこと言ってるじゃん」

 嘆息気味に返し、笑みを浮かべる。

 頭にはすぐに期間限定の家族の顔が浮かんだ。

 けれど俺は心当たりを探すふりをして、開け放たれた窓の外に目をやった。

 雨はまだ降らない。予報ではいつからだったかと益体の無いことを考え、それから根拠もなく雨など降らずに太陽が顔をのぞかせるのではないかと言う気がした。

 雲が裂け、真っ青な空が顔をのぞかせるのではないかと。

 やまない雨がないとはよく言うが、降らない雨も無い。

 肌で感じる梅雨の空気はその気配を連れてくる。

 そのうちノイズじみた音と共にどこかの誰かが梅雨入りを詠うだろう。

 そしてそう遠くないうちに春の暖かさを忘れ、入ったばかりのじめじめした梅雨もいつの間にか通り過ぎ、うだるような夏がやってくる。

 気付いた時には新しくやってきた季節に今が塗り替えられて、それがまた退屈な日々にすり替わっていく。刺激の感じないものに変わってしまう。

 暑くなった、と言っているうちにその熱にも慣れてしまうのだろう。

「特に変わったことは無かったけどな」

 そんなことを思ったから、今は知らんぷりをした。

 いつか振り出す雨を想い無為に過ごすならば、たとえ曇り空でも顔をあげられるうちに上を向いていたかった。

「強いて言うなら、面談が終わってほっとしたってところか」

「あー、それか。……ってかその話で嫌なこと思い出した。葵、今回もテスト勉強頼む」

「言われなくてもわかってるよ」

 この一連の会話だけでも相応の覚悟を終えていた俺は飄々と答え、それから休めていた食事の手を再開する。

 健も健で、気が滅入ると言いたげに肩を落としながら大きなパンをかじり始めた。


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