4.笑顔
翌日の昼頃。汽車の旅を終えた三人は予定通りトラドへと到着した。駅の構内から出てくると、太陽が中天に差しかかり、間もなく正午といった所である。
「__へえ。思ってたよりも古風だけど、栄えてるんだね、ここ」
「ああ。この辺りは国内でも有数の観光名所だからな。鉄道が普及し始めてからはより観光客も増える一方らしい」
「なるほど。そりゃあ儲かる訳だ」
感じ入った様子で頷きながらエリックは辺りを見回した。
トラドは一見して古めかしい印象を受ける都市だ。街並みを形作る建物は、その多くが二、三世紀ほど前に造られたもの。それが当時の姿のまま現存している。大きさが不揃いの茶色い煉瓦で組み上げられた壁と、上部が丸いアーチを描く大きめの窓が特徴的だ。また、全体的に建物がそう高くはない造りだった。
この国では、歴史的な建造物や遺跡は勿論のこと、トラドのように過去の姿を今なお遺している街は、文化的・学術的に価値があると見なされて大切に保護されている。その為の法令も定められているほどだ。
確かに良い政策ではあるのだが、先祖代々の古い家屋に住む住人達は自由に家の改築が出来ないので、不便を強いられることも多々あるという。
「嬉しそうだね、ミシェルちゃん」
知らず知らずのうちに気持ちが昂っていたのだろう、興味津々の顔つきになっていたミシェルは、はっとしてばつが悪そうに辺りを見回すのを止めた。ほんのりと頬が赤くなっている。
それをエリックは愉快そうに小さく笑って眺めていた。
「状況にもよるが、仕事が早く片付けば帰りの汽車を待つ間に軽く観光はできる筈だ」
「は、はい……頑張ります!」
さり気なくオズワルドが言うと、ミシェルは更にやる気を込めるように両手で拳を握った。
一見不器用そうだが、相手のことはきちんと見ているのがオズワルドである。敢えて期待をかけ過ぎないのが彼らしい。
「では、そろそろ行こうか。地図はあるが……エリック、ここから見えるか?」
エリックは片手で瞼の上に庇を作り、軽く目を眇めた。ややあって小さく頷く。
「ええと、現在地が大体街の北側だから__ああ、あそこだね。十字架が見える。歩いて十五分もあれば行けると思うよ」
エリックの言った通り、しばらく街中を歩いて行くと目的地にたどり着いた。
カリア教会は少し開けた広場に建っている。白と茶色の煉瓦造りの建物に所々に蔦が絡み、それが中々絵になっていた。大聖堂とまではいかないものの、それなりに大きい教会のようだ。こちらも建てられてから優に数百年の歴史を経ているのがひと目で見て取れた。
裏手には墓地もあるようで、何人かが墓参りに訪れている。
オズワルドはカソックのポケットから銀色の懐中時計を引っ張り出した。
「……直に正午だな」
「ミサの時間ですね。私達も一緒に参加するのですか?」
ミシェルが正面の礼拝堂をちらりと見て尋ねる。大きな窓越しに聖職者達と一般の市民達が幾人か集まっているのが見えた。
「本当ならそうするべきなんだけどね。今回はこっそり見学させてもらうことにしよう。きっとオズもそう思ってた筈だよ」
「そうだな、これも監査の内だ。覗き見のような形にはなるが、普段の聖務の様子を見るには丁度良い」
「分かりました、勉強になります」
「まあ、一般人の目もあるから変なことはしていないとは思うけど……」
エリックの言った通り、ミサの進行や内容にも特におかしな箇所は見られなかった。先頭で祈りを捧げているのが件の副司教だろう。彼の説教の文句もよく言われているようなありきたりなものではあったが、それだけにごく普通ということでもある。
物陰からこっそりと様子を眺めていた三人は、共に違和感を覚えた様子もなかった。ミサを終えて一般の信徒達がぞろぞろと礼拝堂から帰っていくのを横目に、オズワルドは手帳を開きながら呟く。
「……現時点では問題なしか」
「みたいだね。こうやって見ると割と普通っぽいから怖いよねぇ」
「……ああ。では仕事だ。分かっているとは思うが、密告があったことは一切口外しないように。シスター・ミシェル、何か気付いたことがあれば遠慮せず直ぐに伝えて欲しい。私達では気付かないことがあるかも知れない」
「畏まりました、何かあれば直ぐに」
三人は教会の正面、礼拝堂に繋がる大扉ではなく、少し脇にある普通の扉の前に立った。代表してオズワルドがノッカーを三回叩く。
少しして扉の向こう側に足早な靴音が近付いてくると、一拍の後に扉が細く開き、一人のシスターが顔を覗かせた。
「こんにちは……教会の方、ですよね。いかがされましたか?」
赤毛の、穏やかな雰囲気の女性だった。優しそうな微笑みを浮かべた、人々が思い描く理想的なシスター像を体現したかのような人物だ。歳の頃は恐らく二十代半ば頃といったところか。ミシェルは何やら思わず見惚れてしまったようだが、反面男二人は全く動じていない。
「失礼、我々は教会本部の執行部より派遣された者です」
「まあ、執行部の方々ですか。ということは、このカリアの監察にいらっしゃったのですね」
「ええ。不定期に各教会の監査が行われるのは既にご存知かと思いますが」
「勿論存じておりますわ。この度はようこそお越しくださいました。私はシスター・イザベラと申します、よろしくお願い致しますね」
頭を下げたイザベラに、エリックがにこりと笑って話しかける。
「どうぞよろしく。では早速だけど、こちらの副司教殿にお会いできます?」
