苦手
玄関には家を出る時にはなかった靴があり、声がする客間を覗くと祖父がいた。
「おお、伊那か」
「おじいちゃん今日来る事にしたらしくて、さっき来たばかりなのよ」
「こんにちは。お母さん、これ頼まれてたもの」
「ちょうど良かったわ。じゃあお茶の用意してくるから、おじいちゃんと話でもしてて」
差し出した袋を持って母は台所へ行った。
鞄と毛糸の入った袋を下ろし、祖父と向かい合わせに座ると同時に。
「お前、仕事を辞めたのか。その歳で辞めてどうするんだ?儂らの若い頃はな…」
始まった。きっとなかなか終わらない。
仕事を辞めるとこういった事もあるだろうと想像はしていたものの憂鬱な気持ちになる。
祖父から見えない位置で両手は無意識のうちにくろうさを包んだ。私の気持ちを知ってか知らずか、また動き始めたくろうさは包んだ手を緩めた瞬間に机の上に飛び出した。
「最近の若い奴は根性が「ぼく くろうさ」」
ああっ!もうっ。
「なんだこれは」
祖父が小言を中断し、慌てた私は捕獲を試みるけれどひょいっと避けられた。
「ぼく くろ「犬か?」」
「犬じゃないよ!うさぐえっ」
祖父がくろうさを捕獲してしまった。
「なんだ!?」
くろうさをぎゅっと握りしめ眼前でまじまじと見、次に耳元に持って行く。少し耳が遠いので仕方がない。
「く、く、ろ…」
「黒!?」
「う、ぁ……ぃ」
「う!?何を言っとるのか聞こえんわ!壊れたのか?」
そう言うと握ったままくろうさを上下に振りだした。
「おじいちゃん!壊れてないから!」
「そうか。お前が作ったのか?」
祖父は机の上にくろうさを置きながら私に問いかけた。
ぱたりと倒れこみ、うつ伏せになった姿はただの編みぐるみ。これで本当に喋ったりしなくなったら?
掬いあげるように両手で包むとプルプル震えだした。
…大丈夫そうで良かった。
「う、うん、そう。えっと…喋るもとは他で買ってこの中に入れたんだけど」
最近の物には疎い祖父なので、声の出る機械を編みぐるみの中に入れている風に誤魔化す。母に言った誤魔化しとは違うけれど大丈夫だろう。
「そういう物を作れるんだったらな、売れるぐらいにしてみろ!」
「何騒いでるの?はい、お茶とお菓子」
タイミング良く母が来た。
買ってきたお茶菓子が祖父の好きな物だった事もあり、以降は小言を聞かずに済み三人で和気藹々と会話をする事ができた。
今回はくろうさに感謝かな?
この日からくろうさは祖父が苦手になったようで。
「おじいちゃん」
という言葉への反応が早くなった。