第117話『取り戻した時間 後編』
「――隼人さん! 結菜!」
恋歌が嬉しそうに笑いながら木陰に隠れていた俺と結菜を呼ぶ。
恋歌の隣に立つ優香も控えめではあったが手を振ってくれていた。
「上手くいったみたいですね。ちょっとひやひやしてたよ」
「それは俺もだ。でもまぁ――良かった。今はこの一言に限るな。本当に良かった」
「隼人は僕以上にそわそわしていましたからね。でも心配は無用だった。恋歌は強くなったよ、ほんと」
成長した我が子を見るような眼差しで恋歌を見つめる結菜は心から嬉しそうにしていた。
その結菜の嬉しさが伝染したのか、自然と笑みが溢れる。
「なーに笑ってるんですか? 一人でニヤニヤしてて気持ち悪い」
「そういう結菜だって表情が緩みきってるぞ? 笑顔がとろけて酷い顔だ」
「嬉しいんだから仕方ないじゃないですか。嬉しい時は自然に笑顔が溢れてしまう。人間の心理だよ。喜び、怒り、悲しみ、楽しい――喜怒哀楽が僕たちにはある。感情があれば脳が自然にそれを表に出してくれるんだから今僕が笑っているのは必然のことだよ」
「そうして人は成長していくんだな。きっと感情が無い人はいつまでも止まったままで目的すら探せない」
早く早くーと、こちらに向かって手を振り続ける恋歌。
この一年で一番変わったのは恋歌だ。それは春の頃の恋歌を知っている者なら誰もが首を揃えて縦に振るだろう。
よく笑うようになった。
もう無表情で無感情なんて言わせない。
彼女の笑顔は本物だ。嘘偽りない屈託ない純粋な気持ちから作られる笑顔。それは見ている人も巻き込んで笑顔にしてしまう魔法のように素敵なものだった。
「ねぇ、隼人。僕やっと気づいたよ。人を成長させるのは知識でも経験でもない。確かにそれらも必要かもしれないけれど、何よりも大切なのは――」
結菜は笑って続きを口にする。
「誰かと笑って過ごせる時間なのかもしれませんね」
ああ、なるほど。結菜の言う通りだ。
誰か共に歩むことで笑うことができる。それは確かに成長なのかもしれない。
「さて、そろそろ二人の元へ行きましょう。いつまでも待たせていたら僕たちは置いていかれちゃうよ」
「ははっ。そうだな。恋歌だけ先に進ませるわけにもいかないしな」
そうして俺と結菜は笑い合う。
もう大丈夫。俺たちは前に進める。
俺、恋歌、結菜、優香――。取り戻すのに長い月日が経ってしまい、もう取り戻すことができないものもあるけれど、それでもまたこうして巡り会うことができた。
俺たちはもう二度と離れることはない。
結び直された絆はどんな事があっても引きちぎることはないだろう。
困っているのなら手を差し伸べればいい。辛いことがあれば共に乗り越えればいい。一人でできないこともみんな一緒ならばやり遂げることができるかもしれない。
このかけがえのない絆を大切にしよう。
もう二度と後悔することのないように。そして、俺たちのこれからのために。
※
「――やっほ。隼人っち、結菜っち」
あの頃と変わらない調子で優香は俺と結菜のことを呼ぶと、存在を確かめるように交互に俺たちを見つめ微かに口元を緩ませる。
「またこうして……みんなと一緒にいられるなんて奇跡みたいだよ。こんな私のこと受け入れてくれるなんて思ってもみなかった」
「ストップ。もうその話は恋歌と済ませたんだろ? 蒸し返す必要なんてない。そんな確認のようなことしなくても俺たちは家族なんだ。家族のこと、少しは信用してくれ?」
「……ふふっ、あははっ!」
俺の言葉に優香は吹き出す。
そして納得したように何度も頷いていた。
「うん、そうだね。私たちは家族だもんね。はー……やっぱり隼人っちには敵わないなぁ。そういう優しいところ、あの頃と何も変わってないんだから」
おそらく優香が言っているのは初めて自分の弱さを見せた日のことだろう。
自分の弱さを隠し続けていた優香はその日、初めて涙を見せた。本当の自分を見てほしい――そう言って偽りの仮面を剥がしたのだ。
俺はあの時、本当の優香を見てどう思ったんだっけ?
