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異世界へようこそ  作者: 澄葉 照安登
第一章 インスタントファミリー
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意外な顔 1

「っつかれさまです」

 コンビニの裏口から侵入し薄暗いロッカー室のドアを開ける。

 俺の挨拶は空しく響くと闇に吸われ、どこかおどろおどろしい静寂が場を満たした。

 その不気味さのせい、というわけではないが俺はそそくさと自分のロッカーを開け放ち着替えをすませる。丸一年以上使っているはずの制服はしかし昨日にでもクリーニングから帰ってきたのかと思うほどに綺麗な状態を保っている。

 袖を通すと自然と背筋が伸び、表情も仕事をするためのものへと変わっていく。

 笑顔を浮かべるのがあまり得意ではない俺は、それでも笑顔を浮かべるために頬を少しばかりマッサージする。

 そんな常人には不要な手間をかけながら冷えた廊下を数歩進み。すぐ目の前のドアを開ける。その先は、二畳半ほどの休憩室だ。

「っつかれさまです」

「あら、アオちゃん早いわねえ」

 あらためて挨拶をしながらドアを開ければ、そこにいた大柄の男性が女性のような言葉遣いで俺を迎え入れてくれた。

「ぎりぎりって言うわけにもいかないですからね。店長は何してるんです?」

 礼儀正しく頭を下げてから店長の手元をのぞき込めば、そこにはばらばらになった絵画があった。

「……店長、仕事してくださいよ」

「いいじゃない。休憩は必要よ」

 俺の方に目もくれずに言う彼に、俺は嘆息を漏らした。

 青みがかった黒髪、藍色のアイライン。紫のルージュ。男らしさはかけらも損なわないくせにそこに女性らしさを無理に付け加えようとした結果とんでもないものが出来上がってしまった、みたいな人が俺のバイト先の店長だった。

「アオちゃんも一緒に楽しまない? 共同作業しましょうよ」

「えー、店長と共同作業は虫唾が走ります」

「笑顔できついこと言うわね。そこが愛らしいんだけどね」

 いつものごとく軽口で返せば、店長はばちこんとウィンクをかます。俺はから笑いを浮かべながらその視線を避けた。

「で、仕事しなくていいんですか? 今誰かシフト入ってます?」

 言いながら店内へと続く扉を半開きにしてレジを覗く。しかしそこには人影は見受けられず、そもそもドリンク用のコンプレッサーの音以外の物音がしない。

 どうやら今日も今日とてこの時間は俺と店長の二人きりということらしい。

 俺は嘆息しつつレジ前に赴こうとドアに掛ける手に力を込める。

 しかしその瞬間、俺の肩に大きな手が乗せられた。

「入ってるわよぉ。アオちゃんだけね」

「みたいですね。仕事しますので手をどけてください」

「んもぅ、あなたのシフトは四時からよ。まだ三時五十七分。裏であたしと睦まじく過ごしましょう」

「断固拒否しますね?」

 言いながら肩に乗った店長の手を払いドアをくぐる。さしてやることがあるというわけでもないが俺はレジの前に立ちいつお客様が現れても対応できるよう準備する。

「照れちゃってぇかわいいわねぇ」

 そんな俺のやる気をそぎたいのか、店長は腰をくねらせながら俺の横に立つ。そのまま腰がゲル化して立てなくなればいいのにとか思いながら虚空を見つめ言う。

「照れてるとお思いで?」

「もちろん。可愛いわぁ」

 うふっ、なんてわざとらしく笑みを浮かべながら肩を寄せてくる店長。空調のせいだろうか、急に肌寒くなってきたので自動ドアに近い方のレジに移動する。

 しかし、いくら冷たくあしらおうとも店長はめげるそぶりは見せない。むしろ俺が冷たく接すれば接するほど頬を紅潮させ俺に詰め寄ってくる。

 なんだこの人怖いなぁ、なんて一年もお世話になっている恩人の一人を冷めた目で見ると、不意に店長が真面目な顔つきになった。

「でも、言うこと聞かないのはよくないわよ。シフト時間、ちゃんと守りなさい?」

 くいくい、と親指で頭上を指し示す。促されるまま顔を上げればそこには時計があった。

「まだ時間じゃないでしょ? あと三分お仕事禁止よ」

「誤差の範囲内じゃないですか。こうやって喋ってたらすぐですよ」

「じゃあ裏でしっぽりおしゃべりすればいいじゃない」

「身の危険を感じるのでここでお願いします」

「あら、危険な事なんてないわよ、むしろ楽しいことがあるか、もっ」

「ハハッ。今笑えることあったんでもういいです」

「いけずぅ」

 なんてコントじみたやり取りをしながら棒立ちで過ごし、やがて俺の本来のシフト時間の四時を回る。けれど仕事が始まったからと言っていきなりお客さんがやってくるわけもなく、俺は変わらず店長と肩を並べて立っているだけだった。

「……店長。ほんとに変わってますね」

「あら、魅力的ってこと?」

「あの、今日のおふざけはさっきので終わりでいいですか?」

「あら、残念。まあいいわよ。それで、変わってるってどういうこと?」

 俺は彼のびっくりするくらいばっちりとメイクの施された顔を凝視する。そんな俺に店長は微笑みを返した。

「いや、だって普通なら時間までに仕事出来る状態にしておけ、っていうものなんじゃないですか?」

「普通はそう言うでしょうね」

 あっけらかんと頷いた店長は腕を組み、子供をあやすみたいな暖かな視線を向けてくる。

「けど、知ってる? 勤務時間って着替えとかの準備も含めてなのよ。だから私のやり方が本来正しいやり方なの。仕事時間になったらすぐに始められるようにあらかじめ着替えて置け、なんて給料が発生していない子に言えるわけないじゃない」

