決意しました
「……脳筋すぎません?」
私が率直な感想を述べれば、深雪さんは何を言うといった顔で肩を竦めた。
「綾ちゃん。ちょーっと呑気すぎるわよ? 案件が単純。かつスピード解決したいなら、問答無用の力業が一番なの。だいたい、考えてご覧なさい? この事件は、恋愛成就が目的なのよ? つまり黒幕は今頃……」
そう深雪さんが言いかけた時、不意に居間の引き戸が乱暴に開けられた。そこには……。息を荒げて、顔面蒼白になった彼が立っていた。
「あら、辰ちゃんおかえ……」
「すぐに! すぐに出発を!」
「あ、あらん?」
意味ありげな妖しい笑みを浮かべる深雪さんが、彼の余裕のない態度でテンポを崩される。彼がこんなに取り乱すのも珍しい。そう感じて、ちょっとした新鮮さを味わっていると、彼の顔が凄い早さでこっちに向けられた。「立って。早く」そんな迫力がビリビリと伝わってくる。一体何が……。
「田中さんから、助けを求める電話がきた」
「――っ、結衣ちゃんから!?」
朝から新幹線に乗ったなら、もう今頃は江ノ島を楽しんでいることだろう。そこには偽物の私もいて、彼女とも接している筈。そんな結衣ちゃんが、電話…… しかも、彼に助力を頼む?
……猛烈に嫌な予感がした。案の定、彼もまた、「落ち着いて聞いておくれよ」と、不吉すぎる前置きをした。
「田中さんが見た光景を率直に伝えるなら……今の君は、サークルの新倉先輩に……その、普段の君からは想像できないくらいの猛アプローチを仕掛けてる、らしい」
それを聞いた瞬間。私の中で何かが弾けた。
同時に、どうして辰があんなにも慌ていたのかを、今更ながらようやく悟った。
当たり前だが、今の私が私ではないだなんて、気づける人はいないだろう。つまり、中の人は好き放題のやりたい放題。かつ、おとがめもないときた。
……………………え? 酷くない? 私も実は入れ替わりたての頃はメリーの身体で彼に甘えまくってやろうと思ってしまったけど。
いや、それにしたって……。
「あ、あの。……因みに具体的にはどんなことを?」
私が恐る恐る尋ねると、彼は苦虫を噛み締めたかのような顔になる。待って怖い。聞いといてアレだけど、すっごく怖い。
そんな私の内心の震えは、彼の発した続きの言葉で、容易く絶望に染め上げられた。
「田中さんの話だと先輩と腕組むわ、色々押しあてたり。他の男性にも意味深げな視線を送ったり……。あと、普段のあざとさが明らかに作った風になってもいるみたい……」
「OK。もう何も言わなくていいわ」
人は怒りを通り越すと真顔になるらしい。肌に、具体的には拳や脚に熱がこもる。神様って、物理攻撃は効くのだろうか? そんな考えが頭に浮かびかけ、私ははしたないと己を律した。
いけない。冷静になれ。そうとも。こういう時こそクールになるべきだ。
「深雪さん」
自分でもびっくりするくらい低い声が出た。すると、深雪さんは頬をひくつかせながら「な、何かしら?」と口にする。私は怒りを悟らせぬよう、努めて笑顔で、こう提案した。
「脳筋作戦、採用しましょう。……海が近くで、本当によかったです」
愉快なオブジェに仕立てたら、神様なんか海に沈めてやろう。
そんな気持ちでいると、辰が何故か涙目で「君の身体! 君の身体だから!」と私にすがり付く。
何だか面白い。と思ったのはさておき。ここにきてようやく解決の目処は整った。
やはり最後にものを言うのは、鍛え上げた筋肉なのだ。
※
電車の振動に揺られながら、私はぼんやりと車窓から海を眺めていた。鉛色の冬空に太陽がぼんやりと輝いて、雲間から射す光が闇色の海に注がれている。
海が青いのは、空の色を反射しているから……いや、逆だっけ。ちょっと思い出せない。どちらにせよそのモノトーンな風景は私の目を釘付けにした。
突き抜けるような蒼天も好きだけど、こういった厳しい寒さに染み込んでくるような世界もいいものだ。
隣には彼が座っている。もし私もこっちの大学に進学する道を選んでいたら……こうやってどこか遠くへ彼と旅する可能性もあったのだろうか。
……所詮、ifの話だけど。そう考えたら、なんだか切なくなった。
あと少しで私は、元の自分に戻る。彼の隣には立てない私に。それが正しいことなのは、もう何度も反芻したからわかってはいるけれど……。それでも、他でもない彼がその結末を望んでいるという事実自体が、私の胸をきゅうと締め付けた。
…………辛い。
『次は~腰越。腰越です』
アナウンスが車内にこだまする。鎌倉駅から江ノ島電鉄に乗り換えて、私達は決戦の地……といえばやや大袈裟だけど、決着をつけるべき場所へ向かっていた。そこへ行く間、何故だか私と彼はずっと無言だった。
