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眠り屋  作者: 三千
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五章 私を思い出して


僕が、これまで歩んで来た人生の歴史は、この古い建て構えにもさして遜色そんしょくない歴史あるアケミマートと共に歩んできた、そう公言できる。


アケミマートの若き店長とは、共に歩んできた同志であり、友人であり、家族だ。


その店長がこの春にめでたく結婚。


僕はこの慶事を自分のことのように喜び、祝福した。


この喜ばしい日、心晴れやかなる空、そしてこの愛嬌のある可愛らしい許嫁いいなづけ……


「にゃあ〜」


「ちょっと矢島さん、ミケばっかかまってないで、仕事してくださいよ」


アケミマート閉店後、外はすっかり暗闇に包まれているというのに、この店内ではまだ煌々と電気を灯し続けている。


棚卸しの最中、僕は所狭しと積み上げられた段ボール箱の迷路をかいくぐりながらようやく辿りついた、レジ横のカウチソファにどしり、と腰を下ろしていた。


「いやあ、花月かげつくん、こんな可愛い子と結婚だなんて……羨ましいですよ、本当に。嫉妬すら覚えます」


「にゃーん」


両脇に手を入れて持ち上げると、だらんと伸びる愛嬌満点のこの姿。


晴天が続いた先月の初め、長い入院生活を送ることとなった近所の高齢の飼い主の代わりに、ここで美人の猫を預かっていると聞いた僕は、さっそく猫缶を片手にアケミマートまでやってきた。


そして、この少し硬めのカウチソファを陣取っていたミケと出会い、一目惚れ。


「あああ、もう最高に可愛い」


結局のところ、駄菓子屋のおばあちゃんは退院後もミケを世話できないということから、花月くんに引き取って欲しいと言ってきたのだ。


そんなわけで、この度正式にアケミマートに引き取られることとなった。


嫁入り、でしょ。


「ああぁ、可愛いですねえ、本当に可愛いですねえ。花月くんが心から羨ましいですよ、こんな愛らしい嫁ができて」


抱き上げた両手を横に揺らしてみる。


身体を縦に長く伸ばして、ぶらぶらと振り子のように揺れるさまは何度見ても愛くるしい。


「ここを撫でてやるとさ、ほら、見て‼︎ この幸せそうな顔‼︎」


抱え込んだミケの首の付け根を、指を使って少し強めにかく。


すると、ミケは途端に目を細め、僕に身体を預けて脱力する。


「それにミケだなんて、安直な名前過ぎますよね。駄菓子屋のおばあちゃんのネーミングセンスを疑います。もっとこうオシャレな……キティとか、……」


花月くんが、僕が来てから三杯目のコーヒーに手を伸ばし、ゴクリゴクリと飲み干す。


「……それ以上、思い浮かばないんでしょ。だったらもう、ミケのままでいいっすよ」


若干イライラとした素振りを見せながら、机にドンッと音をたてて、マグカップを乱暴に置いて言う。


「矢島さん‼︎ 一体いつになったら、俺の話を聞いてくれるんっすか。ミケと遊んでばかりいないで、今日こそはちゃんと仕事してくださいよね。矢島さん、聞いてんっすか? まったくもう……」


「分かった、分かった。いいよ、聞いてるから話してごらんよ」


僕はミケを膝に乗せたまま、顔を花月くんに向ける。


おっと、花月くんのこの真剣な表情。

僕は背筋をぴっと伸ばして、たたずまいを正す。


「はい、どうぞ」


「そんなこと言って、さっきから全然聞いてないじゃないっすか、もうっ」


「ごめんごめん、だって棚卸しが大変そうだし、邪魔しちゃ悪いかなって」


このアケミマートには、食料品や生鮮食品、生活用品からこれは無駄じゃないかという商品まで揃っている。


地元のスーパーよりは若干高めの値段設定だったが、これほどの種類の品揃えと、この若きイケメン店主花月くん、そして「明るく元気」を絵に描いたようなジャニーズ顔の店員と受注発注オールマイティに務める美人の事務員が、この店の好感度をアップし、客を呼び込んでいる。


そして、その道の玄人くろうとさんが喜びそうなレアグッズのあれこれ。

ここでしか手に入らないですよ、というプレミア感を放っている。


以上の点からも、この広くも狭くもない店を赤字なく維持していくのは容易であろうと想像に難くない。


「先代のおじいさんも喜んでいらっしゃいますよ。花月くんのがんばる姿を見てね。亡くなる前から、商才のある花月くんに店を継いで欲しいって、口癖のように言っていましたからね」


