君の名は……知らない人でした
不思議かつ信じられない話であると思うが、件の『彼が実家に女を連れてきた事件』にて、私とメリーは一先ず。一応の友人になった。
二人きりで話す機会があり。お互いに同じ男を好きになったことを告白して。そして、同じくらい彼の鈍感さに手を焼いている事を知ったからだ。
つまるところ、恋愛面に関してのみ、私達は不思議と気が合ったのである。因みに、それ以外はてんで話が合わなかったばかりか、口喧嘩みたいになってしまうのは……。仕方がないといえば仕方がないだろう。
あと、物理的な距離を始めとした条件が、何もかも私に不利すぎる! と、後で嘆く事になったのは言うまでもなかった。
これは、メリーとそんな間柄になってから数ヵ月後の話だ。
ゴールデンウィークに彼の所に遊びに行ったら、メリーが既に部屋にいて。
「邪魔だお前ェ!」
「え~、知らないわよ」
何てやり取り(勿論彼には見えないとこで)を経て。どう転んだかは忘れたけども、気がついたら女二人で仲良く岩盤浴に駆り出していた時。
私はかねてより気になっていた事をメリーに問いかけた。
「ねぇ、そういえば何であだ名がメリーなの? 本名に欠片も関係ないじゃない」
お揃いの浴衣姿で汗を流しながら、同じように隣に寝転ぶメリーにそう言えば、彼女はチラリと私を見てから、懐かしむように瞼を閉じた。
「これは、自分で名乗り始めたの。始まりは……いいえ、今もそうね。呪い、みたいなものよ」
「の、呪いぃ?」
あまりにも予想外な答えに私が思わず聞き返せば、メリーはクスクス笑いながら「始まりの方は、もうどうでもいい話だけど」と、付け足した。
「結構有名な、都市伝説にあやかっているの。いつかお前らの背後に立ってやる~! 的な怨念と。まぁ、このバカみたいに長い名前が嫌いだったのもあるわ……小学生の頃、私いじめられっ子だったのよ」
語る内容に私が何と言っていいかわからなくなっていると、メリーは目を開けて、今度はストレッチするかのように天井へと手を伸ばす。
異国の血が混じった白い肌は熱で上気して、ほんのりと赤みを帯びている。
僅かにはだけた浴衣を身に纏い、しっとりと濡れた髪を頬に張りつかせる姿は、女の私から見てもドキドキするくらい色っぽかった。
……ここに来た時、私の浴衣姿を大絶賛してたけど、嫌味だったのではなかろうか。なんて邪推してしまうくらいには。
そんな私の密かな感情など知るよしもなく。メリーは話を続けていく。
「人間じゃないみたいって……言われたこともあるし、自分でもそうなんじゃないかって本気で考えたこともあったわ。こんな身体に産み落とした両親は、物心つく前に蒸発していたものだから、尚更ね」
故に、捨てられたお人形。メリーさんを自分に重ねたの。彼女はそう締めくくった。
軽い気持ちで聞いた筈なのに、引っ張り出したものは予想外にヘヴィなもので。その時私は地雷を踏み抜いてしまったのでは? と、不安になり始めていた。
……もっとも、ダメージを受けたのはメリーではなかった。と、すぐに悟ることになったのだけれど。
「この肌も、髪も、目も。嫌いだったの。けど……彼、言ってくれたのよ。綺麗だって。良さが分からないやつには、見せたくない位……って」
絶対に岩盤浴とは別の要因で頬を染めるメリーがそこにいた。それを見ていた私は、今なら寝たまま岩盤にヒビを入れられる気がした。そう、地雷を踏んでも、吹き飛ばされたのは私の方だけだったのである。
アイツめ……! 私には可愛いとか格好いいは言っても、綺麗って言ってくれたことないのにっ!
