30.トロココ平原2
フェル寄り三人称
少し赤みがかった長い髪を左側で束ね肩から前に降ろし、小豆色のマントを羽織り、魔法職として一般的なブラウスを着た女性<フェル>は第四位の上魔士であった。
火、風の二属性を達人の中の達人と呼ばれるレベル7+までマスターし、その功績が評価され、最近になり、入れ替わりで魔法職四位に抜擢された。
それが目にとまったのか、憧れていた賢者から声を掛けられるという幸運を得たのである。
初めて国の最高戦力の一角である賢者のパーティーに参加することになり、最大限の誇りを感じていた。
同時に、四位で満足しない、もっと上を目指したいと言う野心も抱いていた。
そのためには賢者に認めてもらい、次回以降もパーティーのメンバーに入れてもらいたい……そのように思うのは当然であった。
<あー、あいつ、ユグドラゴンのクエストで不運にも死なないかなー……>
フェルの頭の中で、来賓室での賢者の言葉が想起する。
あいつとは間違いなく、先程、賢者さまが声を掛けていた男。
確かに顔も見たことがない男であった。
流石に殺すというわけにはいかないが不運な事故に見舞われるくらいは大丈夫だろう。
彼を観察していると、彼が取るに足らない人物であると確信できた。
……他の人達が命を懸けて戦っているのに、こいつは何もせずに立ち尽くしている。
このような輩が、己の身分も弁えずに、賢者さまに無礼を働いたのかと思うと急激に憤りが込み上げてきた。
<やれ……やってしまえ……>
自身を支配する言霊が、脳内で頭蓋骨に当たっては反射を繰り返しているような感覚だ。
悪魔の囁き? いや、これは正義の勧告だ。
奴は油断しているを通り越し、先程から呆然として全く動いていない。
これでは、外す方が難しい。
フェルの右腕は自然と奴の方に狙いを定める。
「[火炎刄]!」
◇◇◇アオイ視点
「アオイ……やっぱり私、撃っちゃってもいいだろうか!?」
呆然と戦況を眺めていた父が居ても立ってもいられなくなったのか、突然、俺の方に一歩近づいてくる。
いや、撃っちゃダメだろ。味方を巻き込む可能性が高いし……
「あ」
俺の口から思わず声がこぼれる。
「ん……? どうした?」
父がさっきまで立っていた場所を三日月状の炎が通過していく。
「っっっ……!」
賢者のパーティーの一人、髪の毛を左側で束ねて肩から前に降ろす……姉貴によると新妻スタイル……をした魔法職っぽい人がハッとしたような顔で小さな悲鳴を上げる。
父の横を通過した炎刄は、あろうことかユグドラゴンの股間の辺りに飛んでいき………………今、着弾した。
対象が大きすぎてAPSエコノミー・モードの防護対象8をユグドラゴンの顔にしか設定していなかったのが、裏目に出たようだ。
「………………」
皆、その一瞬だけ時が止まったかのように制止する。
「………………」
ユグドラゴンに反応はない。
よかった。どうやらユグドラゴンは気づいてな――
「ぐギャアアアアアアア!!」
「っっ!?」
ユグドラゴンは激しく悶絶する。
「や、やばくないですか……!? でっかいドラゴン、進路を変えてません!?」
ラクイが慌てるように言う。
「最悪です……東に向かっています……」
そう言ったセナの顔からも焦りの色が見える。
東、つまり街の方角だ。
しかも明らかに先程より加速している。
「フェル!! 何をしているんだ!?」
賢者がフェルと呼ばれる新妻スタイルの魔法職に叱責するように問い質す。
「も、申し訳ありません……私……賢者さまに不敬を働いたものを……」
「……っ!? 愚か者!! あんなものは戯言に決まっているだろうがっ!!」
「えっ……?」
「お前は誰だ……!?」
「えっ……えっ……?」
フェルは考えることができないような状態に見えた。
「お前は魔法職第四位、上魔士のフェル・ルピスだろ!?」
「……っ!」
「上魔士の誇りを忘れたか!? 国を! 国民を守らずして、何が上魔士だ!!」
「っっっ!!」
フェルはその場で崩れ落ちる。
「なんぞ? あれ……」
「さぁ……」
父と俺は二人のやり取りを横目で見ながらも次の行動を考える。
