第80話『それは突然に――』
「――こんなもんで足りますかね?」
大小様々なダンボールが詰め込めるだけ詰め込められた台車を見て俺は一息吐いた。
ダンボールに触れまくっていた手はすっかり脂を吸収されてしまってカサカサになっていた。
「隼人くん、ハンドクリーム使う?」
「使います。このまま放置しておくとぱっくりいく可能性があるので」
「えええ……隼人くんの肌って結構敏感なんだね」
「冬とか手荒れ酷いですよ。女子並みのケアをしておかないとすぐにボロボロになりますから」
「ちゃんと手入れしないとね。……はい、ハンドクリーム」
「ありがとうございます」
榊先輩からハンドクリームを受け取り、手の甲に適量を塗り付けた。
ベタベタしないうちに蓋をしめて返すと、先輩は何故か必死に笑いをこらえていた。
「あ、ごめんね。なんかすごく手馴れているからちょっと面白くて」
「去年もちょくちょく付けてたんですけど気づきませんでしたか?」
「んー……どうだったかな? もしかしたら見ていたかもしれないけど、その時はそれほど印象が濃くなかったのかも」
「まぁ……そうかもしれませんね。結構自然な流れで塗ってましたから。道端ですれ違った人の顔ってすぐに忘れてしまうじゃないですか。俺がハンドクリーム塗ってるのなんてそれくらいどうでもいいってことなんですよ」
「でもその人がものすごくカッコよかったり、可愛かったりしたら……それは記憶に残らない? あ、この人素敵だなぁ……って感じでさ」
「印象が強ければ確かに残りますね。結果的に言ってしまえば俺がハンドクリームを塗るという行為は記憶の一片にすら残らない普通の光景という事になります。――ほら、話している間に塗り終えましたよ」
「あっれ!!? いつの間に!!?」
綺麗に塗り終えた俺の手を見て榊先輩は驚愕の表情を浮かべていた。
「目の前で塗っていても気付かれないほど自然というわけです」
「こ、これは認めざる負えないなぁ……。私の負けだよ、隼人くん」
「何に勝ったのか分からないし、というかいつから勝負になっていたんですか」
苦笑いしつつ、台車を押して待ち合わせ場所へと移動を始める。
人の邪魔にならないように移動しなければならないから歩みは必然的にゆっくりとしたものになる。
「――あれ? 隼人先輩じゃないですか」
「ん? 恋歌か」
曲がり角を曲がったタイミングで食品の買い出しをしていた恋歌と古宮のペアと合流する。
二人の細い腕にはホットケーキミックスやらバターなどが入ったビニール袋がかけられていた。
「買い物は済んだのか?」
「ええ。まだ牛乳とかトッピング用のフルーツも買わないとですけど、それは前日、前々日くらいに買ったほうがいいかと思いまして。それ以外のものはほとんど揃っているはずですよ」
「妥当だな。冷蔵庫で保存できればそれに越したことはないが……生憎、冷蔵庫の支給は無かったからな」
「ふと思ったんですけど、持ち込みはダメなんですか?」
「あれ? 恋歌今知ってて前日、前々日って言ったんじゃないのか」
「はい?」
本当に分かっていないようで、恋歌の頭には疑問符がぽつぽつと浮かんでいた。
俺はそんな疑問を取り除いてあげるために、去年の記憶を引っ張り出す。
「去年もそうだったんだが、前々日から冷蔵庫の持ち込みが可能になるんだよ。各自自己責任でな。やっぱり食品の管理は徹底しないといけないからな。食中毒なんて起こしたらシャレにならん」
「確かにそうですけど……それって持ち込みが出来ないところはどうするんですか」
恋歌の疑問は当然の疑問だった。
もちろんそれに関してはしっかりと対策がされている。
「あまり知られていないんだが、この学校には調理室なるものがあるんだ。そこにはかなりでっかい冷蔵庫が三つくらいある。一学年一つ使ったとしてもお釣りが出るほどのな」
「へぇ……。となるとわたし達もその冷蔵庫にお世話になりそうですね。流石に持ち込みができるサイズの冷蔵庫にわたし達が使う材料は収まりきりませんから」
「そうだな。去年盛況だった事を踏まえると今年は去年以上の混雑を想定しておいた方がいいだろうな。俺たちは桜見丘高等学校ではわりかし有名人だし」
「のんびりまったりとやっていたいものですがね……。混雑は覚悟しておきますよ」
恋歌はため息を吐きながらずり落ちていたビニール袋を腕にかけ直す。
何度も同じことを繰り返しているのか、恋歌の腕は赤くなっていた。よく見ると先程から黙っている古宮の腕も恋歌と同じような状態だった。
