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マリアと私の物語  作者: 綴
1/1

『メイベル』と『マリア』

 何度目かの夢から目が覚めた時に、わたしは自分には前世があり、それを夢で見ているのだと気が付いた。


 きっかけは特になかったと思う。ある頃から見た夢の内容が、『ニホン』の『シャカイジンジョセイ』となった『ワタシ』の人生の一部となっていった。

 最初に見たときのことは覚えていない。幼かったこともあり、日中子供らしくめいっぱい走り回ったりご飯を食べたり、泣いたり笑ったりしているうちに寝る頃には綺麗さっぱり忘れていた。

 しかし月に一回、週に一回、三日に一回と間隔が縮まって何度も見るうちに、幼いながらこれは別の世界の自分なのだと気付いた。


 当時、侯爵家の娘として花よ蝶よと育てられてていた私は典型的なわがままな子供だった。自分が世界の中心だと信じて疑わず、大量のお菓子や人形を強請り、何度も勉強から逃げ、思い通りにならなければ家族や使用人相手に癇癪を起こして困らせていた。それでも誰かを傷つけるような子供ではなかったのは、夢の中の自分が悪意に厳しかったことが起因していたのだと思う。誰かを傷つけることを嫌う感情を『体験』によって、幼いながらそれはしてはいけないことだと理解していった。


 そうして六歳となり、ある程度自分と他人との境界を知るようになる頃には、私への周りの評価は『わがままお嬢様』から『大人びた礼儀正しい令嬢』というものになっていた。

 そして同じく二年という時間をかけ、私たちは、今世の『わたし』である『メイベル』、前世の『ワタシ』である『マリア』と、二人の人格をその身に宿すことで折り合いをつけたのだった。マリア曰くこれは『ニジュウジンカク』というものに似ているそうだが、マリアが私となり何かをしたことは一度もない。私が五感で得た情報に対して、マリアが勝手に話しているだけである。最初は混乱したが、最近ようやく人と話しながらその言葉を処理できるようになった。



 私の中にマリアが生まれてから一ヶ月。ようやく私にある程度馴染んだマリアはこれがかつての『ニホン』でよく読んでいた『イセカイテンセイ』小説で見られる境遇と同じではないかと気が付いた。

 テンプレ通りであれば『オトメゲーム』の悪役令嬢。乙女ゲームで散々ヒロインを虐める令嬢に転生してしまった主人公たちが、前世の知識や異能力、隠された血筋などを使い、陥れられるところから形勢逆転、ギャフンと言わせる、お決まりの世界である。ヒロインという可能性もあったが、侯爵家の娘となれば十中八九悪役の方だと思う。


 しかし残念なことに、マリアはそういった小説はいくつも読んでいたのに、オトメゲームは全くしたことがなかった。正しくは、やったことがあるものの、選択肢にたどり着く前に断念していた。なぜ苦手だったのか、本人曰く『申し訳なくなったから』だそうだ。


『モジョにイケメンを選ばせるなんて、いくら次元が違うからって無理でした! 私、筋金入りの卑屈なモジョだったんです!』


 まったく意味は分からなかったが、要するに前世の私はかなり自己評価の低い人間だったようだ。


 更に、マリアには異世界でちやほやされるために必要だという前世の知識もなかった。定番らしい髪を綺麗にするためのものからお肌を綺麗に保つためのもの、領地を発展させるための経済的知識、前世の料理など、『チート』をするために必要な知識はあくまで小説の中で必要なのであり、実際に自分が必要となるとは一切思っていなかったようである。


『だって、石鹸や化粧品は作るよりも買う方が早かったし、領地チート系の知識はまるっきり専門外でした。料理は親に頼りきりなパラサイトシングルだったからカップ麺とカレーしか作れないです。あ、カレーはルーがないと無理だった。お米も、炊飯器があれば炊けはするけれど飯盒炊飯の方法とか覚えてないですね』


 その後かろうじで『ハジメチョロチョロナカパッパ』という単語は思い出していたが、それ止まりだった。



 ただし、なかった『チート』はあくまで前世のものだけだったようだ。『天は二物を与えずは嘘ですよ』と、不貞腐れたマリアはそう言った。



 まず私の血筋に関してだが、侯爵家の娘であり前国王の孫娘という、この国にいる限りほとんどの人から傅かれ、尊ばれる血をひいていた。お祖父ちゃんが元王様。前世で元平民だったらしいマリアはそれを知った時は変な叫び声を上げていたが、頭の中の声に対して耳を塞げないのであまり騒がないで欲しかった。