ついでに、ノロケはそれだけでは終わらなかった。
「初めてなの。私を受け入れてくれた人は。めんどくさいとことか。育ての親には電波入った不思議ちゃんとまで言われた私の……全部を見せれた人は、彼が初めて」
「……他の人の評価は置いといて。自分でめんどくさいって言っちゃうのね」
「客観的に自分を見てるとね。多分私は相当嫉妬深くて、めんどくさい女だと思うのよ。……言ったでしょう? 今は別の呪いになってるって」
「別の? 何よそれ?」
私が半ば投げやりに聞き返せば、メリーはクスリと笑みを漏らして。
「私、メリーさん。今も先も……彼の後ろに。ずうっと傍にいたいの」
それを聞いた時。私は明確な恐怖を感じた。
本気なのだ。改めて、私はそう察した。
彼の全てが欲しいと語る彼女からは……恋慕と、文字通りその為なら呪いなんて手段に出かねない。そう思わせるだけの凄みがあったのである。
「……呪いなんてもの、この世にある訳ないわ」
気圧された。一瞬そう認めてしまった私は、負けじとメリーに噛みついた。
想いが凄まじいのはよくわかった。けど、私だって……! そう思って口にした反撃に、メリーは「そうかしら?」と謎めいた笑みを浮かべた。
……彼女は友人だ。実は私と同じくらいヘタレだとか。結構天然だとか。親しみを感じる点はそこそこあるけれど。同じくらい苦手なとこもいっぱいある。
彼と距離が近すぎるだなんて最たる点だし。言い回しが回りくどいとこがじれったい。そして……。やっぱり見た目が浮世離れし過ぎてて、真面目な顔をされるとちょっと怖い……だとか。
「呪いが絶対にない。とは、証明出来ないでしょう? 人の想いや念って、凄いのよ。それでノイローゼになったり。何も怖くなくなったり。時には誰かを死に至らしめることだってある。神様がいるなら、屈服させちゃえるかも」
「……勝利の女神が、微笑む。みたいな?」
「ええ。そうね。そういうのとか、具体例になるわね」
「ちょっと夢見過ぎじゃない?」
「いいじゃない、女の子だもの。愛の中に幾分かの狂気が存在しているのも否定しないわ」
「……成る程、育ての親さん正しいわね。こりゃ電波な不思議ちゃんだわ~」
「貶めようとしているんでしょうけど、お生憎様。今の私には、褒め言葉なのよ?」
だから、こうやって彼女が真剣な顔でそう言ってしまったら、本当にそれが現実になってしまいそうで。私は何だか落ち着かなかった。
繰り返すが、口喧嘩じみた論争を私達はよくやった。けど、決まって勝つのは……。私を圧倒するのはメリーの方なのだ。
「不思議も電波も大いに結構。私はメリーさんでありたいの。彼だけを標的に定めた、メリーさんに……ね?」
虚空に向けて手を伸ばし、彼女はピストルを作る。
その目は恋する乙女そのものであり。獲物に襲い掛かる直前の肉食獣にもよく似ていた。
※
「綾。準備はいいかい?」
「――え? あ、うん」
電話という単語から色々連想して、私はちょっと昔のことを回想していた。あの後、あだ名の由来と思われる都市伝説を対抗心で調べ上げて。盛大に後悔したのが今は懐かしく思えた。今も昔も、私は怖い話の類いが大の苦手なのである。
「……どうかした?」
思い出とか、黒歴史に浸っていたからだろうか。彼の合図に対して私の反応がワンテンポ遅れてしまい。そんな私の様子に何を思ったのか、彼は怪訝そうな顔で首を傾げた。
「ご、ごめん。何でもないわ。早くかけましょう」
気を取り直し、彼に通話を促す。メリーのスマートフォンはロックがかかっており、私では扱えない。
彼もまた、彼女に無断で弄るような真似はしたくないらしく、必然的に電話するのは彼の端末に相成った。
「じゃ、いくよ?」
「……うん」
何故だか二人揃って深呼吸。謎の緊張感に身を震わせながら、電話帳から私の番号に彼がタッチする。
独特の電子音が静かな部屋に木霊して。私と彼は固唾を飲みながら、スピーカーモードにしたスマートフォンのディスプレイを見守った。
幸いにも私のスマートフォンは指紋認証でロックを解除するように設定してある。
だから、仮にメリーが私の身体に乗り移っていたとしても、問題なく電話には出られる筈……。なのだけど。
私は彼が私に電話をかけたその瞬間。どういう訳か、言い表しようのない不安に襲われていた。
「綾……悪いけど、頼みたいことがある」
何度めかの呼び出し音が鳴る中で、彼がゆっくり口を開く。私がそちらに目を向けると、彼は能面のような無表情でこう言った。
「電話が繋がったら、何も喋らないで貰っていいかな? 例えこれから先に、何が起ころうとも」
「……え?」
その申し出を反芻し、私は思わず聞き返してしまう。電話してるのに喋るなとはこれいかに? いや、かけてるのは彼だから、私が何かを口にするなんて本来はしなくていいんだろうけど、相手がメリーなら……。
