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眠り屋  作者: 三千
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十二章 宝箱の在り処


年の瀬まで二週間を切って、人々の様子が慌ただしくなってきた頃、僕が営む『眠り屋』の事務所に、一人の来客があった。


最近ではクリスマスという行事を多方面から否応なしに押しつけられていた僕ではあったけれど、赤や緑、銀、金などの煌びやかなクリスマスカラーに飾りつけられた室内に一日中座らされていると、毎年やってくるこの行事に多少なりとも参加しなければならないかという、何とも情けない気持ちにさせられていた。


だからと言って、うっかり外出なんかしてしまった日には、町中が狂ったような電飾に飾られているのを目の当たりにしなければならない。


けれど、僕がクリスマスを嫌っているのでは無い。


クリスマスが僕を嫌っているのだ。


「先生は貧乏だから、私達のプレゼントは用意しなくていいからねっ‼︎」


高校生のマキちゃんが、気を利かしたというような顔を寄越してくる。


僕はひっそりと傷つきながら、はいはい、と返事をした。


「では、お言葉に甘えて。全員分のプレゼントを用意するのは仰る通りお金が掛かりますから、一人一つ用意して、交換ということにしてはどうでしょう」


僕が女子高生に気を遣われたことに、何度も言うがちょっとだけ傷つきながらそう提案すると、直ぐにも元気な返事が聞こえてくる。


「それ、良いね~。音楽流して、ストップ的な? あ、それかビンゴでも良いよね‼︎ そうしよう、京子さんにも伝えとく‼︎」


ポケットからスマホを取り出して、指先を何かの機械のように縦横縦横と器用に動かしている。


僕はそれを横目で見て、よく指がつらないなあと思いながら、はあっと盛大に溜息を吐いた。


その時、僕は傷つきながらもクリスマスというのは遠い異国の行事だと、再認識したのだった。


そしてそんな風にして、僕がクリスマスの雰囲気にあっぷあっぷと溺れかけていた時、渡りに舟というタイミングで事務所のチャイムが鳴った。


ドアを開けると、全身を洗練された黒い細身のコートに包んだ男性が立っている。


彼は黒い帽子を取ると、すっと一礼して名刺を渡してきた。


「どうぞ、」


僕が中へと促すと、そのまま玄関には入りはしたが、部屋の中へは入ってこない。


後手にバタンと扉を閉める。


その所作は英国の紳士のようで、その時点で僕はかなりの興味を引かれていた。


再度、中へと促す。


「どうぞ、お座りください」


けれど、紳士はぐるりと部屋を一瞥しただけで、その場から動こうとしない。


クリスマスカラーに染め上げられた部屋を見て、相談するのを躊躇しているのだろうか。


もし批判でもされたら、僕の飾り付けではなく女子高生がやった事です、狂ってますよねと、そう伝えたい。


そんな事を考えながら、名刺を見る。


大河内おおこうち 唯臣ただおみ


そう名前があるだけで、あとは電話番号と住所のみのシンプルな名刺であった。


目を離し、あの、と話し掛けようとした時、その紳士はずいっと一歩前へと進み出た。


「矢島様、私は大河内の秘書をしております加賀かがという者です。大河内から矢島様にご相談したい事がございまして、私が参りました。つきましては、屋敷に私とともに一緒にお越しください。そこで、ご相談させて頂きたいと思います」


「ご本人ではないのですね」


この問いには答えは無かった。


彼は表情も姿勢も崩さずに、そのまま立っている。


「夢に関するご相談でしょうか」


「それに関しては、屋敷にて大河内からお話ししたいと思います」


「はあ、そうですか」


そして、しばしの沈黙がある。


「え、もしかして今からですか?」


僕が驚いた顔で問う。


「はい、ご準備出来次第、ご案内致します」


落ち着いた話し方や雰囲気、そしてその見目からいくと、六十代くらいであるだろうと想像するが、その表情の中にはサービス精神の一つとして見当たらなかった。


世間が持つ「秘書」のイメージ通りの、加賀さんでもあると言える。


こんな急で強引なアポイントに、僕は不満の一つも言いたい気分であったが、ここ二週間ほど仕事の依頼も無い、いわゆるヒマな状態なのに、他の依頼者の予約があるのでとか、クリスマスの準備がなどと背伸びしてみても仕方がない。