 この国の貴族の爵位は階級ごとに分かれた五つと、それに属さない特殊な一つの合計六つが存在する。侯爵位は五階級の上から二番目である。しかし公爵位と侯爵位は権力の拠り所が違うため、公爵が必ずしも侯爵より上とは言えないようだ。何より、公爵位と侯爵位は合わせても十一しかない。この数は歴史的・宗教的な意味合いがあるため、たとえ一家お取り潰しとなってもその爵位がなくなることはなく、また増えることもない。特に我が家の持つ爵位の由来は歴史を遡ると建国以前のものだそうで、歴史の教科書に出てくるような古さを誇る。知れば知るほどに驚かされる、大変おめでたいお家柄だった。


 異能力に関しても、まず前提として、この国は一応魔法が使える国だった。ただし使える者は平民はほぼなし、貴族は二、三割程度である。魔法を学ぶ専門の学校はあるので希少というわけではないものの、ありふれているとはいえない程度の世界だった。

 しかしそんな所有者が少ない魔法の力であるが、王家の者は、この国を建国したという誰もが知る大魔術師様の血を引いており、数百年経った今でもその遺伝子は脈々と受け継がれている。つまり、王家の血が濃ければ濃いほど使える可能性が上がるのである。もちろん王家との縁が薄まれば使えないしそれ以外にも例外はあるそうだが、私は例に漏れず使える人間だった。その話を聞いたときは、王族はなるべくして王族になっているのだと感心してしまった。

 マリアも『前世のニホンでも、一番尊い方はニホンを作った神様の血を引いているって言われてました』と言っていたので、そういうものなのかもしれない。


 つまり今世の私は王族の血と侯爵家の地位を持つ親を持った、選ばれた人間だったのである。あまりにも今世の私が十分恵まれた人間だったことで、マリアが自己の存在意義について考えては泣いていた。


 もちろん見た目に関しても、悪役令嬢お約束の容姿、らしい。つり目の美貌、年齢にしては背が高く手足の長い身体はまさしく典型的な風貌だそうだ。自然体でいても人を寄せ付けない雰囲気があるせいで使用人から恐れられてはいるが、それを差し引いてもマリアには恵まれた姿形だと羨ましがられる。わたしからすれば、成長すればするほど使用人との距離が遠くなっている方が悲しい。


『メイベルちゃんは自分が持っているものをきちんと理解するべきです! 立派すぎるお家柄に加えて超・絶・可愛いなんて、例え勤め先の旦那様の娘さんとはいえ雲の上すぎて話しかけづらいですからね!? あと、年齢に不釣り合いな配慮しすぎです。自分がいたら仕事の邪魔になるかな、とか考えてあまり使用人のいるところに近付かないようにしてるでしょ? 向こうからすれば、六歳の子に嫌われて避けられていると思うだけです。私のせいでもあるのかもしれませんけど、多少は年相応の行動した方がいいですよ』


 マリアの言葉通り、今までは仕事中だろうと避けていた時間に顔を出すようにすると、最初は戸惑っていた使用人たちも少しずつ以前のように話しかけてくれるようになった。たったこれだけのことで変わるのかと驚いたほどだ。

 

『でも相手の気持ちに対して配慮することができるのは、大きな美点です。前世の私なんて、基本的に自己中心的な人間でしたからねー。メイベルちゃん見てるといかに自分が子供だったかと反省します』


 マリアは事あるごとにわたしを褒めてくれる。わたしからしたらマリアも私なので自画自賛のような気がして、少し恥ずかしい気持ちと、褒められて嬉しい気持ちが混ざり合って何も言えなくなるのだ。



『でも正直、持って生まれたものに加えてこんなにジアタマ賢いんですから、ヒロインが多少何かしても負けないですし、小説よろしくギャフンエンドにしかならない気がしますね』