そこまで私が考えた時。スマートフォンの向こうで、音がして。微かな喧騒と息を飲むような気配がする。相手が呼び出しに応じたようだった。
すると彼は唇に人差し指を当て、私に静かに。というジェスチャーをよこした。
『……もしもし?』
「やぁ、綾。久しぶりだね」
『え、ええ。……どうしたの? 急に?』
「……なんとなく君の声が聞きたくてさ。今は家? おじさんおばさんは元気かい? 僕の弟は君にまた変なちょっかい出したりしてないかい?」
『ええ。家よ。それに、二人とも元気だわ……ちょっかいも、出されてないし』
「……そう。ならよかったよ。君は無防備というか危なっかしいから、心配でさ」
目を細めながら、明るい口調でそう言う彼は……冷笑を浮かべていた。
その後も当たり障りのない会話が続いていき。その中に彼はさりげなく。かつ、巧みに質問を織り混ぜていった。
「てか、春休みなのにまた部屋に引きこもっているのかい? 大学の……映画愛好会だっけ?」
『……っ、いいえ。写真よ。写真サークル。それに引きこもる気はないわよ』
「おや、それは失礼した。ところでさ。こっから本題。急なんだけど今日の夜から実家に帰るんだ。会えないかな?」
『――っ、ごめんなさい。今日の夜は……実家から離れてるわ。他大学の写真サークルと、合同の旅行があって……』
「ありゃりゃ、入れ違いかぁ。残念だ。合宿ってやつかい? どこ行くの?」
『……江ノ島よ』
「……ワオ。結構遠出するんだね」
端から見たら、違和感のない会話に聞こえるだろう。だが、今の私は、必死に叫びたいのを堪えていた。
耐えられているのは、ひとえに辰が目で「我慢して。お願い!」と、訴えてくるからだ。それほどまでに、目の前で起きている事は信じがたかった。
「じゃあ、会うのはまた別の機会にしようか。あ、バレンタインありがと。手作りチョコ、美味しかったよ」
『どういたしまして。ええ、またそのうちね。じゃあ――』
「っ、と待った。せっかくだ。最後にいつもの謎かけをしよう」
『……へ?』
電話の向こうで、私は話を切り上げようとしたのだろう。どことなく焦っているように聞こえたのは……気のせいではない筈だ。
そんな私へ、彼は更に深く。〝いつもの謎かけだなんて嘘〟をいけしゃあしゃあと述べながら斬り込んでいく。
「〝君が一番影響を受けた本は何だい?〟」
朗々と告げられた問いに、向こうの私は沈黙する。その反応を目の当たりにした彼は、何処と無く落胆したような顔で、通話終了のアイコンへ指を伸ばす。
「深く考えなくてもいいよ。物語でも。エピソードでも。比喩でもいい。ちょっとした心理テストみたいなものさ」
『…………なんでも?』
「ああ。いつものことだろう? 特に生産性のない、言葉遊びさ」
陽気な口調で彼は言う。すると、電話の向こう側の私も安心したのだろうか。微かな含み笑いがスピーカーごしに聞こえてきて。やがて、抑揚のない声が静かに答えを口にする。
『そうね……じゃあ、〝君の名は〟かしら。あとは……うん。〝戸口にあらわれたもの〟……とか』
それを聞いた時に彼が見せた表情を、私は多分一生忘れないだろう。
今まで余裕を持って尋問していた彼の顔が、その日初めて、困惑と恐怖に引きつった。
「……君は」
『あ、もう旅行の準備しなくちゃ。また電話しましょうね。ああ、そうそう』
更に声を低くした彼が何かを言おうとするが、それは他ならぬ私によって遮られる。
さっきまでのオドオドした様子はそこには全くなかった。
置かれている状況があまりにもおかしすぎた。唯一わかっているのは、彼女はまず間違いなく、メリーではないということ。それは、次に発した言葉で、完全に確信へと変わっていく。
『私、好きな人出来たよ。次に会うときは彼氏として紹介出来ると思うから、楽しみにしててね』
電話が切れる。
その瞬間、私の身体は大量の冷や汗を噴き出すと共に、身体がバカみたいに震えだした。
「どう、なってるの……?」
口にした疑問に、彼は苦虫を噛み潰したような顔で「分からない」と頭を振る。
それはそうだ。私だって、もうお手上げだから。
「意味、分からないわ。おかしいとこだらけ」
「ああ、そうなんだ。アレが君だなんてありえない」
「それに、メリーはどこよ。私がメリーなんだから、メリーは私になっているべきじゃないの?」
「普通に考えればそうだ。けど……」
「てか、何よ好きな人って。そんなの私いなかったわ。出来る筈がないのよ……! だって、だって私は……」
「……綾、落ち着いて。落ち着こう。お互いに」
消え入りそうな彼の声は、まるで自分自身にも言い聞かせているかのようだった。
次々に浮かぶ謎に頭がパンクしてしまいそうになる。正直全部上げたらキリがない。だが、その中でも最大なものは……。
「私の中に……一体誰がいるの?」
寒気と怖気が、全身を包み込む。
答えなど、出る筈もなかった。