第83話『恨む理由』
「……澄んだ空だな」
缶コーヒーを片手に見上げる秋空。
乾いた空気が地味に肌冷たく、ホットにしておいたコーヒーの缶からのあたたかさは身体の中からじんわりと伝わってきた。
周りに人の姿はなく、風に揺らされた木々のざわめきがやたら大きく聞こえる。
サァーと吹き抜ける風に哀愁のような寂しさを感じた俺は気を紛らわせるために手元のコーヒーをグッと煽るようにして飲み干した。
俺が今いる場所はすっかり秋の色に染まっている御桜丘。
本来ならば文化祭の準備のために学校に行かなければならないのだが、どうにも行く気になれなかったのだ。
「後で雪原たちにどやされるのは覚悟しておくか……」
無連絡でサボるのは心配をかけるからと送ったグルメ(グループメール)はたった三文字『サボる』。理由を書こうにも、突発的にサボりたくなったのが原因だからなんて書いたもんか分かったもんじゃない。
みんなからのメッセージが10件以上溜まっているが、すべて未読無視してる状況だ。あとで適当に言い訳をしておくことにしよう。
御桜丘から見える白くて大きい建物――桜見丘高等学校だ。みんな今頃あそこで準備を頑張っていると思うと罪悪感が無いわけではない。
身勝手だが、サボってることに多少の引け目は感じている。
「あ……」
コーヒーを飲もうとして、缶の軽さに俺は軽く舌打ちをする。
「ほんと……何してるんだ俺は。こんなところで油売ってる場合じゃないだろ……」
パキッと手元の空き缶が鳴る。
無意識のうちに力を入れていたらしく、スチール缶の表面が少しだけ凹んでいた。これがアルミ缶だったら今頃原型を留めていなかっただろう。
「俺が今やるべき事はなんなんだ? 考えなきゃいけない事はなんだ?」
自分に自分で問いかける。
まず頭に浮かんだのは恋歌の事だった。
あの日の約束の事、恋歌自身の事。そして俺との接点。あまりにも分からないことが多すぎる。
「……」
次に浮かんだのは雪原と反町だった。
それは多分、俺が今一番気にかけていること。
あの二人には街頭も月明かりも無い道のような底知れない怖さがある。
道に足を踏み入れれば広がるのは闇だけ。先は見えず、肌にまとわりつくような恐怖だけが身を支配する。
二人の笑顔という仮面の裏にはどんな本性が隠されているのか想像もつかない。
心が氷のように冷たく、獣のような凶暴性。自分の目的の為ならば人を殺すことさえも躊躇しない。
巧妙に隠されているそれは今回の一件でごま粒のように小さい穴が空いた。どんなに強靭な刃でも傷一つ付いてしまえばそこから崩壊を迎える。
だから今回出来てしまった穴は少しずつ、でも確実に広がっていき、やがて決壊する。
ダムが決壊すれば中の水が無くなるまで止まることがないのと同じように、漏れ出した本性はそれが落ち着くまで被害を出し続けるのだ。
雪原と反町の場合、漏れ出した本性が周りにどれだけの被害を与えるのか想像出来ない。
普通の人間がキレて周りに迷惑をかけるのとは訳が違う。きっと誰にも止めることはできない。もし止められるのだとすればそれはお互いだけ。
「俺が一番気にしているのは……あいつらなんだな」
恋歌の事だって気になる。
でも今一番気にしなければならないのは確実にあの二人だ。
「――っていうのは分かっているんだが……俺はあいつらのことを何も知らないからな」
だから結菜に頼んで調べてもらっているわけだが。知らない事には何も始まらない。
ルールの知らないスポーツに参加するようなもので、何も知らなければ何をどうしたらいいのか分からないし、痛い目を見ることになる。
「そうならない為にも今は結菜の連絡待つしかないんだな」
広がる秋空に背を向け、空になった缶をゴミ箱に投げ捨てる。
これ以上ここにいても何も始まらない。俺は御桜丘を後にした。
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今更学校に行く気にもなれず、かと言って家に帰る気にもなれず、何気なく寄った結菜の家は空っぽでと行き場のなくした俺は駅前の方までやってきていた。
制服姿で来たのは失敗かと思ったが、今日は文化祭の買い出しに来ている生徒がちらほらいるおかげでそこまで目立ってはいない。
「昼飯でも適当に食って帰るか……」
昼過ぎということもあって俺の腹は空腹を訴えていた。
何を食べるか歩きながら考えていると、ふと視界に何処かで見たことのある容姿の少女が映った。