「まあ、俺の親父はこの店には全然無関心で。継ぐの嫌がって、さっさと公務員になっちゃいましたからね。でもまあ、小ちゃい頃からこの店うろうろしてたから、商品も頭に入ってたし、この店好きだったし。結果オーライっすよ。……でね、そのじいちゃんのことなんですけどっ‼︎」


僕は普段このアケミマートに、足しげく通ってこのカウチソファでミケとじゃれ合ったり、前述した美人事務員の奥田おくださんにお茶を淹れてもらって、世間話を堪能したりしているけれど、決して無職でフラフラというわけではない。


ここからそう遠くない、これまた古めかしいビルの二階に「眠り屋」という事務所を構えている。


仕事内容は、夢で困っている、夢に困らされているなど夢に関する依頼を受け、僕自らが依頼者の夢へと入り込み、原因を探って解決に導く、というもの。


依頼は月に数件あるので、それをこなして依頼料をちょうだいしている。


僕は、他人の夢を共有することができる。

僕にしかできない仕事、と自負しているのだが。


「はい、はい。先代が夢に出てくるっていう話、ですよね?」


花月くんは、一年くらい前から先代のおじいさんの夢を見るようになったと言う。


僕は以前からこの件について頼まれてはいた。


けれど、その時に別件で受けていた依頼がこれまた厄介な事案で、その結果解決にこぎつけるまでにかなりの時間と労力を費やした。


花月くんには、その依頼がスッキリと片付くのを待ってもらう形になっていたのだ。


相変わらずミケを離さない僕を横目に、花月くんは話を進めていった。


「……まったく。じゃあ、いいですか? 今度こそ、聞いててくださいよ。んで、そのじいちゃんなんすけど、最初は無言で出てきてたんすよ。俺も、初めは懐かしー、じいちゃーん、なんて思ってて。でもそのうち、アケミマートの商品について話しかけてくるようになって。店の経営がなってないとか、そういうんじゃなくて、どこどこの何とかっていう商品を仕入れて欲しいっていう、要望っていうか」


「それはどんなものなんですか?」


加藤商事かとうしょうじの『ちょっと待ってケロ、カギかけたケロ?』っていう、カエルの形をしたフックのついた置物なんですけど、知ってます? それを入荷するようにって、指示してきたんす。まあ、俺も最近は人気が復活し始めてたの知ってたんで、二、三個試しに店に置いてみたんっす」


「あ、それって、カギを取るとフックが上がって、『カギ、カケタケロ?』って音声が出るやつですよね。僕、持ってますよっていうか、二、三ヶ月前にここで買ったんですよ。あの商品って、君の夢に現れた先代のアドバイスだったんですね」


「そうっす、で、物忘れが激しいお年寄りにはもってこいっていうことで。娘さんやお孫さんがおじいちゃんやおばあちゃんへのプレゼントにって、結構売れるんすよ。そんで、うちの定番商品になりつつあるってわけっす」


「へえ、ではおじいさんのアドバイスが功を奏したということですね。で? それ以外にもいろんな商品をご所望なんですか?」


「そうそう、一ヶ月に二三のペースで、商品を仕入れるようにって、夢に出てくるんす」


そこで花月くんは立ち上がり、コーヒーメーカーからポットを持って来て、温かいコーヒーを僕のマグと、彼のマグ両方に注いでから戻った。


「それが、大当たりの商品と大ハズレの商品の落差がすごくって。一個も売れないやつもあるんすよ。でもまあ、今まで言われた商品は全部、俺も気になってたっていうか、入れようか迷ってたやつなんで、だから、まあいっかなっていうノリで、カタログから探してじいちゃんの言うこときいて、仕入れてたんすけど」


花月くんが首を傾げる。


イケメンは背も高いけれど、首もすらりと細く長い。


今時の神様は不公平、天は二物も三物も四物も与えるのだ。

世の中は不公平だ、と心で文句を言いながら、メモを取る。


「俺、カタログ読破してっし、最初は俺の願望みたいなのが夢に表れてんのかなって、思ってて。あんま気にしないで続けて入荷してたんすけど。ほら、普段よく考えてることが夢に出るって、あるじゃないすか」


