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あの女に憑依しました

 致命的な程に私の恋路が閉ざされたのは、一体いつだっただろうか。

 分岐点らしきポイントが結構思い浮かんでしまうので、はっきりと断言するのは難しい。

 ただ、最初の不穏な波紋というべきものが生まれたのは、高校を卒業した時だった。

 彼は大学に上がると共に田舎を出ていく事になり。一方の私は、地元の大学に進んだので、必然的にずっと一緒だった私達は、生まれて初めて離れ離れになる事となった。

 私と彼の仲を密かに応援してくれていた、結衣ちゃんをはじめとする友人達は、当然ながら私に告白を勧めた。

 離れるなら、繋ぎ止めるべきだ。

 大丈夫、きっと上手くいく。

 行け行けゴーゴー。いっそ押し倒せ。

 そんな感じのアドバイスや野次が飛んで来ていたのは、記憶に新しい。

 だが、結局私は彼に想いを伝えることは出来なかった。

 せいぜい寂しいという本心を吐露した程度である。どうしてか。それは勇気が湧かなかったからと、もう一つ。余裕を持ってしまったからだ。

 元来私は、恋愛面では結構な恥ずかしがり屋だった。それこそ頑張ってアタックしたつもりでも、友人らには「小学生かな?」と、呆れられてしまう位には。

 だから、卒業式が終わった夜。せっかく皆が気を効かせて彼と二人きりにしてくれた帰り道でも、私は安定のヘタレを発揮した。

「(貴方と離れるの)寂しいよ……」だけではダメだった。一応「ずっと好きでした」を何とか言おうと頑張っていたのだが……。


「大丈夫。いなくなったりしないよ。お盆と正月は戻るから、お土産期待してて」


 間の悪いことに、私がヘタレなのに対して、彼はとんでもなく鈍感だった。

 ついでに旅行好きかつ好奇心旺盛という特性から、近所では風来坊だとか、放浪少年等と言われてて。つまるところ、フラッと行方不明になることが物凄く多いことで有名だった。

 だから、この時の彼は間違いなく。私の「寂しい」を、失踪する心配として受け取っていたに違いない。

 事実、彼が都会の大学に行くと聞いた周りの人間のうち、七割が蒸発を危惧したことから、その自由っぷりが伺えるというものだ。


 お陰で私の告白はあっさりキャンセルされた。残されたのはいつもの幼馴染みという関係で……。

 そして、ここでもう一つの要因が、私の敗北を手繰り寄せてきた。


 これだけ鈍感なら、変な女に捕まる事もないだろう。

 彼は自分の領域をしっかり守る人だし。そうそう見ず知らずの他人に心を開かないことを、私は知っているのだから。


 あろうことか、私は呑気にもそんな結論を出してしまったのである。

 この選択が間違えていた。そう悟るのは、そこからほぼ一年後。

 約束通り、お盆と正月。他にも長期休暇を使って帰省してくる彼と何度目かの再会を果たした時。

 私は……彼の隣についてきた、〝彼女〟と出会う事になったのだ。


 ※ 


 絶叫の後に「お風呂入ってくるっ!」というベタベタな言い訳をして、私はその場から逃げ出した。

 大学生たる彼が一人暮らしする1DKマンションなので、寝室兼リビングを出れば、脱衣場へ続く扉はすぐに見つかった。

 転がるようにそこへ駆け込んで、素っ裸なのが幸いとばかりに浴室へ直行。人の気配が皆無になった所でスーハースーハーと深呼吸すれば、不意に身体がブルリと震え出した。

 季節は二月。真冬である。そりゃあ裸なら寒いわけだ。

 じゃあさっきは何で平気だったの? と言われたら、裸は裸でも、抱き合っていたからとしか言い様がなかった。

 肌と肌で暖を取るって都市伝説じゃなかったんだ。ということを知った、二十歳の朝でした。


「……さ、寒い」


 ともかく、身体の冷やしすぎは良くないと感じた私は、内心で家主に謝罪しながらも蛇口を捻る。

 やがて、ノズルから暖かなシャワーが吹き出してきて。私は思わず安堵の息をつきながら、その心地よい温もりにしばし酔いしれた。


「さて……まずは落ち着け。クールになるのよ私」


 丁度目の前には洗面台と鏡がある。意を決してそれを覗きこめば、やはりというべきか、私には見覚えがありすぎる姿がそこにあった。

 お人形さんのように整った顔。

 日本人離れした白くてキメ細やかな肌。

 キャラメルを思わせる、亜麻色の髪。

 青紫色の不思議な彩りをみせる瞳。

 完璧と言っていい、グラマラスなプロポーション。

 間違いなく、幼馴染の恋人さんだった。


「……いや、何でよ」


 確かに諦めたくはないとは思った。

 彼女の立ち位置が私だったらと思ったのだって、一回や二回ではない。

 けれども、こんな映画かアニメみたいなこと、現実であり得るのだろうか?