 一通り思い出したあと、マリアは不安げなくそう言った。しかしわたしは反対に、話通り、わたしが悪として裁かれる未来になるのではないかと不安になっていた。わたしはマリアの話を聞いて、この世界は現実ではない、物語の世界なのだと認識し始めていたのだ。だからといって、この先の物語を知らないわたしには何かをする手立てはない。せいぜい、審判が下るときに周りから『断罪されて当然の人間だ』と後ろ指を指されないよう、悪人ではないと思われるよう心掛けるくらいだ。

 つまりわたしは私の中のマリアに影響されつつも、特別なことは何もしない、少々大人びた六歳となったというわけである。





 さて、そろそろ長々とした自分語り百パーセントのモノローグも終わりとし、軽く現在の状況を説明したい。



 今私は両親に連れられ、王宮にある庭園で行われる王妃様主催のお茶会に向かっていた。招待客は父が上位の伯爵以上の爵位を持つ、四歳から十歳までの子息子女、及びその家族。主賓側からは王妃様と息子である第一皇子と第二王子二人である。父曰く、殿下たちは私の二つ上と一つ下だそうだ。乙女ゲーム的な設定を考えたとき、てっきりどちらかは『コウリャクシャ』だと思っていたし、『コウリャク』の妨害をする私もどちらかとは同い年かと思っていたので、聞いたときは首を傾げてしまった。その代わり兄は第一王子と同い年で、五歳の頃から交流があるようだ。私は会ったことはないし兄が特別話してくれたこともないため、想像の域をでない。


 このお茶会という名の上位貴族交流会は、殿下たちの婚約者候補を決めるために開かれた催しだ。王妃様は外との交流がお好きではないようで、第一王子が八歳になってようやく公の場でのお茶会が開かれることとなった。個人的な集まりは何度かあったようだが、それも年に一回程度だそうだ。これもお父様情報である。


 招待された客は、皆用意されたテーブルにつく。明確な席の指定はないが、テーブルクロスの色模様や飾られた花の種類で地位や派閥を示しており、私たち家族はそれによって指定されたある席に向かうこととなった。

 そのテーブルには一組の家族が既に席に着いており、父はその席にいた男性に話しかけた。見る限り、男性と女性、子供が二人。私と同い年くらいの女の子と、その弟であろう男の子。特に男の子はギリギリこのお茶会に参加できる年齢であろう子だ。さっきからそわそわとあたりを見渡しては姉に手を掴まれている。私は四歳にしては躾が出来ているという感想だったが、マリアはなにやら少々落ち込んでいた。



「トゥルーウェス伯爵。君もきていたのか」

 父の言葉に顔を上げた男性は、家族共々立ち上がると挨拶と家族の紹介をしてくれた。こちらも父の紹介に合わせ、家庭教師に習った挨拶を返す。どうやら彼はトゥルーウェス伯爵といい、普段は領地にいるようだ。


「あぁ、王妃の招待とあれば、断る理由もない。それも、彼女がようやく自分の愛息子を貴族たちの前で紹介するとあればね」

「それ程我が子が可愛くて仕方がなかったってことかな。ただ、あまりに秘密にしすぎて、最近では実際はいないのではないか、教育が追いついていないせいで人前には出せないんじゃないかと詮無い声が上がっていたんだ。周りの説得もあっての今日だから、皆気合いが入っているよ」

「そうだったのか。やはり領地にこもっているせいでどうにも噂には疎いな。てっきり第一王子の誕生日のお祝いのためかと思っていた」


 え? 誕生日? 聞いてませんがお父様?