「うん、まあそうだね」


潜在意識が夢に表れるってことが、ほとんどのパターンと言っても良いくらいだからね、と僕は追加して言った。


「でも、いつからだったか忘れちゃったんすけど、カタログに載ってない商品の名前が出るようになって。今までで、そうだな、五回くらいかな、聞き覚えのない商品で。で、その商品、カタログに載ってないってことで問い合わせると、だいたいが廃番商品だったんすよ。昔の商品過ぎて、今はもう在庫がないっていうヤツです」


ふうん、僕は軽く返事をして先を促す。


「でも、俺が知らない商品ってことはですよ。俺が潜在意識とやらでじいちゃんに夢で言わせてるんじゃないってことになりますよね。それってじいちゃんしか知らない商品なんだから、そうなるとじいちゃん本人が夢に出てきてるってことになるなあ、と。ちょっと考えたら、恐くなっちゃって。もしかして幽霊とか、霊魂、とか。マンガの読み過ぎっすかね」


花月くんの顔は、苦虫を噛み潰したようなテイストが少し混ざってはいるが、僕が今まで見たことのないくらい真剣な表情になっていた。


これはまた不思議な夢のようですねと、呟いてみる。


花月くんもコクリと頷き同意。


僕は、最後の一口のコーヒーを一気に流し込むと、パタリと愛用の手帳を閉じた。

僕のひざの上で、ミケが丸くなったまま、びくんと身体を震わす。


「夢の話は以上ですか。では、次回お会いした時に夢の中へ入って調査してみます。いつが都合が良いですか?」


僕は僕の膝の上ですっかり丸くなっているミケの狭い額に手をやると、すいと軽く撫でてやった。


なー、と猫なで声も可愛らしい。


「では、明後日の夕方なら。早めに終われるんで」


花月くんがレジ横に掛けてあるカレンダーに目をやり、スタッフの出勤時間を確認する。


「分かりました、では明後日に」


僕はもう一度ミケの猫なで声を聞きたくなり、その狭い額に手を置いた。


✳︎✳︎✳︎


「え、じゃあ、じいちゃんはやっぱり僕が創り上げてる妄想ってことっすか?」


僕は、相変わらずひざにミケを乗せて、相変わらず喉をゴロゴロとやりながら、相変わらず花月くんが淹れてくれたコーヒーを啜っていた。


アケミマートの従業員の皆さんを早めに帰した日、小雨ももうすっかり上がり、ちらちらと太陽の陽を零している雲が、存在感のある大きな一つの塊へと形を変えようとしていた夕方。


僕はこうでもないああでもない、などと思案を重ねた上での結果を、花月くんに伝えていた。


「ええ、でも実は確証があっての判断ではありません。花月くんが夢を見ている間、その周辺をうろうろとしてみましたが、特にこれといって特筆すべきことはありませんでした。そう、いたって普通だったのです。問題がありそうには見えなかった、ということです」


「じゃあどうして、聞いたことのない商品とか……、憶えてないだけかなあ」


「その可能性が大ですね。昔、聞いたことがあるにもかかわらず、今までに忘れてしまっていた商品名が花月くんの奥底に散らばっていて、おじいさんの夢を見ることで、そのひとつひとつが掘り起こされている。そう考えて良さそうです」


僕は頭に手をやり、指でポリポリとかいた。


「けれど、先ほども言いましたが確証は全くありません。今のところ、その夢を見続けることで花月くんに直接の害はないと思いますが。それでも何か様子が変わったらまた教えてください。まあ取り敢えず、幽霊ではないと、申し上げておきましょう」


こんなところでしょうか、先代。


僕は花月くんではない人の、けれど花月くんに少し似たところのある面影に心で話し掛けた。


久しぶりに先代に会うことができて、僕はかなりの嬉しさを抱えていた。


おっと、あとあなたのことで、伝えなければならないこと。


「花月くん、一つ分かったことがあるのですが。どうやら先代が遺した幻の商品リストが現実に存在するようです。お忙しいとは思いますが、それを探して貰えませんか?」


「リストっすか? 親父に訊けば、分かるかなあ」


実はこの事実。


花月くんが夢の中で創り出した先代本人に問うて告げられたものだったが、夢を改ざんした結果のそれなので、その事実は僕としては伏せておきたかった。


夢に出てくる登場人物との接触は避けるべきだという持論。


先代と交わした言葉の数はそれほど多くはなかったが、少しとはいえ、夢の内容を書き換えてしまったことに気づかれるのは、できれば避けたい、という気持ちがある。


果たして、花月くんは特に気にした様子もなく、ジーンズのポケットからスマホを取り出そうとした。


僕はそれをやんわりと制止し、


「リストはご自分で探さないと意味がないですよ。いいですか、先代の遺品の中から、花月くん自身が骨を折って探してください。その点に意味があるんですから。どうぞ、それだけは守ってくださいね」


