01.プロローグ
「アオイ、今日、終業式でしょ?」
リビングにて、大学生の姉が話しかけてくる。
「え、まぁ、うん……」
「通知表見せて」
「……はい」
俺はしぶしぶ鞄から高校の通知表を取り出し、姉に渡す。
「なるほど……」
低空飛行の成績を見て、姉は微妙な顔をする。俺は少し情けない気持ちになる。
「物理だけは妙にいいけど……」
母はいない。俺が小学生の時に暴走トラックから俺を守るために命を落とした。
そのせいか少し年の離れた姉が俺の母親代わりになっていた。
「アオイの成績がいまいちみたいなの。このままじゃ大学いけないんじゃない? パパ、何か言ってあげてよ!」
姉は日課の筋トレをしていた父に話を振る。
「えっ……、うーん……まぁ、いいんじゃないかな……」
突然、振られた父はちょっと驚きつつ、無関心のような返事をする。
「……」
父はいつもこんな感じだ。
俺を恨んでいるのだろうか。それも仕方のないことだ。
「パパ、もうちょっと言うこと……」
「いいよ……もう部屋行く……」
「あ、アオイ……ちょっと……またユナイト!?」
「……」
俺は姉から逃げるようにリビングを出る。
「あ、俺も用事が……」
「ちょ、パパも……」
◇
別に家庭崩壊しているわけじゃない。
だけど、関係が少し冷めているとは思う。
「まぁ、いいや……ユナイトでもやろう。今日は大事な日なんだ」
俺はその瞬間、現実のあらゆる憂鬱を忘れられた。
ユナイトオンラインは<VRアクションゲーム>だ。
既存のゲームと異なる点は、脳波によるコントロールを行うため、自分自身が動いているかのような臨場感を感じられる。
ユナイトは爆発的なヒットにより、社会現象になり、社会問題となる程度には中毒者を生み出した。
ちなみに、たった四人から成るゲーム制作サークルがAIによる自動生成を駆使して開発したゲームらしい。
高層ビル群が立ち並ぶ、まさに摩天楼の中を飛び交うように最新鋭兵器をモデルにした銃火器をぶっ放すようなサバイバルゲームであるのだが、<ステルス・アーマー>と呼ばれる装備を自身の趣向性に合わせて、カスタマイズするシステムがあり、自分だけの特徴を持つことができる点もプレイングの多様性を生み出していた。
基本的なルールはタッグを組んだ上での、25ペア50人のバトル・ロワイヤルであった。
◇
ORUHA:すみません、ちょっと遅れました。
BLUE:いえいえ、自分も今、来たところです。
待合ロビーに明るい髪に優しそうな垂れ目、華奢な女性のアバターがやってくる。
BLUEとは俺のプレイヤーネームだ。そしてORUHAさんとは俺の相棒だ。
ゲームを始めた頃にランダムマッチングで意気投合して以降、ずっと彼女と二人でプレイしている。
ORUHA:それじゃあ、早速、行きましょうか! 50F!
BLUE:はい
俺たちはロビーから巨大エレベーターに乗る。
昨夜、俺たちは巷で廃難関と呼ばれる最上位ランク”50F”へ挑戦するための条件をついに満たしたのである。
今日はその50Fへの挑戦初日である。
ORUHA:いやー、しかし、長いですね……
50Fへ向かうためのエレベーターの中で、ORUHAさんが愚痴をこぼす。
BLUE:演出ですかね……
ORUHA:……そうかもですね。まぁ、確かにこれだけ苦労して辿り着いたのに、あんまりすんなり着いてしまうのも味気ないですかね。
BLUE:はい。
それにしても確かに長いなぁとは思う。少しそわそわしてしまうような感覚だ。
ORUHA:あの……BLUEさん……
BLUE:はい……?
ORUHA:今日までありがとうございました。
BLUE:え、どうしたんですか。急に、改まって……
ORUHA:いえ、元々はちょっと理由があって始めたこのゲームですが、いつの間にかどっぷりはまってしまったようです。
BLUE:あ、そうだったんですね。
今まで、リアルの話は匂わせすらしてこなかったORUHAさんだったので幾分、驚く。ORUHAさんがそんなことを言うので、自分も少しだけORUHAさんに興味が湧いてきた。
リアルでは姉以外の女っ気がない自分であったが、ORUHAさんはアバターの雰囲気がどことなく母さんに似ていて、それほど抵抗なく話すことができたのだ。
ランダムマッチングは通信遅延を少なくするため比較的近くのプレイヤーをマッチングすることが多いらしいので、ひょっとしたら結構近くに住んでいたりするのだろうか……
などと考えていると、エレベーター内に目的の階層への到着を報せるアラームが鳴り、エレベーターの扉が開く。
ORUHA:あ、着いたみたいですね。50Fまで来たのですから、今度は少しはBLUEさんのことも教えてくださいね。
などと、ORUHAさんは冗談めいた口調で目を細めてほほ笑むように言うので、少しばかり胸が跳ねる。
その間に、ORUHAさんはエレベーターの中ほどにいた俺の方に体を向け、後ろ歩きでエレベーターの外に出ようとする。
BLUE:え……!?
正面を向いていた俺はエレベーターの外が、いつもと違う状態になっていることに気が付く。
BLUE:ま、待って! ORUHAさん!
ORUHA:え……?
ORUHAさんは不思議そうな顔をするも、もう体の半分はエレベーターの外に出てしまっていた。
ORUHA:あ……
ORUHAさんはそのままエレベーターの外に出てしまった。
ORUHAさんの体は吸い込まれるように、その場から消えてしまい、エレベーターの出口には水面の波紋のようなものが発生している。
BLUE:え……ORUHAさん……
エレベーターの外……予想していたのは、これまでの階と同じく、無機質なエントリーカウンターであった。
しかし、予想の斜め上とか、そういうレベルではなく、常識的に考えて有り得ない光景が広がっていたのだ。
なにせエレベーターの外にあったのは、緑の丘だ。
その向こうには中世の西洋風の石城連なる街、更にその向こうには山脈……という正にファンタジーの世界のテンプレのような景色が広がっていたのだ。
正直、嫌な予感しかしないけど、ORUHAさんを放置して帰るわけにもいかない。
俺はエレベーターの外へ一歩を踏み出す。
◇
エレベーターの中と外を隔たる境界に差し掛かると、ごく自然に外側に出ることができた。
出てみると、そこは清々しい風が吹く緑の丘……ではなく、森の中だった。
「なんなんだろ、これ……」
俺は茫然とつぶやく。
あ、そういえばORUHAさんは……と考えていると。
「いや、なんなんだろ……はこっちだよ」
「え……?」
俺は横から聞こえたどこか聞きなじみのある男性の声の方を見る。
「え……何してるの…………父ちゃん……」