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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第一章 インスタントファミリー
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空き巣の少女 1

 都心とは思えない平たい住宅街を自転車に乗って滑りぬける。バイト先であるコンビニから早10分。未だ自宅にはたどり着かず、梅雨間近のじめっとした空気のせいで汗がにじみ始める。

 ため息を吐きペダルに乗せた足から力を抜こうとするが、上りもくだりもない平坦な道を惰性で走らせるとすぐに速度を落としてしまうので足を休める余裕もない。速度を上げようにも6時間の立ち仕事のせいでふくらはぎが変に硬直していてそんな余力もありはしない。

 寝起きみたいな速度で自転車を走らせ、10分あれば足りるであろう距離を15分かけて駆け抜ける。目当ての4階建てマンションに着くなり駐輪場に滑り込んだ。

「…………はぁ」

 自転車にしっかりとカギをかけ、やや疲労がたまった体に鞭を打ちながらコンクリートでできた螺旋階段を上る。

 二階に上がり屋外廊下を歩く。そんなさなか、やけに物悲しい靄のかかった夜空を見上げた。

 我ながら、頑張っていると思う。週の半分以上をアルバイトに費やし、時間が許せば自炊をし、学校の成績だってそれなりを保ち続けている。

 誰かに褒めてもらいたいくらいだ。そんな甘えた考えが頭をよぎるたびに苦笑もため息も漏れそうになるが、それを飲み込んで今日もまた我が家の扉を開けるべく鍵を探す。

 学ランの内ポケット。そこには自宅のカギが大切にしまわれている。1年使ってもなおくすむ気配の無い銀色のそれは、キーホルダーも何もつけていないまっさらな姿のままだ。

 俺はそれを指先で2回転ほどさせ鍵とカギ穴の向きに合わせる。カギを差し込み捻り、そのままドアノブを捻る。

 鉄製の少し重たい扉はそれでいて大きな音を立てることなく口を開ける。

 靴が一つもないまっさらな玄関につま先を差し入れ、後ろ手にドアを閉めて息を吐く。

 自宅に帰ると気が抜けてしまうのは安堵のせい。途端に眠気が襲い掛かってくる。それでもこの場で腰を下ろすとそのまま動けなくなることは目に見えているから俺は今一度大きく息を吐き、持たれていた頭を勢い良く上げ――そうしたところでようやく気付いた。

 女の子がいた。

 頭から黒いぼろ布をすっぽりとかぶった女の子。ミディアムショートの黒い髪に群青色の瞳。きょとんとした顔のせいかいくらか幼い印象を受け、ふっくらとした頬がそれを助長している。背丈も俺に比べて十センチ以上小さく、それだけで断定するのは時期尚早というものだがとても同年代には思えなかった。

 小学生とまではいわないが同級生には程遠い。後輩といえるような年齢にも思えず、まず最初に近しい姿として浮かんだのは通学路でたまに見かける中学生の姿だった。

 そんな少女が目の前にいる事実を認識し、俺は数瞬の間石化する。それから二、三回大げさに深呼吸をした。

「……すみません間違えました」

 後ろ手にドアノブを回し、腰を折った体制のまま廊下に出る。

 ドアを閉め一息つき、ドアのネームプレートに印字されている「島崎」の文字を見て数度目を擦ってから再びそのドアを開けた。

「ただいまぁ」

 帰宅時にそんなことを口にしたことなど一度もないが、俺は初めてそれをした。今から踏み込む場所が自らの家であると誇示するために、家主が返ってきたと宣言するために。

 念のため目を擦った。ドアを開けるのとは逆の手で両の目をごっしごしと擦り眼球とそれを処理する脳が正しく働くよう強く願う。疲労のあまり見えてはいけないものが見えてしまったんだと嘯きながら。

 しかしそんな足掻きも空しく――。

「おかえりー」

「どなた?」

 少女は確かにそこにいた。幻覚ではなかったらしい。

 目の前には先ほどの少女が存在感をあらわにしながら立っている。黒いぼろ布に黒い髪、ずいぶんとみすぼらしい姿をしているが髪の毛だけは手入れがされているらしく不潔感はない。前髪の奥に除く群青色の瞳と柔らかな頬も友好的な色を示していて嫌悪感抱くようなものではなかった。

 けれど自室に不審人物が入り込んでいる事実は変わらない。俺は半身を引き警戒心を滲ませる。一つ息を吸い、ゆったりと手を顎の前に添え、猫の威嚇みたいなポーズをとる。

「……盗人か?」

「違うよ!」

 少女は慌ててぶんぶんと首を振る。俺の江戸っ子丸だしなわけのわからない問いかけにまともに応対してくれているあたり悪い人ではないのか、なんて思うが状況が状況だ。単に人間が出来ていて俺の無様なポージングを個性としてとらえていてくれるのであれば顔が紅葉色になるのも致し方の無い事であるが、ここで恥ずかしさのあまり踵を返すわけにもいかない。

 俺は自分を強く保ちながら少女をまっすぐに見据えた。

「……じゃあ、何なんだ」

 はずだったのだが若干恥ずかしくて目を逸らした。とっさに出たのが「てやんでい」とか言いそうな口調であれば恥ずかしくもなる。ちんまりとした威嚇の動きも相まって本当に気持ち悪い。思い出しただけでもいたたまれなくなる。

 それでもあくまで警戒心だけはむき出しのまま、横目で少女の挙動を窺う。

「あえっと、ウミって言います!」

 それに対して少女は近所のおじさんに名前を尋ねられたみたいに元気に答えた。警戒心なんて微塵も感じない。他人から悪意や害意と言ったものを向けられたことが無い幼子のような、純真無垢な目をしていた。

 しかしそんな少女の様子に俺は敵意むき出しだ。当然のことだろう。一人暮らしの我が家に見るからに貧しそうな女の子が侵入しているのだ。真っ先に空き巣の疑いをかけるのも致し方の無い事だ。

 俺は後ろ手にドアに鍵をかける。

「いや、俺が訊いたのは名前じゃなくて、ここで何してんのかってこと」

「えーと、特に何かしてるわけではないんだけど……」

 俺の眼光にひるんだのか、少女は途端にもごもごとしだす。

 俺は少女を睨みつけた。容疑者が口ごもるのは自分にやましいことがある証明だ。であるならば、目の前の少女も胸を張ることのできない何かしらの行為をしているに違いない。

 俺はいよいよ空き巣の現行犯と断じて少女に詰め寄った。

「えっ」

 少女の手首をつかみ、拘束する。彼女は驚きに声を上げたがそんなことにかまっていられない。そのまま顔を近づけ、なるべくドスの利かせた声で言う。

「取ったもの、出せ」

 明らかに自分よりも年下の女の子に、あんまりな態度だと思う人もいるだろう。しかしそれを言うのならばまず不法侵入をした少女こそを裁くべきであり、俺はそれを捉える正しき一般人だ。そもそも、見知らぬ人が家に無断で侵入していたのならばそんな態度にもなる。

 しかし少女はどういうわけか怯える様子はなく、戸惑ったように「あー、えっと」と何かを口にしようとしている。

 自分がこれからどうなるのかを理解していないのだろうか。そう思いながら少女が働いた盗みの証拠を差し出すのを待っていると、彼女は無邪気な笑顔を浮かべ、素っ頓狂なことを言った。

「とりあえず、ここってどこなのかなぁ?」


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