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Nの罪咎  作者: 嘉月信乃
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2.”悪魔が出た”


「__さて、あなた方には既に察しがついていると思いますが、"悪魔が出ました"」


 直属の上司である穏やかな顔つきの枢機卿は、簡単な挨拶の後そう告げた。

 オズワルド達の執務室の三倍近くはありそうな広い部屋には、白く大きな格子窓から陽の光が燦々と降り注いでいる。その窓際の傍、大きな机の前に座すのが司教枢機卿、ユリウス・イェツェール・ベルンシュタインだ。軽く組んだ両手を天板の上に乗せて、目の前の二人の神父をにこやかに見詰めている。


 深い赤の衣服と角帽は、特権を持つ彼らだけが身に纏うことを許されているものだ。

 目の前の人物が枢機卿というだけあって、恭しく礼を取っていたオズワルドとエリックは上げた面をそのまま見合わせた。


「ええ、まあ……恐らくそうだろうとは」

「猊下、この仕事終わったら休暇いただきたいんですが」


 首を軽く縦に振りながら相槌を打つオズワルドに対して、エリックはそんな突拍子もないことを宣った。半拍置いてオズワルドから脇腹を肘で小突かれる。真正面を向いたままなのに肋骨の真下辺りを的確に狙って当ててくるものだから、効き目は抜群だ。


「痛っ、たあ……酷いなまったく」

「酷いのはお前だ。申し訳ありません、猊下」

「いいえ、大丈夫ですよ。では続けますね」


 話の腰を折られても、枢機卿は笑顔を崩さない。しかし逆にそれが恐ろしいと思う者もいる。

 教会組織で最も尊き御方、教皇聖下に次いで地位が高いのが枢機卿だ。聖職者はそれなりに数多くいるが、枢機卿ともなればごく僅か。しかも枢機卿団の中でも最高位の司教枢機卿は両手の指で数えきれるほどしか存在していない。その内の一人がこのユリウスという男だ。


 枢機卿達は教皇の補佐を始め重要な役割をそれぞれ持っているが、ユリウスの場合は教会内の監査を担当する部署、執行部の長を務めている。オズワルドとエリックが所属しているのも、この執行部だ。

仕事内容は主に、教会組織内の規律を監督し、様々な不正や悪しき行いを調査・弾劾することである。


__しかし、清廉かつ敬虔な信徒達がそのような悪事を犯すなど、あってはならないこと、有り得ないことだ。それ故、何らかの罪の兆候が見られた時、こう表現される。"悪魔が出た"、"悪魔に取り憑かれた”と。信心深い信徒が恐ろしくも悪魔の毒牙にかかってしまった、という訳だ。

 そういった理由で、執行部に所属す聖職者達は"悪魔祓い"と呼ばれている。


「今回の現場は国の西部にある街、トラドです。場所は……ここですね」


 ユリウスは机の上に広げた地図を指しながら説明を続ける。オズワルドとエリックは覗き込むような形で注目した。


「推定人口は二万人に満たない程度の街で、地方よりとはいえ、それなりに発展していますね。恐らく、二人はまだ訪れたことがなかったでしょう?」

「はい」

「僕もありませんね。ここから離れてるみたいですし」


 三人の現在地、教会の総本山があるのが首都・エルアザル。エリックは地図の上に置いた人差し指をトラドまで滑らせた。


「ええ。移動には鉄道でおよそ一日といった所でしょうか。便利な時代になったものです」

「やはり汽車が通っているのは有難いですね。そして猊下……」

「説明の途中でしたね。トラドには大小合わせて四つの教会があります。悪魔が出たとの報告を受けたのはカリア教会__街の北東部にある、トラドで二番目に規模の大きい教会です」