これで完了です、僕は再度その面影に囁いた。


きっと、先代本人もこんな風にして自分が死んだ後に、すっかり大人になった花月くんと僕に、彼の秘めた想いなんかを掘り起こされるとは思っても見なかっただろう。


そう、いくら夢の中の先代本人にリストの存在を聞いたからと言って、結局のところ、花月くんの思い出の中の記憶でしかないのだから。


先代本人がリストを探して欲しいと実際思っていたのか、又は思っているのか、それを確認する術はもうない。

本人がこの世にいないのだから。


これは記憶の中に深く埋もれた「何か」を掘り起こす作業に過ぎない。


そしてそれが実際掘り起こして良いものなのかどうかは、結果が出るまで誰にも分からない。


僕は、今回の依頼も他の依頼に違わず、僕が生業としている「眠り屋」という仕事の危険をはらむ脆弱な部分を感じていた。


そのリストを探し出すことによって、どんな結末が待っているかがわからない。


想像できる結末は、数通りのみで、思わぬ展開となる場合が少なくない。

この仕事は、出たとこ勝負の要素をはらんでいるのだ。


けれど、安心して下さい、あなたが大切に育てた花月くんは、あなたの想いを、それがどのような真実だとしても、きっと背負ってくれると思いますよ。


アケミマートを辞した時、すっかり暗くなった道すがら、住宅地の中にぽっかり口を開けたように存在する空き地の片隅に、外灯に暗く照らされてひっそりと咲くシロツメクサの花を見つけると、その中からこれという一つを拝借し、鼻に近づける。


ふわりと匂う野の香り。


昔、近所の女の子に混じって、この丸みのあるころころとした可愛らしい花を幾重にも編んで、花冠にしたっけ。

編んだ花冠を頭に乗せて、みんな顔をほころばせて幸せそうにしていたっけ。


シロツメクサには、幸運や幸福、という意味がある。

けれど、もう一つ。


「私を思い出して、ですね」


花月くんの夢で会った時、先代がリストの存在をこっそりと僕に教えてくれた時、きっとあなたの役に立つよう努力します、そう言って心で約束をしたことを思い出す。


僕は手にしたシロツメクサの花の茎を親指と人指し指でくるくると回しながら、事務所への帰り道を歩いていった。


✳︎✳︎✳︎


「矢島さんは、知ってたんすか?」


開け放たれた事務所のドアの前で、花月くんが立っている。


事務所の二階にあるエントランスの小窓から射し込む夕陽。

花月くんの高い背をさらに高くしようとして作り出すその影が、長い足元から何ともみっともない形で伸びている。


手には一枚の紙切れ。


薄茶色に染まっているのは、夕焼けのせいではないようだ。


「見つけたんですね」


僕は薄っすらと笑い、彼を事務所の中へと招き入れた。


中へ入ると、花月くんは少しだけ、はぁはぁと短い息を重ねて収めた。


どうやらこの距離を走って来たらしい。

それなのにこれだけの息切れですむとは、さすがに若いなあ。


花月くんはうちの事務所に寄る時には必ず座る定番の場所、一人掛けのソファにドンと腰を下ろした。


「あ、お構いなく。すぐ帰るっすから。店番、広瀬ひろせに頼んできたんで」


ジャニーズ顔の元気印が、レジカウンターの中で、ぷりぷり怒っている姿を想像して苦笑する。


花月くんは僕がキッチンへ入ろうとするのを手でストップのジェスチャーを作ってから、手に持っていた紙を机の上に広げた。


「これ、探してるあいだ中、何かもやもやしてて。思い出せそうで、思い出せないっていう感じの。で、じいちゃんがよく座ってた小さな文机があったのを思い出して。探してみたんっす。そしたら倉庫から出てきて。これこれって思って、一周ぐるっと見たら、小さな引き出しがついてて。開けたら、その瞬間に思い出したんすよ」