「分かりました、少しお待ち頂けますか?」


僕は簡単に戸締りやガスなどを確認し、鞄を肩に掛けると、上着をざっくりと持って事務所を出た。


そして、これまたイメージ通りの黒塗りの高級車へと乗り込む。


加賀さんは、運転手に屋敷へ帰るように指示をすると、顔ごと窓の外へと向けてしまった。


無駄話は不要のようですね、心で寂しく呟くと、僕も反対側の窓から外を見た。


けれど、その景色を堪能することなく、取り敢えずは道順を覚えておこうと頭の中に地図を広げた。


✳︎✳︎✳︎


意外にも時間を使い、車は静かに町を抜けて郊外へと抜けていく。


屋敷と言うからには、ある程度大きな建物を想像してはいた。


けれど、車が人気のない門を通り過ぎて敷地らしき道を走り出すと、その一本道の先に屋敷が見えてきて、僕は驚愕してしまった。


「うっわあ、大きいお屋敷ですね」


さすがに声に出してしまい、それを機に加賀さんが少しだけこちらを見たのを確認すると、僕は興奮を抑えながら話し掛けた。


「門から家までがすっごく遠いですね。建物も外国の城みたいです。大河内さんはどんなお仕事をなさっているんですか?」


けれど、やはり応えは無い。


僕は再度、窓の外へ目を移した。


「家に牧場があるなんて、凄いの一言に尽きます」


木製の囲いをぐるっと見回すと、中には小ぢんまりとした池がありアヒルが身を寄せ合っている。


そこにポニーが二頭と、それを飼育するためのものだろう、簡素な小屋が二棟、建てられていた。


屋敷がようやく近づいてくると、それに合わせるようにして正面の入り口から数人の女性が出てきた。


皆一様に、同じエプロンをしている。


そして、車がそこへ横づけされると、ガチャとドアが開けられ、次々にお辞儀の嵐に遭った。


僕は恐縮しながら、そろりと車から降りた。


何という場違いな所へと来てしまったのだろうか。


そんな不安な気持ちが湧いてきて仕方がなかった。


僕は目の前にある屋敷を見上げた。


すると、二階の窓に男性の姿がある。


窓硝子を太陽の光が照らしてぼんやりとさせ、あまりはっきりとは見えないが、彼は僕を見ているようだった。


✳︎✳︎✳︎


廊下を進む。


会う人会う人、次々にその場で立ち止まりお辞儀をしていくという時代錯誤な空気の中、僕は高級な調度品が置かれている広々とした居間に通された。


ソファは硬く、そのビロードのような張り布は滑らかで、触り心地や座り心地は悪くないのだが、腰がどうも落ち着かない。


壁には、僕には理解不能な抽象的な絵画に加え、風景画、自画像のようなものなどが掛けてある。


家具もアンティークだったり、そうでなかったりして、そのインテリアには統一性の欠片も無かった。


けれど、何せ部屋が大き過ぎて、その相反する絵画やら家具やらが隣近所にならないためなのか、あまり違和感を感じないのが不思議でもある。


「こんなお宅もあるんですねえ。この部屋だけで、事務所の何倍くらいあるんでしょうか」


はあっと息を吐くと同時にノックがあり、ティーセットが運ばれる。


僕は、その給仕の方の動作をじっと観察していた。


物珍しさが先んだって、こんな風に不審者の如くじろじろと見てしまったわけだが、その時点で僕はかなり不躾な人物であっただろうと思う。


若い女性の給仕の方に、キッと睨まれる。


「お、お茶をありがとうございます」


慌てて、声を掛ける。


落ち着かない雰囲気の中、僕はキョロキョロと辺りに目を彷徨わせていた。


その給仕が出て行ってから数分後、この屋敷の主人が先ほどまで僕と一緒だった秘書の加賀さんを伴って、部屋へと入ってきた。


しかし、その威厳たる姿と言ったら。


僕は完全にその男性が放つオーラに圧倒されてしまった。


成るほどこの屋敷の主人には、これくらいの人物でなければ務まるまい。


「そのままで良い」


僕が半分浮かした腰を元に戻して座り直すと、彼は僕の向かい側にあるソファにどしっと腰掛けた。


その傍に、加賀さんがそっと立つ。


歳は五十過ぎであろうが、まだ若々しい性質が見え隠れする。


加賀さんよりも一回りほど若い印象だが、その醸し出される荒々しさと言ったら。


動物に例えろと言われれば、誰もが肉食の猛獣を想像するだろう。


けれどよく見ると、顔には皺が品良く横たわり、あまり苦労が無かったであろう人生の道程を刻んでいた。


目尻にある皺は、よく笑って過ごしてきた証拠。


きっと何もかもが、思い通りの人生であったに違いない。


しかし、その目には少しだけ濁りが見えたような気がして、僕にはそれが気になっていた。


「初めまして、矢島と申します」


それだけ聞くと、右手を上げて少し振ると、


「ああ、良い。君のことは調べて知っている。今日はご苦労だったね。ところで、話というのは……」


「はあ、」


僕の不服そうな顔を見て、直ぐに言った。


「勿論、金はどれだけでも払うよ。金額を言ってくれ。小切手で渡そう」


手の平を上へ向ける。


すると、加賀さんが直ぐに抱えていた鞄から小切手の束とペンを取り出して、その手に置いた。


「幾らかね?」


机の上で小切手を開けようとするのを遮るようにして、僕は言った。


「すみませんが、まだお話を伺っていませんので。内容によっては、お役に立てないかも知れませんので、先ずはそれを仕舞って頂けないでしょうか」


大河内さんは、小切手から顔を離して僕を見た。


ペンを机の上へ、ころっと転がすと、腕を組んで話し始めた。


「要は、宝探しのようなもんだ。大切にしている物を失くしてしまってな。どこを探しても見つからないんだ。それを見つけて欲しい」


僕は考え込んでしまった。


「申し訳ありませんが、僕を探偵か何かと間違えているようですね。僕にはお役に立てそうもありません。これで失礼します、お茶をご馳走様でした」


立ち上がり、踵を返すところで声が掛かる。


「待ちたまえ。君は夢に関する仕事をしているのではなかったかね?」


それを聞いて、僕は振り返って彼を見た。


「そうですが」


「では、座りたまえ。話を聞いて貰わないと、こちらも困る」


この威圧感。


丁寧な言葉とは裏腹に、有無を言わせない力。


表情も先ほどより、若干険しくなっていた。


僕は再度ソファに座ると、彼を見据えた。


「ふん、早とちりして話を中座するとは不躾にも程があるな」


僕は僕の中の堪忍袋の緒が切れそうになるのを、必死になって抑え込んだ。


きっと僕の顔も、この目の前の王様と同じく、眉間に皺を寄せて険しくなっているだろう。


「探して欲しい物は、鍵のついたこれくらいの飾り箱だ」


両手を胸の前に出して、その大きさを表現する。


それからいくと、大体二十センチ四方ほどであろうか。


「家中をひっくり返して探してみたが、見つからない。それで、私の夢に入って、箱の在り処を探して欲しいのだ」


「それは無理な話です」


「即答だな。金なら幾らでも払う」


「お金の問題ではありません」


「なら、私が気に入らなくて断るのか」


「違います。現実で見つからない物を夢の中で見つけるのは、砂漠に落ちた金貨を探すのに等しいからです」


「私の夢の中に、宝探しのヒントがあるかも知れないと思ったのだが」


「けれど、そのヒントすら、私が見ても気がつかずに素通りしてしまう可能性があります。ご本人がその夢の内容を見るなら、見つけられるかも知れませんが、僕にはそれが重要な物なのかの判断が出来ません。その飾り箱にまつわるお話をこと細かく詳しく伺い、大体の全体像を掴んでからなら多少可能性は出てきますが、そこまでしてもかなり低い確率ですのであまりお勧めは出来ません」