「……いひゃい」


 ものは試しに、頬っぺたをつねってみる。モッチモチのスベスベで腹が立った。しかも……。


「…………なによ。もう」


 夢でない事を確認して、もう一度自分の身体をまじまじと見つめた時、思わず口から悪態が漏れた。

 豊満な乳房や、色気ただよう鎖骨の下。他にも至るところに……。まるで花を咲かすかのような赤い鬱血の跡がある。

 どうみてもキスマークです。本当にありがとうございました。

 そういえば、彼の首筋にも似たようなものがあったっけ。つまりは……。夕べはお楽しみでしたね。といった所か。

 無意識に、唇を噛みそうになる。生暖かくて、ドロドロした感情が鎌首をもたげた。それは私の胸を締め付けていくようで……。


「……〝シェリー〟。着替え、置いとくよ?」

「わひゃあ!?」


 不意に背後から、再び彼の声がして、私は現実に引き戻される。恐る恐るそちらに振り返ると、浴室の磨りガラスの向こう側に、ぼんやりと彼のシルエットが見えていた。


「あ、うん。ありがと」

「……朝ごはん、今日は僕が作るから、のんびり入ってきなよ」

「わ、わかったぁ……」


 高鳴る心臓を抑えるようにして返事をしたせいか、随分とたどたどしい声が口から出てしまう。

 違う。恋敵故にしっかり観察していたからこそわかる。〝彼女〟は何というかもっとこう……。大人びた話し方だった筈だ。

 彼の気配が遠ざかる。同時に私は、小さく息を吐き。今一度、思案に耽りなおした。


「ど、どうしよう……」


 彼に打ち明けてみる? でも、こんな突飛な話を果たして信じて貰えるだろうか? 下手したら変な女と思われて――。


「……あれ? 問題なくない?」


 そこまで考えて、脳内でパチンと電灯が灯る。今は私であって私ではない。ならいいじゃないか。それどころか……。


「そっか……今、恋人なんだ」


 ふと口にした言葉で、私の心がポカポカと暖かくなっていく。

 夢にまでみたシチュエーション。それは、こんな訳の分からない状況の中でも、確かに現実であることには変わりなく。そう思った時、私はゾワリと武者震いするような、何とも言えぬくすぐったさに身悶えた。


 ヤバイ、超嬉しい。


 いや待て。それでいいのか君は。と、結衣ちゃんが呆れたように肩を竦める幻影を視た気もするけど、それはサックりと無視。

 今や私のバカな頭を支配しているのは、一面の花畑だった。


 そう、私は彼の恋人である。

 しかも、今はシーズン的に大学は春休みの真っ只中。

 つまり……。甘えたい放題!

 妄想だけで済ませてたイチャイチャも恋人ならば思うがまま!

 色んな所にデートだって行けるし、ちょっと背伸びして小旅行もいい。

 お前恥ずかしがり屋ではなかったのかと言われそうなものだが、ノープロブレム。何故なら繰り返しになるが、私は今、私であって私では……ない!

 なんだ最強か。


「……よし!」


 謎の気合いを入れながら、私はお風呂場から出る。身体の水気を拭い。拾い上げたブラジャーの大きさやエロチックさに凄まじい敗北感を覚えながらも服を着込み。ドライヤーで髪を乾かす。

 我ながら図々しいなと思ってしまうのは、ここが住み慣れていない彼。もしくは彼女の部屋だからだろうか。

 ともかく。たっぷりと時間をかけて身だしなみを整え終えた私は、ゆっくりと深呼吸して――。脱衣場からキッチンへと足を踏み入れた。


「ただいま、辰。いいお湯だったわ」


 彼女の口調を思い出しながら私がそう言えば、台所に立っていた彼が、コンロの火を消しながらクルリと振り向いた。


「おかえり、〝シェリー〟」


 穏やかな彼の声で、私の心臓はボクサーのラッシュを受けたかのようにボコボコにされる。

 何よりも、エプロン姿……。いい。凄くいい。なんというか、同棲中の恋人同士といった感じがたまらない。


「……はう」


 謀らずも軽くトリップしてしまう私がそこにいた。すると彼は、何を思ったか、急につかつかと私に歩みよってきて……。 

 私の手首をがっしりと掴み。そのまま私の身体を壁際に適度な力で押さえつけた。


「――ふぇ?」


 思わず私の口から間抜けな声が出る。まさかの壁ドンである。だが、残念ながらそれに萌え的な破壊力を感じることは欠片もなかった。何故ならば……。


「普段はね。彼女をシェリーとは呼ばないんだ。それは特別な時にだけ。日常生活において、僕は基本的に、彼女を慣れ親しんだ愛称で呼ぶんだよ」


 いつもは飄々としている彼の目や、纏う空気は……。幼馴染たる私でさえ、今まで見たこともない程に暗く。冷たく。そして、鋭かった。


「それは彼女も承知している。だからね。僕がこうして、意味もなく君を〝シェリー〟と呼んでる時点で、君から何らかのリアクションがなければおかしいんだ」


 ――はっきりと言えば、私は舞い上がっていた。非日常な事態に巻き込まれて、訳が分からぬまま、開き直っていたとも言えよう。

 せっかくだから、ちょっとだけ楽しんでしまおうか。そんな気持ちになっていたのは否定できない。

 だから……。私は気づかなかったのだ。ついさっき、お風呂場で聞いた彼の声が、――いつもの数倍は硬かった事を。


「君は…………誰だ?」


 絶句する私に、彼の視線が突き刺さる。

 それは、私の記憶の中にある、優しくて暖かい初恋の人からは、あまりにもかけ離れていた。

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