賢者とフェルの件は、父も一枚噛んでいそうだが、本人が気づいていないので今はそっとしておこう。
「アオイ! ハルオさん、一回、逸れるよ! いくらなんでも正面でユグを受けるのは無理だ!」
ユシアが指示してくれる。
「いざとなったら討伐しても?」
父が尋ねる。
「…………それは……本当に本当に最後の手段!」
「……」
ユシアは少し泣き出しそうな声で言う。そう長い付き合いでもないのだが、初めて見るものであったこともあり、事の重大さを認識する。
「……ユグドラゴンは一部の亜人族からは神格化されています。それを人族が殺したと知れれば族間の問題に発展しかねないのです」
セナが補足してくれる。
なるほど討伐は最後の手段というわけだ。
「とにかく何とか怒りを鎮めるしかない……!」
ユシアの願いを叶えるため最善を尽くそうと決意する。
◇◇◇
「セナ! お願い! もう街が近い。迷っている時間がない」
「し、仕方ないです……」
セナは渋々、了承する。
ユグドラゴンが進路を変えたからと言って、エンペラーコガネの襲来が収まったわけではない。これ以上、ユグドラゴンを刺激するわけにもいかないため、ラクイ、アリサを含む多くのパーティーはコガネの駆除に回ってくれていた。
ウミは自分もコガネの方に行った方がいいかと確認してきたが、流石に一人にするのは心配であったため、「離れるな」と言った。
「一時も離れません」という過剰なリアクション芸には未だに慣れない。
決め事があったわけではないが、何だかんだで、ユシア率いる勇者パーティーと賢者率いる賢者パーティーがユグドラゴンの進路変更を託されている。
だが、俺達……ユシア率いる勇者パーティーがこれまでに試した三つの作戦は、いずれも芳しい成果を得られなかった。
作戦1:餌で釣る作戦
ユグドラゴンの好物だと言う卵で釣ろうとするも興奮状態により効果なし。
如何せんチキチン・チキンの卵では小さすぎたかもしれない。
ユシアに「何で持っているの!?」と驚かれたが、今朝方、出撃前の市場で見つけたからだ。
作戦2:ネゴシエーション作戦
話せばきっと伝わる……という父のロマンチックなアイデアに基づき、ユシアの勇者パワーに賭け、話し掛けてみるも敢え無く撃沈。
セナ曰く、ユグドラゴンの頭はそんなに良くない……とのこと。
いくら神格化されていようと、所詮は理性なしのモンスターの括りにあるのはそのためか。
作戦3:頭冷やせ作戦
頭冷やせば落ち着くんじゃない? というウミ考案の作戦により、セナの氷魔法でユグドラゴンの頭部を冷却してもらったが、効果なし……心なしか少し加速した。
決してふざけているわけではない。俺達は至って真剣であった。
殺処分してはいけないという制約が思いの外、事を困難にしていたのだ。
そして、今、満を持して、セナが試行する作戦……それが……
<作戦4:痛いの痛いの飛んでいけ作戦>だ。
セナは<作戦3:頭冷やせ作戦>の失敗と、作戦4の内容が恥ずかしいからか、最初は少し拒んだが、最後は納得してくれた。
「それでは……やります……」
セナは意を決したように、ユグドラゴンの下部に潜り込んでいく。
そして辿り着いた目標地点にて、魔法を唱える。
「[極上癒回]!」
セナは氷魔法と同様に癒魔法をレベル7までマスターしている。
この魔法は、なんでも……回復に加え、マッサージ&リラクゼーション効果のある治癒魔法らしい。
それをユグドラゴンの患部に、直接、使用する。
作戦の概要はこんなところだ。
「どうだ!?」
「ぎゃぉぉ……? ぉぉぉ……ぉぉ……? おぉぉ……!」
これまで何をやっても興奮冷め止まぬ様子であったユグドラゴンがここへ来て、初めての変化を見せる。
……効いている? ユグドラゴンの口元からは心なしか笑みが零れているように見える。
別の意味で興奮してしまうのではないかと心配されたが、幸いにも明らかに先ほどより減速した。
「やった……! 減速した!」
ユシアの声が少し明るくなる。
「……だけど、これじゃ……」
明るくなったのは一瞬で、すぐにこのままでは根本的な解決には至れないことに気付く。
減速はした……しかし、進路は変わっていない。