「飾り箱については、何も話せん」


「それでは尚のこと、お断りさせてください」


そして、僕は再度腰を上げた。


帰りは歩いて帰ることになるだろうと思っていたが、屋敷から出て門に向かう半分ほどの距離まで行くと、後ろから黒塗りの車が追い掛けてきた。


僕を少し追い抜いて、停まる。


運転手が窓を開けて、声を掛けてきた。


「矢島様、どうぞお乗りください。お送り致します」


「結構ですよ、歩いて帰ります」


「そんな無茶ですよ。車でも、結構な時間がかかりますから。乗って頂かないと、私が怒られます」


そう言いながら、運転席から降りて、後ろの席のドアを開ける。


後部座席には誰も居ない。


「ではお言葉に甘えますが、助手席に乗せてください。後ろに一人は寂しいので」


「あ、ちょっとそれは困ります」


ぐるりと一周し、勝手に助手席に乗り込む。


シートベルトを引っ張り出して金具にはめ込む頃には、運転手も渋々乗り込んできて、ハンドルを握った。


「変わった方ですね」


苦笑しているのが分かるような声。


車は滑らかに出発した。


「旦那様にも、食ってかかったそうで。何もお咎めはありませんでしたか?」


僕はまだ、大河内氏の不遜な態度に怒りを隠せずにいたけれど、この運転手には関係ないことだと思い直して、それに答える。


「別に何も。途中で席を立ってしまいましたからね。向こうも怒っているでしょうけど。けれど、僕は引けませんよ。ごり押しにもほどがあります」


「はあ、旦那様はそういう人ですから」


「無理難題を押しつけてくるのも、お得意のようですね。何にしてもお金を払えば良いと思っていらっしゃるようです」


言ってて僕は怒りがふつふつと再燃してくるのを感じていた。


クリスマスも間近だというのに、これ以上文句を言ったらバチが当たるぞ、そう思ってグッと堪える。


「はあ、気難しい人ですから」


これだけ僕が言っているにも関わらず、運転手は同調するだけでそれ以上の悪口の一つも寄越さない。


よっぽど、そのお咎めとやらが恐いのか、それとも初対面の客人に主人の悪口を言うのは憚れるという、この人の人柄なのか。


結局、僕はその日は上手に怒りを収めることに失敗し、荒々しく布団をめくってベッドに横になった。


ただ、あの居心地の悪い大きな部屋を出る時、お待ちくださいと、僕を追い掛けてきた加賀さんの悲しそうな目が浮かんできて、なかなか眠りに就くことは出来なかった。


✳︎✳︎✳︎


僕が不本意ながらも、あの無駄に大きな屋敷に連れていかれた日の翌日、事務所に再度、来訪者があった。


何となくの予感はしていたが、それが的中した形となったわけだ。


昨日と様子を同じようにして、玄関には加賀さんがすらりと立っていた。


いや、昨日より今朝は冷え込みが厳しくなり、加賀さんも寒そうにコートの襟を立て、目新しいマフラーをしている。


帽子を右手で取る。


「秘書ともなると、大変ですね」


僕は心からの深い溜息と共に、加賀さんに同情と労いを掛けた。


「これが仕事ですから」


「それでどのようなご用件でしょうか」


念のため、部屋の中へと促す。


すると、今度は前に進み出て、中へと入ってきた。


ソファを勧めると、コートを脱いで丁寧に裏側を表にして畳んでいる。


ほう、これはビジネスマナーの一つであるに違いない。


僕は一度たりとも社会人になったことがなく、世間一般のマナーには疎く、時々ずれてしまったりしていた。


メモさせて貰おうと、僕は手帳に「コートは裏向きに畳む」と記した。


ふと顔を上げると、加賀さんが手にしている黒の帽子が目に入った。


上品なフェルト生地の中折れ帽子。


若干の古さを感じはするが、手入れがされて大切にしているのが分かる。


加賀さんは自分の横にコートを置くと、お構いなくと言って、僕をも座らせた。


「昨日の今日で申し訳ないのですが、もう一度大河内の話を聞いて頂けませんでしょうか」


「その件については、昨日お断りしていますので」


「失礼があったのなら詫びたいと言っておりました」


「いえ、その点については……」


僕が口籠ると、おやという顔で加賀さんが僕を見た。


「こちらも大人げなかったなと思って、反省してます。僕、よく初対面の印象で応対してしまって、途中でその印象をなかなか変えられないんですよ。だから、終始あんな態度をしてしまって。大河内さんの僕の印象も悪いことでしょうね」


「いえ、あれは大河内にも非がありました。あんな風にして、金を振りかざしては良い気持ちもしませんよね。申し訳ございませんでした」


今日の加賀さんは、昨日の無口な加賀さんよりも饒舌な印象があった。


そして、そのままの印象で、彼は続けた。


「大河内の祖父が金については散々に細かく言う方で、その反動で息子、大河内の父親ですが、大変な道楽息子となってしまって。散財の果てに若くして亡くなっているのですが、大河内はその両方を見て育っているので、金に関しては相当シビアに考えるようになってしまいました。大河内の父親の、まあ言うなれば女性問題も金で解決してきた経緯も見ているので、金で解決出来ないことはないと思い込んでいるんでしょう。それで昨日のような態度に」


「そうなんですか」


僕はその時点ですでに心を動かされていた。


それは、大河内さんの態度があんなにもぞんざいであるにも関わらず、昨日の運転手も、そしてこの加賀さんからも、微塵も彼の悪口が聞こえてこないからだった。


(僕は思い違いをしていたのかも知れない)


昨晩、眠れない布団の中で大河内さんの第一印象を翻したのには、そういった訳があった。


そして、今日のこの加賀さんの話。


「失くされた飾り箱は母君から形見として貰ったものだと聞いております。大河内の祖父が今年に入って直ぐに亡くなられて、遺産を全て引き継がれてからは、大河内の父親の息子や娘を名乗る輩が次から次へと出てきてしまって。精神的にも参っておられます。矢島先生、どうかお力になっては頂けないでしょうか。ご本人は母君からの贈り物を失くすなんてと、かなりのショックを受けておいでです」


僕はその話を聞いて、少しの間考えてから慎重に言った。


「協力したいのはやまやまですが、やはり詳細をお聞きしなければ、探し出すのは難しいと思います。条件として、その飾り箱について詳しくお話しいただくこと。それが無理なら、どうかご容赦ください」


「分かりました」


そして、加賀さんは事務所を出て行った。


僕は実は昨晩の布団の中で、何か僕に出来るような方法が他に無いだろうかと模索した。


何度となく頭の中で考えを巡らせてもやはり、飾り箱にまつわる話を聞いて心に留めておいてから夢へと入り、そこから何かしらのヒントを得る方法しか無いという考えに辿り着く。