軽い興奮の中、花月くんは進める。


「そう言えばじいちゃん、引き出しの底の裏側に何かを隠してたなって。俺小さい頃、じいちゃんがこっそり隠しているの見ちゃって。でもじいちゃん、花月、これは秘密だぞって、ウィンクしながら……」


僕はその場面を思い浮かべて、ふふっと笑ってしまった。


僕がアケミマートに通い始めた当初、先代はもう人生で言う「晩年」に差し掛かっていた。


その柔らかい笑顔と物腰。


僕はその頃、自分では修復できないほどの大きな痛手を負って、自分が自分でなくなってしまっていた時期があった。


そんな僕を労わり、励まそうとしてくれた人。

そっと、美味しいお茶とお菓子を出してくれ、一緒に食べてくれた。


そして、一緒に泣いてくれた人。


「そんなじいちゃんがちょっとカッコよく見えたりしてたんっすけど、こういう理由があったんすね」


茶色に変色した紙を見る。


商品名の羅列。


手書きで、癖のある字。

いつも領収書を切ってくれた、右斜めに上がり気味の、癖のある字。


習字を習っていたと聞いたことがある。

だからであろう、この達筆。


「あるねぇ、『ちょっと待ってケロ、鍵かけたケロ?』。あはは、本当にあるねぇ」


「そうなんすよね、俺が夢でじいちゃんに指示された商品で間違いないっす。俺、このリスト過去に見てたんすよ。心のどっかで覚えてたんすね、俺。じいちゃんがいない時、何を隠したのか、何の秘密だったのか、どうしても気になって。引き出しの裏から剥がして、こうやって」


花月くんは複雑に折ってあっただろう、そのリストを器用に折り進め、元の形に一度戻してからまた改めて開けていく。


その手元を見ていて、僕は気が付いた。


リストの裏に何か書いてある。


「複雑に折ってあるから、何かイタズラ書きかと思ってたんすけど、広げるとこれ、」


僕の方に向きを変えてから、渡してくる。


一読して、声に出して読むとちょっと恥ずかしいような内容に赤面する。


これはこれは。


「これは情熱的な、ははは」


桔平きっぺいさん、あなたを愛してます、どうか私をお嫁さんにしてください、あなたとずっと一緒にいたい」


僕が恥ずかしくて読み上げられなかった文章を、花月くんがさらりと読む。


むう、これは若さゆえなのか、それともイケメンという人種にとって、何てことはないってことなのか。


「桔平って、じいちゃんのことっすけど。これ読んだ時、一瞬じいちゃん、浮気してたのかよって思ったんすけど、俺、思い出したんす。俺が小さい頃、店によく遊びに来てた女の子がいて。俺と同い年くらいなんすけど。俺、その子が好きだったけど、見事にふられちゃって。っていうのは、その子に、あなたのおじいちゃんのことが好きなのって言われて、え!ってなって」


「そうなんですか……って、ええ‼︎」


僕は思わず、叫んでしまった。


「……えええっ‼︎ だって、花月くんが小さい頃とはいえ、その頃、先代は……」


「まあ、うちのお袋も早くに俺を産んでるんで、でもじいちゃんその頃、六十くらいっすよ。で、そん時の俺、十歳そこそこ。五十も離れてるのにこれって、あり得なくないっすか。いや、歳が離れてるって以前に、十歳て‼︎ まだ俺、現実受け入れられないんすけど。ロリコンにもほどがあるってか、マジでか……くそっ」


花月くんは絶句し、僕が持つリストとも手紙とも言える紙をデコピンのようにぱちっと指で弾く。


「まあ、そういう話を聞いた後なら、確かに子供が書いたような字に見えてきますね。ラブレターですか、おませな女の子ですねえ。でも先代が真剣に交際してたっていう確証もないですしね。子供の戯言ざれごとと軽く流していたのかも知れませんよ。その可能性の方が高くないですか?」


「まあ、そうっすけど。俺、この紙こっそり盗み見たって言いましたよね。その時、あ、これはその子がじいちゃんに書いたラブレターだって気づいて。でも俺、その子好きだったから、あーフラれたーってことしか考えられなくて。すげえショックで、早く忘れたかったんすかね。それから、その女の子、引っ越ししていっちゃったんで。まあ、仲良かったんなら、じいちゃんも寂しかったのかなあ、俺、自分が振られたことがショックで、全然気が回らなかったなあ、今更っすけど」