距離をはかりかねていたのだ。幼なじみで、大学に入るまではずっと一緒だったのに。無言の時間がこうも大変だったなんて。
「……あう」
声にならない呻きが漏れる。原因は決まっている。
私の視線は、彼のコート。そのポケットに注がれていた。そこには〝深雪さんが入っているのだ〟
何を言っているんだと言われかねないが、事実なのだから仕方がない。
今更の付け足しになるが、私が予想した通り、深雪さんは人間ではなかった。当然、そんな存在に助力を乞うことが、全くのリスクを背負わないかといえば、そうは問屋が卸さなかった。
語れば長くなるし、私の頭に残されたキャパシティとかが圧迫されてしまうので簡潔に述べよう。
脳筋作戦決行が決まった後に勃発した一連の流れで……やっぱり私は、彼について何も知らなかったのだと思い知らされた。
私の預かり知らぬところで、彼は深雪さんと取引していて。結果、深雪さんは彼に知恵比べを持ちかけていたようだ。
内容は、『私の正体を当ててみよ。出来たなら力を貸す。失敗すれば、貴方を貰い受ける』という、ハイリスクでハイリターンなものだった。
当然、私は憤慨した。「そんなの聞いてない!」そう言って彼に詰め寄ったが、恐ろしいことに彼は何てことはないというように私を制して……。結果的に彼は深雪さんの力を勝ち取った。
彼の言葉は淀みなく、オカルトの謎を紐解いていく姿は恐怖を内包しつつも、どこか楽しげで。私はその時、明確な距離を感じ取っていた。
彼はわかっているのだろうか? 自分のやっていることの意味を。
しきがみだとか、神様だとか。私は彼が口にしていた深雪さんの正体については半分も理解できなかったが、問題はそこじゃない。
どうしてそんな風に、慣れ親しんだ日常のように立っていられるのだろう? 私は……深雪さんが怖くてたまらなかったのに。
回想していたら、思わずブルリと寒気が走る。彼に知恵比べをするために正体を晒してきた深雪さんは……正しく異形のモノだった。
ぞっとするような美貌。押し潰されるような威圧感。羊と聞いても、どこか禍々しく見えてしまう角。浮世離れした、平安時代っぽい服。そして何より……明らかにおかしいとわかるのに、人の姿をしているのが恐ろしかった。
これを……ポケットに入れて持ち運ぶなんて正気じゃない。ましてや、対話してふざけあったり……。
こうして挙げていくとキリがない。ただはっきりしているのは……やっぱり彼と私は生きている世界は違うのかな。そんな現実ばかり突きつけられるようで……。悔しかった。
「ごめんね。無理させて」
「……え?」
突然の謝罪に戸惑う私に彼は困ったように肩をすくめて、自分のポケットを指差した。
「怖い……よね」
「…………それもあるけど、ちょっと寂しいだけ」
半分強がりでそう答える。認めたら、彼が完全に離れちゃう気がして。
「ずっと隠してたのは、私の為ってわかったけど……。私は貴方にとって、なんの力にもなれない幼なじみだったんだなぁって」
「それは違う」
卑屈なことを言っている自覚はあったが、止まらなくて。するとそれを彼はすぐさま否定する。
「嘘よ。だって……私や、高校の友達といる時は無理してて。それで……」
ああ、ダメだ。こんな時だっていうのに、口から出てくるのは……胸に溢れてくるのはマイナスの感情ばかりで。すると、私の両手がふわりと暖かな感触で包まれた。
私より大きな、男の人の手。彼がいつもより真剣な表情で私を見ていた。
「初恋が幽霊のお姉さんだったって、話したことあったっけ?」
「……………………辰って、ネタの引き出し多すぎない?」
「自覚はなかったけど、綾と話してたらそんな気もしてきたよ」
苦笑いを浮かべる彼。それでほんの少しだけ、我ながら単純だがささくれだった気持ちが鎮まって。私はゆっくりと首を横に振った。貴方に初恋なんてあったの? というのが正直な感想だった。
経歴というか、本質が異色過ぎるから、メリーがその相手だと言われても驚きはしなかったからだ。
「僕は昔、人間を止めようとしたことがある」
「…………もう驚かないって決めても驚かせてくるー」
ウッソだろお前……。と、危うく漏らしかけた。だって人間だよ? そんなホイホイ止めれるものであってはならない筈だ。
本音を言えば、ちょっとでもそんなことを思ってた時点でハイキック沙汰だが、話が進まないのでそこはグッと堪えた。
「それって、初恋の人……人?」
「女性でいいと思う」