それ以外に僕の中では解決方法が無く、そしてそれはプライバシーに抵触することもよく分かっているつもりだった。


トントンと控え目なノックがして玄関のドアが開く。


僕がはっと顔を上げると、携帯を片手にした加賀さんが入ってきた。


「矢島先生、大河内を救って頂けますか」


僕は苦笑を浮かべると、直ぐに鞄を肩に掛け、部屋のスイッチを切った。


✳︎✳︎✳︎


「何度も足労を掛けてすまない」


加賀さんがどのようにこの堅物を懐柔したのかは分からないが、一度目の訪問よりも柔和な表情を浮かべているように、僕には見えた。


腹を据えたのだろうか、そう思えるような顔つき。


「いえ、昨日は大変失礼をしました。若輩者と笑ってお許し願えますか」


「ははは、こちらこそ大人げなかったな。私も同じくまだまだ若造だということだ」


仕方がないといったような表情を浮かべてから、椅子に座る。


僕に対してのその表情なのか、それとも自分に対してのそれなのか、分かるような分からないような、そんな曖昧な気持ちで僕も椅子に座った。


給仕の女性がお茶を置いて去るまで、その唇は堅く結ばれていた。


そして、女性が部屋から出て行くのを機に、加賀さんもドアへと歩いていった。


「君はここに居たまえ」


加賀さんが足を止めて振り返る。


その表情は暗く翳っていて、心の内は読めない。


大河内さんの傍に立つ。


「座ってくれ。話が長くなるかも知れん」


すぐ横の椅子を指す。


加賀さんはそこへ、遠慮がちに腰掛けた。


「飾り箱の話をしよう。先ずはどんな物かを簡単な絵に描いてみた。余り絵は上手くないが、大体こんな感じだ」


懐から一枚の紙を出してきて、腰を浮かせて僕に渡してくる。


僕はそれを同じ様にして、受け取った。


紙には箱の詳細が描かれている。


その情報のままであれば、とても美麗な飾り箱であろうことが知れた。


緑や赤の宝石、金縁のデザイン、全体にはえんじ色の布が張り巡らされている、とある。


実際には見たこともないけれど、これぞ真の宝箱と言えるようなそんな風に思った。


「その中身は、」


大河内さんは言い掛けて少しの躊躇を見せた。


少し伏せられた視線は、目の前のティーカップに注がれている。


いや、実際はそれを見ていないかのような遠い視線。


それはただ一点を見てはいるが、空を彷徨っては消えていく雲のように儚いものだった。


「唯臣様、」


加賀さんに声を掛けられて、ああ、と正気に戻る。


「すまない、ぼうっとしてしまった」


苦笑を織り交ぜながら、椅子に深く座り直す。


ティーカップを見ていたので、口にするのだろうかと思ったが、大河内さんはそれをする代わりに、そのままの姿勢で、ふうっと息を吐いた。


「何から話していいのかと思案していた」


「どのようなことからでも大丈夫です。時系列がバラバラでも構いません」


そして、僕は手帳を取り出すと、ペン先を押しつけて次の話を待った。


「そうだな、箱の中身を話す前に、先ずは私のことを話そう。私は私の父、大河内貞臣さだおみの実子ではない」


「唯臣様っ!」


加賀さんが立ち上がり、声を荒げた。


「良いんだ、加賀。まあ、座りなさい」


加賀さんは少しの間立ち尽くしていたが、再度大河内さんに座るように手で促されると、渋々腰を下ろした。


「正確には実子でないと思われる、だがな」


「証拠が無いということでしょうか」


「そうだ、そしてその証拠が飾り箱の中に入っているのだと思う。そんなようなことを、母は言い遺して亡くなった」


「この飾り箱に、」


僕は手元にある紙を再度、広げ見た。


「私の父は、私が子供の頃に亡くなっているのだが、まるで似た部分が無いのだ。祖父からも、息子の貞臣に似ても似つかぬと何度となく言われて、私は育った」


「けれど、」


見かけだけで判断は出来ないのでは、と僕が言い掛けたのを彼は手を上げて制し、そのまま話し続けた。


「母と父の間に恋愛の情が無いことぐらいは、年端のいかぬ子供でもその雰囲気を感じ取れるものなのだ。父は女性関係にだらしなかった。そんな父を母はいちいち許していたがな。だからお互いに、気持ちも離れてしまったのだろう。母は母で、時々物思いに耽っている様子を見れば、母にも好きな男がいるのではと想像に難くないのだ。そんなこともあって、私は父の実の子ではないだろうと、幼な心に分かっていた」


ティーカップに手を伸ばした。


大河内さんは、ようやく飾り箱の本質の部分を話せたと、ほっとしたような面持ちのようでもあった。


しかしそれとは対照的にとでも言うべきか、今度は加賀さんの表情が暗く翳っていく。


その瞳はまるで、川で魚がいきなり進路を変えた時、その尾ひれによって巻き上げられた泥で濁ってしまった、淀みのようなものであった。


「母は父が亡くなってからは……祖父の庇護の元、ひっそりと息を殺すようにして生きていた。けれど時々、ふとした時に愛情を取り戻すのだ。その時だけは、一人の女性の顔に戻っていたように思う」


少しの沈黙。


「想い人を想っている時の母の顔は、とても美しかった」


大河内さんが目を細めて言った。


「けれど、祖父の厳しい追及や叱責にも屈せずに、私を守ろうと必死になって耐え忍んできた。きっと、その想い人のことを心の拠り所としていたのだろうと思う」


はあっと盛大な溜息を吐く。


「私はその人の子ではないだろうかと思っている」


くしゃりと顔を歪ませて、一瞬情けないような顔を作る。


そうか、僕は大きな勘違いをしていたのだ。


顔に刻まれたその皺の上品さから、大河内さんがお金にも困らず何も苦労をせずに育ってきただろうと邪推したことを、僕は恥ずかしく思った。


きっと、心情を顔に表すことも出来ずに能面のように生きてきた結果の、その皺の表情であったのだろうか。


どんな人にも、その人の生き様がある。


僕はそれを初対面の時点で、軽んじてしまったのだ。


今更それを悔やんでも仕方がない。


僕は僕の出来る限りの仕事をして、この不義理を詫びなければならないと、そう強く思った。


「母は私を祖父の後継にしたく、墓までこの秘密を抱えたまま死んでいった。けれど私は、母の生前にその飾り箱を渡されたはずなのだ。それは覚えている。大事なものということで、棚にある隠し扉の中に入れておいたはずなのだが、そこに無いのだ。私にそれ以外の場所に仕舞ったという覚えがなくて、ほとほと困り果てている。祖父が亡くなるまで、絶対に開けないようにと言い含めて、母は死んだ。きっと遺産を相続してからなら、実子でないと分かっても大丈夫なのではないかと、そう思ったに違いない。私が大河内の家から追い出されないようにと、考えたのだと思う。きっとその飾り箱の中には、私が実子でないという何かしらの証拠が眠っているのだろうと、そういうことなのだ」


僕がメモをするのを途中で止めて、最初に書き出したその内容も、ペンで黒く塗り潰すのを見たからだろうか、大河内さんは今はそう暗くはない顔をしていた。


最初に腿の上で握られていた両手も途中で解かれ、今では肘掛に乗せられ収められている。


リラックスしている、そういう印象を受けた。


「軽蔑するか、そんなに財産が欲しかったのか、と」


僕に聞いたのか、加賀さんに聞いたのか、それとも本人自身に問われたのか、そんな自嘲が含まれる言葉が投げかけられる。


僕は苦笑するだけに留めた。


ここで何を言っても、その言葉に重みは無い。


それが批判だろうが甘言だろうが、そして俗に言う慰めであろうが、意味がないような気がして返答は控えた。


彼が、彼自身によって、それを選択したのだから。


「その飾り箱の存在を知る人は、他にはいらっしゃらないのですか?」


「ああ、内容は加賀にも今初めて、話をした。私と、母だけの秘密だ。鍵はほら、ここに、」


白いワイシャツの首の襟を掻き分けて、チェーンに付けられた鍵を出す。


思ったより小振りで、その大きさや貧弱な形から、飾り箱があまり頑丈な造りでないことが伺えた。


誰にも知られてはいけない、そんな大切な秘密をそのようなヤワな宝箱に仕舞うだろうか。


「他に実子だという方々が、名乗り出ているとお聞きしました」


「ああ、裁判沙汰になるかも知れない。今流行りのDNA鑑定というやつだ。実子だと分かった者には、それなりを渡そうとは思ってはいるが、どうなることやら、だ」


「では、もう二三質問をしても良いですか?」


「ああ、どうぞ」


僕の質問に素直に答えてくれている所を見ると、やはり箱の中身を暴露してもう何も隠す必要も無いからであろうか。


その顔には、一種の清々しささえ感じる。


「では、明日の夕方に」


夢へと入る約束をすると、僕は再度車で送って貰った。


助手席に乗り込んで、運転手と話す。


そしてやはり、その口からは、主人の悪口を聞くことは無かった。


✳︎✳︎✳︎


僕がこの時期、比較的手に入れやすい柊の、珍しくも花がついた枝葉を持って、大河内さんの屋敷に着いたのは、もう夜の始まりを告げる宵闇の時刻であった。


車での送迎なので、大して寒さに晒されずに済んだはずなのに、やはりこのクリスマスの時期は身震いするほどの寒さで、僕は今にも雪が降りそうなどんよりとした空を見上げながら、僕が吐く息の白さを実感していた。