「台車に買ってきたもの乗せていいぞ。そのままじゃ辛いだろ」
「それはありがたいです。このままだと袋の重さで腕が切断されていたかもしれません」
「グロイっての。そんなB級映画的なことにならないうちに乗せておけ。もちろん古宮もな?」
「……ありがとう」
ダンボールの山に食材の入ったビニール袋がデコレーションされ、これまた異質な台車が出来上がっていた。
下手に動かすと崩れてしまいそうで、さらにゆっくりと進むことになった。
「待ち合わせの場所って一階ホールでしたっけ」
「……そうだよ。ハルカ、少し、休憩したい」
「あ、それなら私何か飲み物でも買ってこようか?」
「……お願いしても、いいですか。ハルカ、紅茶系なら、なんでもいいです」
「紅茶系ね、了解! 恋歌ちゃんと隼人くんはどうする?」
「わたしも紅茶系でお願いします」
「なら俺も二人と同じで」
「了解! じゃあ一階ホールのベンチで待っててね! すぐに買ってくるよ!」
榊先輩はビシッと敬礼すると、食品売り場の方へと駆け出していった。
その後ろ姿を見送り、俺たちはのんびりと台車を押しながら待ち合わせ場所へと辿りついた。
「……? なんか騒がしいな」
一階ホールは賑わっているとは別の意味で騒がしかった。騒々しいともいうだろう。
「何かあったんですかね?」
「あったからこんなにも慌ただしいんだろうな」
俺たちの横を慌ただしく走り去っていく従業員。深刻そうな重たい表情で電話でどこかに連絡を取っているスタッフ。
遠くから救急車のサイレンの音も聞こえる。
救急車はこのショッピングモールに向かってきているようで、徐々にその音を大きくし、このショッピングモールの駐車場の辺りでピタリと止まった。
「……何があったんだろうな」
「喧嘩があったらしいですよ」
「喧嘩?」
事情を知ってる雰囲気のある女性が俺に話しかけてきた。
「私も耳に届いた範囲でしか分かりませんけど、高校生同士の喧嘩だったみたいです。桜見丘高等学校の制服を着た女子と男子が他校の生徒に絡まれてそのまま喧嘩になったとか」
桜見丘高等学校の制服を着た女子と男子?
女の人が教えてくれた事を頭の中で復唱し、同時に浮かび上がってきた反町と雪原の姿を振り払うように頭を振る。
「隼人先輩……」
「……浅川、くん」
だが隣で話を聞いていた恋歌と古宮も思い描いていた事は同じだった。
「……ッ」
スマホを取り出すのもほぼ同時で、俺たちは雪原と反町の安否を確認する為に誰か一人がやればいい作業を三人同時に始めた。
それほどまでに二人の安否が不安だった反面、もし巻き込まれていたとしてもあの二人ならば無事なのではないかと思う心もある。
それでもこうして、普段はどんな時も1コールで電話に出るような反町が5コールしても出ない事に対して理不尽な苛立ちを顕にしているのは、不安や心配といった気持ちが勝っているからに違いない。
「出ろよ……反町! なんで出てくれないんだ……!! クソッ!!」
留守番サービスに接続された電話に腹が立ち、スマホをぶん投げようとしたところで冷静さを取り戻す。
ものに当たったところで解決する問題ではない。電話が繋がらない今、行動する以外に策はなかった。
「つもり先輩にも繋がりません。これは本格的にまずいんじゃないですか。まだ断定はできませんけど……もしものことがあったら大変ですよこれ」
恋歌もさすがに動揺しているのか、必死に平然を装うとしているのが丸わかりだった。
「そんなことは言われなくても分かってる……。とりあえず今は事実確認が最優先事項だ。恋歌、俺はちょっと駐車場まで走ってくる。お前は古宮の事を見ていてくれ。さすがにその状態の古宮を一人にすることはできない」
古宮は顔を真っ青にしており、膝をガクガクと震わせていた。
鉛のような不安がのしかかって古宮の精神を押し潰そうとしている。恋歌と二人で向かうのがベストだが、こんな今にも倒れそうな古宮を置いていくことはできない。
せめて榊先輩が戻ってきてくれれば話は別なのだが……。
「分かりました。遥香先輩はわたしに任せて隼人先輩は確認に行ってください」
「ああ。何か分かり次第すぐに電話する」
「――何を分かり次第連絡するの?」
その声は脱力してしまうほどの安心感を与えると共に、走る体勢に移っていた俺を、スマホを握しめていた古宮を、そんな古宮の身体を抱きしめる恋歌の意識をまとめていっぺんに集めた。