 内心真っ青なわたしに気付くことはなく、二人の話は進む。


「伯爵は何を贈る予定なんだ?」

「我が家からは我が領地で作られた、ペンとインク壺の予定だ。これからますます勉学に励む殿下への激励として、これ以上のものはないだろう」


 これを機に贔屓にしてもらえれば王家御用達の箔がつくしな、とトゥルーウェス伯爵はにんまりとした笑みを浮かべた。どうやら少々茶目っ気のある方のようだ。


「お前、せっかくのお祝いになんでそんな……いや、確かトゥルーウェス領の筆記具は王宮勤めの書記官に人気だったな。腕が疲れにくいとか、インクの持ちがいいとか」

「お褒めに預かり光栄だ。筆記具は上のものになればなるほど書類やらなんやらで欠かせないものだからな、いい商売だよ。そういうお前は何をあげるつもりなんだ?」

「あぁ、我が家からは……」


「アリエノール王妃、並びにルシアン殿下、トマス殿下がご到着されました」


 はっきりとした声が、庭に響いた。




 宮廷騎士に囲まれ、王妃様とその息子たちがいらっしゃった。皆で立ち上がり、敬意を持ってこうべを垂れ、殿下たちの到着を待つ。

 しばらくして、王妃様の「おもてをあげよ」という言葉に視線をあげると、まるで絵画から出てきたと言わんばかりの見目麗しい御三方がそこにいた。

 中央に立つ王妃様は優しげに垂れた瞳が特徴的な方だ。決して背が低いわけでも細すぎるわけでもない、にもかかわらずどこか庇護欲を掻き立てる雰囲気をまとっていらっしゃる。第二王子であろう少年はその王妃様の遺伝子が強いようで、よく似た目尻の垂れた瞳と線の細い身体は、下手な貴族子女よりも女の子のようだった。対して第一王子は陛下の遺伝なのかつり目ぎみで背が高く、同じく細いながらも八歳にしては大人びた印象を受けた。


 王妃様はこちらを見渡すと聖母ような笑みを浮かべ、人が苦手とは思えないほど堂々と言葉を述べた。


「今日は皆様、遠方から足を運んでくださってありがとう。今日は第一王子ルシアンの誕生日のお祝いも兼ねて、ささやかながら私主催のお茶会を開くことにしました。どうぞ、楽しんでね」




 殿下たちへの挨拶は、王妃付きの執事や侍女がそれぞれ順番に呼びにいき、呼ばれたものが殿下達の待つテーブルまで足を運ぶという流れのようだ。呼ばれる順番は家柄の順番らしい。

 順番が来るまでの間は、茶会の参加者同士で会話をして待つことになる。どれくらい待つことになるのだろうと思っていたら、我が家はなんと二番目だった。心の準備ができていないまま、両親に連れられ殿下たちのテーブルへと向かった。



「ご機嫌麗しゅう、アリエノール王妃。本日は妻と娘を連れてまいりました」

「ご機嫌麗しゅう、アリエノール王妃。お久しぶりでございます」

「ごきげんよう、アーチボルト公爵、アーチボルト夫人。夫人のお会いするのは新年以来ですね」

「えぇ」


 そうして両親が王妃様と少し挨拶をしたあと、私を紹介した。さて、初御目通りである。


「王妃、こちらが娘のメイベルです。さぁメイベル、挨拶しなさい」

「はい。ご機嫌麗しゅう、王妃様。私はアーチボルト公爵が娘、メイベル・マリアと申します」


 礼をするために顔を下げた際、特に詰まることなく述べられたことに安心し、少しだけ息をつく。初めましてで六歳がここまで述べられれば上々だろう。


 顔を上げると王妃様が微笑ましげに見ており、自分の顔が少し赤くなったのを感じた。


「初めましてメイベル。私は王妃アリエノール。貴女がアーチボルト公爵の愛娘ね。貴女のお話は貴女のお父様から何度か聞いたことがあったわ。噂通りの美しい子なのね」

「もったいなきお言葉です」

 控えめにそれだけ述べたが、内心、王妃様に存在を知られていたということに驚いていた。

 今までわたしの知る世界は屋敷と、たまに会う親戚で構成されていた。私の世界の住人はほとんどが『身内』だった。そんな中、初めて家族以外の人間と交流し、私という存在を知ってもらったのだ。それを実感した瞬間、胸がどきどきし、世界が少しだけ広く、明るくなったような気がした。そんな中、マリアが脳内で叫ぶ。

『遠目からじゃ分かんなかったけど、近くで見ると妖精とか女神とか、人間では例えられないくらい麗しいんですけど! 腰なんて子供でも腕が回せそうなほど細いし、肌も皺なくなめらかで光り輝いてる。下された髪もさらさらそうで触らなくても指通り滑らかなんだろうなってわかる。わかるけど信じられない! 本当に子供産んだのこの人? しかも二人も? 信じられない。もともと持ってるものでも十分魅力的だろうに、それを維持するために相当努力なさってるってことだよ!』