そしてその見上げた屋敷の二階の窓には、ほんのりと明かりが灯されている。


それだけでもう、幻想的な風景だ。


「この屋敷が、僕の周りではクリスマスに一番近しい存在ですねえ。がちゃがちゃと飾り立てなくても、ちゃんとクリスマス風ですから、不思議です」


今事務所では、クリスマスカラーに彩られるばかりでなく、マキちゃんが身体中に巻きつけて持ってきた黄色の電飾が縦横無尽に張り巡らされて、ピカピカと光っている。


自分の事務所をこんな風に居心地悪くしたマキちゃんに文句を言いながらも、けれどクリスマスが終わればまた元の部屋へと戻して貰える、そんな日を夢見ながら、僕はここ数日を過ごしていた。


それも、秘密の宝箱を想いながら。


「探し当てることが……本当にそれが正解なのかどうか」


僕は呟くと、屋敷の玄関に続く階段をゆっくりと踏みしめた。


✳︎✳︎✳︎


柊の葉が、手触りの良さそうな毛布へと落ちる瞬間、大河内さんの目蓋が少しずつ塞がれていくのを見ながら、僕は飾り箱の形を思い出していた。


耳元へ囁く。


「お母様の形見の飾り箱を、どこに隠したのですか?」


そして、夢へと向かう。


いち、にい、さん、しい……


パチッ、パチッ、パチッ、何度も繰り返される音の羅列を無意識にも一つ一つカウントしていく。


僕は気がつくと、窓際に立っていた。


ここは二階の部屋であろうか、僕は外を見下ろしていた。


そこには、幼い子どもが縄跳びをしている姿。


縄が地面に当たる度に、何かが爆ぜるような音が響いた。


革製の細いサスペンダーに吊られた七分の裾のチェック柄のズボンに、真新しい白シャツ。


黒く重たそうな革の靴。


外遊びには不向きな洋服。


男の子がジャンプする。


その度に首元でチェーンに付けられた小さな鍵が踊り跳ねていた。


大河内さんの子供の頃か、そう思った瞬間、僕はこれが大河内さんの夢の中だとようやく悟った。


そして、じっと観察した。


男の子の傍らには、一人の女性が立っている。


ここからだと、男の子を見る彼女の後ろ姿を二階の窓から見下ろす格好となり、その表情は窺い知れない。


けれど、男の子がジャンプをしながら、ちらちらと彼女を見るその表情は、至福と笑顔に満ち溢れていた。


きっと彼女もまた、その顔に微笑みを浮かべているに違いない。


僕は、自分の居る部屋を見回してみた。


僕が通されたあの広々とした居間ではない、それよりは少し小ぢんまりとした部屋であった。


揃えられた家具に、そのセンスの良さが窺える。


そして、部屋の中央より窓側に置かれた丸テーブルの上を見て、僕はギョッとしてしまった。


例の飾り箱が置いてある。


大河内さんが書いてくれたイラストそのものの飾り箱が、そこにひっそりと存在していた。


そして。


僕の真正面に位置するドアが、突然開かれた。


驚きのあまり、僕は動けなかった。


夢の中では、本人は勿論のこと、その他の登場人物に接触しないよう、僕はいつも注意を払っていた。


それは接触することで、その夢の内容を大きく曲げてしまう恐れがあること、そして不測の事態に見舞われる恐れがあることなどの理由からだった。


接触する必要を感じた時でさえ、それを最小限に抑えてきた経緯がある。


ドアから入ってきた人物にすっかり見つかってしまい、僕は恐れ慄いてしまっていた。


僕が息を殺して立ち尽くしていると、そんな僕には一向に構わずにその人物はつかつかと部屋へと入ってきて、飾り箱を持ち上げて腕の中に抱えると、踵を返して部屋を出ていってしまった。


僕が少しだけ間をあけてから窓の外を見ると、そこにはもう、誰も居なかった。


地面には、男の子が回していた縄跳びが、蛇のようにグニャリと横たわって残されていた。


✳︎✳︎✳︎


翌日、僕は事務所の自分のベッドではなく、見知らぬ部屋の見知らぬベッドで眠りから覚めた。


ここは、大河内さんが僕のためにと用意してくれた数ある客室の中の一つであった。


夢の中で見た、小ぢんまりとした部屋とはまた違って、この部屋にはまた独特な雰囲気がある。


僕はその慣れない雰囲気の中、伸びをしたり盛大に欠伸をしたりして、少しずつ覚醒していった。


朝食を用意して貰えるということで、ダイニングルームに移動する。


そこで、大河内さん、加賀さんと一緒に食事を取った。


「さあ、どうだったかな? 何かヒントのようなものはあったのだろうか」


僕が首を横に振ると、大河内さんもふっと短い息を吐いて、首を横に振った。


「なかなか、そう上手くはいかないか」


「そう広くない部屋で、薄紫色の家具が揃えられている部屋は、どなたのものですか?」


すると、大河内さんの顔色がみるみる変化していった。


血の巡りがそうさせたのか、それとも表情筋がそうさせたのか、僕の問いはそういった大河内さんの核心部分をぐらぐらと揺らしてしまったようでもあった。


「私の、母の部屋だ」


予想が当たり、僕はもう一つ問うた。


「お母様の写真はありますか? 出来れば、父君とお祖父様のも見せてください」


そして、僕は三人の写真を前に、うーんと唸ってしまった。


「本当だ、失礼を承知で言わせていただけば、あまり似ていらっしゃらないですね。このお二方はそっくりですが」


父と祖父、親子二人を並べてみる。


その二人には、世間一般の親子に違わず、その血筋を感じることが出来た。


それが互いに、違う人生、違う性格、違う性質であったとしても。


「見かけは似てはいるが、仲は悪かった。父は女遊びや道楽が酷くてね。反対に祖父は煙草の一つでさえやらない堅物だった。そんな二人だから、分かり合えるはずがないのだろうね。母はその二人の間で、苦労していたのだと思う。男運がよっぽど無かったのだろうな」


ふっと笑った。


そして、この人もそんな両親の姿を見て、同様に苦労してきただろう。


僕は、少しの沈黙の後、再度夢に入る了解を取った。


昨晩、夢の中で飾り箱を持ち去った人を思い浮かべる。


それは確かに、この三世代の写真の中の人物だ。


その行為に何か理由があるのだろうか。


この大河内さんの中に、いや、この屋敷の中に、その理由があるのだろうか?