「……ッ」
それが誰だか分かった瞬間、ほぼ反射的に振り返った。
人混みに紛れる前に見えた顔。そしてあの制服。
間違いない。あの子は昨日雪原と言い争っていた少女だ。
「……何処に行くんだ?」
一瞬、学校に乗り込んで雪原と反町に復讐でもするなんていう不謹慎な想像をしたが、向かってる方向は学校とは正反対だった。
「……3、4、5……6。6人。追ってみるか」
少女らが何処に向かっているのかというより、少女らの正体が俺は気になっていた。
あの子らを追えば雪原や反町の事が分かるのではないだろうか。
「……」
スマホで写真を撮影して結菜にメッセージを飛ばしておく。
返事はきっとすぐに返ってこないだろうが、スマホは握りしめたままにして人混みに紛れながら尾行を開始した。
「……」
人通りの多い駅前を抜けると脇道に逸れた。
こっち側はあまり行ったことが無いから何処に向かおうとしているのか見当もつかない。それに脇道に逸れた途端、人が一気にいなくなった。
より一層注意して追う必要があり、俺は全神経を目の前の少女たちに集中させる。気配で相手の位置を把握するなんていう雪原のように化け物じみた芸当はできないだろうが、それでも十分には距離は取っておく。
「あいつらの制服……見たことないな」
櫻美崎には高校は桜見丘高等学校しかない。
中学の制服では無いことは確かだから何処か違う街の学校の制服という事になる。
「平日に堂々と学校をサボるとは……なかなかいい度胸してるな。それよりも……」
それよりも気になったのは昨日雪原と言い争いをしたいた少女以外のメンツが包帯やら絆創膏やらと見るからに痛々しい傷を負っているところだった。
『初対面……? ふざけた事抜かしてんじゃねーよ雪原……!! てめぇさっき私の仲間をボコした自覚あんのか!! この……悪魔め……ッ!!』
怒りのこもった少女の絶叫が蘇る。
「まさか……そうなのか?」
昨日ショピングモールであった喧嘩騒動は雪原と反町によるもので、前に歩いている少女らは二人に怪我を負わされた。
そう考えれば何もかも筋が通る。
「となると……これからするのはやっぱり雪原たちに復讐する為の作戦会議ってところか。あの子もあれだけ脅されて怖がっていたくせに。喉元過ぎれば熱さを忘れるってか?」
少女らは曲がり角を曲がった。
起動していた地図アプリと彼女らが向かってる方向を照らし合わせると、行先には工場が一つあった。
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「――こんなところに工場なんてあったんだな……」
マップが示していた通り、そこには工場が建っていた。
工場と言っても規模は小さく、もう動いてはいないようだった。錆び付いたシャッターは赤黒く変色し、ところどころ腐って穴の空いているところもある。草はぼうぼうに生えているし、誰かが持ち込んだ粗大ゴミの山が出来上がっている。
「前にみんなで肝試しに行ったあの場所もそうだが……櫻美崎にはこういうところが多いのか?」
と。考えるのは後でもできる。
今は彼女たちの動向を探るべきだ。
手慣れた手つきでシャッターを開けた少女らは今、工場の中に置いてあるドラム缶の上に座って話をしている。
「……?」
何だろうか。
今見ているこの光景に違和感があり、それに早く気づかないと取り返しのつかない事になるような気がした。
そんな時だった。
「!?」
タイミングよくメッセージを受信したスマホが手元で震え、危うく取り落としそうになってしまった。
メッセージの送り主はもちろん結菜だった。ため息を吐きながらアプリを開く。
そこに違和感の正体があった。
「やばい……ッ」
このメッセージアプリはチャットに似ている。会話をしていけば一件一件しか確認できないダイレクトメールとは違い、自分の送った文も、相手の送った文も、ひと目で分かる。
そしてつい先程俺が結菜に送った写真。そこには6人写っているのに、今工場の中にいるのは5人だった。1人足りない。
今すぐこの場を離れろと頭が激しい警鐘を鳴らす。だがその時には既に事態は最悪の方向に傾いていた。
「――お前、こんなところで何している」
怒気の含まれた声に振り返ると、予想通り、姿が見えなかった少女が仁王立ちしていた。
蛇に睨まれた蛙――。
俺はその場から一歩も動けなくなっていた。
どうする? どうすればいい? この状況を打破するための最善の策はなんだ……!?