 マリアは今日も変わらない。きっとこの気持ちはわたしだけのものなのだ。そう思うと、ほんの少しだけ『大人』に近付いた気がした。


 私の脳内で賑やかに褒められているとは知らない王妃様は、隣にいた息子たちを紹介し始める。


「では、次は私が息子たちを紹介する番ね。ルシアンとトマスよ。さぁ、二人もご挨拶して」

「私は第一王子、ルシアンと申します」

「お、おなじく第二王子、トマスともうします」

 慣れたように名乗る兄殿下と、それを真似するかのように辿々しく名乗る弟殿下。三歳の差を感じつつも、兄殿下は弟殿下が挨拶をするところを見つめていたところをみるとそこまで仲は悪くないようである。


 両親が王妃様と話し始めると、ルシアン殿下は流れるように私の前に移動し、手袋越しにキスを落とす。その所作は、しっかりと教育が行き届いた者のそれだった。途端にマリアは悲鳴をあげ奥へと引っ込んで行った。


「メイベル嬢、貴女のことは貴女の兄から聞いていました。お会いできて光栄です」


 その言葉に驚いてしまう。お兄様といいお父様といい、私には殿下たちのことを話してくれないのに殿下たちに私の話をしているのは不公平ではないかしら。


「私も殿下にお会いできる日を楽しみにしておりました。今後も兄共々、末永い関係を築いていきたいですわ」

「もちろん、喜んで」


 冷たいと感じた瞳は近くで見ると深いエメラルドグリーンで、中心にはやや緊張気味な笑みの少女が映っていた。握られた手は、割れ物に触れるかのように優しい。ほんの少しの間だったが、彼が心配りのできる方で、私の同類のだと理解するには十分だった。


 そのタイミングで父が「我が家から殿下へとお渡ししたいものがあります」と、私にプレゼントを渡してきた。中身を知らないのに私に渡さないで!


「こちら、アーチボルト家からの、ルシアン殿下へのお祝いの品でございます」

「わざわざありがとうございます」


 と言いつつ殿下は受け取ろうとしない。どうすればいいか分からず持ったまま立ち尽くしていると、側に仕えていた騎士の一人が受け取ってくれた。あぁそうか、中身を確認もせず殿下にお渡しするわけにはいかないのか。よかった、中身についてコメントしながら渡すことになるかと思って肝が冷えた。

 引き取ってくれた騎士はさすが王室付きの騎士というだけあって、綺麗な人だった。それも恐らく殿下のどちらかの騎士のようで、受け取る際には膝をつき目線を合わせてから「受け取ります」と言った。差し出すと、よくできましたと言わんばかりににこりと笑みを浮かべたのだった。


『これはとんだ初恋キラーなイケメンさんですね』

 マリア、いつのまに戻ってきていたの。



「それでは私たちは下がらせていただきます。他の方を長くお待たせするわけにはまいりませんので。また一通り挨拶が済まれた頃にお声掛けさせていただければと思います」

「わかりました」



 そうして私は殿下たちへの挨拶を問題なく終えることができたのたった。



「メイベル、お疲れ様」

 席に着くと、お母様から労いの言葉をいただいた。私は頷き、席に着く。お茶会が終わるまで気を抜くわけにはいかないけれど、とりあえず山場は越えた。けれど殿下たちはこれから残りの参加者全員の挨拶を受けなければならないのかと思うと、茶会が嫌だというのも少し分かるような気がした。




******




「あ、あの」


 紅茶を飲みながら話好きな貴族の話を聞いていると、横から声をかけられた。そちらに視線を向けるとご令嬢とその母親と思わしき女性が何人か集まっており、中央にいた女性が私の母へ視線を向けた。


「メイベル、そろそろ茶会にも慣れてきたでしょう。ご挨拶してまわりましょうか」

「はい、お母様」


 私がそう答えると彼女たちはほっとしたような表情をした。母に断られてしまえば、彼女たちは挨拶が出来ないということなのだろうか。



 わざわざ挨拶をしにきてくださったのは三組の家族だった。それぞれと挨拶を交わし名前を覚えたが、マリアは人数が多く混乱しているようだった。別に無理をしなくてもわたしが覚えているのに。

 そのうちの一人、コールリッジ侯爵の娘、アリス様はお兄様の婚約者候補だそうだ。八歳にして侯爵家の娘との婚約話が上がっているとは、さすがアーチボルト家なのかもしれない。