そして、僕は午前中に散歩に出ると、やはり後ろから車で追いかけてきてくれた運転手に礼を言って断りを入れ、そのままぶらぶらと歩いて、屋敷の門を出た。


✳︎✳︎✳︎


二日目に夢へと入る時にも同じように、柊の小枝を使った。


柊には「用心深さ」「保護」という意味がある。


その刺々しい葉が魔除けにも有効だということで、そういう意味があるのだろう。


僕にはもう少し、その夢の先を見る務めがあるような気がしてならなかった。


昨晩は僕のミスで、夢の中の人物に見つかってしまった。


大騒ぎにはならなかったが、その後やはり違和感を感じた大河内さんが無意識にそうしたのだろう、夢から直ぐにも追い出されてしまった。


それで、僕は用意された客室へとのこのこと引き下がって、自分の失態を後悔しながら眠りについたという経緯がある。


「今夜は慎重にならなければ」


心で思い、夢へと足を踏み入れる。


昨日の続きであればと願いつつ、僕はいつものようにカウントを始めた。


すると昨晩は縄跳びの音であったのに、今度は違った音が聞こえてくる。


地面を足で踏みつけるような音。


カウントするのを止め、夢へと入ったことを確認すると、昨晩と同じようにして窓から見下ろしてみた。


すると、片足で飛び跳ねる男の子。


二度跳んで、三度目には両足をパッと広げて着地した。


ケンケンパ、と僕が小さい頃は呼んでいた遊びだ。


薄っすらと地面にマス目が描いてある。


その靴底が地面をジャリジャリと言わせている。


そして、傍らにはやはり母親の姿。


今度はその顔を認めることが出来た。


柔和な表情、溢れんばかりの愛情。


何という眼だ。


母というものは皆、我が子をこのような眼で見つめるのか。


僕は身も震えるほどの感動を覚えた。


けれど、今日はその感動に身を任せていてはいけない。


僕は直ぐにも長椅子の後ろへと、身を隠した。


「同じ轍は二度と踏みませんよ」


呟いてから、丸テーブルの上に飾り箱が置いてあることを確認した。


ドアが開いた。


人が入ってくる。


飾り箱を持ち出す。


ここまでは昨日と同じ。


僕は、その後をそっと追った。


いつの間にか、あの僕が最初に通された大広間へと移動していた。


その人は抱えていた飾り箱を、テーブルの上へと置いた。


そして、部屋から出て行った。


僕がそのまま長椅子の後ろに身を隠していると、また直ぐにドアが開いて人が入ってくる気配がした。


そっと覗き見る。


そして、先ほどとはまるで装いの違う人物が、その飾り箱を取り上げると、脇に抱え込んで部屋を出て行こうとする。


僕は後をついていった。


不思議なことに飾り箱は、最初に持ち出された部屋へと戻っていった。


薄紫色の家具に囲まれた、今は亡き母君の部屋へと。


僕はそこで夢の終わりを悟ると、覚醒する準備に入った。


そして夢から出ると、大河内さんが眠りに就ている場から静かに離れて客室に戻り、また寝慣れていないベッドで、寝返りを何度も打ちながら、浅い眠りへと入っていった。


✳︎✳︎✳︎


「飾り箱のことは、ご本人とお母様、後は加賀さんしかご存知ないと仰っていましたね」


「ああ、そのはずだが」


「大河内さんがまだお若い頃、お祖父様とお母様が喧嘩をなさって、その飾り箱の取り合いになったことはありませんか?」


「え、」


大河内さんは、んん、と唸りながら考え込んだ。


そして、思い出したように言った。


「そういえば、ひどい怒鳴り合いを聞いたことがある。私が高校生の頃だ。飾り箱本体は見ていないが、それはそれはひどい叫び声だった。どこに隠したんだと、祖父が怒鳴り散らしていた。その時は分からなかったが、あれはその飾り箱のことだったのだろうか」


「夢の中で、母君の部屋から飾り箱を持ち出したのは、お祖父様でした。そして、それを取り返すようにして、お母様が再度ご自分の部屋へと」


「だが、母の部屋もくまなく探してみたが無かったぞ」


「はい、それで何処かへと持ち出したのではないかと思いました」


「では、私が失くしたのでは無く……」


「お母様によって、隠されたのでは無いでしょうか。けれど、この屋敷はお祖父様が把握していらっしゃるでしょう。屋敷の中では見つかってしまう可能性があります。お母様が懇意にしているご友人か知人の方はいらっしゃいませんか?」


彼は心当たりがあったようで、直ぐにさっと立ち上がると、加賀さんに携帯を持って来させた。


そして、何処かへと電話し一言二言話をすると、受話ボタンを切って、僕の方にゆっくりと振り返って言った。


「……あった、見つかった」


「そうですか、良かったですね」


僕はにこりと笑って言った。


✳︎✳︎✳︎


クリスマスが近づき、マキちゃんと京子さん主催のイベントを終えてから、クリスマスまでは飾っておいてと言い含められていた電飾を、マキちゃんごめんっと心で言いながら、はずしてぐるぐる巻きにして仕舞っている最中、事務所の黒電話がリリンと鳴った。


その電話とそれから一時間後の加賀さんの登場で、僕は再度大河内さんの大きな屋敷へと招かれた。


ここのところ暇ではあれど事前に電話でアポイントを取ってくれたことに感謝をしつつ、僕は大広間で出された洋菓子などをほうばりながら、大河内さんを待った。


「矢島さん、その節はお世話になったね」


そう言いながら部屋へと入ってきた彼の側には、いつものように加賀さんが付き添っていた。


「実は飾り箱の中をまだ見てはいないんだ。是非とも君と一緒に、開けたいと思ったもんだから」


何だか角が取れて丸くなったような印象を受ける。


と言うよりは、誰にも見せられない重要な懸案が手元に戻ったことに、心底ほっとしている部分もあるからだろう。


「結局は母が、懇意にしていた質屋の主人に預けていたんだよ。母の実家は旧家の名門だったが、次第に財産を減らしてしまって、よくその質屋に家財を入れていたらしい。それで、その飾り箱を絶対に売らないという条件で預かって貰い、祖父が亡くなってから自分か息子に渡して欲しいと言い含めたのだそうだ。祖父が死ぬ前に、母自身が死んでしまったから、そこら辺がうやむやになってしまったらしい。それでも息子に渡せば良いと思い、今まで預かっていたということだった」


