あっさりバレました
彼女が私の前に現れたのは、忘れもしない。去年の二月。バレンタインを少し過ぎた辺りだった。
彼から春休みだから帰省する。友達も連れていく。という連絡を受けて、私はおばさん――。つまりは彼のお母さんや、彼の妹、ララちゃんと一緒にウキウキしながら駅まで迎えに行ったものだ。
大学に入って以来、距離は遠くても、連絡は欠かしていなかった。だから、日々の近況報告の中で、彼の口から親友と呼べるかもしれない人が出来た。という話は、前もって聞いていた。
最初は、せっかく二人きりになれる機会なのに、何てタイミングが悪い。と、思いはしたのだけど、反面これはチャンスではないか? そんな考えが浮かんできていた。
まず大学での彼についてもっと詳しく聞けるだろうし、いつもと違う環境だから、彼も私を紹介しながら新鮮さを感じてくれるかも。
あわよくばその親友さんを味方に引き込み、援護射撃をお願いすれば……!
組み上がるパズル。繋がる作戦。これは……外せないと感じた。
何はともあれ、まず第一印象が重要だ。
私の発する彼が好き好きオーラとやらは結衣ちゃん達曰く、だだ漏れらしい。だから友人さんにそこはかとなく察してもらいつつ……。
今にしてみれば、実に小物臭い策略を立てていたものである。
だからこそ、改札をくぐり、此方に歩いてくる彼の隣を見た私は、本当にバカみたいに口をあんぐり開けて固まってしまった。
彼が連れてきた友人とやらは……。まるでお人形さんみたいな美女だったからだ。
「初めまして。辰君の友人で、シェリー・ヴェルレーヌ・リスチーナ・松井・クリスチェンコと申します」
後にも先にも、ここまで私に猛烈なインパクトを与える自己紹介は現れないことだろう。
彼の三歩後ろについてきた美女がおばさんへ丁寧にお辞儀する最中。私は色々な感情が交差していて……。
「不束者ですが、暫くご厄介になります。出来る限り家事のお手伝いは致しますので、どうぞ宜しくお願いします」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳内がパニックでショートした。
えまじぇんしー。えまじぇんしー! 不束者ですが!? 何故わざわざそんな言葉を使った? いらなくない? 最初のそれいらなくない? 嫁気取りか!
そもそも、友達が女だったなんて聞いてないっ!
あと名前長いなオイ。松井も入るって事は……ハーフ? クォーター?
しかもさ。ちょっと不気味なくらい美人過ぎませんか? 詐欺?
あと忘れてた。彼と一緒に滞在するって事は必然的にこの人は彼の実家に泊まる訳で……。ちょっと待って困る。私の精神衛生上凄く困る!
ねぇ貴女、何処に泊まるの? まさかとは思うけど彼の部屋じゃないよね!?
しかも家事やるって事は、おばさんと一緒にキッチンに立って彼に手料理を……。何それズルい。料理スキルゼロどころかマイナス。実家では万年お皿並べ係な私への当てつけですか!?
……こんな具合に、私はこの時点で妄想と焦燥。疑問に混乱。そしてムクムクと沸き上がる嫉妬で、静かに大暴走していた。
当然、思考が纏まることはなく。気がつけば、私は彼をジトーっとした目で睨んでしまっていた。
この鈍感野郎の事だ。なまじ見てくれはいいから、そこそこな数の女の子達から、好意を飛ばされているに違いない。例によって全部叩き落としてるんだろうけど。
それは、長年幼馴染として隣にいた私にはよく分かる。だから安心して送り出したのだ。
つまり、こうして実家に連れてくる時点で、この人はそんな有象無象らとは明らかに違うのが明白で……。
「ねぇねぇ、お兄ちゃんの彼女さんなの?」
「残念ながら、違うのよ。〝まだ〟……ね」
彼の妹、ララちゃんの小声かつ無邪気な質問が、しっかりと私の耳にも届く。その返答は、私が全てを察するには充分すぎた。
この人も、きっと私と同じく彼に恋していて。つまり……油断したら絶対にダメな人である事を。
それは所謂、女の勘というやつだった。
トンビに油揚げを奪われたような気分になり、「ふざけんなぁ!」と、叫びたくなったのは……責めないで欲しい。
ともかくこれが、私と彼女。シェリー・ヴェルなんとかさん。もとい、メリーとのファーストコンタクトだった。
※
幼馴染でありながら、私は彼が怒ったり泣いたりした所を数える程しか見たことがない。
彼は普段から穏やかかつ飄々としていて、そこまで感情を荒ぶらせるのは本当に稀だったからだ。
故に……。
「もう一度聞くよ。君は誰だ?」
そんな人がこうして静かな怒気すら滲ませて私を睨み付けている様子は、この上なく珍しくて。それでいて……。物凄く怖かった。
「え、あ……う……」
あまりの迫力に、私の口からは意味をなさない音しか出てこない。自慢ではないが、彼は私にとっても優しかった。なので、こんな視線など当然向けられたことすらないわけで。
「聞いてるのかい?」
「あぅう……」
「口ごもってたらわからない」
「ふぇえ……」
「ちょっと。真面目に話を……」
「えぅう……えう……」
「……わかった。追い詰めたのは悪かったよ。頼むからその顔で泣かないでくれ」