「畏まりました、ご案内しますのでどうぞお入りください」
扉の先は石造りの回廊になっていた。空間に四人分の靴音が木霊する。外側の壁の高い所には等間隔で明かり取りの窓があるため、陰湿な感じはしない。
回廊の先にはまた扉があった。どうやらその先が聖職者たちの居住空間、普段の生活の場のようだ。
そして三人は、今度は幾つかの扉が並ぶ廊下を抜けて応接室へと通された。広すぎない室内に、低く細長い卓を挟んで対の長椅子が対面するように置かれている。
「こちらです。副司教様をお呼びして参りますので、どうぞお座りになってお待ちください」
そう言うとイザベラは一度扉を閉めて去って行く。長椅子には流石に三人並んで座るには狭いので、ミシェルが遠慮して後ろに立つことになった。
「すまないな」
「いえ、寧ろこの方が良いかと思いますので」
「ありがとうね、ミシェルちゃん」
等という会話を交わしていると、廊下の方から不機嫌そうな男の声と、それを宥める穏やかなイザベラの声が聞こえてきた。そして乱暴に扉が開くと、黒いカソックを纏った中年の男が応接室に入ってきた。
中肉中背で、段々薄く後退しつつある茶色い頭髪といった年相応の風貌をしている。朗らかに笑えば充分感じよく見られるであろう顔立ちも、今はしかめっ面のせいで相手らへの敵意のようなものしか感じられなかった。
「__ふん、いきなり押しかけてくるとはな……私がここを任されている、副司教のイアン・オールダムだ」
「お世話になります。執行部のオズワルド・クレアとエリック・キングスレイ、そしてミシェル・ガーランドです」
立ち上がってオールダム副司教を迎えると、オズワルドは代表して挨拶をする。相手の仏頂面に触発された訳ではないが、こちらは相好を崩さない鉄壁の真顔だった。エリックは曖昧な微笑みを浮かべている。
「まあ座りたまえ。仕方あるまいが監査とは全く嫌なものだな。前回から一年ほど経っていたからそろそろだろうとは思っていたが……」
副司教は対面の長椅子に大儀そうに腰を下ろす。オズワルドとエリックが座り直した頃合いを見計らって、イザベラがティーカップに淹れた紅茶を振る舞ってくれた。全員の前に配り終えた後、立ちっぱなしのミシェルには申し訳なさそうに会釈する。対するミシェルはとんでもないと慌てて首を横に振っていた。
「そうですね、不定期に監察させて頂くのが我々の職務ですので。快く思われないのは重々承知の上ですが、どうかご了承の上で協力頂ければと」
「ああ、気分が悪いのは当然だとも。特に今の執行部に身の内を探られるのはね。だが仕方あるまい、これも我々の潔白を示すためだ」
副司教は不機嫌そうにつらつらと宣いながらオズワルドとミシェルを順番に見遣ると、最後にエリックに目を止めて、忌々しいと言わんばかりの視線を投げる。
「しかしまあ、執行部とは。貴様達……ひいてはあの枢機卿に妙な因縁でも付けられて、あらぬ嫌疑を掛けられるのも不愉快だ。ましてやあの男、変わり者ばかりを引き込んで味方に据えているという噂は本当だったのだな……よりにもよって"アーウェルの忌み子"など__」
副司教がその言葉を口にした瞬間、エリックの眦が吊り上がり、瞳が爛々と恐ろしい光を湛えそうになるのをミシェルは確かに目撃した__が、一息に緊迫した空気を破ったのは、ガシャンという陶器が砕ける音だった。
苦々しい顔つきの副司教から流れ出ていた嫌味の文句も、その拍子にぴたりと止まった。
「オズ……」
ほとんど吐息のような囁きだけで名前を呼んだエリックを目線で制すると、オズワルドは大きく欠けてしまったティーカップを片手に淡々と言う。
「申し訳ない、つい手が滑ってしまいました。こちらは弁償致しますので」
「大変、お怪我はありませんか? カップは同じものがまだ沢山あるので構わないのですが……」
イザベラは慌てて立ち上がると、オズワルドを手伝って陶器の破片を片付け始める。ミシェルはテーブルの上を片付け、エリックはオズワルドの手に怪我がないかをしきりに確認していた。
副司教はそんな慌ただしい様子を呆気に取られた顔で眺めていたが、やがてわざとらしい咳払いと共に、再び場の空気を我が物にしようと口を開く。
「とにかくだ、この教会にやましい所など一つもないことは私が一番よく分かっている。どうせ探られても痛くもない身だ、好きなだけ調べて一刻も早く私の潔白を証明してくれるのを願うよ。__まさかとは思うが、例えめぼしいものが見付からなかったからといって、証拠をでっち上げるような見苦しい真似はしないだろうからね」
副司教は追い立てるかのごとく手を振りながら、またも水を流すようにのたまう。対するオズワルドの真顔は全く動く様子もない。
「ええ、無論です。これから資料や帳簿などを拝見させて頂きますので、何か不明瞭な点が見付かればお答え願います。それでは」
オズワルドが軽く礼をして立ち上がると、エリックとミシェルもそれに倣う。やはりイザベラが先導してくれるようで、いち早く歩み寄った扉を開けて待っていてくれていた。
「ご案内いたしますね、さあどうぞ」
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
オズワルドとエリックに続いて、最後にミシェルが部屋を出る直前に、ちらりと一瞬中を振り返った。
イザベラが変わらず微笑みを絶やさないのと対照的に、副司教は徹頭徹尾面白くなさそうな表情で一行を見送っていた。