「お祖父様が亡くなられたことは知らなかったのですか?」


「いや、知っていたが、飾り箱自体のことを忘れていたらしい。そのご主人もかなりの高齢でな。金庫に入れっぱなしだったそうだ。危ないところだった」


苦く笑う。


「そんな母の実家の借金を……私の父が肩代わりしたそうだ」


大河内さんはその質屋の主人から聞いたという話をし始めた。


僕の空になったティーカップに、ポットを取って注ごうとしてくれる。


すみません、と僕は恐縮し、そして僕と大河内さんの間に座っていた加賀さんも腰を浮かせた。


それを手で制して、加賀さんのカップに注いでから、最後に自分のカップに入れた。


「母との結婚が条件ではあったが、自分の財産で全て支払ったそうだ。当然、祖父は反対だったがな。よく母が、祖父にこの貧乏人がと、罵られていたのも頷けたよ。子供心にどうして母が貧乏人と言われるのか、分からなかったんだ」


そして、一通りお茶を飲んでしまうと、飾り箱をテーブルの上へと置いた。


「僕なんかが見ても大丈夫ですか?」


「君が見つけたんだろう。権利はある」


ははっと笑って、首元から鍵を引っ張り出す。


「それに何もかも話したんだから、もう隠すこともないよ。君は口の堅い男だしな」


何を見ての評価なのかは置いておいて、では拝見します、とだけ答えて、飾り箱に見入った。


鍵を回すと、カチャリと軽快な音がして、蓋が開いた。


一瞬、加賀さんの身体が揺れたような気がした。


「え、と。紙、だけ?」


僕の惚けたような声が響く。


大河内さんが、一枚の紙を中から引っ張り出し、開ける。


薄っすらと裏側に写っていた文字は、達筆と言うよりも、その漢字の一字一字が丁寧に書かれた、まるで一枚の文様のような手紙であった。


美しい、一つの完成された美術品。


そしてそれを大河内さんは、普段は通る声だが、それを少し抑えたようにして言葉にしていった。


『唯臣、元気にしていますか。これを開けた時にはもう、お祖父様はお亡くなりになっておいでですね。これは私の遺書代わりです。よく読んで、心に留めておいてください。先ず話したい事は、あなたの出自についてです……』


一息の沈黙があった。僕は目を瞑った。すると途端に耳へと神経に関わる何かが、するすると集まっていくようであった。


あなたは父親には似ませんでしたが、間違いなく父、貞臣の子供です。お調べになってくださっても構いませんよ。没落した家の行き遅れの娘を、何の見返りも無くお嫁に迎えてくれた貞臣さんを、私は深く敬愛していました。あんな夫婦関係ではあったけれど、初めは彼も私を愛してくれていたと、信じています。けれどいつからか、心は擦れ違ってしまい、そのことをとても悲しく残念に思っていました。世間体を気にし、外側からの偏った見方しかできないお祖父様は、何度あなたのことを正真正銘の貞臣さんの子供ですと説明しても、納得できないようでした。ついに私は、本当に一度だけですが、声を荒げて言ったことがあります。お調べくださって結構ですと。それで、多少気が収まったのか、それ以降は特に何も言ってこなくなりました。その後はあなたも知っての通り、お祖父様は事業にのめり込んでいったので、私達に構う余裕も無くなったのかも知れませんね。だから、あなたには大河内家を継ぐ正当な資格があります。ですから、あなたは何も心配せず、後継者としてこの家の家長を立派に務めてください。それが私の願いです。


大河内さんが深い溜息を吐いた。


「私は大きな勘違いをしていたのだな。自分の馬鹿さ加減に、笑えてくるよ」


「仕方のない思い違いだと思います。そう思わせられるような、環境だったのですから」


くすと笑って、手紙を持ち直す。


そして、咳払いを一つすると、先を続けた。


この飾り箱についてですが、一つ言っておきたいことがあります。これは私がお渡ししたクリスマスプレゼントのお返しにと、或る方に頂いたものです。私の荒んだ心の支えとなってくれた一つです。大切にしてきました。図らずも、私が自分が思い描いた幸せな人生には程遠く辛い思いをしていた頃、私を慰めて寄り添ってくれた方です。一度だけ、お祖父様にこの飾り箱を取り上げられたことがありました。私があまりに大切にするので、お祖父様はこの箱の中に私の浮気の証拠でも入っているのだと勘違いをしていたようです。その時にはまだ、この手紙を入れてはいませんでしたので、大事には致りませんでしたが。そして、この手紙を書き上げ、飾り箱に入れてあなたに託しましたが、また取り上げられるのではと心配になったので、信用のおける方に預けることにしました。勝手にしましたので、あなたには大変心配を掛けたのではないかと思いますが、あなたの手元に無事に届けられることを信じています。この飾り箱を私だと思って、どうか大切にしてください。私の結婚生活は不十分なものでありましたが、唯臣が居てくれて、本当に幸せでした。あなたが貞臣さんと私の息子で良かったと、心から思います。あなたもどうか、愛しい人を手離さないように。身体に気をつけて、お元気で。


最後の方は弱々しく、声が震えていた。


そして、 隣で座って聞いていた加賀さんも、静かに涙を流していた。


これまでにその頑なな表情を崩さないでいた二人の顔の、くしゃりと歪ませて涙を流している姿を見て、僕は静かに席を立った。


玄関から出ると、自分の吐いた白い息がふわっと顔にかかる。


雪でも降りそうな分厚い雲に押されて、いつもよりは低い空を見渡すと、僕は門へと向かって歩き出した。


そして、いつものように後ろから、そろそろと車が近づいてくるのを、何となく嬉しく思った。


✳︎✳︎✳︎


クリスマスも終わり、事務所の部屋も元通りになり、僕がやっと落ち着ける場所を取り戻した頃、京子さんが松やら竹やら鏡餅やらを持ってきて、さて次はお正月飾りですよと言って僕を恐怖に陥れた次の日、驚くことに大河内さんご本人が僕の元を訪ねてきてくれた。


それはもちろん、依頼料の支払いではあったけれど、加賀さんが来るものとばかり思っていたので、少し面食らってしまった。


そんな僕の驚きの顔を見て、ふと笑って言う。


「何だ、そんなにおかしいことか?」


僕は苦笑を浮かべながら、部屋の中へと案内した。


大河内さんのお屋敷に比べると、いや比べられないほどの狭さではあるが、ソファを勧めると、彼はコートを脱いで軽く畳んで座った。


やはり裏返しだ、よし。


僕が覚束ない手元とその手際の悪さでお茶を淹れて勧めると、彼はまずまず美味しそうに飲んでくれた。


「何だこのマドレーヌは。絶品じゃないか。どこの洋菓子店のものだ?」


僕が京子さんが作った洋菓子は、天下一品ですと褒めちぎると、その女性を紹介しろと言う。


「ちょっと待ってください。片や自由業のふらふらとした男で、片や大金持ちのイケメン紳士では、無論のこと僕の方が分が悪いですから、紹介はちょっと。心の狭い男だと思っていただいても構いませんよ」