大きなため息と共に彼は私の手を離し、半歩下がる。その顔は何処と無く辛そうで。そこでようやく、私は震えながら涙を流していたことに気がついた。
「あ、えと……」
少しだけ軟化した彼の空気に、どうにか冷静さを取り戻した私は、おずおずと彼の方に向き直る。
目には警戒と、僅かな戸惑いが垣間見えた。
「……君は、メリーじゃないんだろう?」
「そう、だけど……どうしてわかったの?」
「さっきも言ったけど、本名と愛称。あと、彼女なら絶対にしない行動ばかり取られたら、疑いもするよ」
疑いはしても、中身が違うとまで看破できるのは凄くないだろうか? なんて思ったが、口に出すのは止めておいた。
「ただ、君が誰かを聞いといておかしな話だけど、間違いなくその身体はメリーなんだよね。そのせいで、今僕は混乱している」
「混、乱?」
身体がメリーだって事もわかっちゃうんだ。と感心しつつも私は彼に話の続きを促す。ズキンと鈍く痛む、謎めいた胸の疼きには、今は意識を向けないことにした。
「中身……って言い方もあれだけど、本物の彼女は何処にいったのか」
だからこそ、君がどこの誰なのかを知りたいんだ。
彼はそう締めくくった。此方は手札を晒したよ。と言わんばかりの真剣な顔に、私は知らず知らずのうちに唾を飲み込む。
ダメだ。これは隠しきれない。今更だがこんなにも訳の分からない状況なのだ。私一人であれこれ考えるより、信頼できる誰かと情報を共有した方がいいに決まってる。
「えっと……綾、です」
何故か敬語になってしまったが、私は意を決して彼に名前を告げる。
すると、彼は纏わせていた硬質な雰囲気を一瞬で引っ込めた。
「……へ?」
正確には引っ込まされた。だろうか。驚きで目を真ん丸にしている彼は、何だか可愛らしくて。私にも幾らか余裕と安心が戻って嬉しくなる。
私が知っている彼がそこにいた。
「あや……あ、や? 綾って……えっ、あの綾? 本当に?」
「どの綾かは知らないけど、多分辰が思ってる通りの綾よ」
私の口から明確な彼の名前を出せば、彼はますます目を白黒させた。
「……君の本名。家族構成。及びご趣味は?」
神妙な顔に戻った彼から、質問が投げ掛けられる。成る程、幼馴染同士にしか分からない内容を私が答えられたなら、それで証明完了という訳らしい。
「竜崎綾。家族はお父さん、竜崎正晴。お母さん、竜崎千早。私の趣味は……格闘技全般。あとカフェ巡り」
「……僕のばあちゃんが家で飼ってる錦鯉の名前は?」
「サシミとフライ」
「……っ!? くっ……まだだ。ええっと。君の。いや、僕の……」
「悪いけど、よっぽどマニアックなクイズが来ない限り間違える気がしないわよ?」
貴方が学校で先生達に呼ばれていた渾名。『寄り道王』『補導の滝沢』
料理下手な私が血迷って手料理を振る舞ってしまった結果引き起こされた惨劇。紫色なロールキャベツの話。
私のお父さんの口癖。
彼の妹、ララちゃんの好物。
高校卒業した時に仲間内だけで埋めたタイムカプセルの場所。
そして……。彼の恋人、メリーのこと。
得意料理や、バカみたいに長い本名まで。
メリーは長い名前を気にしているのか、基本的に本名を他人へ絶対に名乗らない。教えるのは家族と、特別な人にだけ。彼以外で教えたのは私が初めてと言っていたから、これは明確な証拠に……。
「……最後。ローキック。ミドルキック。ハイキック。君はどれが至高だと思う?」
「……ローキックよ。一番リスクなく、隙なく相手を無力化出来るもの」
「――OK。間違いなく、君は綾なんだね」
その質問でようやく納得してくれるのが、何だか物凄く納得いかない。確かにキックはよくお見舞いしてたけども。
なんだか今なら怒りでサイキックも撃てる気がしたが、話が進まないので素直に私は矛を収めた。
「どう? 信じてくれた?」
「正直、タイムカプセルやメリーのくだりで完全に確信は得てたんだけど……やっぱり、ビックリしてさ」
苦笑いを見せる彼。
そうだよね。驚くよね。だってあまり表には出さなかったけど、当の本人が一番驚いてるもの。
まぁその後にやられた物凄く情熱的なキスで全部吹っ飛んだんだけども。
思い出したら、頬が熱くなってくる。一方彼も丁度それを思い出したらしく、目に見えて狼狽し始めて。しまいにはワナワナと震えだした。
「あれ? ……あの、じゃあ、さっきの……?」
「……私、初めてのキスだったのに。身体は違うけど」
「うぐっ、おぉぉおお……」
グサッ! という効果音が聞こえたような気がした。
ドラマで見た、お酒に酔って一夜の過ちを犯してしまったダメ男のように彼は頭を抱えて、そのままガクンと床に両手両膝をつく。
そこには、さっきまでの怖カッコいい姿は微塵もなくて。……でも、ちょっと楽しいぞ。と、感じてしまったのは仕方がない。惚れた弱みというやつだろう。
「朝起きたら、こうなってたの。正直、私も訳分からないわ」
ようやく得た癒しもそこそこに。彼が復活したら、一緒に今後の事を考えねばなるまい。
議題は勿論、決まっている。
身体は恋人。心は幼馴染という、三流恋愛小説が書けそうな、この摩訶不思議な状況についてだ。