 半歩半歩とにじり寄ってくる店長から顔を逸らし、やや仰け反りながら「そうですか」と相槌を打つ。それがお気に召したのか、店長はくすりと笑むと体を離した。

「それに、アオちゃんみたいな真面目な子にはなおさら言えないのよ。アオちゃん私が頼めば喜んで残業するじゃない。たとえ給料が発生しなくても」

「いや、さすがに給料発生しないなら帰らせてもらいますけど」

「いざという時ちゃんとそう言ってくれるならあたしだって気にしてないわよ」

 あなたは自分の行いを鑑みたほうがいいわよ。なんて店長が小声でつぶやくから俺はばつが悪くなって目を逸らす。店長の言う通り、賃金の発生しない状況でも頼まれればある程度のことは引き受けてしまう。そんなことがこの一年多々あった。

「つい頼んじゃうあたしも悪いんだけどね。いやなことは嫌って言わなきゃだめよ?」

「言ってませんかね、結構辛らつに」

「それはただのコミュニケーションでしょ」

 とぼけたふりをして言えば店長は笑顔を浮かべた。その妙に暖かな瞳がくすぐったい。

 身じろぎをし、まとわりついた生暖かさを振るい落とす。

 この町の大人は、俺のことをいい子供だと過大評価しすぎている。

 口には出せずにそう思っていると店長が「だから」と着地点を用意する。

「仕事の時間以外は気張らなくていいのよ。ただの近所のお姉さんだと思って接してくれればね」

「おじさんの間違いですよね?」

「百歩譲ってお兄さんにしなさい」

「店長今年で三十五でしたっけ?」

「三十四よ。四と五は絶対一緒にしちゃだめよ。四捨五入で数字が変わるから」

「若く見られたいんですか」

「若くいたいのよ」

 なんて年齢の話になるとどこか切実な感じが出る彼に内心で笑いながら自動ドアへと目を向ける。まだお客さんはやってこない。

「ところでアオちゃん。昨日は珍しかったわね」

「何がです?」

「ほら、シフト間違えて来たじゃない」

 言われて思い出す。つい昨日、俺は回らない頭でのこのことこのコンビニの裏口から侵入したのだ。

「昨日はちょっと、いろいろあったんですよ」

「なぁに、恋のお悩みかしらぁ? お相手は、あたし?」

「店長お客さん来ないっすね」

「話を逸らすんじゃないわよ」

 ぺし、と肩を叩かれ俺はそれを払う。

「あなた私のこと本気で嫌ってるわけじゃないわよね?」

「なんで急にしおらしくなるんですか」

 これくらいいつものことじゃないかと困り笑いを浮かべれば、店長はにやにやとしながら肩を寄せてきた。

「そうよねぇ、アオちゃん私のこと大好きだものねぇ」

「あの店長。俺が妨害しといてなんですけど話が全然進まないです」

「いいじゃない。それがコミュニケーションというものよ」

 こんなにも回りくどい行いをそう呼ぶのか、と驚愕する。事務的な連絡もコミュニケーションの一環だと思っていた俺としては目からうろこだった。

「まあそれはそれとして、昨日は何かあったの? ずいぶんとお疲れだったじゃない」

「何かあったってわけでもないんですよ。ただ寝不足だってって言うだけで」

「その原因は何かって聞いてるのよ」

 こういう話になると、店長は途端に真剣な顔になる。

 パズルを解いているときと、人の悩みを聞くときは真人間のように見えるのだから質が悪い。普段からそうであれば構えていられるというのに、普段は頭が空っぽのように感じられるからその落差にはっとしてしまう。

「いや、ちょっと今家に人がいて」

 だからだろう。ごまかしの言葉を考えるより先に、嘘で切り抜けようと思うよりも前にそう口走ってしまった。

「家に? アオちゃん今一人暮らしよね? 親御さんが来てるの?」

 店長もまた、俺の家の事情を知らない。だからその問いかけは自然な流れだった。

 なのに俺は返答に窮した。

「……妹、が遊びに来たんですよ」

 それからこの上なく不自然な間を取って、そんな風に言った。

「妹さんいたのね。でもどうしてこんな時に? 平日なのに学校…………」

「店長?」

 不自然な言い分に思うところがあるだろうと身構えていたのだけど、店長は不自然に言葉を切ると話は終わりとばかりに手を振った。

「部外者がとやかく言う問題じゃないわね。そっ、妹さんが遊びに来てたのね。それで夜中まではしゃいでた、なんて落ちかしら?」

「まあ、当たらずとも遠からず、ですかね?」

「いいお兄ちゃんなのね」

 俺を過大評価した瞳が向けられ、俺はまた居心地が悪くなる。気恥ずかしい、とも違う申し訳なさ。

 そんないい人間ではないんだと吐露してしまいそうになる。

 嘘ばかりついて、普段から恨み言ばかり口にしているんだと。

 けれど口にはしない。それは同情を誘うものだから。同情なんてされたくないから。俺は笑顔で「そんなことはないですよ」なんて返した。

 そこでようやく一人目のお客さんが来店する。

 好機とばかりに俺は「いらっしゃいませ」と大きな声を上げた。


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