本物の家族 3
「……ウミ、少し離れてくれ」
「えっ?」
駅が眼前に迫った時だった。
俺は見知った人を見かけ、ほとんど反射でウミにそう指示を出した。
ウミはいきなり言われて戸惑った様子だったが、そのおかげで俺とウミの間にわずかに距離が生まれ、共に歩いているとは映らずに済んだらしい。
眼前の彼は、俺を見るなり屈託のない笑顔を浮かべて駆けてくる。
「葵君! 久しぶり!」
「お久しぶりです」
手を体の側面に着け頭を下げる。九十度のお辞儀、とまではいかなかったが堅苦しいそれは明らかな壁を物語っている。
「そんなかしこまらなくていいのに。葵君は真面目だな」
三十後半に差し掛かった男性はにこやかに俺の眼前まで駆けよってきた。手を伸ばせば触れる距離。柔らかい笑顔を間近で見て、俺はばつが悪くなった。
目を逸らした俺に、男性は嬉々として問う。
「家に来ていたのかい?」
「少し用事があって」
「学校のことか何かだよね」
「そうですね。進路のことを少し」
「ああ、もうそんな時期なのか。そうだよな。葵君が一人暮らしを始めてもう一年以上たってるんだもんな」
感慨深い。なんて言いたげに息を吐く男性に、俺はどんな顔をすればいいか分からない。
「高校二年の、もう夏だし受験勉強とかも考えるようになるのかぁ。僕とは大違いだ。僕は三年生に上がってから受験を意識したからなぁ」
「俺もまだ進路が決まってるわけじゃないので」
「それでも考えているだけ立派だよ。本当に」
彼はいつも俺を見て立派だ真面目だと言ってくれる。しっかりした子だと褒めてくれる。
俺はそれが歯がゆくて、懺悔するみたいに不満を吐露してしまいそうになる。
だから俺は苦笑いを浮かべ、話題を逸らした。
「島崎さんは、今日は仕事早く終わったんですか?」
「……あはは」
俺がそう呼ぶと、彼――島崎さんは苦々しく笑った。
他人行儀な呼び方に思うところがあるのだろう。彼は俺がそう呼ぶたびに同じような顔をする。一年以上顔を合わせていなかったけれど、最後に見た彼の顔も今と同じような苦々しい微笑みだった気がする。
島崎さんは優しくていい人を、前と同じように小さく傷つけた。
「今日は残業もなくてね、出社も早かったからその分早く帰らせてもらえたんだ」
「……そうなんですね」
自分から話を振ったくせにうまく返すことが出来ない。そんな俺を見て島崎さんはすぐさま言葉を足してくれた。
「せっかくだから夕飯を食べて行ったらどうだい? まだ夕飯の時間には早いけどその分ゆっくりできるし」
「いえ、用事はもう終わったので」
「そうかい? 遠慮はしなくていいんだよ?」
「いえ、そうじゃなくて。……これからバイトなんです」
他に言い訳が浮かばなくてそう誤魔化せば、島崎さんは頭を掻き呻いた。
「あー、それなら仕方ないね。……葵君は本当に立派だね。進路もちゃんと考えて、僕は見たことが無いけどきっとアルバイトも真面目にこなしてるんだろうね」
「それは、過大評価ですよ」
「高校生になってすぐに、社会勉強のために一人暮らしがしたい。なんて言い出す子を正当に評価しているんだよ」
そんなこともあった。高校入学の直前。俺の口から島崎さんにそう申し出た。
決してそれは自分の意思ではなく。
「それでも、過大評価ですよきっと」
嫌なことを思い出しながら呟くように言えば、島崎さんは満面の笑みを浮かべた。
「謙虚だね。それは頑張っている証だよ。だから過大評価じゃない」
「……ありがとうございます」
まったく気持ちのこもっていないお礼を口にして、収拾を図る。
それから時間を気にしているそぶりを見せるため空に目を向けようと試みる。
「けれど、無理はしなくていいんだよ」
そうした瞬間に、打って変わって真剣な声が俺を呼び止めた。
俺は怯えるように年上の彼を見つめ、息を呑んだ。
「葵君は仕送りもいらないと言ってアルバイトでどうにか生活しているけれど、そんな無理をしなくていいんだ。きついと思ったら、家賃だってこっちで全額持つし仕送りもする。だから、辛い時はつらいって言って欲しいな」
笑みを混ぜながら、それでも真剣に語り掛けてくる。
本当に俺のことを思ってくれているのだということが痛いほどに伝わる。おためごかしでも上辺の気遣いでもなく、本気でそう言ってくれているのだということが否応なしに伝わってくる。
だから俺は自然と俯いて、そのまま頭を下げた。
「そうなったら、話に来ます」
「うん、そうしてくれると嬉しいよ」
笑顔で頷くと、島崎さんは寛容な笑みを湛え言った。
「あそこは君の家でもあるんだから」
俺の家は、あの1LDKの一室だ。それ以外にはない。
そう自分に言い聞かせるように胸中で不貞腐れ、けれどそれをおくびにも出さずに困り笑いを浮かべた。
「また来ます」
「うん、待ってるよ」
島崎さんはあの女と違い笑顔で言ってから俺の横を通り過ぎる。
「あ、そうだ」
しかし彼は俺の数歩後ろで立ち止まると振り返った。
「葵君。今年のお盆は帰って来れるかい?」
「バイト次第、ですね」
「そうか……」
島崎さんは残念そうに笑い、それから手を上げる。
「じゃあ、できればお盆の時に。今度はご飯を一緒に食べよう」
「…………」
俺は何も答えない代わりに今度は脳天が見えるような深々とした礼をした。
島崎さんはそれに苦笑を返したが、何も言うことなく手を振り去っていく。
彼の姿が見えなくなってから、俺は視界の端で固まっていたウミを呼んだ。
「帰ろう」
「…………」
ウミは何も言わずに、俺のすぐ後ろまでやってくる。
難しい顔をした少女に目をくれ、俺も何も言わずに歩き出した。