「じゃあ人。に、関係あるの?」
「ああ、間違いなくね。で、相手は幽霊だ。僕が何をしようとしたかは……想像つくだろう?」
ヒヤリとした戦慄が走る。嘘だともう一度叫びたかったが、彼の瞳はそれが真実だと表していた。
「死のうと……?」
「もっと悪い。〝存在した〟まま、僕はその人のそばにいようとした。なまじ幽霊に触れてしまえたからね。僕は惚れた弱味で。お姉さんは久々に感じた温もりで……お互いにおかしくなっていたんだと思う」
始まりは些細な交流から。そうしてゆっくりと二人は寄り添うようになって……。とうに終わった物語。かつ今の彼には相手がいるというのに胸がチクリとするどうしようもなさは、もう諦めることにした。
「お姉さんは言ったんだ。僕の霊感は、気をしっかり持たないと、容易に人の領域を踏み越えてしまうものだって。人から怪奇に……僕は簡単に変質しうる。……あの時の僕はそれでもいいって思って、お姉さんに関わり続けた」
見方を変えれば、純粋な恋心だろう。けど、それは人の部分をあっさり切り捨てようとする狂気にも見えた。
「破局は突然だった。お姉さんは僕に言ったんだ。本当に、私の傍にいられるのか。何もかもを捨てちゃえるのか。脳裏に誰も思い浮かばないのか。即答……しようとしたんだ。勿論って。けどどうしてかな。人じゃなくてもいいって思ってたのに……」
その時、両親とララ。そして君の顔が浮かんだんだ。恥じるように彼はそう呟いた。
「覚えてないかな? 小学生の時。僕、図書館でやってた紙芝居に夢中になって……君に大泣きされたんだけど」
「……アレかー」
記憶がズルズルと引っ張り出される。何日も、何週間も辰が一人でどこかに遊びに行ってしまう時期があった。それだけならば、変な話だがいつも通りなのだけど、その時の彼は……確かにおかしかった。どことなくそっけない。今までにない冷たい雰囲気をしていたと記憶している。
訳を問いただして、紙芝居を見に行ってると聞き出したまではよかったが。その後の彼が発した言葉は「一緒に行く?」ではなく「邪魔しないでくれ」だった。
彼の話からして、その時はおかしくなっていたのだろう。けど、そんなの知るよしもない私は突き放されたのが悲しくてわんわん泣いたのだ。
「あそべー!」とか「かまえー!」とか。そんな感じに。
「アレと……お姉さんが精一杯理性を振り絞ったからこそ、僕は踏みとどまれたんだ。お姉さんに感情移入して、やっぱり僕は人間より怪奇側なんだって思い始めてた時……。僕を引き戻したのは、君の声だった。君は僕にとっては日常の象徴で……人として大切な女性だった」
優しい目で彼はそう言い切る。私は、震えが止まらなかった。その言葉だけで、私は舞い上がってしまうくらい嬉しかったのだ。
「大切なものがあるなら、捨てちゃダメ。そう言われたんだ。君が力になってないだなんてとんでもない。僕がこうしてここにいるのは、君がいたからなんだ。メリーだけじゃない。そのままの君が大切だから……深雪さんと知恵比べする無茶だって出来たんだ」
当たり前のことをしただけなんだよ。そう締めくくる彼。それを聞いた私は……びっくりするほど自然に、彼の胸へ顔を埋めていた。
「綾?」
「ちょっとだけ。お願い」
腕を彼に回してぎゅーっと抱き締めれば、彼もオズオズとそうしてくれた。その辺の有象無象の女だったなら、彼は間違いなく、やんわりと振りほどいていただろう。私だからこうしてくれるんだという自負がある。所謂幼なじみの特権だ。
心臓の音がバカみたいに大きくなっていく。身体の奥が燃えるように熱い。それを自覚した私は、ようやく自分の感情に気がついた。
それは、入れ替わりの前夜に感じたこと。
やっぱり、諦められなかった。
この気持ちをぶつけないで封印しちゃうなんて、それこそやってはいけなかったし、私らしくもなかった。
いい女になんかならなくていい。
可愛くなくたっていい。
脳筋上等。
全部が私で。そんなありのままの私を彼は大切だと言ってくれたのだ。だから……。
「辰。あのね……」
小さな約束をした。
それは、全部が終わった後の話であり、私の決意表明だ。
この事件が解決出来ないとは微塵も思わなかった。だって辰と一緒だから。
さっさと邪魔な神様をKOしたら。私は彼に私の全てをぶつけよう。
……ところで、地元の図書館では紙芝居の読み聞かせなんかやっていなかったし、それ用の部屋があるとも聞いたことがないのだが……。それに関する細かいことは気にしないことにした。
背筋をゾクゾクさせるような気持ちを味わうのは、もう勘弁なのだ。