ああ、そうだ。確か嬉しいって思ったんだ。何も隠していない真っ白な優香を見て俺は純粋に嬉しいと感じていた。
弱さを見せるということは、信頼されている証。家族に信頼されて嬉しいと思うのは当然のことだ。
「優香は、あの頃から変わったな」
「褒めてる?」
「ああ。良い意味で変わったよ。きっと恋歌が変えてくれたんだろうな?」
「そうだね、否定しない。というより、否定できないよ。現にこうして私を変えてくれたのはれんっちだもん。さっき会話しただけで自分でも驚くくらい素直になれた。同時に一人で抱え込んでいたのが馬鹿らしく思えたよね」
恋歌の頭をぐりぐりと撫でながら優香は言葉を続ける。
「れんっちもびっくりするほど変わったもんねー。昔の恋歌だったらあんなセリフ吐かないもんねー。二人の前でさっきのセリフをリピートしてみようか!」
「ちょ、優香さん! わたしは優香さんのことを想って真面目に言ったんですよ!?」
「うん。知ってるよ」
ピタリと頭を撫でる手を止め、今度はその手を恋歌の背中に回した。
一瞬何をされたのか理解出来なかった恋歌はそのまま優香にぎゅっと抱きしめられ、ようやくその意味を理解する。
「本当の本当に嬉しかった。れんっちと……みんなと、またこうして話せるなんて夢にも思ってなかった。だからね、本当にありがとう」
「優香さん……っ」
感極まった恋歌は優香の胸に顔を埋めて肩を震わせる。
「あーあ、さっきと役割逆転してるよ? 私、もう一回くらい泣きたかったのに……これじゃあ、泣けない……じゃん」
「……優香」
声を震わせる優香の肩に手を乗せる。
ゆっくりと振り返る優香の目は赤くなっていて今にも泣き出しそうだった。
「我慢することなんてないんだぞ? 泣きたきゃ泣け。ここにはお前を受けとめてくれる人間しかいないんだからな」
優しく声をかければあとは陽の光に当てられた氷のように心が溶けていく。
強がる必要は何もない。だってここは弱みを見せることを許される場所なのだから。
それでも泣くのを我慢する優香の肩をそっと抱く。恋歌に怒られてしまうだろうけど、今はこうするのが最も正しい判断のはず。恋歌だって分かってくれる。
「一人じゃないって分かっただろ? 安心していいんだ。優香が本当はどれだけ弱いとしても、ちゃんと受け入れるから。だから今は遠慮なく泣いていいんだ。気が済むまで泣け。お前が泣き止むまで俺がこうしててやるから」
「ぐずっ、えぐっ……」
優しさに包まれた優香の口から嗚咽が漏れ始める。
我慢しなくていい。もう一度そう言う代わりに優香のことを強く抱きしめる。
「僕もいるからね優香さん。家族の前でくらい思いっきり泣いちゃいなよ」
「結菜っち……ふえ、ふええええ……」
それからしばらくの間優香は泣き続けた。
子どもが癇癪を起こした時のように泣き喚いていた。
俺はそんな優香が泣き止むまでずっと抱きしめてあげていた。
※
「あはは……なんかごめんね? 本当に遠慮しなくて」
しばらくして泣き止んだ優香は目を赤くしたまま照れ臭そうに笑っていた。
「……うん、ありがとう。みんなのおかげでだいぶスッキリしたよ。いつぶりだろうなぁ……。こんなにも心が穏やかなのは……」
遠い過去を見つめるように優香は夜空を見上げる。
空に輝く幾億もの星はまるで記憶の欠片のように儚く美しいものだった。
「……あの日は、雨が降っていたね。空が暗い雲に覆われて、ポツポツと降る雨の中を私たちは歩いていた」
そうして優香は語り出す。
11年前の真実を――。
「隼人っち、結菜っち。二人もあの日の出来事を何も覚えていないんだよね?」
「ああ。出掛けたことは覚えてる。そしてその後に事故があったことも。でも肝心な出掛けた理由が分からないんだ」
僕もです。と、結菜は頷く。
優香はなるほど。と言って目を伏せ、次に開いた時、その視線は恋歌に向けられていた。
「あの日、れんっちを置いて私たちが外に出た理由。それはね、なんとなく予想はついていると思うけどれんっちの為なんだよ」
恋歌の為――。
それは確かに予想していたことだ。俺たちが恋歌を独りにする筈などないのだから。
「私たちは家族。大事な家族を悲しませるためにれんっちを置いていった訳ではない。そこはきっと分かってくれているよね?」
恋歌は無言で頷く。
「私たちは常に家族のことを――れんっちのことを想っていた。あの日もそう、すべてはれんっちを喜ばせる為の行動のはずだったんだよ。けれど……現実はあまりにも残酷だった。喜ばせる為の行動は取り返しのつかない悲しい現実を心に刻み、私たちはバラバラになってしまった」
「わたしを……喜ばせる為。一体皆さんは何をしようとしていたんですか……? 前置きはいいんです。できれば真実だけを、教えてください」
「……分かった」
二人もいいかな? と、優香が視線でそう訴えかける。
それに無言の頷きを返すと、優香は小さく息を吐き表情を引き締める。
「これはただ、純粋な家族への想いが招いてしまった不幸な事故。あの日私たちが出掛けた理由は少し考えてみればすぐに分かることなんだよ……。私たちはね、れんっち」
そして優香は真実を口にする。