「メイベル様、もしよろしければマーヴィン様のことをお教えいただけませんか」


 顔を赤らめてそういったアリス様は背が低く、幼い顔立ちをしていた。所作も十分教え込まれたであろうものではあったがどこか可愛らしく、きっと彼女を好きだという人は多いのだろうと思った。マリアは『あざと可愛い!』という言葉を発しながら荒い息を吐いていた。意味はわからない。

 しかし候補とはいえ、もしかすると将来お兄様が彼女と家族になるのかもしれないと思うと、一瞬だけ胸を強く掴まれたように痛み、不思議な感覚が残った。どうしてそう思うのか分からない。わたしはそれを隠すようににこりと微笑んだ。


「私の知っていることでよければ、喜んで」



 瞬間。強い光とともに、大きな爆発音が庭園に響いた。



「何!?」

「なんだ今のは!」

「爆発か!?」


 その場にいたものは何事かと慌て出す。私も驚いたが、それ以上にマリアが叫んだことで驚きそびれてしまった。


『メメメメイベルちゃん! 何が起きたかわかんないけどお、落ち着いて! 状況を! 冷静に状況を確認して! えっと、こういうときはおはしだよ!』


 おはしがなにかは分からなかったが、慌てふためくマリアのおかげで冷静に状況を確認することができた。煙はとある席の中央に置かれた花瓶から発生したもののようで、中央のテーブルクロスは焼け焦げ、破片がテーブルに飛び散っていた。幸いその席に座っていたものはいなかったようで、周囲の人間に大きな怪我をした様子はなかった。皆がその机から離れ、呆然と遠巻きに見ていた。


 そんな中、参加者の一人が弾かれたように叫んだ。


「他のも爆発するかもしれない! みんな離れろ!」

「きゃあああっ」

「逃げろ!」

「押さないで!」


 一斉に阿鼻叫喚となる会場。私はいつの間にか両親とはぐれ、人々に押し出されるようにテーブルに手をついた。


『メイベルちゃん!』


 大丈夫よマリア、少し足をぶつけただけだわ。


『違うの、殿下が!』


「え?」


 ぐいっと、見えない力に引っ張られるように私は走り出していた。

 向かう先には殿下たちのいるテーブル。殿下達も呆然とその騒動を見ており、その場にいた騎士が殿下達を守ろうと前に出ている。それだけ見れば殿下達に怪我はなく、十分に守られていると思っただろう。


 しかし、私は見てしまった。


 殿下達の近くには皆からもらったのであろう贈り物が置かれていた。大小様々なプレゼントは一つとして開けられておらず、殿下を害する物はないように見える。しかし、本来であれば茶会が終わった後に中身を検査されるであろうその山から、小さな黒い蛇が殿下に向かっていた。


 我が国に黒い体を持つ動物はいない。黒は、魔術師の使役する動物の証とされているのだ。その中でも黒い蛇は不吉の象徴として認知されているため、好んで使い魔として契約する者はいない。

 そして私は特別蛇に詳しいわけではないが、あの蛇は知っていた。歴史を勉強すれば一度は目にするだろう、小さいがために発見が遅れ、かつて多くの人間の命を奪ったとされる、強い毒を牙に持つ小さな死神!


「殿下!」


 私は叫ぶ。殿下を囲む騎士たちは突然叫びながら走ってきた私にどうしていいか分からず、一瞬動きを止めてしまった。私はそのまま騎士の間をすり抜け、殿下を突き飛ばす形で蛇の間に体を滑り込ませた。


 ガブリ


「っあああああっ!」


 突き飛ばしたタイミングで足首が何かに噛まれたような感覚がしたと思うと、次の瞬間、身体の中に熱湯を注ぎ込まれたような激痛が襲った。

 殿下と共に倒れてしまったことはわかったが、それどころではない痛みに涙が止まらない。淑女にあるまじき悲鳴をあげ、引き千切らんと言わんばかりに殿下の服にしがみつく。


 痛い! 熱い! その二つが濁流のように私を飲み込む。

 焼きつくように痛い。燃えるように熱い。足から一気に身体中を熱湯が巡る。身体が痺れているのに痛みは引くことなく続いている。なのに急激に体温が下がるような感覚がする。歯がガチガチと音を立てているのが頭に響く。これ以上は、——————


『メイベルちゃん!』


 耐えきれず、私は意識を失った。


続きは未定。

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