「カリアね……あそこの副司教って確か猊下のことを目の敵にしてませんでしたっけ?」

「エリック」


 少し口の端を歪めたエリックをオズワルドは短く制止する。当のユリウスは困ったように微苦笑を浮かべた。


「だって、二十年くらい前に猊下が枢機卿に指名された時、何だかんだ言って反対してた内の一人じゃないですか」

「よく覚えていましたね……二人はあの時まだ十歳頃だったでしょう」


 制止に知らぬ顔をして、まるで子供の告げ口のような言い方をする。ユリウスは怒る素振りは見せず、むしろ感心したようだった。


「そりゃあ覚えてますよ。ねえ、オズ」

「…………」


 オズワルドは是と答える代わりにこう言った。


「その辺りの事情を踏まえると、今回の仕事は少々難儀しそうですね。あちらが我々をどう思っているかは分かりませんが」

「まあ、面白くはないだろうね。__僕は逆に面白くなってきたけど」


 獲物を見付けた肉食獣のような顔をするエリックに、オズワルドの鋭い視線が飛ぶ。


「……あちらがお前と私を知っているかは分からんがな」

「知っていてもいなくても、猊下の部下ってだけで風当たりはきついだろうね、きっと」

「すみませんね、また苦労をかけてしまいそうですが」

「全く問題ありません。それが我々の職務ですので」


 眉を下げるユリウスにオズワルドは毅然と答えた。

 エリックの言った通り、ユリウスは20歳という若さで助祭枢機卿位に就いたという異色の経歴を持つ。

 通常、枢機卿となるためには上位聖職者に任じられ、教皇からの指名を受けなければならないが、当然まずそこまで出世するのも並大抵のことではない。それ故に、上位聖職者は大抵の者が若くて中年の者が圧倒的に多い。本来ならば根強い権威主義の教会組織で、たかだか20歳の若造が枢機卿になるのは、まず有り得ないことだった。


 しかし異例の出世は、生まれながらに神童と讃えられた彼が、持ち前の能力や名家生まれの環境を驕らず、幼い頃からひたすら敬虔に精進した結果にすぎない。決して生家からの賄賂の事実や過剰な寄付があった訳でもなく、不自然な寵愛を受けたからでもなかった。

 そんなユリウスは、だからこそと言うべきか、穏やかで慈悲深いという性格も相まって民衆や他の信徒からの信頼や支持も厚い。今では次期教皇とも目されているくらいだった。

 本人としては教皇の座は望んでいないという謙虚さもまた、人気に拍車をかけている。


 とはいえ、いかな聖職者とてやはり人間。それを面白く思わない者達は当然いくらか存在する。

 主な政敵といえるのは上位の枢機卿の内の何人かだったが、その者達を筆頭に作られた派閥に属する聖職者達とも対立構造にある。今回のカリア教会の司祭もその内の一人だ。


「ええ、そこは何とかなりますよ。ところでその人"どんな悪魔に憑かれちゃった"んです?」

「報告には、一般の信徒への過度な寄付要求、横領疑惑とありました」

「それはまた分かりやすい……それは一体誰が?」

「カリア教会の聖職者から匿名で送られてきました。筆跡を見るに女性かと思われますが」

「シスターかぁ。見所があるね、その子」


 面白そうに目を瞬かせたエリックは、隣のオズワルドへ同意を求めた。彼もそれには異論はないらしく、無言で頷きを返す。

 一方でユリウスは、その言葉に丁度良かったと口を開いた。


「今回の件ですが、あなた方の他にもう一人同行してもらおうと思います」

「へえ、誰です? アンドレア?」


 エリックが名前を出したのは後輩の男性聖職者だ。まだ二十にも満たない年少者だが、利発で飲みこみも早く、勘が鋭いという長所を持つ出世株だ。何より明るく人懐っこい性格が魅力でもある。


「残念ながら違います、彼もまた二人と仕事をしたがってはいましたがね。今回はまだ経験の浅いシスターを一人、一緒に向かわせますので、どうかよくしてあげてください」

「シスター、ですか」

「そうです。まだ若いですが、筋が良くて真面目な方ですよ」


 へぇ、とエリックは口の中で呟く。オズワルドとの二人旅ではなくなったのがほんの僅かだけ残念なようだが、それで年下女性に意地悪したくなるようなつまらない性格はしていない。向こうで何か嫌がらせを受けていたら庇ってやろうと思うくらいの気概もある。だからせいぜい、一体どんな子だろうかというような思案を巡らせていた。


 それに対してオズワルドは、ユリウスから詳細な仕事内容が書き記された書類を受け取っていた。こういった大切なものは彼に預けるのが安心だとは、ユリウスも長い付き合いでよく分かっている。


「それでは、早急に準備を整えて現場へ向かって下さい。鉄道の切符は手配済みですから、出立時に内務部の窓口から受け取るように。二時間後の便です。同行のシスター、ミシェル・ガーランドとは正門付近で合流して下さい。今から一時間後にそこで待つように伝えてあります……宜しいですね?」


 ユリウスのてきぱきとした指示に、オズワルドとエリックは今一度丁寧に頭を下げる。


「御意に」

「畏まりました、猊下」


 顔を上げた二人に、ユリウスは微笑んだ。


「二人、いえ三人とも無事に帰ってきてくださいね。あなた方に主の恩寵とご加護がありますように」

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