「? どうし――」
「……つもりちゃん……!!」
弾けるように古宮は雪原の胸に飛び込んだ。
何が何だか分からないという表情をしている雪原だったが、すぐに古宮が泣いていることに気づき、何も言わずただ抱きしめた。
雪原の後ろには事情が把握出来る戸惑っている反町の姿もあり、驚いたことにそのまた後ろにはきょとんとしている榊先輩が紅茶の入った袋を抱えて立っていた。
「なんだ? 俺たちがいない間に何かあったのか?」
険しい表情で反町が訊ねる。
俺はため息を一つ、事情の説明を始めた。
事情を聞き終わる頃には反町の表情は険しいものから申し訳ないという表情に変わっていた。
「悪ぃ。そいつはとんだ心配をかけてしまったみたいだな……」
「ごめんなさい。でも大丈夫よ。私たちには怪我一つ無いから」
古宮の頭を割れ物を扱うように優しく撫でながら雪原は俺らを安心させるために笑顔を見せる。
「桜見丘高等学校の男子と女子がーって聞いた時は本当に不安だったが、こうして今俺らの前に立ってくれてるんだ。それだけで十分だよ」
心の底から安心した俺は榊先輩の買ってきてくれたストレートティーを煽った。
緊張のあまりカラカラに乾いていた喉を潤してくれる紅茶を、あっという間に半分以下まで減らしたところで俺はようやく口を離した。
「浅川がここまで心配してくれるなんて正直驚いたわ」
「俺だって友達だと思ってるやつの心配くらいはするさ」
「あら。それは光栄な事ね」
雪原は雪のように白い髪をサッとかきあげる。
「私も浅川の事は友達だと思っているから心配してくれたのは素直に嬉しいわよ」
「嬉しいのは分かったから今後はあまり余計な心配をかけさせんなって」
「余計な心配って……実際のところ、この問題は私と反町のせいじゃないと思うんだけど?」
「まぁな。確かにそうなんだが、心配したって事実は変わらないんだ。今回のところは素直に受け止めてくれ」
「さっきも言ったけど、心配されるのは嬉しいことだから、ちゃんと受け止めるわよ。だから――遥香もごめんなさい。心配かけて」
未だに雪原の胸で泣く古宮をあやすようにギュッと抱きしめる。
それでようやく落ち着いたのか、古宮は雪原から身体を離した。
「目が真っ赤よ。ほら、涙拭いて」
「……ありがとう、つもりちゃん」
古宮は雪原の差し出した薄黄色のハンカチを受け取って涙を拭き始める。
「――隼人」
「ん?」
まるで親子のような二人を眺めていると、反町が話しかけてきた。
「お前らの方は何も無かったのか?」
「というと?」
「いや、何も無かったのなら別にいいんだ。気にしないでくれ。俺はちょっとトイレに行ってくる」
「あ、おい!」
反町は一方的に話を切り捨て、振り返ることなく人混みの中へと姿を隠した。
「……」
人混みに紛れる前――最後に見せた反町の後ろ姿は酷く殺気立ってるように見えた。
そして反町の消えていったほうを睨みつけるように見つめていた雪原もまた――氷のように冷たい空気を纏っていた。
「……反町が戻ってきたら帰りましょうか。材料は揃ったことだし」
だがすぐに俺が見ていたことに気づき、その冷たい殺気を己の中に潜めた。
「帰ったら暗幕も借りないといけないわね。このあたりの手続きは夜乃会長にお願いしたい」
「私に出来ることなら何でもするよ!」
ウインクしつつ、goodサインを送る榊先輩。
「ほかのメンツは――」
雪原は満足げに頷き、次の指示をだそうとしたその瞬間だった。
「――雪原ぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」
辺りの喧騒を一瞬で断ち切るその悲鳴に似たような叫び。
それは人混みを掻き分け、俺達の元へと届いた。
視線という視線のすべてを自分の元へと集めた叫び声を上げたその声の持ち主は、自然に開かれた人と人の間をくぐり抜け俺たちの前に立ちはだかるのだった。
「だ、だれ?」
「……」
事情を把握しきれない俺たちと違い、雪原は無言で少女を睨みつけていた。
その瞳に込められた形容し難い『何か』は、この静寂と同化し、耐え難い緊迫とした空気を放っていた。
to be continued
こんばんは、心音です。
最後に現れた少女は何が目的につもりの前に立ちはだかったのか、その事実は次回の話で明らかになる事でしょう――。
それでは――次のお話でお会いしましょう。