「こっちに来い」
手を引っ張られる。
女子とは思えないほどの力に戸惑い、抵抗するタイミングがワンテンポ遅れた。そのせいでガッチリと腕をホールドされてしまい身動きが取れなくなる。
「……手馴れてるんだな」
「そういうお前はこういう事にまったく慣れてないみたいだな。普通の人間だ」
「それは褒め言葉か?」
「私らとは違うって意味だ。褒めても貶してもいない」
会話はそこで途絶え、俺は工場の中に連れ込まれていく。
そこでようやく俺の存在に気づいた少女たちは、俺を引っ張っている少女に説明を求める。
「ふーん……というか……あんたどっかで見たことあると思ったら昨日雪原と一緒にいたやつでしょ」
気づかれたか……。
雪原と反町にしか敵意が向いていなかったから覚えてないという可能性を期待していたのだが……。
「お前らは雪原と反町。この二人とどういう関係なんだ?」
「どういう関係……ね。良く言えば同級生。悪く言えば殺したいほど憎んでいる相手」
「殺したいほどか」
「殺したいほどよ。昨日の私を見てるあんたなら分かるでしょ?」
「まぁ……そうだな」
「こいつらも昨日雪原と反町にこうされたんだ」
「……」
予想がことごとく当たる。
少女は悔しそうに唇を噛んでいた。
滲み出た血を舌で舐め取ると、少女は仲間に俺の手を離すようにと声をかける。
「尾行してきた相手をそんな簡単に自由にしてもいいのか? いきなり暴れ出すかもしれないぞ?」
「あんたはそんな事しない」
断言されてしまった。
「それに私らは雪原に恨みがあるだけであんたには何一つ恨みなんてない。だから私から危害を加えるつもりはない」
「そうか」
「危害を加えるつもりはないけど、雪原たちをおびき出す為の餌になってもらう」
「……それは構わないんだが、代わりに一つ教えてくれないか?」
「私らがどうしてこんなにも雪原を恨んでいるかってこと?」
「そうだ」
話がスムーズに進む。
雪原に捻じ曲がった感情を抱いているが、根がしっかりとしてないとここまで会話はスムーズに進まない。
「私らは全員、雪原と反町の同級生だ。そしてあの二人に人生を狂わされた」
少女は語り出す。
「人生を狂わされたとは言っても、悪いのは私たちなんだ。だからある意味では自業自得と言える。多分あんたはそう思うだろうから予め言っておく」
「……わかった」
俺が頷くのを確認すると少女はそのまま話を始める。
「あいつの中学の頃のあだ名は聞いたことあるか?」
「いや……知らないな」
「悪魔――雪原はそう言われていた。そして反町のほうは鬼。バカバカしいあだ名に思えるかもしれないが、あの二人はまさしく悪魔と鬼だったんだよ。私は雪原のせいで暗所恐怖症になった」
「暗所恐怖症――暗闇がダメってことなのか」
「正確には暗くて狭い場所がダメなんだ。雪原に閉じ込められて以来な」
「閉じ込められた……?」
訊ね返して気づく。
少女は震えていた。自身の体を抱きしめるように腕を回し、震える体を落ち着かせる。
「棺桶……分かるよな? あの中に閉じ込められたんだ。何時間も、何十時間も……」
「なっ……」
俺は衝撃のあまり言葉を失った。
「ご丁寧に酸欠にならないように小さな穴は開けられていた。けれどそんな小さな穴なんかじゃ苦しくて苦しくて苦しくて苦しくてたまらなかった……!! いくら叫んでもあいつは助けてくれない。叫んだら中の酸素が失われるのは分かりきっていた……。けど!! 極限状態に陥った私にそんな事考える余裕はなかった……!! 叫んで叫んで叫んで!! けど返ってくるのは笑い声だった。今にも死にそうになってもがいてる私の叫びを聞いてあいつは狂ったように笑っていたんだ……!!」
髪の毛を千切れそうなほど強い力で握っていて、目は充血してるように血走っている。口調もだんだんとボリュームを上げていき、工場内は少女の声が乱反射して響いていた。
「私は大好きだった先輩があいつらに潰されて……それが許せなくて!! それで少し痛い目を見させてやろうと思って……。一言ごめんなさいって謝罪の言葉が聞ければそれで良かったんだ……。けれど雪原は謝罪どころかなんて言ったと思う? 『私のせいじゃない』。たったそれだけ。それからはさっき話した通りよ」
話し終えて落ち着いたのか身体の力を抜く。
握っていた手のひらからは数本の髪の毛が抜け落ち、すきま風に流されて飛んでいった。
「確かに最初に仕掛けたのは私だった。けど普通あんな酷い事する? あいつは人間じゃない……あだ名通りの悪魔なんだよ……」
「……今この場にいる他の奴らも同じなのか?」
「そうだ。みんな雪原の被害者だ。そして復讐を誓った仲間でもある。なあ、あんたは私の話を聞いてどう思った? あんたは悪魔と友達ごっこをしてるようなものなんだ。それでもあいつらと友達のままでいるのか?」
少女はまっすぐに俺を見つめる。
彼女の根はきっと優しい。だからこれは俺に警告してくれているのだろう。雪原や反町と一緒にいるのは危険だと。何に巻き込まれるか分からないと。
けれどそんなことは関係ない。
「俺は――」
俺は自分の信じたモノを信じるだけなのだから。
to be continued
心音です、こんばんは。
イジメ……とはまた違うタイプの話です。やってることは同じようなものだから、つもりと優誠のしてることもイジメというのかもしれません。
でももし、そうすることに理由があるのだとしたら、これを読んでるあなたはどう思うでしょうか?
それでは次のお話でお会いしましょう。