僕がむうっとした顔で敗北感丸出しで言うと、大河内さんはあははと大笑いして言った。


「失くし物を夢から探し出すという難題をあっさりと解決してしまったから、これは凄い男がいるもんだと思っていたが、君もただの男だということだなあ」


「まあ、そういうことですね」


「好きなんだね」


「はい、」


「では、大切にしなければいけないな」


「そうですね」


「母が貰ったというあの飾り箱、加賀がやったのではないかと思っている」


突然の方向転換に、僕は真っ直ぐに彼を見た。


そして、彼もまた、僕を真っ直ぐな目で見つめていた。


「確かめたのですか」


「そんな無粋なことはしないよ」


そして、にっこりと笑った。


僕はその答えに満足していた。


ようやくこの人は、数あるしがらみの中から、解放されたのだ。


加賀さんの、あの涙。


あの涙のひと粒に、深い何かが隠れているのかも知れない。


けれど今度はそれを探さないでいてくれる、大河内さんの優しさに僕は心を打たれた。


「先日、君の名義の口座に礼を振り込んでおいた。君の提示額とは大幅に違ってはいるが、気にせず貰っておいてくれ。私の気持ちなんだ。返してきても、受け取らないからね」


大河内さんは、悪戯っ子のような笑みを浮かべて、帰っていった。


✳︎✳︎✳︎


「いやあ、あの時は今にも増して、私も頑固者だったからなあ。これでも丸くなったんだよ」


「そうですか、そんなこと言って、僕はあの時の恐怖をまだ忘れていませんよ。本当にこれ、笑い話じゃないですけど、僕はATMの前で腰が抜けちゃったんですからね」


大河内さんの探し物を見つけてから、丸一年が経とうとしていたこの日、僕は久しぶりに大河内さんの訪問を受けていた。


思い出話をしながら、僕達は大河内さんが絶品と評した、京子さんがクリスマス用に作ってくれたシュトーレンを食していた。


一年前、依頼料を振り込んだと言うので、銀行に確認しにいって、記帳した時の僕の驚きと言ったら。


そこには一生のうち、あまりお目にかかれない破格の金額が記されていた。


最初は桁がずれて印字されたのかと思った。


けれど、ゼロの数を数えていくうちに、僕は震え始めた足に力を入れることが出来なくなったのだ。


直ぐにも大河内さんに会いに行き、絶対に返します、返されたって何が何でも受け取らないぞ、の押し問答の末、僕の方が折れて受け取るはめとなったのだが。


「そうは言っても、税金でかなりもってかれただろう。手取りはそんなに無かったはずだよ。でもね、あの時君に、これは脅迫レベルの犯罪ですよ、と言われた時には笑っちゃったけどね」


「はあ、僕もやはり仕事に見合った金額をいただかないと、気持ちが収まらないんですよ」


「それならばその金額でも安いくらいだよ。あの後、君は私が見た夢の内容を事細かに説明してくれただろう。母のことは、一度も夢を見たことが無かった、というか覚えてなかっただけなんだが。けれど君があの時、教えてくれたね。私がどれだけ母と幸せに生きてきたのかを。それだけでもう十分だった。ただ単に、あの飾り箱を見つけるだけでなく、君は私にとって大切な想いも見つけてくれたんだ」


「僕はただ見たままをお話ししたのであって」


頭に手を遣りながら、僕は俯いた。


「君にしか出来ない仕事だ」


その力強い声に、僕は僕の中でそれが自分への自信に繋がっていくことを感じていた。


褒められて、素直に喜ぶ子供のように。


「それで、今日来たのは他でもない、ただのお喋りなんだが」


京子さんが淹れてくれたコーヒーを啜りながら、大河内さんは話を続けた。


「あの例の、DNA鑑定の件だが。三人ほど後継者が名乗り出ていただろう、あれ、皆んな偽物だったぞ」


「そうなんですか、それは良かったですね。では、大河内さんだけが正統な跡継ぎというわけですね」


「今のところ、そのようだ。それで思ったんだ。父は女性関係においてはだらしなかったと思い込んでいたが、実はそうではなかったのかも知れない、と」


「ご両親は、お互いにす擦れ違っていただけで、実はずっと想い合っていたのかも知れませんね。強い愛情が無ければ、大金を出して借金を肩代わりするなど、到底出来ませんから」


「そうだな」


そして、黙り込んでしまった。


けれど、僕もそれで良かった。


何故なら、一年前にここへ足を運んでくれた加賀さんのことを思い出していたからだ。


大河内さんの母君は、自分があげたクリスマスプレゼントのお礼に飾り箱を貰ったと、手紙にはそのように記していた。


大河内さんはその飾り箱は、加賀さんから母君へ贈ったものではないかと推測していた。


そして僕には、その贈られたプレゼントは、加賀さんのあの帽子であるような気がしてならなかった。


あの時、加賀さんが二度目にこの事務所に来て中へと入ってくれた時、加賀さんはコートを裏返して、自分が座るソファの横へと鞄と一緒に置いた。


けれど帽子だけは、自分の膝の上に乗せていた。


一度も、手離さなかった。


両手で包み込むように、大切そうに抱えて。


少し流行からは外れてしまっているだろう古いデザインであるけれど、それはとても丁寧に手入れがされていたように見えた。


見当違いだろうか、それも今となっては分からない。


あの加賀さんが、大切に心に仕舞っておきたい思い出をベラベラと喋る人でないことを、大河内さんも僕も知っている。


「それより、君は京子さんとはうまくいっているのかね」


思いも寄らぬ言葉に僕が慌てふためきながら、キッチンの主には聞こえないよう小さな声で諌める。


「うわ、ちょっと、大河内さん! キッチンに居るんですから!」


大河内さんは悪戯顏で笑ってから、口を手で押さえる。


「止めてくださいよ、本当に。心臓が口から飛び出すところでした。大河内さんには本当にしてやられますよ」


そして、彼は嬉しそうに言った。


「なあ矢島さん、実は私にも大切な人が出来たんだ。今までは父の影響で恋愛や結婚などは一生しないと思っていた。けれど、母の手紙を読んで、考えが変わったよ。そこで思い切って、前から気になっていた女性に声を掛けてみたんだ」


「それは、良かったです。良縁に恵まれたようですね」


「今度、紹介するよ。私は別に、君にでも誰にでも紹介できる、心の広い男だからな」


ふっと僕が吹き出すのを見て、大河内さんは楽しそうにお茶を飲んだ。


そして僕も、もう直ぐやってくるクリスマスに、今年もまた穏やかに過ごせそうだ、そう思いながらお茶を啜った。

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