花月くんは複雑な顔をしていた。


それもそうだろう、一気に色々な事情が分かってしまって、過去のことと流して笑うには、もう少し時間が掛かるかもしれない。


人にはその歳その歳になって、初めて理解できる心情もある。


いつか花月くんも、先代がそうしたように、小さな少女からの恋文を大切な宝物のように、文机の引き出しの底にそっと隠すような秘めた恋を、理解できるようになる日が来るのかも知れない。


「じいちゃん、花月秘密だぞって言ってウィンクした時、何つーか、ドヤ顔っていうか……俺がその子のこと好きだって知ってたから、この子、じいちゃんのことが好きなんだってさ、残念だったな花月‼︎ みたいな感じっすかね。何か、思い出してみると、ムカつく顔してたなあ」


「まあ、確かに先代も花月くんに負けず劣らずのイケメンでしたからね。それは認めますよ。とても感じの良い好々こうこうやでした」


花月くんが悔しそうに言う。


「そうそう。俺、じいちゃんに負けてましたもん、バレンタインのチョコの数」


「あはは、そうですか。十歳の可憐な女子からラブレターを貰うくらいですからねえ、さすが先代です」


「でもまあ、思い出せて良かったっす。矢島さんのお陰ってことで。で、今日はお礼も持ってきたんすよ」


謝礼というか、依頼料は必要ないですよとあらかじめ断りを入れていたので、僕は再度その旨伝えた。


いつも、花月くんにはお世話になっているし、先代にも助けてもらった過去がある。

僕は気持ちだけ頂いておきます、と言った。


「でも、これレアものっすよ。絶対、矢島さん喜ぶと思って」


僕は花月くんが袋から出して手にしているものを見て、唸り声を上げていた。


「むむむ、これは沢田さわだリコちゃんのサイン入りTシャツ」


「卒業コンサートで、限定で書かれた生サインですよ。手に入れるの、大変だったあ。矢島さんが要らないってんなら、うちで売っちゃいますけど。どうっすか」


僕は、鬼か悪魔のような顔を作っているだろう花月くんに、むむむと、意味のない抵抗を繰り返していたが、最後には礼を言ってTシャツを受け取った。


花月くんが、幸せそうにサイン入りTシャツを抱き締める僕を、しばらくの間じっと見ている。


「矢島さん、リコちゃん相当好きっすよね。矢島さんのお陰で、じいちゃんの恋心がちょっと理解できたっす」


そう言うと、爽やかに笑って、事務所を去っていった。


僕は時代が移り変わっても、どの部分の一つとして色褪せることのない恋心を見せられて、複雑な気持ちでいる花月くんには悪いけれど、正直嬉しくもあった。


夢は想いの結晶。


先代の強い想いが花月くんに伝播して、こうして未来へと紡がれていくことが奇跡のようにも思える。


形のないものだけれど、そこには確実に何か強い存在があって、それはなかなか壊れず、揺るがず、ただただそこに在り続けるのだ。


僕が花月くんの夢で久しぶりに出逢った先代の柔和な顔。


『矢島くん、ありがとうね』


そう先代に言われた気がして僕は少し笑うと、手にしたTシャツを綺麗に畳んで引き出しの奥にそっと仕舞い込んだ。


✳︎✳︎✳︎


そしてアケミマートの若き店長の件は、これで解決となるはず……だった。


が、事務所に飛び込んできた花月くんの慌てぶりを見て、僕までも慌てふためいてしまった。


「ちょ、ちょ、矢島さん‼︎ 聞いてくださいよ‼︎ すごいんすよ、まじちょうすごいっすよ‼︎」


「なに、なに、なんですか‼︎ 何があったんですか?」


興奮する花月くんをいつものソファに強引に座らせると、僕も向かいのソファに座った。


「うちに来たんすよ、じいちゃんの恋人だった女の子‼︎ ほら、この前の依頼の‼︎」


「‼︎ ……ん?」


「まじっすよ、来ちゃったんすよ‼︎」


彼女は志乃しのと名乗った。


花月くんに言わせると、京美人のような落ち着きのある、清楚で綺麗な人だということ。

花月くんと同い年というのは間違いで、けれど二歳しか違わない年上美人だそうだ。


「そうそう、志乃ちゃん、そうだったそうだった、あの頃も可愛かったけど、めっちゃ美人になってたー」


「話したんですね、彼女と。ミケという可愛い嫁がありながら、鼻の下伸ばしちゃって……と、それより彼女はどうしてアケミマートに? 引越し先から戻ってきたんでしょうか」