それは確かに、家族の為に行ったささやかな優しさだった。
「――れんっちの誕生日プレゼントを買いに出掛けたんだよ」
「………………え?」
恋歌の目が驚くほど見開かれる。
予想にもしていなかった優香の言葉を恋歌は震える声で繰り返す。
「わたしの……誕生日、プレゼント?」
そういえば俺は恋歌の誕生日を知らなかった。いや、忘れていた。
あの事故で俺は恋歌に関わる記憶のすべてを失くした。それにはもちろん誕生日だって含まれるのは当然のこと。
「そう、か……。そういうこと、だったのか……」
記憶が戻ってからも俺はその事が抜け落ちていた。恋歌のことを思い出せてそれで満足していたのだ。
でも今はっきりと優香の言葉を聞いて思い出した。何もかもを思い出した。空っぽになっていた頭の隙間に水が注がれるように失くしていた記憶が蘇ってくる。
「そうです……思い出しました。僕たちは颯恋さんの提案で恋歌の誕生日をで祝おうと計画を練っていた……」
「みんなで最高の誕生日パーティーにするんだって盛り上がって計画も順調に進んでいるはずだった。でも……あの事故がすべてをぶち壊した」
「颯恋さんは帰らぬ人になって、私たちはバラバラになった。これがあの日の真相だよ」
「そん、な……お姉ちゃん……っ」
泣き崩れる恋歌。
この真実は恋歌にとってあまりにも残酷だった。もしかしたら恋歌は自分のせいで颯恋が死んでしまったと思っているのかもしれない。
「れんっち……自分を責めるのは間違っているからね。これはただの不幸な事故。悪い人は誰もいない」
「……分かって、います……っ。誰も悪くないことくらい、分かります。皆さんはわたしの為に考えてくれた。それを責めるのは間違っているし、自分が悪いと思うのだってお門違い。でもだったら……!!」
真っ赤に泣き腫らした顔で恋歌は俺を見上げて叫ぶ。
「このやり場のない悲しみを!! わたしはどこにぶつければいいんですか……!!」
「恋歌……っ」
自分の胸元に恋歌を抱き寄せる。
いつも香ってくる甘い香りも今は悲しみが混じって切ない香りになっていて俺の心に入り込んでくる。
恋歌の悲しみを痛いくらいに感じ、俺まで泣きそうになるのをぐっと堪える。
「今は辛くても時間が解決してくれる。お前の心が癒えるまでずっとこうしててもいい。だから泣くな。颯恋はお前を悲しませるためにこんなことをしたんじゃない。嬉し泣きはいいとして、悲しい涙なんて望んでいないはず。恋歌には笑っていてほしいはずだ。ほら、颯恋はお前の笑顔が好きだったじゃないか」
「笑顔……。そう、ですね。わたしは笑っていないといけませんね……っ。ようやく笑えるようになったんです。笑顔でいないと、お姉ちゃんに怒られちゃいますね」
「おう。あいつは怒らせると怖いからな」
「それ、お姉ちゃん聞いたらもっと怒っちゃいますよ?」
「ははっ、それな」
軽口を叩いて笑い合う。
黙って成り行きを見守っていた結菜と優香も同時に破顔した。
明るい笑い声が高台に響く。
それは夢にまで見た家族としての形。
笑顔の溢れるこの空間には幸せだけが満ちていた。
「――れんっち、これ」
ひとしきり笑ったあと、優香が一通の便箋を恋歌に差し出した。
首を傾げながらも恋歌はそれを受け取り、裏返したところで「あっ」と声を漏らした。
「優香さん……これ……」
「うん。颯恋さんかられんっちに宛てた手紙だよ。本当なら誕生日に渡すはずだったもの」
その手紙には俺も見覚えがあった。
みんなで準備している間に颯恋が書いていたものだ。
「当日は私がプレゼントを渡す係だったから颯恋さんからこの手紙を預かっていたんだよ。受け取ってくれるよね?」
「もちろんです……。ありがとうございます、優香さん」
受け取った手紙を大事そうに抱える。
まるで手紙に残された颯恋の想いを感じ取っているようだった。
「読む?」
「もちろん。でも今は読みません。来る日が来たら、読もうかと思います」
どうやら恋歌は自分の誕生日に手紙を読むと決めたようだった。
内容が気になるが的確な判断だろう。元々誕生日を祝うための手紙なのだから。
「誕生日パーティー開こうぜ。俺たちだけじゃない。つもり達も呼んで派手に楽しもう」
「賛成です。人数は多ければ多いほど楽しいからね」
「ならまずは私にその……つもり? って人たちのこと紹介してね!」
「みんな愉快な人ですから優香さんもすぐに仲良くなれると思いますよ」
「ちょ、それ遠回しに私の頭がくるくるぱーって言ってない!?」
「や、流石にそれは深読みしすぎだろ」
「優香さんは元からバカですからね。遠回しに言う必要すらないよ」
「結菜っちはあとでお仕置きだよ」
――取り戻した日常。
そしてこれから歩むべき道のり。
もう二度と間違わないように生きていこう。
そう、俺は心に決めた。
to be continued
心音です。こんばんは。
過去の真実が明らかになり、ようやく前を向いて生きていけるようになりました。
残り三話程度で完結するこの作品を最後までお楽しみください。
ちなみに次回は久しぶりに平穏な日々を語ろうかと思います。
それでは次のお話でまたお会いしましょう。