花月くんはまだ収まらない興奮を抑えることもせず、早口で喋る。


「それが、桔平さんいらっしゃいますか、って言うんすよ。桔平さんに会いに来ましたって。名前聞いたら、志乃ちゃんって言うんで、俺思い出して。でも志乃ちゃん、俺のことあんま覚えてねえって……」


無残にも玉砕して落ち込んでいる花月くんを見て、僕は少し気の毒に思った。


「で、先代は亡くなられたと、お伝えしたのですか?」


「はい、数年前にって。そしたら、間に合わなかったって言って、泣いちゃって」


その後、店に戻らなきゃいけないと慌てて帰っていく花月くんを見送り、僕は花月くんが話してくれた内容を頭で反芻はんすうしていた。


まるで琥珀のような色に染まった暖かく、美しい思い出。


「そうです私、桔平さんのことが大好きで。まだ幼い私でしたが、ずっとこのまま一緒にいたいと思って、お慕いしていました、本当に心から。特に笑った顔が優しくて、大好きで。桔平さんは、私が何を言っても笑って許してくれました。いつも無理を言って、桔平さんを困らせていると自分でも分かっていたけれど、それでもそばにいたくて」


そして、彼女が壊れ物を扱うような丁寧さで出した、一枚の紙。


文机の引き出しの底から見つけた恋文と同じような古めかしさの、薄茶色の紙。


見ると、先代の商品リストと同じ商品名がずらりと並んでいた。


その文字は老人が書いたそれではなく、幼い少女の辿辿たどたどしさで、けれど一つ一つの商品の名前を、丁寧に書き記したものであった。


それを見て、花月くんはピンと来たようだ。


「それ、じいちゃんと一緒に書いたんすね」


「はい、これは私が書き写したもので。引っ越しが決まって、でも桔平さんと離れたくなくって、大泣きして困らせた日です。桔平さんが言ってくれました。このリストの商品を全部、お店に並べることができたら、きっと楽しいお店になるだろうから、そしたらまたおいでと。頑張って揃えておくからねと、優しく言ってくれて」


涙を拭う。


「このリスト、私が商品カタログから選んだ物も入ってるんですよ。私が選んだ商品を、桔平さんはこれは良い商品だ、ぜひ入荷しなければって、笑って書き足してくれて。私、それだけで嬉しくて幸せで。それで、桔平さんの目を盗んで、桔平さんのリストの裏に、こっそりラブレターを書いたんです。そしたら、私引越し先に到着するまで気がつかなかったんですが、私の書き写したリストの裏に返事をくれていて……」


「そうだったんすか、じいちゃん後生大事に仕舞っていましたよ、そのリスト」


その言葉を聞いて、彼女は嬉しそうに笑ったという。


「私もです」


僕はそんな風に一生に一度の大恋愛が、ずっとずっとこの先も遺されていって、そしてこれからも大切に誰かの手によって守られていく、そんな風景を見せられて、言葉を失くしてしまうほどの感動で、身も心も震わせた。


先代の深い慈しみを感じ、志乃さんの深い愛情をも感じた今回の依頼には、僕こそが深く感謝しなければ、と思う。


花月くんが帰り際、晴れやかな笑顔で振り返って言った。


「志乃ちゃんが持ってたリストの裏、じいちゃんからの返事、何て書いてあったか気になります?」


僕は素直に、頷いた。


「僕も貴女あなたを愛しています、っすよ。じいちゃんやっぱ、かっけーって思って。俺、リストの商品、なるべく粘ってコンプリートしますよ。志乃ちゃんのメアドも、ゲットしたんで‼︎」


意気揚々と走っていく花月くんの背中を見た時、何となくその時、先代はこうなる結末を予測してたんじゃないかなどと、僕は邪推した。


「まあ、それならそれで、ミケは僕が嫁に貰いますから」


僕はそっと呟くと、キッチンの食料棚の引き出しから、猫缶を二つ取り出し、紙袋に入れた。


そして、僕の中にぽつんと存在するあの空き地に行って、シロツメクサをたくさん摘んで、両手に余るほどの大きな花冠を作って、ミケにプレゼントしようと思い巡らせた。

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